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惚れ薬なんてものが存在するなら

作者: 喜多結弦

 ディナの優雅な昼休みは、このところ一気に老け込んだ従兄と共有されている。

 ディナより二つ年上、十八歳になる母方の従兄のレオンは今日も大量の書類を抱え、研究室へとやってきた。

 薬草学の教諭の研究室は異臭が立ち込めているというのに、物好きな奴だとディナはレオンをじっと眺めた。

 学園の制服の上から白衣をはおったディナが研究室を使えるのは、ディナの父方の叔父こそが薬草学の教諭だからである。本校舎のすぐ近くにある研究室と隣にある温室は叔父の許可がなければ使ってはいけない。親戚であるディナとレオンの持つ特権だ。

 また、幼少期から叔父に知識を叩きこまれたディナは強制的に研究を手伝わされる。薬草学が好きなディナには嬉しいことだが、不満と言えば叔父の人使いが荒いことか。


「来たらいけないってわけじゃないけど……。生徒会室の方が清潔で落ち着くんじゃないの?」


 ディナが訊ねると、レオンは憂いを帯びた瞳を伏せ、ふっと笑った。

 長身、サラサラのブロンド、女性的な綺麗な顔立ち。女子生徒から人気の高い従兄だが、二人きりになると年寄臭くなったりする。


「あんな騒がしいところで仕事をするより、お前の入れた不味いコーヒーを飲みながらここで書類に向かった方がはかどる」

「ああ、私のいれたコーヒー、ずっと不味いと思っていたのね?それだったら自分でいれてよ」


 一度彼に出したコーヒーを下げるが、レオンが一生懸命謝るので返してやった。謝るくらいなら言わなければいいのに。


「レオン様が子供舌なの。ミルクを入れればいいのに格好をつけるからいけないのよ」

「そう言うが……この部屋のどこにミルクがあるんだ」

「ここにはないけど」

「ないんじゃないか」

「ないってわかっているんだから、持ってくればいいのよ」

「俺が来るとわかっているのだから、用意してくれてもいいだろう」

「はいはい」


 生徒会長を務めるレオンはここのところ仕事がたまりにたまり寝不足なのだと言う。今年になって、つまりレオンが生徒会長になってもう半年だが、今までそんなことはなかった。それが急に、ここ一月ほどですっかり疲れてしまっている。

 研究室に来る頻度も、三日に一度くらいだったのが今では毎日だ。


「仕事のしすぎですっかり二、三歳老けて見えるわよ。ちゃんと寝てるの?」

「いい質問だな。五日眠っていない」

「人ってそんなに眠らないで生きていられるものなの…?」

「仮眠をとってなんとかなっている状況だ」


 手伝ってやりたいところだが、生徒会でもないディナが勝手に見てはいけない書類もあるらしい。


「逆にお前は最近調子が良さそうだな」


眠気を覚ますようにコーヒーをグビグビ飲んだレオンは、ディナの顔を見て羨ましそうにする。


「ふふ。最近叔父様がしょっちゅう外出するの。だから馬鹿みたいな仕事の量を任されないし、自分のやりたい実験や勉強もできてとっても幸せ」


叔父がどこへ出かけているかは知らないが、朝から晩までどこかへ出かけ、その日中に姿を見ないことも少なくない。


「どこに行っているか知らないけど、叔父様がいない研究室なんて私にはユートピアよ」

「随分な言い草だな……」


標本、資料、薬草、人柄はともかく優秀な叔父のレポート。それらの宝庫である研究室は、多少臭くてもディナには楽園と同じ価値がある。その上日当たりもいいとくれば毎日幸せだ。


「少し休憩したほうがいいわ。もう、腕が痙攣をおこしてるじゃない……。お昼休みが終わる前に起こしてあげるから、眠っていて?」


 二人掛けのソファを指さすと、レオンは大人しくそこに寝転がった。


「よし、膝枕」

「しません」


 目元に腕を置き、大きなため息をついたレオンは吐き出すように言う。


「疲れている俺を労う優しさもないのか……」

「楽園に招待して貴重な睡眠までとらせてあげてるじゃないの」

「貴重なあ……。まあ睡眠時間も貴重だが、お前と二人きりになる時間だって……。おい、膝枕」

「しませんて」


 お湯につけて絞ったタオルを持って行き、レオンの腕をどけて目元に置くと、手をつかまれた。


「どうしたの?」

「眠い……」

「いや、知ってるけど」

「昼休みが終わっても起こさなくていい」

「サボるの?生徒会長なのに」

「どうせ授業にでても起きていられない」

「まあ……そうかもね」


 私は授業に出るけどね?

 ディナが言うと、レオンはわかったと答えた。

 わかったと言ったくせに、手を掴んだまま眠ったものだから、結局ディナまで午後の授業をサボるはめになった。




***




「よく寝た。すっきりした。助かった」


 レオンが目を覚ましたのは、午後の最後の授業開始の鐘がなって数分後だった。


「おはようレオン様。私に何か言うことはない?」

「付き添いご苦労」

「ちょっと」

「冗談だ。傍にいてくれてありがとう、ディナ」

「ごめんなさいを待っていたんだけど、それでもよしとします」


今から教室に行くわけにもいかない。しかたない。今日はこのまましばらくここで過ごして帰ろう。

 レオンと一緒に机に座り、向き合ってそれぞれの仕事と勉強をする。

 器用にも手を動かしながら会話をするレオンに合わせディナも返事をするが、会話をしながらだとやはりペースは落ちる。対しレオンの手のペースは変わらない。


「それにしても、どうして最近になってそんなに忙しくなったの?しかも、生徒会室に行かないし」

「聞いてくれるか」

「うん、私から訊ねたからね?」

「先月、ミリア・オルコットという女子生徒が転入してきただろう」


 転入してきただろうと言われても。全校生徒を把握しているはずもなく、ディナはそんなことを知らない。


「そうなの?」

「お前のクラスだと思ったが」

「んんー……うふふ」

「なんだその笑いは」

「薬草学の授業以外ずっと眠ってたりして……」


 叔父が怖くて眠れない。


「お前という奴は……。友達ができないぞ」

「それは大丈夫よ。入学式から一週間友達作りに励んだもの」

「計画的なところが嘆かわしいな。まあ、とにかく、だ。そのミリア・オルコットがここのところ生徒会室に入り浸っているんだ」


生徒会でもないのに?

 顔に出ていたのか、レオンはすぐに説明に移った。


「ジルはわかるだろう、お前のクラスの庶務だ」

「知ってるわ。入学式からいたからね」

「つっこまないぞ。そのジルがミリアを連れて来たのが発端だ。ミリアが見学したいとジルにねだったんだと。始めの頃は、しつこく付きまとってくるからとジルも嫌がっていたようなんだがな。五日ほど経った頃、様子がおかしくなった。俺以外の役員全員、ミリアに夢中になったんだよ。ジルも、ラグも、グランも、ゼンも、顧問をしているお前の叔父もな」


 察するに、ジルが庶務なら他に名前を上げられたのは副会長と書記と会計だろう。しかし、ワンテンポ遅れて大変なことに気づく。


「え、叔父様…?」

「ああ」

「叔父様、ばれたらクビになってしまうわ」

「そうだな」


 なんてことだ。人使いが荒くても叔父。一時の気の迷いで身内が道を踏み外すのを見過ごすわけにはいかない。


「始めの頃は皆煙たがっていたはずなんだがな」

「で、そのミリアさんに夢中になって皆仕事をしなくなったの?生徒会に選ばれた人たちがそんなことをする?」


 生徒会は全校生徒の憧れの的だ。家柄を中心に決められたが、それは良い家の子はより努力をし家に相応しくあろうとしていることを学長先生がわかっているからだ。

 そのため有能な人材が集められ、カリスマ性もある。余談だが容姿もいい人揃いで女子生徒に人気が高い。

 そんな人たちが仕事を蔑ろにするのだろうか?


「しているから俺のこのざまだ。一般生徒の不満も募ってきている」

「ミリアさんを出入り禁止にできないの?会長なのに」

「顧問が許している時点で無理だ」

「あらー…」

「どうしてこうなったんだかな」

「恋は盲目って本当だったのねーとしか言えない」


 頬杖をついたレオンはついに手を動かすことをやめた。


「しかし…冷静に考えておかしいんだ。確かにミリアの容姿は愛らしいが、あからさまに媚びを売って感じが悪いし。我儘だし。こう言っては何だが下衆いお前の叔父が気に入るようなスタイルでもない。それが全員デレデレと。惚れ薬なんてものがこの世に存在するならまだわかるが」


 ディナの手も止まる。そして、レオンの話から思いつく資料を探す。

 本棚の手前にある厚い本。

 おかしい。この本はもっとずっと奥の方にしまってあったはずだが。叔父が動かしたのだろう。


「あるけど、惚れ薬」

「は…?」


 以前一度見たページを探す。


「惚れ薬と言うか、惚れ薬みたいなものだけど。ほら、これ」


本を机の上に乗せてレオンにも見せる。

 そこには必要な薬草から、惚れ薬のような作用を生むまでの過程が書かれていた。


「まず媚薬になる薬草の成分を微量飲ませるの。本当にちょっとの量じゃないとだめよ。でないと媚薬を飲ませたってばれちゃうから。その後にこれ。この薬草は人を催眠状態にする効果があるの。同時に飲ませても効果は変わらないみたい」

「あいつらが飲まされたと?」

「そうは言ってない。レオン様が、惚れ薬があればなんて言うから、あるってことを教えてあげただけ」


顎に手を当てて考え込んだレオンは、一度大きく頷くと立ち上がった。


「とくには?」

「正気に戻せばいいのよ。歯の一本抜けるくらいの勢いで殴ればすぐじゃない?窒息寸前まで池に顔を突っ込ませたり」

「案外簡単だな」

「そうね。でもいいところのお坊ちゃんだもの。そんなことを滅多にされないから、とける機会もなかったんじゃないの?」

「なるほど。少し行ってくる」




***




 翌日の朝、授業前にディナが研究室へ行くと久しぶりに朝から叔父がいた。


「おはようございます叔父様。素敵なお顔ね」

「やかましい。もっと他の方法を考えてあいつに教えろ」


叔父の頬は見事に赤くはれ上がっている。色男が台無しだった。


「本当に惚れ薬にまいっていたの?薬草学の先生が聞いてあきれてしまいますね」

「まさかあんな小娘が高度な調合をするとは思わないだろう」

「ねえ、あくまで予想だけど、そのミリアさんてお嬢さん、叔父様の研究室に入ったんじゃない?それで、ある程度調合の済ませてあった叔父様の薬のサンプルを盗んだのよ。本の位置もおかしかったし」


気まずそうに顔を逸らした叔父は肯定しているも同然だった。


「始めの頃は無害そうな生徒だったからなあ……。あいつが授業の質問をしに来た時、丁度俺が例の資料を読んでいたんだ。で、興味を持ったようだから少し話して」

「自分が説明した薬にひっかかったの?叔父様ってば随分間抜けね」

「おっしゃる通りだよまったく。溜まった仕事手伝えよ」

「どうして私が」

「一か月間楽しんだんだろ?俺のかわいい姪は」

「確かにそうだけど…っ」


 その日、学園内で見た生徒会の面々は、レオンを除き全員が頬を赤くはらせ、酷い顔をしていた。




***




「酷い顔だな。肌も荒れている」


 放課後、研究室を訪ねて来たレオンは晴れ晴れとした顔でディナに声をかけてきた。以前とは逆だ。これまで負担した分しばらく仕事を免除されたレオンと、叔父の手伝いに追われるディナの精神状態はつい先週までの状態と逆転していた。

 ミリア・オルコットは停学処分。十分反省しているそうだが、派手にやらかした分穏やかな学園生活を送るのは難しいとのことだ。ほどほどの制裁を加えられたことも、レオンの上機嫌の理由の一つだろう。


「手伝ってくれていいのよレオン様」

「無暗に手を出してミスがあってもよくないからな。やめておこう」

「大丈夫よ。ミスをしたって全部叔父様のせいにすればいいんだもの。だいたい、私たちに任されるのなんて叔父様が趣味でやっている研究のまとめくらいだから支障なんて出ないわ」


 いくら叔父でも、学校関係の仕事を生徒である姪や親戚の男子生徒に任せたり情報をもらしたりはしない。

 別の書類に目を通している最中の叔父が、聞こえているぞと注意してくる。


「ところでお前に聞きたいことがあるんだディナ。ミリアは、例の調合薬をコーヒーに混ぜて俺たちに飲ませたそうだ。その時はまだ俺は生徒会室に通って、ミリアのいれたコーヒーも飲んでいる。だが俺には効かなかった。何故かはミリアもわからないそうだが、お前にはわかるか」

「そんなの簡単。あの薬は、恋をしていると錯覚させる効果があるの。体がうずいて、部屋にいる異性は一人だけ。ああ、これは恋かもしれないと思う。恋愛感情を勘違いする。だけど、錯覚や勘違いをする以前に本当に恋をしていたら、薬に偽物の恋を錯覚させられるわけがないじゃない?」

「ほう……」


 顎に手をあて考える仕草をしたレオンは、ディナをちらりと見てぼそぼそ尋ねる。


「なら、お前、気づいたか。俺に薬がきかなかったのは、俺がお前のことを……」

「え?なに、聞こえない」

「…っ、従兄妹同士の結婚はあると思うかディナ!」

「え?ない」


 いとこで結婚することもあると聞くけど、距離が近すぎてありえないわよねえ?

 ディナが悪気なく言うと、隣で叔父が声をあげて笑い出した。


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