4話
彼とすれ違った。
昨日までと違って、挨拶どころか目も合わせない。というより、気づいてすらいない様子で前を通り過ぎた。胸が痛む。
いつも、会うたびに話しかけてくれたのに。
「また、一緒に映画観に行こう!」「数学教えてくれないか?」「なあ、今日の放課後空いてる?」
……嫌だ。もう嫌だ。
早く、早く忘れなきゃ。
あんな酷い奴のこと、さっさと忘れなきゃ。
あいつなんか……最初から遊ばれてたんだから。あんな奴、もう知らないんだから。
……でも。
いいところもちゃんとある。ゆり、ほんとにあの人には救われたんだもん。いっつも、気にかけてくれた。何でもないような話も、笑顔で聞いてくれた。相談にも乗ってくれた。それに……こんなゆりのこと、「可愛い」って言ってくれたんだ。
ゆり、あの人のおかげでたくさん変われたんだ。たくさん知ったんだ。
そんな人を、簡単に忘れられないよ……っ!
「妃結梨?」
「蘭奈……」
蘭奈…そうだ……蘭奈なら………忘れさせて、くれるかな。
「どうしたの? 顔色が悪いわ。家に帰りましょうか、ゆっくり休んだ方がいい。熱でもあるんじゃないの??」
「うん……熱、無いけど、でも、お家に帰りたい……」
「無理は良くないから。教室にいて? あたしは先生に……」
「いや。ダメ」
「じゃあ、一緒に行きましょうか」
「うん」
「先生、妃結梨が体調を崩してるんです。本人も辛いみたいなので帰らせます。私、今日から2日間は彼女の両親が不在なので世話を頼まれているんです」
先生はあっさりと許可してくれた。それほどまでに、ゆりの顔色が悪かったらしい。
帰りは電車ではなく、蘭奈のお家の車。普段は家に誰もいないけど、送迎や掃除などの時にはお手伝いさんが来ていた。こっちの方が早いのは明らかなのに、ゆりが悪いからって車の送迎を断ると蘭奈はゆりに合わせて電車通学にした。正直、あの時甘えるべきだったかなーなんて、思ってる。
車に乗ってしばらく揺られてるうち、ゆりは本当に気分が悪くなってしまった。
「気持ちわるい……」
「妃結梨?! 寝てなさい! まだしばらくかかるから!!」
あれ……怒られちゃった……なんか…眠く、なってきた…………。
「お部屋に戻りましょう。とにかく今は寝てて。頭痛いとか、吐き気がするとか、ない? あと、食べたい物とかあったら作るわよ」
車の中で眠ってたから体調はもう大丈夫。食べ物なんて、欲しいって言ったらまた独りにされちゃう……そんなのダメ…!!
「大丈夫だから、一緒にいて?」
「本当に? もちろんだけど」
疑われてる。本当に大丈夫なのに。
部屋に戻ると、蘭奈が手錠を持ってきた。
「不安、だから」
そう言って近づいてきた蘭奈の手を、初めてはたいた。
「妃結梨!!? ちょっと、何を……!」
蘭奈……早く、早くゆりを壊して。
そのまま掴んだ彼女の手を引っ張る。そうしてベッドに投げ出された体に迷いなく跨った。こんなことして、蘭奈に抵抗したの初めてだから。ただただ、驚いた表情を浮かべていた。
「ねえ、蘭奈……お願い…ゆりね、まだ……忘れられないの……でも、忘れなきゃ…あの人のこと、忘れなきゃいけない……ねえ、蘭奈なら出来るでしょ? 早く忘れたいの……もう、何も思い出したくないの…」
ぽたりと蘭奈の頬に雫が落ちた。
「妃結梨……」
あの日以来の、キス。自分からするのは恥ずかしい気もしたけど、それよりも忘れたいって気持ちの方が大きくて。蘭奈が良くて。蘭奈じゃないと嫌で。蘭奈になら、壊されても良くて。
「お願い……蘭奈。お願い……っ!!」