甘菓子
「それにしてもすごい量だな……」
物干し台に干された大量の衣服を眺めながら、半ば感嘆の息を吐く。
なにせ約三メートルの物干し台を、五台使用するほどの数だ。
衣服同士の間隔も極限まで詰めたため、不格好な旗のようにも見える。
圧巻されるというか、父子家庭の身としては物珍しい光景だった。
「大所帯ですから。どうしても多くなっちゃって」
最後の手直しとして服の皺を伸ばしていたルシルは、振り返ると苦笑を向けた。
「この詰所って何人住んでるんだ?」
「えーと、私も含めると……九人ですね。たまにご自宅に帰られる方も居ますが」
「九人か……」
今まで俺が会ったのはトニとリズ、それとルシルの三人だけだ。
まだ顔を合わせていない人間の方が多いらしい。
一体どんな人たちがこの詰所で暮らしているのだろうか。
ふとそんなことを考える。
自警団と言うといかにも厳つそうだ。
しかし、今の所ヴァルハラ自警団にはそういった感想を抱かない。
恐らく気が抜けるほど軽いトニや、リズとルシルのような女性が居るからだろう。
むさっ苦しい男だらけの堅っ苦しい組織をイメージしていたが、一概にそうだと言えないのかもしれない。
案外みんなトニみたいな人物という可能性もある。
辛辣で厳しい組織なら、あんなゆるい態度なんて取っていられないはずだ。
そう考えると、いくぶん気が楽だ。
さすがに俺ももう強面の大男の相手をするのは御免である。
長い洗濯を終えた解放感もあり。
なんとなく張り詰めていた緊張が解れた気がして、腕を大きく天に伸ばす。
「あだッ!!?」
瞬間、固い物体を殴りつけた感触が拳に広がる。
同時に鈍い音と野太い声が上から落ちてきた。
恐る恐る顔を上げれば、凄まじい形相の大男が顎を擦りながら睨みをきかせている。
なんてベタな……!
絶句する俺とは反対に、大男は大きく鼻を鳴らす。その風圧で俺の前髪は情けなく捲れ上がった。
そして、何を思ったのか。大男は無言のまま顔を近づけてきた。
まじまじと見つめてくる茶色の瞳には、青ざめる俺の姿が映っている。
太い眉毛はひんまがり、男の顔に刻まれた皺はますます深くなっていく。
もちろん浅黒い肌から銀色の肌は覗いたりはしない。
れっきとした人間なのは間違いないが、迫る威圧感は機人のそれに勝るとも劣らなかった。
なんだ! 殴り返されるのか!?
こちらに落ち度がある分、下手に強気にも出れない。
戦々恐々としながら男のアクションをひたすら待つ。
念の為、いつ殴られても良いように奥歯だけは噛み締めておいた。
「あっ!?」
そんな奇妙な顔合わせをしていた俺たちに気付いたのか。ルシルが籠を抱えながら、こちらに駆け寄ってくる。
その声に釣られて男も厳つい顔を上げた。
まずい。
直観的に俺はそう感じた。
慌てて男の前に立ちはだかるが、やはり屈強な体格をしているだけあって力は強い。
あっという間に俺を引き剥がすと、男は懐に手を差し込む。
「きゃっ!?」
最初に上がったのは、ルシルの悲鳴。
次に上がったのは――
「今日もご苦労さん。ほれ、頼まれてた物だ」
拍子抜けするほど温和な男の声だった。
その上、男の手には可愛らしくラッピングされた紙袋が乗せられている。
リボンに、パステルカラーに、手の平サイズ。
厳つい風貌の男には随分似つかわしくない代物だ。
「わぁ、ありがとうございます! すごく楽しみにしてたんです!!」
しかしルシルはなんも躊躇いもなく男の手から紙袋を受け取ると、嬉しそうに頬を緩める。
そのはしゃぎようはまるでプレゼントを与えられた子供のようだ。
いや、まさしくその様なのだろう。
小麦色の髪から覗く双眸は、これまでにないほど輝いていた。
「はっはっは、そりゃあ良かった。これだけ喜んでくれるなら、カミさんも冥利に尽きるってもんだな」
男は快活に笑うと、喜ぶルシルを微笑ましそうに見下ろす。
だが不意に二人の間で呆然と立ち尽くす俺に気が付くと、ニィッと白い歯を見せた。
「おぅおぅ、見かけない坊主だな。入団希望者か? それとも――」
「違いますよ!」
男が言い終るよりも先にルシルが否定の言葉を刺す。
男の下卑た笑みからどんな解釈をしたかは謎だが、少なくても否定されて嬉しい内容ではないだろう。
ややショックを受けて項垂れていると、ルシルが歩み寄ってくる。
「ええと、こちらの方とは初対面ですよね?」
妙に視線を泳がせながら、ルシルはそんなことを尋ねてきた。
もちろん初対面に決まっている。
こんな二メートル近い男に会っていたら、嫌でも記憶に残ってるはずだ。
軽く頷くと、ルシルもまた大きく頷いてみせた。
「では、ご紹介しますね。ヴォルド・ビスケティさんです。たまにご自宅に帰られる方というのは、こちらのヴォルドさんなんですよ」
ルシルは手の平を向けると、大男をヴォルドと呼ぶ。
どうやらこの男もまた自警団の一人らしい。
体格からしていかにもそんな感じだが、雰囲気自体は近所の気さくなおじさんだ。
「じゃあ、さっきも……」
「ああ、ちょうど実家から帰ってきたところだ。三日ばかし休暇を貰ってな」
なるほど。三日前となると、ちょうど俺がここに運ばれて来た時だ。
お互いの顔を知らないのも当然というわけである。
「ヴォルドさんには奥様とお子さんがいらっしゃいますからね。たまに帰らないと、寂しがられるんじゃないんですか?」
「さぁ、どうだかね……案外寂しがってるのはオレだけかもしれんぞ?」
冗談ぽく頭を掻いて破顔するが、その声はどことなく哀愁が漂っている。
どこの世界でも父親は肩身が狭いらしい。
「んで、坊主はなんて言うんだ?」
「俺は……タツキです。ちょっと訳があって、ここの自警団の世話になってます」
少し悩んだが、手短な紹介で済ますことにした。
今ここで一から十まで説明しても、話が長くなるだけだからだ。
至ってそう真面目に答えたはずだが、何かが触れたのかヴォルドは突然吹きだす。
「がははっ、固いなー! 固すぎるぞ、お前。オレの肩まで凝っちまいそうだ」
「痛ッ!? ッ……そう、ですかね?」
バシバシと不躾に背中を叩かれ、一瞬目の前に星がちらつく。
傷む背中を擦って労わっていると、ますますヴォルドの笑い声は大きくなる。
「そんなお固く構えることはねぇって。気楽にしてな」
「はあ……」
「どんな事情があるかはしらねぇが、同じ屋根で過ごしたもんだ。仲良くしようじゃねぇか、なぁ?」
「は、はあ……」
もはや曖昧な相槌を打つことしか出来ず、されるがままに肩を揺すぶられる。
どうもこういう体育会系のノリにはついていけない。
一応武道をやっている身だが、あまりこの手の人物はいないのだ。
だからこそ、どう接するべきか少し困ってしまう。
「ところで、今回は何が入ってるんですか?」
戸惑う俺を気遣ったのか。
助け舟を出すかのように、ルシルは紙袋を目の上まで持ち上げてみせる。
ヴォルドから受け取ったものだ。見れば見るほど、ヴォルドに似つかわしくない。
「ああ、えーと確か……ハッ、ハッロー……」
「ハッロングロットルですね!」
ルシルは声を弾ませると、パアッと花を咲かせるように顔を綻ばせる。
ヴォルドの全く言葉になってない言葉からよく汲み取れたものだ、と半ば感心した。
「私、カトルさんのハッロングロットル大好きなんです! あっ。カトルさんって言うのは、ヴォルドさんの奥さんですよ」
そう言って俺に一言付け加えた後、ルシルは目に見えるほど浮かれ始めた。
肝心のハッロングロットルが何か分からないが、貰って嬉しい物であることは間違いないようだ。
「ああ、早く頂きたいですねー……」
「だったら、今食べても良いんじゃねぇか? 洗濯も丁度終わったところなんだろ。ひと休憩ってことで食っちまいな」
「で、でも。もうじき朝御飯が……」
「朝一の焼きたてらしいぞ」
「焼きたて……!」
甘い誘惑に、ルシルの心ががんがん揺れていく様が手に取るようにわかる。
しばらく葛藤するように唸るが、勝負は決したらしい。
「ひ、一口だけ!!」
誘惑の圧倒的勝利で一幕降りたようだ。
ルシルがいそいそと紙袋の封を開ければ、ふわりと甘い香りが周りに広がる。
小さな肩越しにその中身を見てみると、そこにはクッキーが詰められていた。
そのサイズはとても小さなもので、親指と人差し指で作った輪っかほどあるかないかだ。
中央の窪みにはジャムが注がれており、鮮やかに光り輝いている。
「これがハッロングロットルなのか……」
「はい、とっても柔らかくて美味しいですよ! 食べてみますか?」
「良いのか?」
「もちろんです! たくさんあるので、是非食べてみてください」
言うなり、ルシルは袋から一枚抓むと差し出してきた。
俺の手の平にではなく、口の前に。
「はい、どーぞ」
無邪気そのものの笑顔で促すルシル。
透き通った翡翠の瞳から、ただただ美食の喜びを共感したいという気持ちが伝わってくる。
だからこそ余計に躊躇うと言うか……食べ辛い!
邪な気持ちを抱いてしまう自分が、とてつもなく下劣に感じてしまうほどだ。
どうにも困って視線を彷徨わせていると、ヴォルドと目が合った。
何かフォローのひとつでもあればと縋るが――
「……!」
返ってきたのは、やけに勢いが良いサムズアップだった。
期待した自分が悪かった。
「要りませんか……?」
一向に口を開ける気配が無い俺に、ルシルは少しだけ声を落とす。
どうやら俺が嫌がっていると思ってしまったらしい。
「いや、そういうわけじゃ……」
慌てて首を振ってみせるが、ルシルの顔は晴れない。
今は何を言っても空虚だ。ルシルの厚意は行動でしか受け取れない。
もはや……腹を決めるしかないのだ!
「ひゃ!?」
咄嗟に離れ始めたか細い手首を取ると、小さな悲鳴が上がる。
ルシルは突然のことに肩を強張らせているが、ひとまず逃げる様子はない。
そのまま勢いに任せて口を近づければ、しっとりと柔らかい感触が口の中に広がった。
「ど、どうですか……?」
「……うまいな」
「そう……ですか」
なんとも抑揚のない会話を交わした後、ルシルは空になった手を恐る恐るおろす。
そして、ルシルは後ろ手を組むと顔を伏せてしまった。
髪の間から覗く耳は仄かに赤くなっている気がしないでもない。
一方、俺もまた美味いと言いつつ、正直なところ味はよくわかっていなかった。
ただひとつわかることは、甘いということだけだ。
「いやぁ、なんか邪魔者みたいだなー」
突如上がった野太い声が、気まずい空気を蹴り破る。
ヴォルドは意味深な笑みを浮かべるや荷物を担いだ。
「それじゃあ、オレは先にあがってるから。あとはごゆっくり……ってな!」
がっはっはと一際大きな笑い声を立てながら、ヴォルドはそそくさと詰所に入っていった。
「あの……」
一瞬の風が通り過ぎたような心地で立ち尽くしていると、不意にルシルが声をかけてくる。
「タツキさんはこれからどうするつもりなんですか……?」
「……どうするって?」
突然の問い掛けに、思わずドキリと心臓が跳ねる。
「その……故郷に帰られたりとか……」
しかし、どうやら思っていたこととはだいぶ違ったようだ。
今後の方針をどうするつもりか。そういう事を聞きたいらしい。
「正直に言えば、俺もこの先どうすればいいか分からないんだ」
「え……?」
「帰る場所がわからないって言うか。どう帰ればいいのかわからないって言うか……」
とどのつまり、手詰まり状態ということである。
この世界がどこなのか。
俺の世界に帰れる道があるのか。
それが分からない以上、行動しようにも方法がない。
恐らくその方法を知るためには、ベルヴィーの行方を探すのが一番手っ取り早いだろう。
彼女は俺がこの場所で最初に出会った人物であり、機人の元まで導いた人物だ。
その上、ベルヴィーは俺の素性まで知っているような素振りをしていた。
話を聞きだせば、何かしら得るものがあるだろう。
それに彼女はこうも言っていた――俺の傍に付いている、と。
ならばベルヴィーは俺から近い場所に身を潜めている可能性がある。
あるいは、どこかで俺を視ているか……。
「とりあえず帰る道を探すことから始めようと思ってる。そうなると、しばらくここに残ることになるかな」
下手に動き回ったって、右も左も分からない状態ではのたれ死ぬのがオチだ。
方向が決まるまでは、ひとまず安全なこの村に居るのが良いだろう。
しかし、そうなると問題がいくつか上がってくる。
「実は俺……一銭も金が無いんだ。だから、これからの宿をどうするか悩んでる」
今までは自警団の詰所にいたが、さすがにいつまでも世話にはなれないだろう。
あくまで俺は部外者にしか過ぎないのだから、厚意に甘え続けるのもどうかと思う。
「どこか良いところがあれば教えて欲しいんだけど……何かあるかな?」
苦笑しつつ尋ねてみるが、何故かルシルは首を大きく傾かせていた。
「どうしてですか?」
「え?」
「どうして宿が必要なんですか?」
心底不思議そうに眉根を寄せるルシルに、俺の頭からも疑問符が飛び出る。
「どうしてって……寝泊まりする場所は必要だろ?」
「でも、この村に宿なんてありませんよ?」
「えっ!?」
「小さな村ですから」
重大な事実をさらりと告げるルシル。
あまりにもあっさりとし過ぎていて、実感がまるで沸いてこない。
しかし、理解が徐々に追いついて来るにつれて冷や汗が噴き出してくる。
「えっ……じゃ、じゃあ……俺は宿無し?」
そう口にした途端、岩で殴られたような衝撃が走った。
ホームレス高校生、誕生の瞬間である。
だがこの世界に高校生などという概念があるのだろうか、と現実から逃避し始めた時。
「心配いりませんよ。このままこの詰所に住めば良いんです」
両手を合わせて、ニコニコと微笑むルシル。
もちろんその提案は願ったり叶ったりだ。
「でも、このまま居ても厄介者にならないか?」
「それなら私と同じお手伝いさんとして雇ってもらえば万事解決ですよ。今は人手不足ですから」
「そ、そんなあっさり解決するものか?」
お手伝いさんと言うことは、ルシルのように洗濯をしたり料理をしたりするのだろう。
しかし、どうしても家事をする自分の姿が思い浮かばない。
家事とはまるで無縁な生活を送ってきたからだ。そんな仕事を全うする自信が俺には無かった。
「そうと決まれば善は急げです! 所長のヘレナさんにお願いしにいきましょう」
妙に張り切った様子で、ルシルは片手を振り上げる。
一抹の不安が残る俺は到底そんな気分になれずにいた。
「きっと厨房に居ます。案内しますから一緒に行きましょう、ね?」
有言実行とばかりにルシルは俺の後ろに回ると、背中を押す。
されるがままに歩を進ませるが、果たしてそう上手く話しが進むのだろうか。
だが、ルシルの提案以上のアイデアは今のところ思いつかない。
成せば成る
今はこの有難ーいお言葉を信じるしかないのだろう……。