洗濯日和
透明な硝子を通して、差し込む朝陽。
お節介にも瞼を叩いて早く起きろと急かしてくる。
やや煩わしさを感じて灰色のカーテンで覆い隠すが、どうも取り付けが悪いらしい。
カーテンの体の半分はだらしなく垂れ下がり、本来の機能をほとんど発揮していなかった。
結果。俺は太陽の猛攻に敗れ、もそもそと毛布から這い出る羽目になった。
まだ微かにぼやける目を擦れば、そこには如何にも無趣味そうな男の部屋――ではなく、まだ見慣れない部屋がある。
元々空き部屋だったこともあり、最低限の家具しかない所が俺の部屋に似てなくもない。
しかしこちらの部屋は無趣味というより、殺風景という言葉が似合う。
必要以上に綺麗で、人の痕跡を感じさせない所がますますそう感じさせる。
目が醒めれば、現実に戻る。
そんな儚い幻想を少なからず抱いていたが、どうやら粉々に砕けてしまったらしい。
早くこの景色に慣れねばと自嘲しながら、起き上って伸びをする。
「……いッ!?」
しかし体から上がった悲鳴により、伸びた腰はすぐに曲げられた。
体の節々が凝り固まっている。
どうやらここ数日寝たっきりだったのが原因らしい。
そう言えば昨日もルシルと食事を取った後、すぐに寝てしまった気がする。
食後の片付けもルシルの言葉に甘えるまま任せてしまったような……。
さすがに怠けすぎたと反省しつつ、ていたらくな体を少しずつ解す。
ある程度体が軽くなったのを頃合いに服を脱げば、腹部に巻かれた包帯が目に付いた。
「……」
一瞬、躊躇するも端から順に解いていく。
しかし、解いても解いてもなかなか終わりが見えない。
一体何メートル使ったのだろうかと考えながら、途方もない作業を続ける。
ようやく解き終わる頃には、包帯は手から溢れるほどの量となった。
最後に血染みが浮いたガーゼを取り外せば、傷一つない肌が現れる。
触れてみると、指先は滑らかにその上を滑っていく。
思い切って指を喰い込ませてみるが、これと言った痛みも違和感もない。
まるで健全だ。
大怪我を負ったのが嘘かと思うほど、正常だった。
果たしてこれは喜ぶべきか。憂うべきか。
考えたってやはり答えは出なかった。
やりようのない溜息を落とした後、くたくたによれた包帯を適当な場所に置く。
服を着直し、カーテンも開ければ、殺風景だった部屋は息を吹き返したように明るみを帯びる。
同時に差し込む光が思いの外眩しくて、目が飛び上がった。
しかし、目が眩んだのは日差しのせいだけではない。
窓の向こうに広がる世界が驚くほど青かったからだ。
空に、芝生に、木々。
瑞々しくも逞しい自然がこの窓の向こうで広がっていた。
点在する家もカラフルで、どことなく玩具のような可愛らしさがある。
目を凝らしてみれば、家々の間には家畜らしき動物もいた。
昨日はほの暗くてよくわからなかったが、こうして見るととても豊かな村に見える。
喩えるなら、絵本の一部を切りぬいたような……そんな美しい世界だ。
しかし、それは表面上に過ぎないのだろう。
こんなのどかな村でも自警団なんてものがあるんだ。
それ相応の危険もあるに違いない。
例えば、俺が荒野で襲われた時のような……。
なんともやるせない気持ちで外を眺めていると、風に揺れる衣服が目に入る。
どうやら物干し台のようだ。
色とりどり、大小も様々な衣服が裾をはためかせて泳いでる。
一見暢気な光景だが、唯一忙しそうに揺れているモノがあった。
それは小麦色の髪――ルシルだ。
桶のような物に服をめいっぱい押し込んでは、体を大きく揺らす。
どうも一人で洗濯をしているらしい。
せっせと手際よく片付けているが、ふとした拍子にルシルは額を袖で拭う。
疲れるのも無理はない。
その横にはたんまりと衣服が積まれているのだ。ルシルの日頃の大変さが窺える。
「……」
しばしの逡巡。
今一度自分の身体を触って確かめた後、俺は部屋を出た。
×××××
「あれ? タツキさん、出歩いて大丈夫なんですか!?」
足音に気付いたのか。
顔を上げたルシルは、平然と歩く俺の姿を見るなり翡翠の瞳を大きく広げる。
あまりにも大袈裟な素振りだったため、逆に俺の方が戸惑ってしまう。
「もしかして出歩いちゃいけなかったか……?」
「いえ、そう言う訳では! ただ体に響くんじゃないかと思って……」
思わずばつが悪そうな顔をしてしまったらしい。
ルシルは慌てて俺の杞憂を手で振り払うと、こちらの顔色を窺う。
「あの、体の方は大丈夫なんですか?」
「……ああ、平気そうだ。最近ずっと寝たっきりだったから、そろそろ運動でもしようかと思ってさ」
ルシルのやや遠慮がちな声に、一瞬言葉が詰まってしまった。
しかし、ここは堂々と正直に言っておくべきだろう。
俺の回復力が異常なことは、介抱していたルシルが一番知っているはずだ。
下手に嘘を吐いたって逆にやましい。
「ところで、ルシルは洗濯をしているのか?」
半ば強引に話を変え、ついでに頬を指差す。
ルシルはキョトンと目を丸めるが、自分の頬についた泡に気が付くと少しだけ恥ずかしそうにした。
「はい。今日はとてもいい天気なので、お洗濯日和ですよ」
「そうか。こんな朝早くに大変だな」
「これが私のお仕事ですから。それにもう慣れてます」
頬を拭った後、ルシルは平然と答える。
「この洗濯の量も……慣れの域なのか?」
ルシルの背丈と同じ高さの洗濯の山を指差すと、
「はい!」
ルシルはやはり平然と答えた。
慣れって怖いな。
「何かやれることはないか?」
「え?」
「洗濯、手伝うよ。迷惑じゃ無ければの話だけど……」
「そんな! 迷惑だなんて……とっても助かります!」
勢い余ったのか、ルシルは洗いかけの服を力いっぱいに手の平で叩く。
だが、すぐに肩を縮ませるとその声まで萎んでいく。
「でも……水、冷たいですよ? 量もいっぱいで大変ですし」
「そんなの百も承知だって。それにふたりでやれば、多少楽になるだろ?」
「そう……でしょうか?」
口籠りながら、ツイっと視線を反らすルシル。
どうもなかなか納得してくれない。
ルシルの泳ぐ視線を辿れば、その先が俺の脇腹あたりに集中していることがわかった。
体調が良くなったことは知っているが、さすがに包帯で覆われていた傷口のことまでは知らないようだ。
大丈夫だと言っても、心配する辺りがルシルらしい。
「怪我のことはもう心配しなくても良いって」
言いながらしゃがみこんで、すすぎ終わった衣服を手に取る。
咄嗟にルシルは制止の手を伸ばすが、半ば諦めているのかすぐに下した。
「俺としては世話になったお礼がしたいだけなんだけど……駄目かな?」
「そんなことは……」
さすがにこんなことを言われれば、ルシルも駄目とは言えない。
しばらく迷うように肩を揺らすが、小さく息を吐くと苦笑する。
「それでは、洗ったものをすすいでもらっても良いですか?」
「もちろん。お安い御用さ」
おずおずと差し出された服を快く受け取れば、ルシルは可笑しそうに声を落とす。
困ったような、けれど嬉しそうに顔を綻ばせながら。