出来立て御飯
「あれ!? リズさんはどこに行っちゃったんですか?」
部屋に入るなり、ルシルは目を白黒させて周りを見回す。
しかしいくら探したって、リズの影すら見つけることはできないだろう。
残されているのは、寝台に座り込む俺と一滴も水が減っていない木製のカップだけだ。
「食事の用意が出来たんですが……探しに行った方が良いですか?」
「いや……大丈夫じゃないか。たぶん気分が変わったんだと思う」
苦し紛れにそう答えて、誤魔化し笑いを浮かべてみせる。
しかしかえって逆効果だったらしく、ルシルは目を伏せてしまった。
しまった。いくらなんでもわざとらしすぎたか。
自分の機転の無さを恨みつつ、どうフォローすべきか頭を捏ね繰り回す。
「……それじゃあ、タツキさんの分だけお持ちしますね! ちょっと待っててください」
だがルシルはパッと表情を明るくすると、エプロンを翻す。
「ご飯は出来たてが一番美味しいのに」と小言を呟きながら去っていく背中を、俺は呆然と見送るだけだった。
「……」
手持無沙汰になった両手を膝に下して、肩で息を吐く。
ルシルには気を遣わせてしまった。
恐らく、リズとどんな会話をしていたのか察しているのだろう。
その上明らかに俺がしょぼくれてるんだから、相当困らせてしまったに違いない。
けれど、彼女は変わらず笑顔で接してくれた。
それが救いであり、胸に出来た蟠りが少しだけ和らいだ気がする。
しかしこの蟠りが剥がれ落ちる時が、この先あるのだろうか。
両手を見ればあの時の音、匂い、感触がまざまざと蘇ってくる。
リズの話を聞くまで、俺は自然と知らないフリをしていた。
化け物だと思うことで、逃げていた。
だからこそ、思う。
命を奪うってこうも呆気なくて、虚しいんだと。
「……ッ!」
思いっきり自分の両頬を叩いて、目を醒ます。
今は何を考えたって堂々巡りだ。
こんな大それた問題を、ポッと出てきた俺が答えを出そうなんて烏滸がましい。
そして、今になってわかるあの言葉の意味。
あなたの知らない世界
月夜にベルヴィが言って聞かせた言葉は嘘ではなかった。
ここは俺の知っている世界ではない。もうひとつの異なる世界なんだ。
人が人を失い。人が人を喰い。人が人を殺める。
あまりにも過酷な運命を望まぬ形で背負った世界。
一体、何故俺はこの場所に来たのだろう。
偶然か。それとも必然か。
わからないけれど、もう少し知ろう。理解しよう。
この世界のことを。俺の知らないこの世界のことを。
その先に、何か意味があるのだと信じて。
開いた両手を固く結んだ時、不意に二、三度扉が叩かれる。
「お待たせしました。そちらまでお持ちしましょうか?」
小麦色の髪を揺らし、廊下から顔を覗かせたのはルシルだ。
同時に香ばしい匂いが部屋の中に流れ込むと、待ってましたとばかりに胃が跳ねた。
こればかりは体が正直である。
「こっちに運ばなくても大丈夫だ。そっちのテーブルで食べる……けど、大丈夫か?」
「は、はい……大丈夫、です……よ!」
口では気丈に振舞うルシルだが、手に持つトレイは危なげに揺れていて説得力がない。
おまけにその足は覚束なく、見ているこっちがハラハラしてしまう。
思わず身を乗り出して手助けしようとしたが、ルシルの目は頑なにそれを拒絶した。
意外と頑固な面があるようだ。
仕方なく黙ってルシルの奮闘を見守る。
零さないように気を遣っているのか、その足並みは亀ほど遅い。
ゆっくりゆっくり。一歩ずつテーブルに近づくと、ルシルは大きく息を吐いた。
「……準備、出来ましたよ。良かったら食べて…くださいねっ」
やけに疲れた様子で肩を上下に揺らす。
置かれたトレイを覗き込めば、その理由は明白だった。
「さすがに持ってきすぎじゃないか……?」
勇んでいた胃袋も途端に萎むほどの豪勢な料理。
質的な意味ではなく、量的な意味だ。
何食分かと思うほど、圧巻の数である。
「えっ? えっ!? 多すぎましたか……?」
俺が口を押えて絶句していると、ルシルは小動物のごとく体を縮める。
「いや、気持ちはすごく嬉しいよ。気持ちは……うん」
「き、気持ちだけなんですか……」
懸命に言葉を選んだつもりだが、十分致命的だったらしい。
ますます肩を縮めると、ルシルはショックで目を潤ませる。
すまない、気の利いたことが言えなくて。
そんな詫びを心の中で唱えながら、おもむろに受け皿を手に取る。
きっとルシルがこれだけの食事を用意したのは、俺が数日間何も口にしていないからだろう。
それを思いやってくれたのだから、嬉しいのは本当のことだ。
しかしいくら食べ盛りの男子と言えども、この量は規格外である。
一度に食べ切れる自信はない。かといって、残すのは躊躇われる。
それなら、方法はひとつだ。
「これを分けて一緒に食べないか?」
「私と……ですか?」
「ルシル以外他に誰も居ないだろう?」
キョトンと目を丸めるルシルがなんだか可笑しくて笑みが自然と零れる。
その音にハッと我に返ると、ルシルもまた笑う。
「はい!」
一点の曇りのない、眩しい笑顔。
ルシルには、この笑顔が一番似合っていた。
そして椅子を引きながら、ふと思う。
月夜のあの日、俺はどうにかなると信じてひたすら荒野を歩いていた。
しかし行き着いても、問題はなにひとつだって解決しなかった。
むしろどんどん山積みになっていく一方だ。
焦る気持ちが無いと言えば、嘘になる。
けれど今は、束の間の温もりを噛み締めよう。そう思った。