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メカニカル・シンドローム  作者: とつる
二章 エゴ
18/25

暴走淑女

 誰も居ない、静かな廊下にて。

 やり過ぎなぐらい派手な装飾が施された下げ看板が目に入る。

 色とりどりの花飾りに囲まれたその中には、綴り字で『Natalie』と書かれていた。


 どうやらここがナタリーの部屋らしい。


 事実、少女――もとい一人のレディはその扉の前で立ち止まると、くるりと爪先を返す。

 それに作用して、三つに編んだ髪が彼女を中心に旋回した。

 

「ここが私の部屋よ。インクの予備は仕事上たくさん持ってるから、好きなだけ持ってちゃって」

「そりゃ有難いけど……本当に好きなだけ持って行っても良いのか?」

「ええ、もちろんよ」


 きっぱり潔く断言すると、ナタリーは平たい胸を得意げに反り上げる。

 インクだってそれなりに高価な物だ。それを好きなだけ持って行けと言うのだから、かなり気前が良い。

 本当だったら両手を合わせてありがたるところだ。

 しかしその両目から放つ怪しい光を見ている限り、とてもそんな気になれなかった。


「……それで?」

「へ?」

「なにか交換条件があるんじゃないのか?」


 訝しる俺に一瞬目を丸めるが、途端にしまったとばかりに口を手で覆う。

 しかしすぐに開き直ったのか。ナタリーは何の後ろめたさもなく片目を瞑る。


「バレちゃった?」


 そして自分の頭を軽く小突くと、今にも「テヘッ」と言いだしそうなポーズを取った。

 

 古い。恐ろしいほど古い。

 

 背筋が凍るほどの戦慄を覚えながら、俺はふと思う。

 もしかしたらこの世界では、このリアクションが前衛的かつトレンディなのかもしれない。

 それなら古いという表現は不適切なのかも――と思ったが、それ以上は馬鹿らしくなったので考えるのをやめた。

 大きく肩を下せば、ナタリーはまぁまぁと両手を振るう。

 

「ここは持ちつ持たれつつってことで……ね? それに条件って言っても大したことじゃないわよ」

「大したことじゃない、か」

「なーによ、その疑いの眼差しは。私が良からぬことでも考えてると思ってるわけ?」


 正直に言えばまさしくその通りである。

 しかし遺憾だとばかりにナタリーがむくれるので、黙っていることにした。

 これで機嫌を損ねられると、それはそれで面倒な気がしたからだ。


「まぁいいわ。会ったばかりだし、多少の誤解もあるものよね」


 口の端を引き攣らせながらも、ナタリーはまるで自分に言い聞かせるように諭す。

 けれどもまだ文句が言い足りないとばかりに、小ぶりな鼻を鳴らした。


「とにかく中に入ってちょうだい。廊下で待ってても難でしょ?」


 さらりとそんなことを言うと、ナタリーは平然と扉を開け放つ。

 驚く俺を差し置いてさっさと部屋の中に足を進めていくが、すぐに戻ってきた。


「どうしたのよ?」


 扉を押さえながら、怪訝な顔つきをするナタリー。

 二の足を踏む俺を見上げながら、さも不思議そうに首を傾かせる。


「いや、別に……」


 言葉に窮して適当な相槌を打てば、ナタリーはますます眉間を寄せる。

 しかし目を見開いて「あっ」と声を上げるやいなや、途端に意地の悪い笑みを広げた。


「なーるほどね。まぁ、躊躇うのも無理はないかしら」


 ニタニタと歪む唇に人差し指を当てると、小さくほくそ笑む。


「だって……お年頃、だものね」


 そしてさも可笑しそうに噴き出すと、ナタリーは腹を抱えて笑い転げ始めた。

 あまりにもひどい仕打ちに、俺の顔はみるみる熱くなっていく。

 そもそも男を易々部屋に招き入れるなんて自称レディとしてどうなんだ、と場違いな怒りまで湧いてきた。


「やーね、照れちゃって。意外と可愛いところあるじゃない」


 言いながら、ナタリーは茶化すように俺の脇腹を小突く。

 適当にあしらっても、ますます楽しげに笑みを零すだけでまるで逆効果だった。


「ふぅ、なかなか面白かったわ。こんなに笑ったのは久しぶりよ」


「俺は面白くない……」


 ひとしきり笑い終った後、ナタリーは目の端に溜まった涙を拭う。

 一方で、俺は憮然とした面持ちで言葉を返した。


「笑って悪かったわ。でもほんとに遠慮なく入っていいのよ?」


 ナタリーはそう言うが、やはりなんとなく躊躇ってしまう。

 単に俺が小心なだけだと片付ければ早い話だ。

 しかしこの部屋に一歩踏み込めば、なにか悍ましいものが待っている。そんな気がしてならないのだ。


「ほらほら。いつまでもそんな所に突っ立ってないで、どーんと来なさいよ」


 いい加減焦れったくなったのか。ナタリーは半ば無理やり俺の腕を取る。

 動揺した反動で思わず体がよろめき、不覚にも右足を部屋に踏み入れてしまった。

 咄嗟にもう片方の足を壁に引っ掛け、なんとか持ちこたえてみせる。


「あっ……」


 だがそんな抵抗もむなしく。

 電光石火の速さでナタリーに左踵を蹴り上げられた。

 空を舞う左足、支えを失った右足、前へと傾く重心。

 当然腕を引っ張られていた俺は、そのまま雪崩れ込むように部屋の中へ侵入した。

 

 これが実戦に出ない事務職だって?――嘘だね、絶対。


 脅威的な身のこなしに唖然としつつも、振り返ればすでにドアは締めきられていた。

 その隣には、裏がスケスケの笑顔を浮かべるナタリーが立っている。


 もはや逃げることはできないらしい。


 一抹の恐怖に冷や汗を流していると、不意にナタリーが三脚の丸椅子を抱えてやってくる。

 そして俺の前に置くなり、「座って」と指を差して促した。

 少しでも渋るとナタリーが不穏な気配を発するので、止むをえず腰を下ろす。


「……一体、これから何が始まるんだ?」


 恐る恐る尋ねれば、ナタリーは変わらぬ笑顔を向ける。


「そう身構えることはないわよ。ほんとにちょっとだけよ、ちょっとだけ」

「ちょっとだけって……何が?」

「決まってるじゃない。それは――」


 両手を組んでいじらしく恥じらうと、ナタリーはうっとりとした心地で答える。


「か・ん・さ・つ」

「……はぁ?」


「だから、観察よ。あなたの観察」


 頓狂な声を上げた俺にムッと顔を顰めると、ナタリーは人差し指を振るう。


「私はね。この世にはまだまだ未知なるものが、たくさんあると思うの。常識を遥かに超えるような。それこそ天と地をひっくり返すような……そんな驚愕の事実がまだ眠ってるはずなのよ」


 頬を朱く染め、熱く舌を振るう。

 唐突に謎の語りを始めたナタリーは、そのまま自分の世界に没入していく。


「眠った宝を自らの手で掘り起こせられたら、どれだけ素晴らしいと思う? ううん。たとえ小さなことでも、未知の世界を探求するだけでわくわくするじゃない!? 見て、触れて、考えて、悩んで、そして最後に解き明かした瞬間の爽快感と言ったら……もう、たまんないわぁー!」


 まるで恋する少女のように瞳を輝かせると、自分の頬を両手で包む。

 そして、ナタリーは熱い吐息と共に愛の言葉を囁く。


「だから私は知らないことが好き。そして知らないことを知るのはもっと好きなの」


 最後にもう一度溜息を落とした後、ナタリーは恍惚の表情を浮かべた。

 その様子は恋に焦がれて、胸が焼けて、こじらせてしまった感がある。

 もし俺が別の世界の住人だと教えたら、とんでもないことになりそうだ。


「その、とても情熱的な……ロマンを持ってることはわかったけど……」


 ナタリーにだけは絶対に打ち明けないでおこうと決意しながらも、俺は素朴な疑問を挙げる。


「それと俺を観察することに、なんの関係性があるんだ?」


 すると途端に琥珀色の双眸が瞬く。

 何を言ってるのよと言わんげに、口をへの字に曲げると勢いよく指を差す。


「あなた自身がそのロマンじゃない」

「……え?」

「だってタツキ君みたいな容貌の持ち主は、滅多にお目に掛かれないわよ?」


 瞬間、ハッとなって気付く。

 そう言えば、トニもリズも俺の容姿をかなり珍しがっていた。

 この世界全体がそうなのかはまだわからないが、少なくともこの周囲には俺のような人種は居ないのだろう。

 ともすれば珍しい物好きのナタリーにとって、俺は格好のエサだ。


「ああ、その黒い髪に黒い瞳。とっても素敵ね。触っても良い? 触っても良い!?」


 爛々と目を輝かせて、指をくねらせるナタリー。

 傍から見れば、あどけない少女が遊びをせがんでいるようだ。

 けれど俺の視界に映るのは、腹を空かせて舌なめずりをする獣そのものだった。


「ちょ、ちょっと待った!」


 慌ててナタリーの眼前に手の平を広げて、制止する。


「なによー?」


 魔の手がぴたりと止まったのを確認した後、俺は逆立った鳥肌を擦りながら一息吐く。

 一方で、水を注されたナタリーは不満気に唇を尖らせていた。


「とりあえず、インクが本当にあるかどうかだけ確認させてくれないか?」

「私を疑ってるの?」


 途端に顔を曇らせて、肩を強張らせるナタリー。


「疑う疑わない以前に。交換が確実に成立することを、俺にも提示してくれないとフェアじゃない」


 だが俺の言葉を受けると、すぐに肩の力を抜いて考えこむ。


「公平性……ね。それを言われたら、ぐうの音も出ないわ」


 軽く溜息を吐くと、ナタリーは仕方ないとばかりに腰に手を当てた。

 どうやらナタリーにもちゃんと良識はあるようだ。

 そう言うととても失礼な気がするが、実際身の危険を感じたのだから致し方ない。


「見せたら観察オッケイ、ってことで良いのね?」


 振り返ると、念を押すように確認をとるナタリー。

 もう「待った」と言わせないための釘刺しだろう。


「ああ、好きにすればいい……」

「何をしても?」

「あ、ああ……ある程度ならな、ある程度なら」

「そう! じゃあ、ちょっと待ってて。すぐに持ってくるわ」


 ナタリーは途端に顔を綻ばせると、足を浮かせて上機嫌に鼻を鳴らす。

 

 結局、好き勝手されることは確定してしまった。


 だがさっきの興奮状態でされるよりはマシだろう。今必要なのは、ナタリーを落ち着かせることだ。

 正直な所、最早ここまでしてインクを欲しいという気持ちはない。

 けれど「やめた」と言って通じるほど、ナタリーは聞き分けが良いとは思えなかった。


 しばらくナタリーは、ごそごそと机の上や引き出しを漁り続ける。

 けれども見つからなかったようだ。


 次は棚を一段目、二段目、三段目と順々に漁る。

 けれどもやはり見つからない。


 最終的に寝台の下を覗きこんだり、衣装棚を開いたり、と忙しなく部屋中を探し続ける。

 それでもやっぱり見つからなかった。


「……無い」


 震える声で呟くと、ナタリーはサァーと顔を青ざめる。

 どうやらインクの予備を失くしてしまったようだ。

 それなら願ってもない幸運――いやいや、とても残念だ。本当に。

 俺がホッと胸を撫で下ろした、その瞬間。


 何かに気付いたように、ナタリーはハッと息を呑む。

 インクの置き場所を思い出したのだろうか。

 半ばどぎまぎしながらその様子を窺っていると、ナタリーの華奢な肩が徐々に震えていく。


「……?」


 少し心配になってその顔を覗いてみる。

 すると思わず目を逸らしてしまうほど、恐ろしい形相を浮かべていた。


「……あいつの仕業ね」


 ナタリーは噛み潰したような声を絞り出すと、突然部屋を飛び出して行った。

 床を踏み抜かん勢いで鳴る足音は、どんどん遠ざかっていく。

 一体どこに向かう気だろうか。

 ひとまず言えることは、とても嫌な予感がするということだけだ。


 何かが起こってからでは遅い。

 そう思った俺は、慌ててその後を追った。

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