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メカニカル・シンドローム  作者: とつる
一章 ヴァルハラ自警団
14/25

水鏡

 眼前に肉薄する剣先。

 反りの無い真っ直ぐな刀身は、いつでも喉笛を掻き切れるように妖しい光を放つ。

 ごくりと生唾を呑み込めば、トニは柄を持つ手を強める。

 

「俺の声が聞こえるか? 聞こえるなら、俺が誰だか答えてみろ」


 そして唐突に、そんな質問を投げ掛けてきた。

 思わず頓狂な声を上げれば、剣先が喉仏の一点に狙いを定めた。


「……トニ、だろ?」


 慎重に言葉を選んで答えるが、向けられた刃先が外れることはない。

 薄皮を切るか切らないか。

 そんなギリギリの力加減で刃を首筋に押し当てたまま、トニは質問を繰り返す。


「お前の名前と年齢は?」

「タツキ……18歳だ」


「1499の4倍は?」

「5996」


「今朝の食事は?」

「……パンが3種類に、野菜のコンソメスープ。それとマッシュポテトとオムレツ、だったかな」


「ルシルの今日の下着の色は?」

「し、知るか!!」


 大声を出した反動で、危うく自分から首筋を切るところだった。

 冷たい感触に背筋を凍らせていると、不意にその剣先が揺れる。

 そして刃を地面に対して垂直に向けるやいなや、トニは剣の腹と片足を使って俺の上に乗っていた死体を退かした。


「思考に問題無し、自我もはっきりしている」


 ふっ、と笑みを浮かべた後、トニは静かに剣を鞘に納める。


「簡易検査を実施した結果、判定は白だ。良かったな」


 それだけ告げると、トニは背を向けて歩き出す。

 まるで警戒心のない無防備な背中に、俺は愕然としてその場に固まってしまった。


「何してるんだ? さっさっと帰らないと、ルシルが心配するぞ」


「いや、その……待ってくれ。ちょっと頭の整理をさせてくれ」


 俺がこめかみを抑えながら頭を振ると、トニは「早くしてくれ」と言わんげに剣の柄を叩く。

 だがあまりにも理解出来ないことが多すぎて、俺の頭はパンク寸前だった。


「まず……先に確認するけど、どうしてトニがこんな場所に居るんだ?」

「イイ男は必ず仲間のピンチに颯爽と駆けつけるもんだろ?」


 そう言って、しれっととぼけるトニ。

 だが俺の顔色が悪いことに気付くと、すぐに訂正する。


「たまたま村の警備で巡回してたら、ルシルが血相変えて来たんだよ。タツキの後を追い駆けてやってくれ、ってな」


 そして思い出したように小さく声を上げると、トニは言葉を付け加えた。


「ちなみに、ルシルはあの馬鹿でかい荷物と一緒に俺の馬に乗せて先に帰らせておいたから。まぁ心配するな」

「そうか……悪いな」

「なーに、気にすんなって。俺は気配りができるイイ男だからな」


 言うなり得意げに鼻を掻いて、トニは胸を張る。

 イイ男かどうかはさておき、その気遣いには大いに感謝した。

 ルシルと別れてからかなり時間が経っている。

 あのままルシルを待たせていたら、罪悪感に身を押し潰していただろう。


「ルシルにも感謝しとけよ。お前の身を案じた結果、命を繋いだもんなんだからな」


 確かに、トニの言うとおりだ。

 もしルシルがトニに頼み込んでいなかったら、今頃俺の身はどうなっていたかわからない。


 結局、俺はまたルシルに助けられたのだ。


 感謝しろと言われても、言葉が足りるかいまいち自信がなかった。

 今の内に感謝の言葉を考えておこうかと思ったが、トニに聞きたいことはまだ残っている。


「それと、さ……この左腕を見て何も思わないのか?」


 銀色の金属が複雑に絡まった、機巧の左腕。

 指で示せば、トニは顔を顰めて微かに唸る。


「……殴られたら痛そうだな」

「いや、そんな感想は求めてないから」


 あくまでもとぼけ続けるトニに、もはや溜息すら出ない。

 思い切って尋ねてみた自分が馬鹿みたいだ、そう思った時。


「まぁ疑惑から転じて、完全に機械症候群の患者として見なされるかもしれないな」


 ひやりと冷たい声が、胸を逆撫でた。

 陽気な色を湛えていた碧の瞳は、今や暗い翳りを帯びている。

 トニはいつになく冷徹な視線で俺を見据えるが――すぐにそれは紐解ける。

 

「だけど今の段階なら焦る必要はない。発症したからといってすぐに殺される訳じゃないからな」 

「……いつかは殺すってことか?」

「それはお前次第だな」


 声をくぐもらせる俺に対して、トニはにこやかに答えた。


「言っとくけど、うちの村は人権を尊重してる方だぞ。患者だからってすぐに手荒なことはしない」


 トニは身振り手振りを交えながら、軽い調子で語り続ける。


「なるべく穏やかに余生を送って欲しいからな。人によっては発症してから末期に達するまで20年以上掛かることもあるし、そのまま寿命を迎える場合もある」

「だけどもし末期に達したら……」

「人として死ぬ前に殺されるか。人として死んだ後に殺されるか……末期患者には、そのどちらかを選ぶ権利がある」


 俺の言葉に被せるように、トニはそう言った。

 そしてもう一言付け加える。


「お前がそれを選ぶ日はまだ遠い。だから焦るな」


 その言葉からはっきりとした意図は汲み取れない。

 だが――今は素知らぬ顔をしていろ。そう言っているのだろう。

 思わず左腕を片手で握り締めるが、痛みはない。ただ冷たい感触だけが手の平に残った。


「とりあえず、詰所に帰るのが先決だ!」


 トニは一転していつもの陽気な態度に変わると、踵を返して歩き出す。


「きっとルシルが待ってる。あんまり遅いと大目玉喰らうぞ」

「……ああ、そうだな。だけど、ちょっと待ってくれないか?」

「なんだ、まだ聞きたいことでもあるのか?」


 再び引き留められ、怪訝な表情を浮かべるトニ。

 だが俺はそんなトニを横目に走りだし、ある場所へと向かう。

 

 土を掻き分け、盛り上がって出てきた太い木の根っこ。

 それが形付くって出来た穴をしゃがんで覗き込めば、小さな毛むくじゃらが胸に飛び込んできた。


「ははっ、あんまり舐めるなって。くすぐったいだろ?」


 しきりに顔を舐めまして、頭を摺り寄せる。

 精一杯の愛情を表す子犬の背中を撫でながら、俺は肩を揺らした。

 子犬の白い尻尾もまた左右に振り切れるほど揺れている。


「なんでこんな所に犬が?」


 後ろから子犬を覗き込みながら、トニはますます訳が分からないと言いたげに顔を顰める。

 どうやらこの子犬のことは、ルシルから聞いていないらしい。


「……苦楽を共にした仲間かな」

「はあ?」

「トニには関係ない話さ」


 まるで俺の言葉に合わせるように、子犬はトニに向けて何度か吠えた。

 尻尾を元気に振っているあたり、これといって敵意はないのだろう。


「なーんか腹立つなぁ」


 しかしトニは面白くなさそうに舌を打つと、ブツブツ文句を言いながら背を向ける。

 その後を追うように歩み出せば、子犬はまたペロリと頬を舐めてきた。

 おかげで俺の顔は涎塗れだ。だが、それも悪くない温もりだった。

 

××××××


 森を抜ければ、陽の光が一心に降り注ぐ。

 身を包まれるような心地良さに、肩の力がみるみる抜けていく。

 腕に抱いた子犬の頭を撫でながら、穏やかな気持ちで目を細めていた――その時。


「ストップ」


 突如、眼前に広げられた手の平。

 小手先で払えば、呆れた面持ちをするトニが現れた。


「ちょっと自分の身体を顧みてはどうかな、君?」


 顎をしゃくりながら、トニは視線を下す。

 それに合わせて自分の体を見下ろしてみると、見事な朱染めの着物が完成していた。


「そんな血だらけの恰好で戻ったら、間違いなくルシルが卒倒するぞ」


 それどころか、こんな格好で村を出歩いていたら大騒ぎにもなりかねない。

 すっかり血が乾ききって、染みがこびり付いてしまった服。

 指で裾を抓みながらどうしたものかと思案していると、トニは大きく溜息を吐く。


「それにその左腕も手袋とかで隠した方が良いんじゃないか?」

 

 言いながら、向けられた指先は俺の左腕を指し示す。

 陽に晒された銀色の左腕は、ますます目が眩むほどの光を放っていた。


「……やっぱり、目立つか?」


「今時患者は物珍しいもんじゃない、と言いたい所だが……お前みたいに剥き出しになってるのは、そうそう居ないからな」


 なんとも意を得ない回答を口籠りながら、トニは考え込むように唸る。

 確かに以前聞いた話では、機械症候群の患者は健常者と見た目はほぼ変わらないらしい。

 しかし俺の場合、肘より先の部位は金属が露出してしまっている。

 これでは一目で患者だと悟られてしまうだろう。

 そもそもなぜ急に発症したのだろうか、そんな疑問も浮かんでくる。


「兎にも角にもまずは着替えの用意だ! その犬を飼い主の所に連れていくついでに、俺がシェルマン商店で何か買ってくる」


 俺が頭を悩ませている一方で、どうやらトニはもう考える事を諦めたらしい。

 その思いっきりの良さを羨ましく思うが、見習いたいとは思わなかった。


「それじゃあ……その間、俺は何をしてれば良いんだ?」


 何も知らずに小首を傾げる子犬と顔を合わせながら、トニに尋ねる。

 この格好で居る限り、何も行動することは出来ない。

 かといって血だらけの男が一人立ち尽くしていれば、それはそれで問題があるような気がした。


「ここから近い所に川がある。そこで体を洗ってくれば良い」

「……かわ?」

「そう、水が流れる川だ」


 両手を揺らして川の流れを表現すると、トニはきっぱりと言い切る。

 つまり水浴びをして来いと言うのだ。野良水浴びをだ。

 都会っ子の俺としてはややハードルを感じてしまうが、こればかりは致し方がない。

 せめてもの願いとして、川の水が綺麗であることを祈ろう。


 小犬を抱え上げて手渡せば、意外にもすんなりトニの腕に納まった。

 どうやら完全に警戒心も解け、トニに対しても心を開くようになったようだ。

 子犬の成長を喜ばしく思う反面、なぜだか寂しさも感じた。これで別れかと思うと尚更だ。

 最後に柔らかな毛を撫でてやれば、子犬は小さく鼻を鳴らす。同時にトニが「おっ」と短く声を上げた。

 

「良いことを教えてやろう」

「はぁ?」

「この犬、雌だぞ」

「……だから、何?」


 素でそう返事をすると、トニは愉快そうに口の端を持ち上げる。


「男冥利に尽きる、ってな! そんじゃ、また後で」


 訳の分からないことを言うだけ言って、トニは手を振りながらこの場を後にしていく。

 残された俺はひたすら疑問符を飛ばしながら、頭を傾かせ続ける。

 そもそも雌で、名前が「フレッド」なのに驚きだった。


 どうやら俺の感覚とこの世界の感覚は違うらしい。


 そう無理やり結論付けた後、俺は川を探すことにした。


×××××××


 川は歩いて程なくして見つかった。

 トニの言うとおり、すぐ近くにあったおかげもある。

 だが、迷わず川に到着できた理由はそれだけじゃない。


「……見事に人目を遮るものがないじゃないか」


 木も岩も壁も、影のひとつすらない。

 まっさらな平地を掻き分けるように、細長い川が流れているだけだった。

 せいぜい足の長い草が疎らに生えているぐらいである。


「……」


 絶句しつつも、とりあえず辺りを見回して人影がないことを確認する。

 体を洗える場所は此処しかないのだろう。ならば背に腹はかえられない。

 覚悟を決めて、服に手を掛ける。そして勢いのままに脱ぎ捨てれば、冷たい風が素肌を撫でた。

 ただし、下着だけは念のため履いたままである。

 

「さっさと済ませるか……」


 やや落ち着かない気分ではあるものの、地面を裸足で踏み締めながら川へと近づく。

 汚れた服を脱いだおかげもあり、鼻に纏わりついていた悪臭も少し和らいでいる。

 しかし髪や肌に付着した物を洗い落とさない限り、その臭いからは完全に解放されないだろう。


 幸いにも、川の水は底まで透けるほど澄みきっている。

 菌や微生物云々はひとまず置いといて、体を洗う程度なら何も問題はなさそうだ。

 一安心して膝を付き、水面に手を付けて、屈みこむ。

 

 すると、あることに気付いた。


「……?」


 水面に映った自分の顔を眺めながら、頭から額、頬、顎へと手を滑らせてみる。

 なにも障害に触れることなく滑り落ちた手に、俺はますます違和感を覚えた。


「なんで……何もないんだ?」


 疑問を口にしても、答える者はいない。

 唯一、水面に映った自分の顔だけが現実を知らしめる。


 傷一つない俺の顔が、その答えを語っていた。

 

 おかしい。これは間違いなくおかしな事実だ。

 あれだけ草木に頬を傷つけたのに。

 あれだけ機人の男に顔を殴りつけられたのに。

 短時間で痣のひとつも残らず完治するなんておかしいじゃないか。

 もしこの異常な回復力が機械症候群のせいだとしても辻褄が合わない。

 なにせあの機人の女だって負った傷は治っていなかったのだ。


「やっぱり俺は……」


 そう呟くも、途中で口を噤む。

 言葉にすれば認めてしまうような気がしたからだ。

 自分がただの患者ではない――もはや人間でもない存在だということに。


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