禍の森
一通り買い物を終えて店を出ると、まぶしい太陽に一瞬目が眩む。
だいぶ陽が高くなったことから察するに、もう昼近くなのだろう。
目の上に手を翳して日差しを避けようとするも、今の状態ではそれは叶わなかった。
なにせ重い買い物袋で両手が塞がっているのだから致し方が無い。
「思ったよりもさらに増えちゃいましたね……」
ルシルは俺の両手を見ると、若干悪びれた様子で頬を掻く。
最終的に購入した物は、買い出しメモに書かれていた内容よりも遥かに超える量になってしまった。
それもこれもルシルが豊富な商品に目移りしてしまったからだ。
結果、あれこれと勧められている内に大荷物となってしまった。
もちろんルシルに任せっきりにしてしまった自分にも一因がある。だからこそ、やるせない。
「ひとつ、持ちますよ?」
詰所に戻ろうと歩き出した時、ルシルは慌てて俺を引き留めるや、おずおずと提案してきた。
「いや、重いからやめた方が良い」
有難い提案だが、とてもじゃないがルシルに持たせられる量じゃない。
俺でさえ下手すると肩が脱臼しそうな重さだ。
首を振ってやんわり断るが、そこで引き下がるほどルシルは容易くなかった。
「い、いえ! これぐらい平気です、持てます、運べます!」
半ば自棄になって、俺の手から買い物袋をひとつ取るルシル。
だがその腰は重力のおもむくままにあっさり陥落した。
「うっ、うぅ……重いです」
「だから、言っただろう……」
悔しそうに顔を顰めるルシルの手から袋を取り上げると、肩に異常な負担が掛かる。
この大荷物を持って、詰所に帰るのは大変そうだ。
そう思いながら、腹に力を入れ直して歩き始めた時――
「あっ、ルシルお姉ちゃーん!」
遠くの方から腕を振って、一人の子供がこちらに駆けよってくる。
その表情はやや切羽詰まったものだった。
「どうしたの?」
どうやら村の子供らしく、ルシルは少年の目線に合わせてしゃがみこむと親しげに声を掛けた。
「あっ、あのさ! ボクんちの…犬、知らない!? フレッドだよ、フレッド!」
息も荒々しく、少年は興奮した様子で肩を上下に動かす。
忙しなく手足を動かすあたり、かなり急を要しているようだ。
「あの茶色の子犬のことよね? ううん、今日は見ていないわ」
ルシルが首を振ると、少年は途端に顔を青ざめた。
「そっか……うっ、うぅ……どうしよぅ……」
ついには泣きべそをかいて、嗚咽を漏らし始める少年。
慌ててルシルがハンカチを取り出してその頬を拭うが、溢れる涙は止まりそうにない。
「落ち着け。まずは事情を話してくれなきゃ何も分からないぞ」
努めて優しく宥めたつもりだったが、少年は俺の顔を見るなりびくりと体を硬直させた。
そんな怖い顔をしていたわけじゃないのに……とややショックを受けつつも、再度促す。
「何があったんだ? どうして犬を探してるんだ?」
「うぅ……それは、急に居なくなっちゃったんだ」
大きく鼻を啜った後、少年はしゃくり上げながら訥々と話し始めた。
飼い犬と散歩をしていたこと。
喉が渇いて井戸水を汲んでる間に犬が居なくなってしまったこと。
村中探しても全く犬が見つからなかったこと。
最後に通りすがる村人一人一人に尋ねてみたが、誰一人として犬を見た者は居なかったらしい。
すっかり困窮してしまった少年は、不安と恐怖で胸がいっぱいになり、ついに泣き出してしまったようだ。
「そう、大変だったわね」
ルシルはそう声を掛けると、少年の背中を優しく撫でて慰める。
しかし少年は一向に泣きやむ気配が無い。むしろ泣き声は大きくなる一方だ。
困り果てるルシルの横顔を眺めながら、俺はふとある言葉を胸の中で反芻する――そしてある決意をした。
「ルシル、しばらくここで待っててくれないか?」
「えっ?」
キョトンと目を丸めるルシルを横目に、もう一度少年に尋ねる。
「茶色の毛をした子犬なんだよな……他にもなにか特徴があるか?」
「えっ……うん、あとは尻尾の先だけ白いよ!」
「そうか。それならわかりやすいな」
ルシルと同じく目を丸める少年の頭を撫でれば、少年は少しだけ擽ったそうに肩をすくめる。
そして荷物を全て下して腰を伸ばしていると、ルシルが服の袖を引っ張った。
「タツキさん、もしかして……」
「探して来るよ。足は多い方が良いだろう?」
「でも……!」
「道はちゃんと覚えていくから大丈夫だよ……あっ、荷物のことなら悪い! すぐに戻るようにするから」
「そうじゃなくて……」
声を窄めながら、ルシルは袖を掴む手を強くする。
その顔はどことなく不安げであった。
どうしたものかとしばし迷うが、ゆっくりルシルに向けて手を伸ばす。
「ひゃっ!?」
驚くあまり、ルシルはびくりと大きく肩を飛び上がらせる。
撫でられた頭を両手で押さえると、目をすこし赤くした。
「ちゃんと帰ってくるから」
それだけ言い残した後、ルシルの止める声も聞かずに走り出す。
自分でも驚くほど無鉄砲だ。
探したところで犬が見つかる保証があるのか。
わざわざそれを俺がする意味があるのか。
あげればキリがない文句が次々と頭に浮かんでくる。
けれどルシルに言われた言葉が、どうしても胸にこびりついて剥がれない。
見ず知らずの者同士で助け合う。
まるで綺麗ごとだ。
人によっては笑い飛ばす者もいるかもしれない
だけど――それが出来る人間になりたい、俺はそう思ったのだ。
×××××××
「居ないな……というより、この村広いな……」
思わず零れた泣き言。
一体この村の境界線はどこにあるのだろう、と疑問に思いながら両手で膝を付く。
何十分間も走り回ったこともあり、疲労がどっと押し寄せてきた。
「なにかしら手掛かりがあれば良いんだけどな……」
ポツリと希望を呟いてみるが、当然応えるモノはなにもない。
急速に覚える喉の渇きを抑えながら、額の汗を拭って顔を上げる。
目の前に広がるのは鬱蒼と茂る木立だ。
いつの間にかこんなところまで来てしまったらしい。
恐らくこのまま進めば、ちょっとした樹海に迷い込むだろう。
じっと見ているとなんだか吸い込まれそうな気がして、ぞっと背筋が凍る。
それほど木々の間から覗く道は暗く、奥深い。
どこか不気味な雰囲気すらも感じる樹林に背を向けるが、不意に声が響く。
「そっちに行かなくて良いの?」
思わず後ろを振り返るが、そこには人の姿はない。
鬱陶しそうに枝を揺らす木々だけだ。
キョロキョロと目を回していると、また声が鳴る。
「その森の中に、お探しのモノがあるわよ」
探し回る俺を嘲笑うように絶えず響く、無邪気な声。
声はすれど、やはりその姿はどこにもない。
それに、どこかで聞いたことがある声だ。いや、間違いない。
この声は――
「ベルヴィー……だろ?」
そう問いかけた途端、笑い声は殊更に大きくなった。
「ふふっ、覚えてくれてたのね。嬉しい」
「そんなことはどうでもいい! 一体どこに居るんだ!?」
「あら、それはどっちのことを尋ねているのかしら? 私? それとも子犬のこと?」
「……どっちもだ」
「欲張りさんね」
声を荒げる俺にまるで臆する様子もなく、ベルヴィーの声の調子は軽い。
その余裕ぶった態度がますます俺の神経を逆撫でた。
「そもそもなんで俺が犬を探してるって知ってるんだ?」
「別に不思議なことじゃないわよ。だって私はあなたの傍にずっと付いてるんだから」
「やっぱりどこかで俺のことを視てるのか?」
「まっ、そんなところね」
けろりと簡単に答えた後、ベルヴィーは上機嫌に鼻を鳴らす。
一体なにがそんなに嬉しいのか甚だ疑問だ。
「姿は出せないのか?」
「残念、今は無理ね。会えなくて寂しい?」
「そうだな。小一時間ほどずーっと話していたいな」
皮肉をたっぷり載せた言葉を吐くが、ベルヴィーは全く気にする素振りは無い。
むしろ黄色い悲鳴を上げて喜ぶぐらいだった。
喰えない相手とは、まさしくベルヴィーのことを言うのだろう。
「でも、今は私とお喋りしている場合じゃないわよ?」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味。早くしないと――」
ベルヴィーは一度言葉を区切った後、ゆっくり口にする。
「喰われちゃうわよ?」
あまりにも冷たい声と不吉な単語に、どっと冷や汗が噴き出た。
詳しい話を問い詰めようと口を開きかけるが、咄嗟に舌を引っ込める。
遠くの方で何かが聞こえた。
森の奥から、断続的に響く――犬の鳴き声だ。
「ッ……!?」
頭で考えるよりも先に足が動いていた。疲れも忘れて走り出す。
鳴き声がする方向をひたすら目指して、木々の間を駆け抜けていると――少女の声が鳴る。
「頑張ってね、タツキ」