シェルマン商店
「さっそく力仕事でもなんでもない仕事だな」
空から降り注ぐ柔らかい日差しの中。
そよぐ風に弄ばれる前髪を払いつつポツリと呟けば、その言葉すらも攫われていく。
詰所を出てからおよそ十分の時が流れたが、延々と続く高原の終わりは一向に見えてこない。
一体どこまで向かうのだろうかと思い始めた時、先頭を歩いていたルシルが振り返る。
「ふふっ。あながち力仕事じゃないとも言いきれませんよ?」
ルシルは懐から紙片を一枚取り出すと、俺の目の前にかざしてみせる。
そこには余白のひとつすら許さないとでも言わん気に、細かい文字がびっしり書き連ねられていた。
どうやらこの紙は買い出しメモらしい。
「……この量を運ぶとなると、それなりに骨が折れそうだな」
「それにこの先向かうお店は、詰所から歩いて四十分掛かるところですよ」
「えっ?」
「往復一時間二十分です。頑張りましょう」
さも平然そうにルシルはニッコリ微笑む。
ここを小さな村だと仰っていたのはどこのどなただろうか。
どこにもやりようがない溜息を胸の内に落とした後、周りを見渡す。
密集はせず、かといって見えなくなるほど遠く離れずに散在する民家。
一軒一軒の土地はかなり広いのかもしれない。
ある家は大きな畑を作り、ある家は大きな囲いを作って家畜を歩かせている。
さすがに一見で農業が盛んかどうかはわからないが、それなりに自給した生活を送っているのだろう。
実際自警団の庭にもよく整備された畑があった。
「そう言えば、朝食はみんなで揃って食べたりしないのか?」
話題作りもかねて、ふと疑問に思ったことを口にしてみる。
「みんな……あっ、自警団のみなさんですね」
ルシルは一瞬キョトンと目を丸めたが、合点がいったとばかり両手を合わせる。
「みなさんそれぞれ時間が違うので、揃って食べることはなかなかありませんね。だから私とヘレナさんは早朝に作り置きした後、先に頂いてます」
「生活リズムがそれぞれ違うのか?」
「んーと、生活リズムと言うより……みなさん三交代制で勤務しているので、それに合わせた生活って感じですね」
三交代制というと、シフトみたいなものだろうか。
そう言えば先日リズは、ヴァルハラ自警団は村内外の警備もすると言っていた。
警備ともなれば、業務は二十四時間体制になるのだろう。
つまり日勤・夜勤・深夜勤の三つに割り振って、業務を継続させているのだ。
「なかなか大変そうだな……」
「そうですね。だけどそんな大変な業務でも、みなさん毎日お勤めを果たしています」
ルシルは小麦色の髪を撫でると、ぎこちない笑みを広げる。
「少しでも私達村人が平穏に暮らせるように、って」
少しでも、か。
やや引っ掛かる物言いをした後、ルシルはすぐに取り繕うように自分の胸を叩く。
「だから私もみなさんの手助けになれるよう頑張る所存です!」
えへんとでも言いたげに、ルシルは腰に手を当てて大きく胸を張る。
そして僅かにこちらを見遣ると、もどかしげに体を揺すった。
「それに……これからはタツキさんも一緒ですからね。だから、とっても心強いです!」
頬を朱色に染め、心の底から嬉しそうにルシルは顔を綻ばせる。
彼女は俺を必要と思ってくれているのだろうか。
そう思うと、胸が締め付けられるような深い感慨を覚えた。
しかし彼女との平穏な日々はそう長くないだろう。
俺の一番の目的は、元の世界に帰ることだ。
異世界の住人である彼女とは、ずっと共に過ごすことは出来ない。それに――
「……?」
ふと気が付けば、俺は無意識に自分の左腕を擦っていた。
自分の不可解な行動に首を捻っていると、不意にルシルが声を上げる。
「あっ、そろそろお店が見えてきますよ!」
長い髪を跳ねさせながら、人差し指を彼方へ向けるルシル。
その先を辿れば、横長の家屋が一軒建っていた。
店と言うには随分小規模で、一見するとそこら辺の民家となにも変わり映えがない。
視線を上げると、申し訳程度に英字で記されたボロ看板が壁にさげられていた。
「あれが……店なのか?」
「はい、シェルマン商店っていうお店なんですよ」
訝しげに俺が尋ねる一方で、ルシルは屈託なく答える。
そのままルシルは駆け足気味に店へ近寄ると、扉の前に立って二、三度ノックした。
てっきり店主の返事でも待つのかと思い、俺も足止めてその背中を見守る。
「おはようございまーす!」
しかしそれは要らぬ世話だったらしい。
ルシルは返事が来るよりも先に扉を開けると、なんの遠慮もなく中に入っていった。
軽い合図だったのだろう。
そう無理やり自分を納得させてから、俺もその後に続く。
足を踏み入れれば、手帳に筆を走らせる老齢の男が目に入った。
「やぁ、どうも」
俺の視線に気付くと、男は僅かに目線を上げて短い挨拶を飛ばす。
そして、すぐに手帳に視線を落とすやいなや再び筆を走らせ始めた。
見られていないとわかりつつも、念のため軽く会釈してから辺りを見回す。
店内はお世辞にも綺麗とは言えず、どちらかと言えば窮屈な印象を与える内装であった。
俺の胸ほど高い商品棚が所狭しと並び、足場も少なくやや動きづらい。
しかし見た目や利便性を犠牲にする代わり、商品はかなり豊富だ。
食品、生活雑貨、衣服から書物までありとあらゆるものが売られている。
いくつか用途のわからない物もあったが、必要最低限のものはこの店で揃えられていそうだ。
半ば感嘆しながらも、店内を歩きルシルの姿を探す。
「あっ、タツキさん! ちょっとこれ見てください」
店が狭いため、その姿はあっという間に見つかった。
ルシルは俺を手招きしながら、なにやら真剣な眼差しで棚を見つめている。
言われるがままに同じ棚を覗き込むと、そこには食器が並んでいた。
「タツキさんはどっちが良いですか?」
「……どっちって?」
「こっちの小ぶりなカップか、あっちの大ぶりなカップか。使うならどっちが良いですか?」
ひとつずつ指差した後、ルシルはもう一度問いかける。
どうやら品選びの相談を受けているらしい。
「……こっちの大きいサイズの物が良いじゃないか?」
少し悩んだが、どっちが良いかと聞かれれば大ぶりのマグカップだ。
小さな物だと注げる量が限られるが、大きな物なら調節が効く。
まぁ本当の所は、パッと見た印象が一番の大きな理由である。
「ふむふむ。こっちですか……それじゃあ、これを買いましょうか!」
「そんなあっさり決めちゃっていいのか!?」
あまりにも潔すぎる決断に、思わず声が上がってしまった。
けれどルシルは完全に腹を決めているらしく、俺が選んだマグカップを躊躇なく手に取る。
「はい、タツキさんが選んだものにします。だって、これはタツキさんの物なんですから」
「俺の物……?」
「そうです、タツキさん用です。ここのメモにもちゃーんと書いてありますよ」
再び懐を探って紙片を取り出すと、ルシルは俺が文字をちゃんと読み取れるように眼前に広げた。
「カップにお皿に歯ブラシに下着に……これ全部今後タツキさんが使う物ですよ」
言いながら最後に書かれた一文を指差すと、ルシルは可笑しそうに笑みを零す。
そこには『タツキの好きなものを選ばせるように』と書かれていた。
「いや、だけど俺は金なんて持ってないぞ?」
「心配は要りません。お金はヘレナさんから預かってますから」
しかしそれはそれで申し訳ない気分になってくる。
まだこれと言って働いていないうえに、治療やら食事やらなんやらで散々世話になっているのだ。
さすがにこれ以上の厚意は簡単に受け取れない。
せめてある程度働いてからにして欲しいと口を開きかけるが、ルシルの声によって遮られる。
「ヘレナさんの歓迎の意として受け取ってください。きっと家族が増えて嬉しいんですよ」
「……家族?」
「はい、ヴァルハラ自警団はひとつの組織ではなく、ひとつの家族だ……って。前の団長さんが決めた方針なんですけどね」
まるで思い出話をするように、ルシルは穏やかな笑みを広げる。
手にしたマグカップを大事そうに両手で包むと、訥々と言葉を紡いでいく。
「家族のように暮らし、家族のように接し、家族のように支え合う。そうして私たちは一緒に居るんです」
「それは……素敵な話だな」
「あら、そんな他人事みたいに言ってて良いんですか? これからはタツキさんもその家族の一員なんですよ?」
気後れする俺を叱りつけるように、ルシルは俺の鼻先に向けて指を差す。
しばらく細い眉を高く吊り上げていたが、次第に下へ下へとおりていく。
「タツキさん……あなたは私達になにか負い目を感じていませんか?」
その問いに、思わず胸が跳ねた。
「どうして素性もわからない自分を気に掛けるのか、不思議に思っていませんか?」
さらに繰り出される問い掛けに、今度は胸を鷲掴みされたような痛みが走った。
ずばり心の内を読まれてしまったからだ。
どうにかはぐらかそうと口を動かしてみるが、なにひとつ声が出てこない。
結局押し黙ってしまった俺に、ルシルはますます悲しそうな顔をした。
一度口を噤んだ後、ルシルはゆっくり唇を開く。
「私達があなたに厚意をもって接するのは、あなたが特別だからじゃありません」
ハッとなって落ち始めていた視線を戻すと、強い眼差しでルシルがこちらを見つめていた。
悲しげで、けれど穏やかな翡翠の瞳が俺の姿を映す。
「そもそも私達はみんな血縁関係もありません、お互いの過去も知りません。だけど私達は、見ず知らずの者同士で助け合っているんです」
「……それが当たり前のことなのか」
「はい! なにも不思議なことじゃないんです」
俺がポツリと呟いた言葉に、ルシルは笑顔で応える。
そして両手に持ったマグカップを愛おしそうに指で撫でた後、そっと差し出す。
「すぐにとは言いません。だけど……どうかタツキさんも私達を家族と思って接してください」
小首を傾げながら、ルシルは俺の顔を窺う。
差し出されたマグカップは窓から差しこむ陽を受け、艶やかに肌を光らせていた。
一瞬。躊躇するも、恐る恐る手を伸ばしてマグカップを受け取る。
すると小さな吐息の零れる音が聞こえた気がした。
その音に釣られて、顔を上げれば――
「お買いもの、続けましょう?」
いつも通り、微笑むルシルがそこに居た。