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メカニカル・シンドローム  作者: とつる
一章 ヴァルハラ自警団
10/25

朝食

「良いわよ」

「へっ?」


 あまりにもあっさりとした返事に、思わず間抜けな声が零れる。


「だから、お手伝いさんとして雇うって言ったのよ」


 呆れた様子で肩をおろすと、四十代半ばと思われる女性はそう言葉を付け加えた。

 やけに逞しいその腕はあぶくを立てて煮える大鍋をかき混ぜ 丸い鼻は上機嫌に歌を奏でる。

 呆気に取られる俺を他所に、金色の髪はしばらくリズムに乗るように揺れ続けた。

 そして香ばしい香りが経ち始めたのを頃合いに、大鍋からお玉をひと掬いする。


「ちょいと飲んでごらん」

「えっ?」


 不意に差し出された小皿に、またしても素っ頓狂な声が上がった。

 目を落とせば、先程掬われたスープが皿の上で波を打っている。


「味見よ、味見」


 目を丸める俺が可笑しかったのか、女性は目に皺を寄せて笑う。

 遠慮するなとばかりに、小皿はさらに押し迫ってきた。


「……いただきます」


 そう一言だけ断りを入れた後、小皿を受け取る。

 細長い湯気に鼻を撫でられながら口を付けると、ピリっと舌先が痺れた。

 しかしそれは一瞬のことで、後味は意外なほどすっきりしている。

 喉元を過ぎれば体の芯からじわじわと熱が広がり、溜息が零れてしまいそうなほど心地よい気分になった。


「味はどうだい?」

「う……うまいです!」

「そうかい、そうかい。それじゃあ、これで完成だね」


 我ながら実に面白みの欠片もない感想だったが、それでも女性は満足気に頷いてみせる。

 大らかで、気立てが良い――ヘレナ・ザブリクはそういう女性のようだ。

 ふと気が付けばヘレナはごくごく自然に、俺の手から空になった小皿を回収していた。

 厨房の火を止め、そして巻いた袖を戻しながらひとりの少女の名を呼ぶ。


「ルシル、お皿を用意して頂戴。しっかり3人分ね!」

「はい!」


 白いエプロンの後ろ紐を力いっぱい結ぶと、ルシルは裾を翻して振り返った。

 

××××××


 ふかした芋に、ふくらむ卵。

 生野菜は瑞々しく光り、琥珀色のスープからは白い湯気がくゆる。

 きわめつけに、3種類のパンから放たれるバターの香りは恐ろしいほど香ばしい。

 まるでテーブルを飾るかのように、次々と増えていく料理の数々に俺の胃は限界寸前だった。

 生唾を溜め込みながらただただ静観していると、不意に溜息が落とされる。


「悪いねぇ、朝は色々準備することがあるからバタバタしちゃうのよ」


 喋りながら紐を解くと、ヘレナは手慣れた様子でエプロンを折り畳んでいく。

 どうやら朝食の準備で手が離せなかったことを謝っているようだ。


 そもそも俺がヘレナ――もといヴァルハラ自警団詰所の所長、ヘレナ・ザブリクを訪ねたのは朝食の用意を頼むためではない。

 ルシルの提案である、住み込み従業員として働きたいことを伝えるのが一番の目的だ。

 しかし当のヘレナは朝の支度で手一杯だった挙句、出されたのは驚くほど呆気ない許諾の返事だった。

 一緒に付き添っていたルシルも、いつの間にかその手伝いで奔走していたぐらいである。

 朝は相当忙しいのだろう。

 そう十二分に理解出来るが、適当に受け流されたのではないかと一抹の不安も過る。


「でも、これでひと段落ついたわ。改めて話をしましょうか」


 だがそれも杞憂だったらしく、ヘレナはしっかり受け止めるつもりでいるらしい。

 ふくよかな体を半ば無理やりテーブルと椅子の間に滑り込ませると、またひとつ息を吐く。


「食事をしながらね」


 ヘレナは皺をめいっぱい伸ばし、木製のフォークとスプーンを両手に持った。

 適当と言うより、ぬるいという言葉の方が合ってるかもしれない。


 しばらく己の胃袋と相談するが、結局出てくる答えはひとつだ。


「いただきます」


 両手を合わせて、礼を一言。

 ご馳走を前にしては、成す術もない。

 自分が思っている以上に、俺もまた単純な人間だったようだ。

 こんがりと焼け目がついたパンを頬張っていると、真向かいに座るルシルが横目を遣る。


「タツキさんはいつから正式に雇うことになるんですか?」


 隣のヘレナに向けてそう尋ねると、ルシルは首を傾げる。

 手には拳よりも大きなパンを持ち、ふとした拍子に抓んで食べていた。

 それに対して、ヘレナは腕を組んで微かに唸る。


「そうだねぇ。あたしとしては、今日からでも有難いんだけど……まだ怪我の具合は良くないんだろう?」


 言いながら、ヘレナはチラリと俺の腹部を見る。

 ルシルの話に寄れば、ヘレナもまた俺を介抱してくれた人物の一人らしい。

 それもあってか、どうも俺の怪我が気掛かりなようだ。

 普通は心配して貰えることに感謝するべきなのだろうが、俺としては罪悪感が拭えない。


「いや、もう平気です。多少の運動ぐらいなら全く問題ないと思います」


 根拠もなく断言すると、ヘレナは驚いた様子で目を見開く。


「本当かい? あんたには力仕事を中心にやってもらおうと思ってるんだけどねぇ」

「うっ……へ、平気です! 身を粉にしてでも働くつもりなんで!!」


 これまた根拠も自信も無いことを口走る。

 しかしここで豪語しておかなければ、明日の我が身も分からない状況だ。

 寝食が確保できるのなら、どんな労働だろうと構いやしない。


「あっはっは、そこまで気張る必要はないわよ」


 あまりにも必死さが滲み出ていたのか。

 俺の顔を見るなり、ヘレナは可笑しそうに腹を抱えた。

 

「ただあたしとルシルだけじゃ大変な時もあるし、男手をくれるなら嬉しいってだけよ。ねぇ?」


 ルシルに同意を求めるように、ヘレナは首を傾けてみせる。

 しばし反応に困った様子でルシルは肩を揺らすが、俺と目が合うと小さく苦笑した。


「そうですね、家事とか掃除とかなら困ることはないんですが……力仕事はちょっと苦手で」

「ルシルには薪割りとか物運びとかそういう力仕事は向いていないのよ。あたしもさすがに年だからねぇ」


 ヘレナは苦渋の表情を浮かべるや、ここぞとばかりに大きな溜息をつく。


「自警団の男連中が手伝ってくれれば何も問題はないんだけどねぇ。あの子達はみーんな任務で忙しいだ訓練があるだなんだと言って手を貸してくれないんだよ。か弱い乙女が困ってるって言うのに、情けないもんだよ。全く。大体、休暇の怠けっぷりはどうなんだい。たまには有意義な生活を送ろうって言う気にならないもんか――」


 まるで日頃の鬱憤を晴らさんばかりに、ヘレナの口は動き続ける。

 愚痴と言う名の弾丸は止まることを知らないようだ。

 どうしたものかと戸惑っていると、慌ててルシルがフォローに入る。


「あ、あの! タツキさんも居ますし、そのへんにしましょう。ね?」


 ルシルは宥めるようにヘレナの肩を撫でては、精一杯の笑顔を作る。


「それにもっと具体的にどういうお仕事をして欲しいのか、話し合う必要があると思います!」

「……それもそうだね。それじゃあ、話を戻すよ」


 果てしなく続いた銃撃も、弾が切れたのか。はたまたすっかり毒気が抜けたのか。

 ヘレナは落ち着きを取り戻すと、居住まいを正した。

 その様子にルシルと俺は、ホッと胸を撫で下ろす。 


「まぁ結局タツキにやって欲しいことは、ルシルのフォローだよ」

「ルシルのフォローですか……?」

「ああ。さっき言った力仕事だったり、ルシルが一人で出来ないことを一緒にやってくれないかい?」


 つまり特に決まった役割はないが、いざという時のお助け役と言ったところだろうか。

 口ぶりからすると主に力仕事のようだし、体力に自信がある分これといって問題はないだろう。

 首を縦に振って了承の意を示すと、ヘレナは餅のような頬を緩めた。


「それじゃあ一応確認しておくけど、うちはあまり裕福じゃないわ。お給金もお小遣い程度だから勘弁して頂戴ね。その代わり一日三食必ず出すわ。寝床も今あんたが使っている部屋をそのまま使いなさい」


 ひとつひとつ丁寧に説明した後、ヘレナは改めて確認を取る。


「それで良いわね?」


 そう尋ねつつも、俺の顔からヘレナはすでにわかりきったような表情を浮かべていた。


「はい、よろしくお願いします!」

「うんうん、良い返事ね」


 満足気に何度も何度も頷いた後、ヘレナは隣のルシルに視線を送る。

 その視線から何かしら汲み取ったらしく、ルシルは少しだけ照れ臭そうな笑みを浮かべた。


「その……改めてよろしくお願いしますね、タツキさん」

「ああ、こちらこそよろしく頼む。これでルシルは俺の先輩になるってことだし……色々頼りにさせて貰うよ」

「そ、そんな先輩だなんて……!」


 軽い冗談のつもりだったが、ルシルは両手を大きく振ってたじろぐ。

 もしかして先輩と呼ばれることに慣れていないのかもしれない。

 呼び方のひとつぐらい大した問題ではないと思うが、ルシルとしてはかなりこそばゆいようだ。

 あんまりにも大袈裟に反応するため、少しだけからかいたい衝動に襲われるが――ぐっと堪えることにした。 


「ふふ、それじゃあ早速二人に仕事をお願いしようかしらね」


 微笑ましそうに目を細めていたヘレナは、突然両手を叩くと立ち上がる。


「あたしはこれから自警団の子達の朝食の準備をまたしないといけないの。だから、あんた達は食べ終わり次第――」


 豊満すぎる体を右に左に振った後。

 自分より頭一つ分高い棚の中を弄り、ある物を取り出した。


「おつかいに行ってきて頂戴。二人一緒にね」


 布袋を目の上に掲げると、ヘレナはニッコリほほ笑んだ。


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