Happy New Year
赤く実った林檎がとても美味しそう。
橙色に染まる夕方の空が、立ち並ぶ高層ビルに切り裂かれる。
黄色いイチョウの葉が風に吹かれて舞い踊り、秋は寒空を連れてくる。
緑が一面に広がる思い出の中に佇むあの丘。
青く澄み渡った空はどこまでも広く、どこまでも遠い。
藍染めの浴衣を着た少女とやんちゃな少年の淡い夏の思い出。
紫陽花の濡れた葉を這う蝸牛。
七色揃って虹を成す。
貴方には虹が見えていて、私には虹は見えない。あるいはその逆。
それらすべてを置き去りにして、虹は空に架かっている。
この世界はどうやら薬品が混ざり合った溶液に浮かぶ、電極まみれの脳味噌が見る夢ではなかったらしい。
そんな驚愕の事実が、去年のうだるように暑い夏になんの取り留めも無しにポツン、と私たちの頭上に舞い落ちた。
さすがにそれは冗談で、その事実のきちんとした来歴はあるにはある。
あるにはあるのだが、その後の世界の混乱に巻き込まれ、揉み込まれては刻み込まれ、支離滅裂に割れ飛んでしまった。
詳細は追えず、断片の欠片も繋がらない。現在はっきりとしていることは、この衝撃極まりない事実が突如舞い降りた天啓などではなく、理路整然とした科学によりもたらされたということ。七月十四日にその事実が発表されたこと。関係者は全員失踪してしまっていること。以上の三点のみに留まる。
ここに三つの林檎があり、三つはそれぞれ違う赤で彩られている。違う色なのだが私たちはまとめて赤と呼んでいた。パトカーや救急車のランプは赤色灯と呼ばれていたし、血の色はもちろん赤に決まっていた。
「赤い色ってどんな色なのでしょう」
「それはもちろんこの三つの林檎や、信号の止まれを指すのに使われている色さ」
この世界が真実私の脳だけによって構成されているのならば、話は早い。私が見る赤。子どもが見る赤。老人が見る赤。これらに差異はない。結局のところ、公園で遊ぶ子どもやベンチに座る老人。そして自身さえ、ひとつの脳によって描かれているのだから。そもそも言ってしまえば、その赤という色を定義しているのはどこかの水槽にぽつんと浮かんでいる自分の脳味噌なのだ。差異などあるはずがない。
しかし、実際は違っていた。私の頭の中には脳が埋まっていて、私以外の人間。視界に入る千差万別のそれぞれすべてにも脳が埋まり、私を名乗っている。
「わたし」
「私」
「あなたはわたしですか」
「はい、私はわたしです」
「あの林檎の赤をわたしは赤と呼ぶ」
「あの林檎の赤は赤と呼ばれるわたし」
七十億の「私」がそこらじゅうにひしめく世界。幾億の魂が互いに違う価値観を叫びあう世界。世界は途端に狭くなった。私たちは他ならぬ自分自身の身体に閉じ込められた。ここに手があり、足がある。脳が想像しているだけだと信じて疑わなかった心臓の鼓動は、想像ではなく実際に脈動を続けている。二十一グラムの魂が私を私の身体に縛り付け、私とあなたの間を見えない線で区別する。
胸に手を当て、私は言う。
「わたし」
世界が騒々しくなってから約半年。今でも私はこの感覚に慣れることができずにいる。
私の今見ている赤は、果たして他の人と同じ赤なのか。他の人が感じている赤は、私が感じる赤と同一だという証拠はない。例えば、生まれつき赤色が青色に見えてしまう人物が存在するとして。青い林檎を食べ、青い夕焼けに染まる空を見てきたその人は私の傍らに来ると、この林檎は赤い。という。青を目にしているにもかかわらず。しかし、私はそうですねと言う以外何もできない。私にはその林檎は赤く見えるし、相手の目に映る色が何色か取り出せない以上、お互いに取り出して比べることはできない。こうして、私とその人は同じものを見ていると宣言する。内側に宿る大きな相違に気づけぬまま。
僅か六ヶ月の間に世界は大きく様変わりをした。ある男が目を覚ます。朝起きて、妻と共に朝食を食べる。朝食を食べながら男は考える。目の前にいる女性が何を考えているのかを。なぜ一緒の家に住まうのか。なぜこの女性は妻なのか。なぜかなぜかと考え続けた男は、ふと思い立って台所に向かうとおもむろに包丁を手にする。床の間に戻るなり、妻の胸に包丁を突き立てる。男の身体が返り血で染まる。崩れ落ちた妻の亡骸を男はしばらく呆然と眺め、自分がしてしまったことを理解し涙する。そんな脈絡を欠いた事件が世界中のいたるところで発生した。
昨日まで笑いあっていた友人はどこかあさっての方向に消え去り、同じ顔と同じ声をした何者かが自分の周りを満たす。愛しあい、理解しあっていたと信じていた恋人たちは次の日には何を愛し、理解しあっていたのかわからなくなっていた。
だれもかれもが自分は歯車なのだと信じて疑わず、そもそも当たり前すぎて信じてすらいなかった。
人々を部品として組み上げられた世界経済は、自意識というウイルスによってエラーを引き起こし、盛大にクラッシュした。
自分の他にも誰かがいるという恐怖感。目に映るすべての人に魂が宿っているという途方もない圧迫感。独りでひっそりと水槽の中に浮かんでいると信じていた脳味噌は、頭の中に据えられ、七十億が跋扈する騒々しい世界に放り出されて初めて独りの意味を知る。
独我論者が浸り続けていた世界は別の独我論者の登場によって崩壊する。独我論者は一人以上は存在してはならないという拘束が故に、私とあなたは別々の人間として区別され、共有されえない感覚は身体の奥へ縛り付けられる。
今、世界は混乱している。新しく得た自意識を扱いかねて。やがて混乱は収束していくだろう。人々は離してしまった手を再び握り合い、進んでいく。だがそれはもう、別の人類だろう。かつて何の疑いもなく信じ、理解しあっていた人類は七月十四日をもって永遠に消え去ってしまった。それが良いことなのか、悪いことなのか。私にはわからない。
もう一度、私は胸に手を当て口を開く。
「わたし」
何とも言えない白々さが私の胸の裡を襲い、私は苦笑する。
僅か二十一グラムの魂。そのちっぽけな自意識が、私たちが重なり合うのを妨げ、理解し合うのを拒んでいる。この感覚をあなたに説明することは出来ても、あなたと共有することは出来ない。これから先、永遠に。そう思うと私は少しだけ、寂しくなる。
グッドラック。ハッピーニューイヤー、ミスター・ローレンス。
グッドバイ。
2月になってからあけましておめでとうとか、もうね。