木の葉天狗の襲来
さて、場所を移した一行がいよいよドウメイの陰陽術を見ようとした時だった。陰陽術の実演のためにドウメイとその弟子のヤコが向き合って準備をしていると、唐突に警鐘が鳴り響いた。
ドウメイははっと空を見上げる。
「いかん、結界の綻びから妖怪が入ってきおった!」
彼は空を睨みつける。僅かに生じた結界の綻びをくぐった妖怪が宙を滑空しながらこちらに向かってきていた。その数は八つ。どれも同じ姿かたちをしている。
鳶のような羽を持つ巨大な鳥であった。翼長が六尺はありそうな巨大な鳥は、嘴こそついているものの醜悪な人に似た顔をしていた。爪の鋭い足とは別に、胴体から皺だらけの腕が生えており、六本生えたいびつな指には鋭い爪が生えていた。尾羽がなく、ずんぐりとした体形である。
「木の葉天狗かっ!」
ドウメイは一瞬瞠目したが、次の瞬間には印を結んで攻撃の構えへと移っていた。
「ヤコ! 反閇を! 皆を守れ!」
「はい! 皆さん、お下がりください!」
ドウメイが木の葉天狗に向かって進み出るのと入れ替わりに、ヤコが印を組む。
「臨・兵・闘・者……」
九字に合わせ、ヤコが独特の足運びで歩く。
反閇という、特殊な歩き方による結界である。
「すげぇ……」
尚吾が呆然と呟く。
ヤコが歩いた後が白く光り、その列なりが壁となって結界となってゆく。
「皆・陣・列・前・行!」
見る間に結界は完成し、ヤコは結界の内部へと入る。
木の葉天狗たちはこちらに向かって一直線に向かってきていた。
「あいつ……俺たちが狙いなのか!?」
尚吾が木の葉天狗を見ながら言う。妖怪の視線は剛の者二人に向けられ、それ以外に目もくれない。
殺意をみなぎらせた怪鳥は、けたたましい鳴き声を上げてその距離を縮めてくる。
女官たちだけでなく、剛の者達も身を硬くする。武官のサルヒコは手を得物を抜き、いつでも反撃できるように構えた。
いよいよ木の葉天狗がその風切り羽ら見分けられるほど近付いてきた時、ドウメイが叫んだ。
「御二方、このドウメイの陰陽術、しかと見られよ!」
ドウメイは今一度印を組み直すと、しっかと木の葉天狗を見据えた。
「ナウマクサンマンダボダナンイシャナヤソワカ!」
白い光がいくつもの刃となって木の葉天狗たちを襲う。
怪鳥が悲鳴を上げる。黒い血が空に散った。空を飛ぶ木の葉天狗が次々と地面に落ちる。
勝負あったかと思われたが、次の瞬間耳をつんざくような鳴き声が上がったかと思うと、一匹がその翼を大きく羽ばたかせた。
血に染まった羽が辺りに散り、その羽の一本一本が木の葉天狗に似た小型の妖怪へと変じた。小さな木の葉天狗は、すでに飛ぶ力を亡くした同胞の体から妖力を吸い取り、大きくなった。体つきこそ元のものよりふた回りほど小さいものの、その数はざっと二十。
再び耳障りな鳴き声を上げると、木の葉天狗は次々とドウメイへと襲いかかる。
その速さと多さにさしものドウメイもさばききれず、木の葉天狗に裂かれた皮膚から血が噴き上がった。
「じいさん!」
「お師匠様!」
ドウメイは呼びかけに反応するものの、その動きは鈍い。全身から血が流れていた。
「くそ、なんとかならねえのかよ! おっさん、あんた武官なんだろ!? じいさん助けろよ!」
尚吾がサルヒコの腰に佩いた剣を指しながら言う。しかしサルヒコは首を振った。
「お二人を守ることが最優先。今私がこの場を離れるわけにはまいりませぬ」
「でも!」
「武官だからこそ、妖怪とは戦えないのですわ」
言い募る尚吾を宥めるようにユリが言う。
「妖怪を倒せば、瘴気が噴き出します。陰陽師ならば身を守るすべを持ちますが、徒人ならそれを浴びたらひとたまりもありません」
「っだけど!」
「落ちつけ、尚吾」
勲が尚吾の肩を抑える。
白い結界を越えた向こう側では、血まみれのドウメイが木の葉天狗を退治しようと奮闘していた。
素人目にもそれが苦戦していると分かる。
尚吾の握った手が震える。勲も真剣な顔で戦いの行く末を見ていた。
「瘴気を浴びたのが徒人ならば瘴気に侵されましょう」
不意にワカが言う。
「しかしそれが剛の者であれば、いかほどの瘴気を浴びようとも影響を受けることはありません。ゆえに、この場でドウメイ様を助けられるとしたら、尚吾様と勲様、お二人だけです」
「本当か!?」
尚吾の目に希望の火が灯る。ワカはその日ずっと持っていた包を開いた。
中から現れたのはなめした皮で出来た籠手と白鞘に収められた短刀だった。年月を経ているのであろうそれは、柔らかな光沢を帯びていた。
ワカは籠手を尚吾に、短刀を勲へと渡す。
「どうぞこれを。剛の者は、思う強さが力となります。ドウメイ様を救いたいと思う心の強さがあなた方の強さに」
差し出されたそれをじっと見つめていた尚吾だが、やがて意を決したように籠手を装着した。勲も短い逡巡の後に短刀を手に取る。
「ヤコ様、どうぞお二人を結界の外に」
「ですが!」
「女官、勝手が過ぎるぞ。分をわきまえよ」
「お二人は大丈夫です」
武官の叱責にもワカは毅然とした態度を崩さない。
師の窮状を見かねたヤコは、ワカの言葉に従って結界の一部を開けた。
それに気付いた剛の者二人は外に飛び出して行った。
「お、お待ちください!」
武官が言うも、すでに二人は木の葉天狗を自身の射程へと入れていた。
「はぁ!」
気合い一閃で打ち抜かれた尚吾の拳が紅蓮の炎を生み出した。今にもドウメイの目玉をえぐろうとしていた木の葉天狗の一匹が炎にまかれて墜落した。
「くそったれ!」
勲が短刀を振るった途端、その刃が見る間に大きくなり、身の丈ほどもありそうな大刀となって木の葉天狗を切り裂いた。
木の葉天狗は黒い血を撒き散らせてやがて消えた。
自分たちがもたらした効果に、剛の者は息を飲む。
「……SFX?」
「マジかよ……」
驚愕に満ちた呟きが漏れる。
「次が来ます!」
コナミが切迫した声で叫ぶ。
それまでドウメイを襲っていた木の葉天狗たちも、己の獲物が結界から出てきたことで標的を変えたのだった。
剛の者達は我にかえると襲いかかってくる敵へと鋭い視線を向けた。
一匹の木の葉天狗が尚吾の目玉をえぐろうと飛びかかってくる。それを身を捻って交わした尚吾は、そのまま木の葉天狗の懐へと飛び込んだ。
「これでも食らいやがれっ!」
木の葉天狗の胴へと拳がめり込む。拳から生じた炎が再び木の葉天狗を火だるまへと変えた。
大刀を握る勲は時に突き、時に横薙ぎにして次々と木の葉天狗の動きを止めていた。
剛の者の力は圧倒的だった。
敏捷な体捌きと力強い打撃、そして徒人では持ち得ぬ力でもって次々と木の葉天狗の息の根を止めてゆく。
妖怪が死ぬたびに噴きでる瘴気を浴びても、剛の者たちは一向に堪えた様子がない。
それを結界の中から皆は半ば呆然としながら見ていた。
剛の者の伝承を聞いたことがないわけではない。しかし年若い少年たちが強大な力を意のままに操っている様は、頼もしいと同時に畏怖を抱かせるに十分だった。