義両親への報告
勅命をたまわった日、家に帰ったワカが剛の者の侍女となると告げた時の義父のハヤトの顔は見ものだった。
手入れしていた横刀を思わず取り落としそうになるほどの驚きようで、口をあんぐりと開けながらワカを凝視した。傍で繕いものをしていた義母のモモノも針を取り落としてワカを見つめていた。
「…………なんてこったい、そんな重大事を任されるなんて大出世じゃないか! でかしたぞ、ワカ!」
ようやく口を開いたハヤトは横刀を置いて小躍りしながら言う。熊のようなずんぐりとした体格のハヤトがそうすると床がギシギシと悲鳴を上げた。しかし子供のように破顔しているハヤトが気付く様子はない。
「そんな大事なお役目を帝から直々に任されるようになったなんて、ワカの実力が認められた証拠ね。あなたは自慢の娘よ!」
モモノもうりざね顔をほころばせ、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
そんな義両親の姿にワカは胸が熱くなった。
かつて齢七つを数える頃、ワカは孤児だった。養ってくれる親もおらず、飢えていた。盗みも上手くできず、食いぶちを稼ぐこともままならなかった。
そうして飢えで死んでしまいそうになっていた時、ワカはハヤトの屋敷へと入りこみ、庭にある池に泳いでいた鯉を捕まえて食べようとした。昔話に聞いた、鯉を捕まえようとした少女の話を覚えていたからかもしれない。
庶民が不法に貴族の屋敷に入ればただではすまない。ましてや高価な鯉を捕まえようとするなど言語道断である。殺されてもおかしくはなかった。
しかし幸運なことに池に入ろうとしたワカを見つけたのは警備の人間ではなく屋敷の主人の妻たるモモノで、彼女はてっきり幼いワカが入水をしようとしているものと勘違いして大慌てでワカを屋敷の中へと引き入れたのだった。
おいしい菓子とお茶でもてなされたワカはモモノにポツリポツリと自身の境遇を語った。それを聞いたモモノは女児がいなかったこともあり、ワカを養子として引き取ることにした。ハヤトもいきなりの話に驚いたものの、モモノの強い決意を知って反対することはなかった。そのままとんとん拍子に話が進み、ワカは無事ハヤトとモモノの養子として迎え入れられた。そのことで他の貴族からそしられたことも数知れない。けれども、二人がワカを追い出すことはなかった。
今日までのワカの努力は養い親の恩に報いようという一心だった。孤児時代、泥水を啜って生きてきたワカにとって、自分がどれほど恵まれているか痛いほど分かっていた。また、自分の行動が義両親の評判にもつながるということを感じていた。だからこそ、彼女は努力を惜しまなかった。
その結果、どこの生まれとも分からぬ人間が実力だけで命婦になれた。そして国の命運を握る剛の者の侍女を命じられた。
それはとりもなおさず、ワカの努力が認められたという証拠だった。
そしてそれを我がことのように喜んでくれる義両親が、ワカはいとしくて仕方がなかった。
「お二人に恥じぬよう、粉骨砕身して仕事をやりおおせて見せます」
ワカが力強く言えば、義両親は嬉しそうに笑った。
「今日は宴だ! ワカの出世を祝って酒だ、酒を持ってこい!」
「なら急いで用意いたしますわ」
楽しそうに二人は言うと、思い思いに宴会の準備を始めた。彼らだけでなく、屋敷中の人間が慶事を喜んだのだった。
それがワカにはたまらなくうれしかった。剛の者を迎える重責を一時は忘れられる程に。
その日、夜が更けるまで屋敷のにぎやかな声が途切れることはなかった。
皆が寝静まった後、ワカは一人星明かりに照らされた庭を歩いていた。
かつて自分が鯉を捕まえようと入った池は、水面に星を映して輝いているようだった。
心の中に大きな不安はあった。押しつぶされそうなほどの重圧も感じていた。
だが、決して逃げはしない。国の命運を救うために。そして何よりも敬愛する義両親のために。それに――――
「どうした、ワカ」
不意に背後から声がした。ワカはゆっくりと振り返る。
「兄上……」
彼女の背後にいたのは、今年で二十歳になる兄のスクネだった。
ハヤトと同じく武官である彼は、父親に似てずんぐりとした体形の青年である。人となりはハヤト同様よいのだが、無表情なことが多く、武骨なものだから女性からの人気はあまりない。
「眠れないのか?」
気遣わしげに問われ、ワカは小さくうなずいた。
「……そうか」
一言呟いて、ハヤトはワカの隣に並んだ。
しばらく二人で無言でたたずんでいたのだが、やがてぽつりとスクネが言う。
「あまり一人で背負いこみすぎるな」
ワカがスクネに視線を向けると、彼は相変わらず無表情でワカを見ていた。
「俺たちは家族だ。この先何があっても」
気負いのない言葉は、すとんとワカの胸に落ちてきた。
ワカは小さく笑う。
「いつも兄上には心を見透かされてばかりです」
スクネは一瞬目を細めると、少しばかり乱暴にワカの頭を撫でた。
「家族だからな」
言ってから、ふとスクネは手を下した。そうして一瞬背後に視線を向けたかと思うと、一つため息をついた。
「…………家族、だからな」
一度目のそれとは違った雰囲気の言葉にワカは不思議そうな顔をしたが、スクネがそれを説明することはなかった。