警戒
都を出た一行は、辺りを警戒しながらも足早に進んでいく。都の外に安全なところはない。下手に喋って妖怪たちに聞きつけられぬよう、皆言葉少なく足を進めていた。
平坦な道は妖怪に襲撃されることなく過ぎ去り、一行は肩透かしを食らった気分になりながらも青龍の滝に続く山道へと足を踏み入れる。さほど人の手が入っていない山道は細く険しく、見通しも悪い。武官たちも警戒を強めた。
また、当初武官たちはワカが一番の足手まといになることを懸念していたが、予想は大いに裏切られていた。
「存外体力があるようだ」
シュンテツがワカの背負った荷物を見ながら言う。ワカは中ぶりの行李を背負い、腰にも小さな袋をつけている。音から察するに中には結構な質量が入っかていそうではあるが、歩み始めて早一刻、ワカに疲れの色は見えない。真面目ったらしい顔で、男達と同じほどの速さで黙々と歩いている。
「日々の鍛錬を欠かしておりませんので」
素っ気なく言い放つワカに、シュンテツは珍獣を見るような目を向ける。農民や商人の家の女ならいざ知らず、女官をしている女が鍛錬を積む必要があるとは思えなかった。
「山籠りに符術、それに女官としての教養。かなりの向上心をお持ちなんですね。こんな妹御がいるなんて、スクネ殿はさぞや誇らしいでしょう」
ヒロナリが笑って言うと、スクネははい、と短く言って頷いた。ヒロナリはその続きがあるのかと思っていたようだが、スクネはそれっきり言葉を続けなかった。
「彼は朴訥とした人柄でして」
「そ、そうですか……」
マヨリのフォローにヒロナリは苦笑を浮かべた。
「そ、それにしても、女官殿は一体どなたに師事を受けられたのですか?」
ヤコが話しかけると、ワカは一瞬ちらりと剛の者たちを見てから話し出した。
「符術のことでしょうか? それでしたら今はすでにご逝去されていますが、当時御隠居されていた陰陽師のセイショウ様に」
「セイショウ様、ですか。その方は陰陽寮に?」
「かつては所属されていたそうですが、色々あって市井の間で役に立ちたいと思って随分前に辞職されたそうです。ドド橋の近くにお住まいで、押しかけて弟子にして頂きました」
「なんでワカは弟子入りしようと思ったんだ?」
尚吾が質問すると、ワカはにこりと笑う。
「自分は符術を習得しなければならないと思ったからです」
「だからそれがなんでだよ」
それまで黙っていた勲も呆れたように口をはさんだ。
ワカは少し考えてから口を開く。
「天啓、と申しましょうか……セイショウ様のお名前を聞いた時、この方だと思ったのです。私は、私こそが、この方に教えを請わなければならない、と」
「ある日思い立ったと思ったら家を飛び出してセイシュウ様の家を探して訪れての弟子入りを願い出た。勿論当初はセイシュウ様も断っていたんだが、ワカもなかなかに強情で、三度断られても尚申し入れにいった。最終的にセイシュウ様も折れて下さった」
スクネが言い添えた。
聞いた一同は不可解そうな顔をする。どうにもこうにもよく分からない理由だ。
「それを許した貴殿のご両親は度量が広いな」
「まあな。細かいことは気にしないタチだ」
「細かいか?」
マユリの言葉にスクネがうなずく。マユリは呆れたように肩をすくめた。
「ではその荷物の中には符術に必要なものが入っているのでしょうか?」
「……それもありますが大半は私物です。女の身には何かと物入りで」
ヒロナリの言葉にワカは素っ気なく答えた。
「青龍の滝まで遠い。お持ち致しましょうか?」
「初めにも申しましたが必要ございません。武官殿のお手を煩わせては本末転倒。いざという時、荷物は邪魔になりましょう」
慇懃無礼な断り方に、ヒロナリは困惑を隠せないようだった。人当たりの良い彼は、あまり若い女性につれない態度を取られることがない。
逆にシュンテツは感心したようで、
「なかなかに分を弁えているではないか」
と呟いた。ワカは黙礼だけで済ます。
「つったって、妖怪の姿なんて見えないんだから、俺たちの方が体力あるだろうし少しくらい持つよ」
「いえ」
尚吾の言葉にワカは短く言った後、懐に手を差し入れ、辺りに素早く視線を走らせながら言った。
「敵がすぐそばまで迫ってきております。ご用意を」
ワカの鋭い言葉に一行は周囲を見回しながら半信半疑でそれぞれの得物に手を伸ばした。
静かな山道に、わずかに地を這うような音がした。
「来ます!」
ワカが符を構え、一行の行く手を睨み据えたのは、茂みに身を潜めていた妖怪たちが飛び出して来たのは同時だった。