期待と実態
木の葉天狗の襲撃を剛の者が退けたという朗報は、たちまち都中に駆け巡った。
それまで剛の者など御伽噺と揶揄していた者も、思わぬ光明に諦観をかなぐり捨てた。思いの強さは剛の者の力となる。彼らは未だ半信半疑ではあったが、それでも自らの未来のために一心に神仏に祈りを捧げた。
朝廷にいる者も例外ではなく、遠目にでも剛の者を見かけた時には皆一様に縋るように祈るのであった。
襲撃から一晩明けて、朝餉を済ませた剛の者は、共を連れて帝の元へと報告に向かっていた。
道すがら、自分たちを見る人々の悲痛なまでの姿に、心苦しさを感じているようだった。
「ーーみんな、本当に追い詰められてんだな」
尚吾が複雑そうな顔をして言う。昨日の鍛錬は木の葉天狗を撃退した後に始まり、鍛えているはずの体は筋肉痛で軋んでいる。鬼のしごきを恨めしく思ったのも束の間だった。悲鳴混じりの哀願の声を聞けば、もたもたしている余裕がないのだと嫌でも痛感させられる。
「でなけりゃ、こんな馬鹿みたいなことにチャレンジしねぇだろ」
勲は努めて無表情を装っているようだった。
彼の手は豆が潰れ、薬草を煎じた塗り薬がこれでもかというくらいに塗り込まれている。
「どうぞお二方、毅然と前を向いていて下さいませ。皆、いつ終わるとも知れない日々を送っております。お二方が一筋の光明。貴方方が臆すれば、皆はまた暗い深淵の淵に立たねばなりません」
ユリの言葉に剛の者二人は不安を押し隠し、顔を引き締めた。それでも歩き方がぎこちないのは鍛錬の疲労が抜け切っていないためだ。
「……それはそれとして、宮中移動する時って、こんなゾロゾロ引き連れなきゃダメなの?」
しばらく歩いた後に、尚吾がやや情けない声を出す。
彼らのそばには女官三人と武官が三人いる。これでも少ない方で、多ければ十人近いお供がいる時もある。
「いと尊き方ですので。御身に大事があってはなりませぬ。何卒、必要な事とご寛恕下さいませ」
コナミが言えば、勲などは分かりやすくため息をつく。戸建て住みのドライな現代っ子からすれば、親しくない人間が常にそばにいるというのは気が張って仕方が無い。
「さっきの毒味も必要なのか?」
勲がうんざりした調子で言う。
朝餉の際に、二人の分は毒味係が複数人で何回かに分けて毒味をしたのですっかり冷めてしまっていた。ただでさえ現代とは味付けの違う、正直に言えばあまり口に合わない料理だ。温かい時に食べたらまだ美味しいはずなのだが。
「万万が一に備えております。妖怪たちの手が伸びて来ないとも限りませぬ」
「随分な歓待で」
武官の言葉に勲が吐き捨てた。自分よりも若い少年の言葉に、武官は一瞬眉をひそめたが、その表情もすぐにかき消された。
「人の体は弱いものです。お二方も人間ですもの、毒は効くことでしょう。僅かな不調も有事の際は命取り。薬師如来のお力を借りられたならあるいは毒味の必要もなくなるかもしれませんわね」
ワカの言葉に周囲の人間がぎょっとした。が、当人は涼しい顔だ。
「薬師如来ってなんか聞いたことあるかも。うちの近所の寺に祀ってた」
「こちらにもございますわ。都にもいくつか寺社がございます」
尚吾の言葉にワカが微笑む。
「んで? そのヤクシニョライとやらと毒味にどう関係があるんだ?」
勲が煩わしげに言う。ワカは相変わらず涼しい顔のままだ。
「薬師瑠璃光如来は衆生の疾病を治癒して下さります。如何な病魔もその真なる威光の前には逃げ去るでしょう」
「つまり毒も効かなくなる?」
「正しくお力を借りることがお出来になるのでしたら」
「それは確証のある話か、女官殿。そのような伝承、耳にしたことがない」
尋ねたのは剛の者ではなく、若い武官だった。
ワカは微笑する。
「手筈が整った暁には私の身で証明致しましょう」
「貴女はまた勝手なことを言って!」
コナミが咎めるように言う。それを宥めるように尚吾が割って入った。
「まあまあ、都の結界って強力なんだろ? だったらそんな心配しなくたって妖怪も来やしないさ」
「昨日来たけどな。毒を盛られる日も近いんじゃないか?」
「茶化すな勲!」
珍しくも尚吾が声を荒げた。周りの女官も武官も平静を装ってはいるが、剛の者の不穏な発言に皆内心穏やかでない。
「では来たる日に備えて修練を。ドウメイ様に申し送りしておきますので」
「女官殿、少々口を挟み過ぎでは?」
「これは失礼をば」
若い武官に睨まれワカは頭を下げる。あまり反省はしていないだろう様子に、武官は苦り切った顔をした。
そうこうしている間にも一行は目的地に着いたので皆威儀を正して黙ったものの、年嵩の武官やユリは、あまりの前途有望さに胸中でため息をついた。