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すれ違いの防波堤  作者: 万里小路 信房


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5、極夜の決戦

 メルセデスは任務のことを忘れ、このまま平穏な日常に溶け込んでしまいたいとも思うようなった。しかし、その日、本国から非情な情報を受け取った。


 帝国の秘密警察の長官ラウロは西の連合の援軍の上陸を阻止するため、クラドダスの街全体を「死霊都市」化する禁忌の魔法の使用を決めていた。ネクロマンサーのグレゴリオが近くに潜伏しているらしい。その儀式魔法の発動は援軍の上陸完了直後だという


「あわ……あわわ……」


 奥歯がガチガチと鳴る。窓の外、一月のクラドダスはまだ深い闇の中だ。あそこで寝ているマーサさんの体温も、クリスティンさんが淹れてくれるコーヒーの湯気も、全部、動かない灰色に変わってしまう。


 メルセデスはベッドの下から、魔女の赤いマントを引きずり出した。埃っぽく、血の匂いが微かに残る布地。それを羽織る指先が、自分のものじゃないみたいに冷たい。


 クリスティンからもらった赤いマフラー。帝国の魔女としての赤いマント。暗がりの中で、二つの赤は全く同じ色に見えた。


 メルセデスは窓を開けた。吹き込んできた雪の粒が頬に当たり、そのまま熱を奪っていく。遠くで、港の霧笛が短く一度だけ鳴った。


 メルセデスは震える指で窓を閉めた。鍵が噛み合うカチリという金属音だけが、不自然に大きく部屋に響いた。




 西の連合の軍が上陸する予定日の午前七時。クリスティンは防波堤の上に立っていた。潮風が眼鏡のレンズを白く曇らせる。彼は星空を見上げて時間を確かめた。沖合には西の連合の艦隊が潜んでいるはずだ。誘導灯に光を灯せば、数千の兵がこの港を埋め尽くす。


「西の連合の援軍を上陸させれば、母さんもメルセデスも守ることができる。クラドダスは帝国やゴニアタイトの脅威におびえなくてもよくなるんだ」


 彼は一度、手袋を嵌め直した。掌に残る、昨日の洗い物のふやけた感触がまだ消えない。


「……誰だ」


 背後、雪を蹴る音がした。振り返ると、そこには顔を布で覆い、赤いマントを羽織った人影があった。何者だろうか。魔法を使うものは名前も性別も体型もすべて隠す。もちろん声も変える。


「私がやらなくちゃ」


 メルセデスは、震える指先で魔力を練り上げる。


「クリスティンのいる、この街が守るために。……「黄昏の探索者」を倒して、ネクロマンサーを止めるんだ!」


 無言でメルセデスが仕掛けた。クリスティンも無言で杖を構える。


 空気が爆ぜた。クリスティンが放った光弾が、メルセデスの肩を掠め、背後の石壁を削った。石が砕ける乾いた音。メルセデスは地面を這い、泥混じりの雪を掴んだ。視界が真っ赤に染まる。マントの赤か、自分の血の色か、もう分からない。




「あわわ……っ!」


ガシャーン、と乾いた音が店内に響いた。メルセデスは割れた皿を前に、涙目で固まっている。


「またやったのかい、ドジだなぁ」


あきれ顔でカウンターから出てきたクリスティンが、彼女の横に膝をついた。


「ほら、危ないから下がってて。手、切るよ」


彼の手は大きくて、不器用な彼女を包み込むように温かかった。




「帝国の魔女か!」


 クリスティンは喉を震わせ、光の刃を形成する。


「お前らがこの街に来るから、母さんやメルセデスはおびえて暮らすことになるんだ!」


 お互いの言葉は相手には届かない。ただ自分を鼓舞するために呪文の合間に言葉を紡ぐ。


「どうして……こんなに強いの……! でも、私は逃げない。これは好きな人を守るための戦いだからー!」


 彼女の指先から放たれた黒い雷光が、クリスティンの魔導障壁を叩いた。




「クリスティン、コーヒー淹れました。……少し苦いかも」


「ありがとう、メルセデス。……ふふ、本当に苦いね。でも、なんだか落ち着くよ」


 湯気の向こうで、クリスティンの眼鏡が白く曇る。


「外は雪だけど、ここだけは春みたいだ」


「春になったら、一緒にお花を見たいです」


 そう言ったメルセデスの頭を、彼は「そうだね」と優しく撫でた。




「……しぶとい魔女め。お前のような化け物がいるから、メルセデスのような無垢な少女が怯えなきゃならないんだ。お前を消して、僕はカフェに帰る。あいつがドジをして皿を割る、あの平和な場所に!」


「どうして……。この魔法使いさえいなければ、ネクロマンサーを止めて、クリスティンさんの街を守れるのに! クリスティンは今頃温かいベッドで寝てるかな……。その夢を、私が守ってみせるから!」




「これ。……あげる」


「なに……。わっ、マフラーだ。赤い」


「メルセデス、いつも寒そうにしてるから……。君には赤が似合うと思ったんだけど……、変かな」


「ううん、そんなことないです。赤は好きな色です。ありがとう。……でも」


「どうしたの?」


「……ごめんなさい。私、何も、用意してなくて……」


「いいんだよ。そんなこと」


 メルセデスは、温かいマフラーを頬に押し当てた。、新品のウールの硬い手触り。クリスティンとコーヒーの匂いがした。




「これ以上、僕の街を壊させない!」


「街を……、あの人たちの暮らしを壊させない!」


 終始優勢に戦いを進めるクリスティン。しかし、彼の声が焦燥で掠れる。九時を過ぎた。空が藍色から、じわじわと薄い桃色に変わり始めている。


 灯台から艦隊が見える恐れが出てきた。上陸は隠密にあくまでも無血でなくてはならない。故郷の人たちに被害を出してはいけない。焦ったクリスティンは、全力で光の刃を放った。


 その光をメルセデスの魔導障壁が受け止めた。しかしクリスティンの魔力は圧倒的だった。皿が割れるような音をたてて、障壁が砕け、彼の魔力がメルセデスの脇腹をえぐる。彼女の体は木の葉のように舞ってクラドダスの城壁に激突した。


「また、お皿を割っちゃった……。クリスティンに怒られちゃう……」


 メルセデスは意識を失った。 


「……これで終わりだ」


 そうつぶやいたクリスティンの横顔に朝日が当たる。


 十時。水平線の向こう側から、鋭い一筋の光が差し込んだ。朝陽は無慈悲に、瓦礫と血に汚れたテラスを照らし出した。


 美しい朝焼けの中で、二人の戦闘を見て、人々が集まってくる。上陸の時機を逸した西の連合の艦隊は接岸を断念した。夜明けの光の中でその姿を晒すのを恐れるように、ゆっくりと向きを変えていく。


 クリスティンは、城壁の窪みに埋まったまま動かない赤い人影を見下ろし、乾いた笑いを漏らした。


「あーあ、これじゃ始末書どころじゃすまないな……最悪だ」


 クリスティンは一度だけ舌打ちをして、震える足で歩き出した。西の連合の上陸という宰相府からの指令を果たすことができなかった。そのためにわざわざ、この街へ戻ってきたというのに……。だが、彼はクラドダスの住民の平穏を乱す帝国の魔女を排除したことには満足していた。


 遠くで警備隊の笛が鳴り、人々の騒がしい声が近づいてくる。城壁に叩きつけられたメルセデスは、意識の底で、ずっと何かの匂いを追いかけていた。それは少しだけ焦げたパンの、ありふれた朝の匂いだった。

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