4、春を待つ食卓
深夜、クリスティンは一人で考え込んでいた。西の連合、大公国宰相、独断、強行上陸。頭の中に浮かぶ言葉は、どれもメルセデスの淹れるコーヒーのように苦かった。
大公国政府の会議室を支配していたのは沈黙だった。西の連合が差し出した軍事介入という名の劇薬。その毒を飲み干してでも生き延びるべきだと公然と主張したのは、宰相オパビニア侯爵、ただ一人であったと言っても過言ではない。
政府も、そして前線で血を流す軍部も、喉から手が出るほどに西の連合の援軍を求めていた。敗北の足音はすぐ背後まで迫っている。しかし、目の前の援軍を受け入れることは、同時に、大公国を世界大戦という名の巨大な火皿に投げ入れることを意味していた。連合の正規軍がこの地に降り立てば、帝国とゴニアタイトは間違いなく全力でそれに応じるだろう。この国は、大陸の覇権を争う怪物たちが激突する、処刑場へと変貌してしまう。
さらなる暗雲が、リトセラス王国とヴァカムエルタ都市国家連合の頑なな中立だった。彼らが連合軍の通過を拒めば、救済の軍はどこにも辿り着けず、大公国はただいたずらに敵を刺激しただけのツケを払わされることになる。
だからこそ、オパビニア侯爵はメソライト伯爵と密約を交わしたのだ。それは、友邦たちの中立という平穏な盾を背後から叩き割り、無理やり戦火の中に引きずり出すという、あまりにも邪悪で、あまりにも切実な裏切りだった。
もし、この強行軍が成功すれば、戦況は根底から覆る。だが失敗すれば、大公国は歴史の地図から永遠に抹消されるだろう。オパビニア侯爵は大公国の首都の宰相府で震える指先を隠しながら、水平線の向こうからやってくる、平和の破壊者たちの到来を待っていた。
食卓の真ん中で、湯気を立てる大きなボウルから、クローブの香りが漂っていた。マーサが木匙を動かすたびに、煮込まれた根菜がぶつかり合う音がする。
「戦争なんて、早く終わればいいのにね」
マーサが独り言のように呟き、パンをちぎった。クリスティンは無言でスープを啜った。塩気が少し強く、舌の奥が痺れる。メルセデスは彼の向かいで、スプーンを持ったままじっと手元を見つめていた。
「……あ。ねえ、クリスティン」
「何?」
「戦争が終わったら、ここ、どうなるのかな。あ、お花見とか……できるのかな。その、お花、咲きますか?」
メルセデスの声は少し上擦っていた。クリスティンは一度手を止めて、窓の外の闇に目を向けた。一月のクラドダスに花などどこにもない。あるのは凍りついた人の住処と、暗い海だけだ。
「……そうだね。春になれば、ね。……ああ、でも。その頃には俺、大学に戻ってるかもしれないし」
「あ……」
メルセデスが視線を落とす。彼女の指先が、テーブルの下でスカートの布地を何度も握り直しているのが分かった。
クリスティンは、小さく丸められた包みを取り出し、彼女の横に置いた。
「これ。……あげる」
「なに……。わっ、マフラーだ。赤い」
「メルセデス、いつも寒そうにしてるから……。君には赤が似合うと思ったんだけど……、変かな」
「ううん、そんなことないです。赤は好きな色です。ありがとう。……でも」
「どうしたの?」
「……ごめんなさい。私、何も、用意してなくて……」
「いいんだよ。そんなこと」
メルセデスは、温かいマフラーを頬に押し当てた。、新品のウールの硬い手触り。クリスティンとコーヒーの匂いがした。




