1、迷い子のココア
大陸暦三四〇年一月。極夜が支配するヴァカムエルタ都市国家連合の港町クラドダスは、一日のうちわずか四時間しか陽が昇らない、氷と静寂の街だった。
「うう……もう、足が動かない……」
トランクの重みで肩がちぎれそう。雪の舞うクラドダスの街は、どこもかしこも石の壁ばかりで、温かい私の故郷とは大違い。
「あわあわ……」
漏れる吐息さえ凍りつく一月の夕暮れ。ついに私の膝は雪の上に折れました。
その時、ふわりと甘い、焼きたてのパンの香りが鼻先をくすぐりました。
「……たべもの」
ふらふらと吸い寄せられるように、私は路地裏の小さなカフェ「琥珀の灯火」のドアを押し開けました。でも、そこまでが限界。冷え切った身体に店内の熱気が急に入り込んできて、私の意識は真っ白に……。
「うわっ、ちょっと、大丈夫か!?」
低くて、すごく落ち着く声。それが最後に聞いた音でした。
次に目を覚ましたとき、私はふかふかのソファの上でした。目の前には、湯気を立てる温かなココア。そして、それを差し出してくれている、眼鏡をかけた若い男の人の姿がありました。
「気がついた? はい、ゆっくり飲んで。火傷しないようにね」
優しい手つきでココアを渡してくれたその人は、大学生のクリスティンさん。休みの間だけ、お母さんのマーサさんのカフェを手伝っているんだって。二十一歳のクリスティンさんは、私より四つも年上で、なんだかすごく大人に見えます。
「それで……君、名前は? どうしてあんなところで倒れてたんだい?」
「あ、えっと、メルセデスです! ちょっと海を越えて、運命を探しにきました!」
精一杯カッコつけてみたのに、その直後、私のお腹がきゅるる~と鳴ってしまいました。恥ずかしくて顔から火が出そう!
「あはは、運命より先に食欲が見つかったみたいだね」
クリスティンさんは困ったように笑うと、私の頭をぽんぽんと撫でてくれました。その手が大きくて、すごく温かくて。
「行く当てがないなら、ここで働いてみるかい?」
「本当ですか!? やったぁ、私、精一杯頑張ります!」
……でも、現実はそんなに甘くありませんでした。翌日から働き始めた私は、もう失敗の連続。「あわあわ……っ!」とお皿を割る私を、クリスティンさんはいつも「ドジだなぁ」と笑って助けてくれます。真面目で、仕事ができて、ちょっぴり過保護なお兄さん。リトセラス王国から国境を越えて辿り着いたこの場所で、私の心は、淹れたてのココアみたいにじんわりと熱くなっていくのを感じていました。




