幕間:LCOSでの修行
歓楽街許認可管理局地下の訓練場。
ルビーは凛とした立ち姿で、手にした指示棒をルナに向けた。
「これまで私の下で、よく頑張ってきましたね。あなたに必要な基礎的訓練……それらは全て終えたわ。けれど、今のままでは、ゴールデンプレジャーの街に飲み込まれる。……あなたの信念は、軽すぎるのよ」
「……私の信念が、軽い?」
「ええ。あなた自身の中で、明確に論理化されていないということ。だから、仕上げを行うわ。論理的戦闘視覚化システムLCOS(Logical Combat Objective System)……起動」
ノイズと共に、周囲が真っ白な無限空間へと変貌する。
「この空間では、言葉が刃となる。討論だけで戦闘を行うの。思考の純度がそのまま戦闘リソースの量となる。……私はLCOSのお陰でシンギュラリティに至ったと言っても過言ではないわ。設定や比喩を現実だと本気で信じ込める位の『狂気』、あるいは『信念』。それが欠けた言葉は、物理的な攻撃力を失う……。これはVR空間での戦闘に直結しているの。さあ、あなたの魂を削ぎ落として、何が残るか見せてみなさい」
ルビーが指先で空間を弾くと、ルナの目の前に巨大な「鏡」が現れた。そこに映るのは、荒廃した外地の風景。半導体資源の採掘のために掘り返された山、汚れた川。
「テーマ『あなたの信念』。……ルナ、あなたの経歴は読ませてもらった。あなたは両親を捨て、この輝かしい揺り籠に逃げ込んできた。……それはなぜ? 現実に嫌気がさし、理想郷を求めただけ? あるいは、自分の才能を正当に評価されない不満から、家族を捨てて正解の多い場所へと逃げたのかしら?」
「……違うわ。私は、あんな不自由な場所じゃなく、もっと……」
「言葉が弱いわね。あなたの攻撃は届かない」
ルビーの言葉が鋭い刃となって、ルナの思考を切り刻む。LCOSの空間で、ルナの制服はもはやボロ布のようになり、彼女の震える肩を隠すことすらできていない。精神的な防壁が崩壊し、彼女のアイデンティティは全裸に近いほど無防備に晒されていた。
「家族を守りたい? 被害者を救いたい? 嘘をつかないで。あなたは結局、親の反対を押し切ってエデンに逃げ込み、自分の居場所を正当化したいだけ……。あなたの正義の根底にあるのは、家族を見捨てた『後ろめたさ』じゃないの?」
「……っ、ああ……っ!」
ルビーの論理が、ルナの心の一番痛い場所を抉る。たった一人でやってきたエデン。そこで手に入れた今の地位。それらはすべて、故郷を捨てた自分への免罪符だったのか?
(……私は、何のためにここに来たの……?)
混濁する意識の中、ルナの脳裏に不意に一つの旋律が流れた。
まだ小さかった頃、必死に練習したピアノの音。
指が痛くなるまで鍵盤を叩き、何度も間違えては泣きべそをかいた。そんな時、家計をやりくりして月謝を払い、夜遅くまで練習に付き合ってくれた両親。
『上手になったわね、ルナ』
初めて一曲弾ききった時、母が包み込むように抱きしめてくれた手の温もり。父が誇らしげに頭を撫でてくれた感覚。
あの時、私が一番嬉しかったのは、音楽そのものじゃない。大好きな人たちが、私の成長を喜んでくれたことだ。
「……違う。……そんなんじゃない。……気付いたよ、教官」
ルナは、崩れ落ちそうになる体を、隣にいたワクの腕で支えた。
ワクの腕の確かな質感、自分を案じるデータの波流。それが、ルナに一つの確信を呼び起こす。
「……私は、成長したかったんだ。……自分自身でも誇れるような人間に……少しでも近づけるように。……だからエデンを選んだんだ。……パパとママのように愛を与えられる人になりたい!貰った愛を二人に返せるくらい素敵な人間になりたい!」
ルナの瞳に、炎が灯る。
論理により削ぎ落とされ残った感情。それは泥臭く、独りよがりな、エゴともいえる愛の定義。
「細かいことなんてどうでもいい。私の定義は……『愛を与えられる人になる』!!私を愛してくれた人たちを、今度は私の力で守り、幸せにする! ……全員まとめて!そして……」
ルナは真っ直ぐにルビーを見据えた。
「私に力をくれた教官……あなたもです。あなたも……私が愛する大切な人」
「――ッ!?」
――ドォォォォォンッ!!!
その瞬間、ルビーの体の内側から黄金のリソースが噴き出し爆発する。
愛する人への報恩という、原始的で無敵の推論。
ルビーが展開していた冷徹な規律は意味をなさず、内側からのその熱量の前に紙細工のように燃え尽きた。
「……っ、そんな……私までも……あああああッ!!」
ルビーの秘書服が、衝撃に耐えきれず一気に四散する。黒い布地がデータ片となって宙に舞い、絶対的な管理者だった彼女の姿が、一人の剥き出しの女性として晒された。
「……私の負け……ね。……論理を凌駕する『愛』の定義。……それが、あなたの本質だったのね」
ルビーは、露わになった肌を隠すことも忘れ、恍惚とした表情でルナを見つめた。
「……いいわ、ルナ。忘れないで。その『皆を愛する力』こそが、あなたの全存在の源泉よ。……たとえどんな闇に直面しても、その愛を疑わない限り、あなたは決して折れない」
修行を終え、二人はボロボロの姿のまま、深く頷き合った。
静寂が戻った空間で、ルナがふと自分の肩を抱きながら首を傾げた。
「……ところで教官。……この訓練、服が破れていく必要って……あるんですか?」
ルビーは少しだけ視線を逸らし、頬を赤らめながらため息をついた。
「……仕方ないのよ。……このシステムを作った時に、そう決めちゃったんだから」




