第8話:玄鳥至
ゴールデンプレジャーに雨は降らない。
しかしこの街は、いつも湿っていた。
立ち昇る熱気と、人々の吐き出す欲という名のノイズが、ネオンの光を乱反射させて黄金色の霧を作る。
「……ふぅ。」
燕 蓮司は、街の入り口にそびえ立つ朱塗りの大門――通称『羅生門』の柱に向け、一本のデジタル・シガレットを吸い終えた。
黄金の名を冠するこの街は、今日も淀んだ熱を孕んでいる。
「やめろッ!……ぐわぁッ!」
不意に、裏路地の奥から乾いた打撃音と、聞き慣れた若い声が響いた。
蓮司の眉が、わずかに動く。
路地の奥、古びた風俗店の軒先では、燕会の末端であるサブが、数人の男たちに囲まれて地面を這っていた。
男たちはエデンの高級なアバターに身を包んでいるが、その面構えは欲望で浅ましく歪んでいる。エデンでの抑圧を、外地の人間を痛めつけることで解消しようとする最悪な手合いだ。
「おいおい、ヤクザがそんな情けない声出すなよ。店の女の前で格好つかないだろ」
「オラッ、腐れヤクザッ!バグ同然の売女をどう扱おうが俺たちの勝手だろ! 邪魔するなら、お前ごとデリートしてやるよ!」
集団で暴行に及ぶ男達のうちの一人が、高価な攻撃用プログラムを展開し、光り輝く剣が生成された。
男は剣を振り上げる。
サブは店の女を背中に庇い、歯を食いしばって目を閉じた。
「……そこまでにしときな、エデンのお貴族様」
低く、通る声。
霧の向こうから、漆黒の着流しを揺らして蓮司が歩み寄る。
「あぁ? なんだお前は。……死にたいのか?」
男たちが一斉に蓮司を睨みつけるが、蓮司は一瞥もくれない。ただ、泥に汚れたサブの横に立ち、その肩を軽く叩いた。
「サブ、よく巣を守ったな。……後はいい、下がってろ。」
「……わ、若……。すんません、俺が弱いばっかりに……」
蓮司は静かに、腰に差した無骨なドス――『絶縁』を抜いた。
漆黒の刀身が黄金の光を吸い込み、冷たく、異様な重圧を放ち始める。
「やれ! 殺せッ!」
逆上した男達が、四方から高出力のプログラム剣を生成し、蓮司めがけて叩きつける。エデンの論理で組み上げられた、触れればアバターごと消滅する危険な剣だ。
だが、蓮司は一歩も動かない。
ただ、その『絶縁』を一閃させた。
キィン、という、物理現象では説明のつかない高音が響く。
「……な、なんだ!? プログラムが……消えた?」
男たちが驚愕に目を見開く。
彼らの手の中で光り輝いていたはずの剣が、まるで最初から存在しなかったかのように「無」に帰していた。蓮司のドスに触れた瞬間、武器とシステムとの『繋がり』が断たれたのだ。
「悪いが、あんたらと俺じゃ、繋がってる『縁』が違うんでね。」
蓮司は流れるような動作でドスの柄で男の鳩尾を突き、悶絶する彼らを冷たく見下ろした。
「……燕雀安んぞ、だ。あんたらエデンの住人(鴻鵠)にゃ、泥の中で生きてる俺たちの志なんて一生分からねえ。……だがな、ここを汚すってんなら、その綺麗な喉笛、俺が喜んで掻っ切ってやるぜ」
男たちは腰を抜かし、悲鳴を上げながら羅生門の向こうへと逃げ出していった。
静寂が戻った路地で、蓮司はゆっくりとドスを鞘に納める。
「若……。あ、ありがとうございます!」
「……気にするな。手当てして早く店に戻れ。……客が待ってるぞ。」
蓮司はそれだけ言うと、再び門の柱へと戻り、デジタル・シガレットを吸い出した。
一人の少年が、その背中を見つめて憧れの眼差しを向けていることにも、街のネオンがさらに深く黄金色を増したことにも、気づかないふりをして。




