第4話:歓楽街許認可管理局長
白磁の巨塔「警察本部」。その最上階にある本部長室は、街の喧騒から隔絶された静寂に包まれていた。
ルナは背筋を伸ばし、隣に立つワクと共に、重厚なデスクの前に立っていた。
「……以上が、学園内でのデジタルドラッグ『サファイア・アイズ』の蔓延状況、および教師サトーの精神汚染に関する報告です」
ルナの声は以前よりも低く、確かな力強さを帯びていた。報告を終えると、デスクの向こう側でエヴァ本部長がゆっくりと顔を上げた。
「……報告ありがとう。あなたの言いたいことは分かっています。……エマから聞いていると思いますが、これまでのあなたたちの捜査や異形との戦いのデータから導き出された『魔』の予測モデルは、今やエデンのメンタルケアシステムに完全に統合されました。異形化の発生率は、前月比で八割減少。これは多大なる成果です。純粋に感謝したい」
エヴァはそう言うと、椅子から立ち上がり、床から天井まで続く全面ガラス張りの窓際へと歩んだ。制服に包まれた背筋は、非の打ち所がないほどに真っ直ぐだ。彼女は眼下に広がる、秩序維持された美しい街の風景を冷ややかな視線で見下ろした。
「しかし、光が強まれば、そこから漏れ出す影もまた濃くなるものです。エデンでは今、新たな問題に直面しています。人間の中には、管理AIが提供する完璧なメンタルケアやエデン国産の清廉な娯楽だけでは、その内側に澱む悪意を抑えられない個体が存在する。……彼らは『清潔すぎる世界』を拒絶し、あえて毒を求めて動き出しました」
エヴァは振り返らずに、空中にホログラムのウィンドウを展開した。そこにはエデン国の監視網——その外側にある『管理外サーバー』へ不当にアクセスを試みる市民たちのログが、血のような赤色で点滅していた。
「彼らは管理の届かない闇のネットワークに手を伸ばし、自ら『サファイア・アイズ』を買い取っている。自制心の欠如、あるいは過剰な刺激への渇望……理由は様々です。彼ら本人だけであれば、何かあった時に隔離すればよいだけ……ですが問題は、通常のエデン国内の住民までもが興味本意で購入し、蔓延し始めたということ。これはもはや、国内のシステムだけでは根絶できない病巣なのです」
エヴァの話を聞きながら、ルナは高鳴る鼓動を感じていた。
本部長がここまで手の内を明かし、現状の限界を認めるなど、今までは考えられなかったことだ。それほどまでに自分たちの実績が認められ、戦力として数えられている証拠に他ならない。
(今なら……エデン国の外側、あの場所にも届くかもしれない)
希望に胸を膨らませ、ルナは期待を込めて一歩前へ踏み出した。
「ありがとうございます、エヴァ本部長。その信頼に応えるためにも、一つ提案があります。私とワクに、その病巣の源泉……歓楽街『ゴールデンプレジャー』の捜査をさせてください。今の私たちなら、その闇を暴き――」
デスクの向こう側で、エヴァ本部長はいつの間にか席に戻っていた。彼女は組んだ指の上に顎を乗せ、冷徹な双眸でルナを見据えた。
その視線は、ルナの「やる気」など路傍の石ほどにも価値がないと言わんばかりだった。
「不許可です」
エヴァ本部長の冷徹な一言に、ルナは息を呑んだ。
「……っ、どうしてですか! ログは見たはずです。ワクの反応速度も、私のプロンプト精度も、以前とは比べ物にならない!」
「個人の能力の話をしているのではありません。ルナ、あなたはまだこの国の『仕組み』を、そしてあの街の『真実』を理解していない」
エヴァが空間のホログラム表示を変化させる。
黄金色に輝く一画――『ゴールデンプレジャー』が赤く強調された。
「あの街は、エデン国における『感情の廃棄場』です。暴力、風俗、賭博といった、人間の原始的欲求が渦巻いている危険な場所。エデンのシステムが提供する『清潔な娯楽』だけでは自我を保てない不適合者たちのための、いわば必要悪の空間。……彼らがそこで毒を抜かなければ、現実世界での業務効率が著しく低下する。だからこそ、エデンもあそこだけは黙認しているのですが……」
エヴァの視線が、さらに鋭くなる。
「……最大の問題は、ゴールデンプレジャーが、エデンの管理するサーバーではなく、『外地』の規格で構築された地帯であること。……つまり、ここでは当たり前のミュートが機能しません」
「ミュートが……機能しない?」
「そうです。あそこで傷つき、ショック死すれば、現実世界の脳に修復不能なダメージを負う。そして、データ集合体であるパートナー……ワクがリソースを失えば、再構成は不可能。文字通り『消滅』します。……その上、あそこを取り仕切っているのは、指定暴力団『山田組燕会』。代替わりした現組長のプレイヤーも恐ろしい人物ですが、何よりそのパートナーが問題です」
「エデン危険人物リスト最上位。純粋な暴力のみでシステムの理を捻じ伏せる、最強の守護者。……今のあなたたちが遭遇すれば、一秒と持たずにデリートされるでしょう」
「それでも……!」
食い下がるルナに、エヴァは小さく溜息をついた。
「……いいでしょう。そこまで言うのなら、実際にゴールデンプレジャーで活動している者に判断してもらいましょう。ただし、彼女の承認が得られなければ、一歩も先へは進ませません」
エヴァが端末を操作すると、本部長室の側面のドアが静かにスライドした。
カツン、カツン、と硬質なヒールの音が静寂を刻む。
現れたのは、燃えるような赤髪ショート、眼鏡の奥に知的な、けれどすべてを見透かすような瞳を湛えた美女だった。
二十代半ば。コアが存在する胸元が開いたタイトなスーツに身を包み、手には革表紙の重厚な本を抱えている。
「本部長。お呼びでしょうか」
鈴の音のように冷たく、美しい声。
「紹介しましょう。歓楽街許認可管理局、局長。――ルビーです」
ルビーは、ルナとワクを値踏みするように一瞥した。
その視線に、ルナは思わず息を呑む。
「……あなたが、特例で警察権限を与えられたというプレイヤーですか。……噂通り、随分と危うい認識で動いているようですね」
「……っ、どういう意味ですか」
ルナの問いに、ルビーは表情を変えずに淡々と答えた。
「言葉通りです。あなたの構築している論理には、致命的な『隙』がある。その認識のままゴールデンプレジャーへ入ることは、自殺行為でしかありません」
ルビーは、法を司る局長として、ルナの立ち居振る舞いからその未熟さを即座に見抜いていた。
「テストを行いましょう。あなたたちが、あの欲望の巣窟に耐えうる『論理の盾』を持っているかどうか。……場所は、私の執務室です。来なさい」
拒絶の余地を与えず、ルビーは踵を返した。




