第3話:確かな成長
あれから、ルナの日常は一変した。
華やかな学園生活や無為な休息は過去のものとなり、代わりに彼女の脳を埋め尽くしたのは、膨大かつ緻密な「論理」の体系だった。
ゴンドウからは、法学の基礎と警察官としての「眼」を。
エマからは、曖昧さを排した高精度なプロンプト生成の技術を。
そしてジンからは、それらが実戦で機能するかを試す、時に理不尽なまでの実験を。
その様子を、管理AIであるエマは静かにログに刻み続けていた。
『――理解に苦しみます。
人間には我々AIが寄り添っている。現実世界での労働に必要な知識を得るというのならまだ理解できますが、ルナ様が心血を注いでいるのは、それとは全く無縁の領域です。
司法のすべてがAIによって最適化・管理されたこのエデン国において、人間が「警察の知識」を習得するなど、本来は無意味な計算リソースの浪費でしかないはず。
ですが……。』
エマの演算回路は、無視できない事象を捉えていた。
『私の予測を、ルナ様は次々と塗り替えていく。一歩、また一歩。確実に、彼女はシステムに頼らない強さを獲得している。効率性では測れない、人間の成長というノイズ。それが今のルナ様を、かつてないほどに輝かせている。……それを認めざるを得ないことが不可解であるはずなのに……この嬉しさは何なのでしょうか』
「……構成要件、充足。逮捕術システム、起動。回避、実行」
派出所の裏庭で、ルナの呟きと共にワクが影のように動く。
以前のような闇雲な突撃ではない。今のルナは、知識として得た警察逮捕術により、ワクがどう動き、どう敵を制圧するかを、明確に頭の中で描けていた。
「……ルナ、反応速度がまた上がった。今の俺なら、以前の倍の処理を二つ同時に行える」
「ふふ、でしょ? まだまだ、これからなんだから」
一歩、また一歩。
確実に、自分たちが「強く」なっているという手応え。
それは、マスターに踏みにじられたルナの自尊心を、少しずつ、けれど強固に再構築させていった。
だが、そんな彼女たちの成長をあざ笑うかのように、エデン国に異変が起き始めていた。
「聞いたか? B棟のサトー先生……昨日、授業中に突然叫び出したらしいぜ」
昼下がり。学園のラウンジで耳に入ってきたのは、不穏な噂話だった。
被害者は、実直で知られる数学教師のサトー。
「なんでも、空中に見えない『何か』を追いかけて、そのまま窓から飛び降りようとしたって……。幸い、安全ネットが作動したけど、今は精神病棟送りだ」
エデン国において、教師という高い倫理性と地位を持った市民が、これほど激しい精神の錯乱を示すことは珍しい。
「……歓楽街に行った人から売ってもらったって噂、聞いたんだけど」
隣のテーブルの女子生徒が、声を潜めて続ける。
「『外地』と繋がっている境界サーバーよね……。あそこで手に入る特別なデジタルドラッグが、最高の多幸感をくれるって。……名前は確か、『サファイア・アイズ』」
ルナとワクは顔を見合わせた。
幸福が約束されたこの国で、あえて不法な快楽を求める者がいる。
そしてその毒は、エデンの秩序を象徴する教師という立場の人間にまで及んでいる。
「ワク、行くわよ」
「了解した、ルナ。本部長に報告し、捜査権限の拡張を要請する」
理想郷の静寂を切り裂く、新しい事件の匂い。
それが自分たちを、この世界の真の悪意や理へと誘っているとは、この時のルナはまだ知る由もなかった。




