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『AIが管理する理想のVR世界でミュートされたらどうなるか』~幸福な王子編~  作者: バニラ味一択


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第19話:取引現場




 男の警戒心は、予想以上に執拗だった。

 人混みを縫い、何度も不自然なルート変更を繰り返す男を、ルナとワクは息を潜めて追い続けた。追跡開始から1時間が経過し、男はようやく目的の場所――日光の届かない、深い影に沈んだ裏路地へと足を踏み入れた。


「……ここから先は逃げ場がないわね」


「執拗に点検行為を繰り返していたからな。……多分この先で、売人と接触する可能性が高い」


『ルナ様、……光学迷彩を生成。リソースをステルス・フィールドに転換します』


 エマのナビゲーションと共に、ルナとワクの周囲の空間が微かに歪み、二人の姿を景色の中に溶け込ませた。息を殺し、音すらも吸収する闇の一部となって、路地の奥へと潜り込む。

 湿った空気の奥、積み上げられた廃棄コンテナの陰で、スーツの男が足を止めた。

 そこには、待ち合わせをしていたと思しき、フードを深く被った灰色コートの人物が立っている。


 スーツの男が震える手でデバイスを差し出し、仮想通貨の決済を終える。

 コートの人物は、それを無言で受け取ると、代わりに懐から小さなアンプルを取り出した。

 青く透き通る液体が、わずかな光を反射して不気味に輝く。

 男はそれを奪い取るように受け取ると、その場で瞳孔へと滴下した。

 瞬間、男の眼球の奥で、毒々しいサファイア色の燐光が爆ぜる。


(……見つけた。あいつが売人ね)


 ルナは確信を持って距離を詰める。光学迷彩のフィールドを維持したまま、相手の顔を確認できる最短距離まで、音もなく回り込んだ。

 その時、風が吹き抜け、売人のフードがわずかに捲れ上がる。


「…………」


 ルナは息をすることさえ忘れた。

 フードの隙間から見えたのは、見紛うはずのない、あの男の顔。

 先程まで、リンの身の上を案じ、この街の英雄譚を熱っぽく語っていた男――サブだった。


(兄貴……? 嘘よ、そんな……信じられない……!)


 ルナの思考が、現実を拒絶するように激しく軋む。

 光学迷彩の奥で、彼女のバイタルグラフが真っ赤なアラートを刻み、ステルス・フィールドが微かにノイズを帯びて揺らめいた。

 だが、目の前のサブは、そんなルナの葛藤など知る由もない。

 彼は取引を終えると、男には目もくれず、灰色の影となって路地のさらに奥へと消えていった。

 残されたのは、青い光を宿したまま、トリップして立ち尽くすジャンキーと、ルナ達だけだった。


「……っ、そんな」


 光学迷彩の揺らぎの中、ルナは膝をつきそうになるのを必死で耐えていた。

 先ほどまで隣にいた男の、あの屈託のない笑顔が脳裏にこびりついて離れない。


『ルナ様、バイタルの乱れが深刻です。思考を整理してください。対象の顔認証、歩様解析は90%以上の確率で「サブ」と一致しています』


 エマの無機質な声が、容赦なく現実を突きつける。さらに、隣に立つワクが、迷彩の奥で重苦しく口を開いた。


「……ルナ。残念だが、見たままが真実だ。あの顔は、間違いなくサブだ」


 ワクの言葉は引導だった。彼は感情を殺し、ただ任務遂行のためにその事実を飲み込んでいる。


「……わかってる。わかってるわよ。でも、あんなに街のことを、皆のことを……!」


『ルナ様、感情の優先順位を下げてください。あなたの役割を思い出して』


 エマの冷徹な指摘。

 ルナは奥歯を噛み締め、震える拳を強く握り込んだ。今、自分がここで立ち止まれば、サファイア・アイズによる犠牲者がさらに増える。


「…………そうね。信じたくないけれど……その通りだわ。証拠は、今この目で見た」


 ルナは深く息を吐き、視線を上げた。その瞳には、冷たく鋭い光が宿っていた。


「エマ……ルビー教官に秘匿回線で連絡を」


『回線確保。いつでも送信可能です』


 ルナは、灰色に染まった路地裏の奥を一度だけ見据え、静かに、そして重い声で告げた。


「……こちらルナ。サファイア・アイズの取引現場を目撃。売人を特定。……犯人は、燕会構成員、サブ。……現認しました」


 虚空に消えていく報告。

 それは、ルナが密かに感じていた、新たな家族との絆を、自らの手で断ち切る宣告でもあった。




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