第12話:燕の巣
「……おい、サブ。喜んでるところ悪いが、少し面貸せ。若が……『組長』がお呼びだ」
泡を吹いて倒れていたサブを、ザドが容赦なく蹴り起こす。その目は笑っていない。賭場を一瞬で荒らされ、メンツを潰された運営側の怒りが滲んでいた。
「ひぃ!? わ、若!? れ、組長が何で……?」
サブは青ざめながらも、仮想通貨の残高を見て、よく分からない自信が湧きでる。
「フフフ。ルナ!ワク!俺についてきな!」
サブは胸を張り、ルナとワクを伴って格闘場の奥へと進んだ。
アイアン・グラットンの巨体が沈んだリングを後にし、ザドに促されるまま、ルナたちは事務所の奥へと続く長い廊下を歩いていた。
窓の外には、ネオンの海が広がっている。
かつてAI技術が飛躍的な進化を遂げた際、エデン国と切り離された現実世界の外地は、一度死にかけた。
肉体労働はAIロボットに奪われ、貧富の格差は更に広がった。だが、皮肉にも人類を救ったのは、完全没入型VRデバイスの普及だった。
現実で職を失った者たちは、仮想空間(VR)の中での労働やビジネスに活路を見出した。経済活動の主戦場がビットの海へと移行したことで、現実世界の「紙幣」は紙屑となり、資産は仮想通貨が主流となる。
その変革は、ヤクザの存在意義までをも根底から覆した。
ヤクザの天敵である警察は、国家が体制の強化を諦め、選ばれた市民だけを収容する「理想国家エデン」の建国に舵を切ったため、外地の治安は完全に見捨てられた。
警察が消えた外地は、本来ならば、暴力の専門家であるヤクザにとって天国になるはずだった。だが、現実は違った。
闇バイトで自宅に押し入らせたところで金庫に金はなく、現実世界の歓楽街を支配しても足を運ぶ客はいない。
結局、ヤクザ自体も仮想空間(VR)内でシノギを行わなければならなかった。
しかし、現実世界では暴力の専門家であった彼らは、VR空間内でも同じであるとは限らない。
VR空間内における強さは、肉体の多寡ではない。
脳が痛みを認識する以上、暴力自体は通用するが、そこでの強さを決めるのは「意志の重さ」と「発想の応用力」だ。
小狡いだけのインテリヤクザや、AIを使いこなせない旧時代の荒くれ者は、VR空間に潜む「個の強者」たちに徹底的に淘汰された。
結果として生き残ったのは、皮肉にも「伝統」や「仁義」という、強固な精神的規範を持つ組織だった。
己の意志を「型」として研ぎ澄ませた者だけが、デジタル空間で圧倒的な質量を持てるからだ。
「……デジタルヤクザ、燕会」
ルナが小さく呟く。
国内最大規模の特定抗争指定暴力団「山田組」に属し、黎明期からVRでの活動を行い、仮想空間での脅しと用心棒稼業で成り上がった外地屈指の組織。
彼らは単なる犯罪集団ではない。法なき世界で、ヤクザの論理をデジタル上での力へと書き換えた、新時代の支配者なのだ。
廊下の突き当たり、重厚な黒檀のドアが見えてくる。
その向こうには、組織を束ね、エデンという国家にさえ背を向ける男が待っている。
「……さぁ、着いたぜ。粗相はすんじゃねぇぞ」
ザドが扉に手をかける。
ルナはパーカーのフードの下で、潜入捜査官としての仮面をさらに深く被り直した。
燕会事務所・組長室。
重厚な黒檀のドアが開く。
そこは、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返った、高級感と威圧感が同居する空間だった。
部屋の奥、大きなデスクに腰を下ろしているのは、冷徹な美貌を持つ男――蓮司。
そしてその傍らには、一切の隙を見せずに控える、抜き身の刀のような空気を纏った大男、鵺代が立っていた。
二人とも一見して『魔』は見えない。……いや、濃厚な『魔』が薄くオーラのような形で体表に纏われているのが分かる。
「……連れてきたか」
蓮司の低く鋭い声が部屋に響く。サブは部屋に入った瞬間に膝が笑い、ルナの背後に隠れるように縮こまった。
「ザドの賭場を一方的に荒らしたと聞いた。……特に、その犬型亜人の少年。鋼鉄外皮を内側から抜くとは、いい技を持っているな」
蓮司の視線がワクを、そしてその横に立つルナを射抜く。ルナはフードを深く被ったまま、エデンでの所作を殺し、外地の荒くれ者のように不遜に立ち振る舞った。
「……兄貴に勧められたから、戦っただけよ。文句があるなら、そこの兄貴に言って」
ルナが顎でサブを指すと、焦ったサブが喋りだす。
「ひっ、あ、あ、あの! 若! こいつらは俺が、その、将来の燕会を背負って立つ逸材として、スカウトしてきた……」
「サブ、今俺はこいつと話してるんだ。少し静かにしてくれよ」
蓮司の一言で、サブは文字通り凍りついた。
蓮司は椅子から立ち上がり、ゆっくりとルナの正面まで歩み寄る。傍らの鵺代が、わずかに反応する。
「……お前たちの目的は何だ。金か、あるいは……『サファイア・アイズ』か」
「……この街で生き残るための、居場所よ」
ルナは真っ直ぐに蓮司を見返した。
「……フン、居場所だと?」
蓮司は、ルナの不遜な視線と態度を真っ向から受け止め、意外そうに、そして愉悦を隠しきれないように口角を上げた。
「普通の奴等は、俺の前に立てば震えるか、媚を売る。……お前のように、俺の喉元を食いちぎろうとする目をした女は久々だ。そして、隣のガキも全く怯えてねえ。いい胆力をしてる」
蓮司は傍らに控える鵺代に合図を送る。鵺代は無言で、高価そうな一升瓶入りの酒を差し出した。
「お前らおもしれえな。組に入りたいか? なら、俺の『家族』になってもらうぞ」
蓮司は盃を生成し鵺代に酒をつがせる。そして、腰に差した漆黒のドス『絶縁』で、自らの指先を裂いて、盃に鮮血を一滴落とした。
「『盃血判』。……これを交わした者は、魂を繋がれる。この誓いは仲間を裏切らないためのものだ。……お前らはどこに居ようと、必要があれば俺の下に強制的に呼び出されることになる。もしも裏切り者であれば、俺が直接シメるためにな。……そのかわり、俺はお前らを同じ組の仲間、いや、家族として扱う。対等な血の契約だ」
ルナは、その盃を見つめた。
エマが脳内で、そのリソースの特異性を警告する。
『ルナ、これは強力な「強制帰還プログラム」を組み込んだ契約コードです。一度交わせば、蓮司の呼び出しを拒否することは物理的に不可能です。……リスクが高すぎます』
「どこぞのスパイじゃなければ迷わないよな?お前、俺の酒が飲めねぇのか?」
だが、ルナは迷わなかった。サファイア・アイズの証拠を得るためには、蓮司の懐深く、この死の輪に飛び込むしかない。
「いいわ組長。頂こうかしら」
ルナも指を切り、血を落とした。
盃を飲み干した瞬間、見えない鎖がルナの魂を縛り付けるような感覚が走る。
「……成立だ。今日からお前らは俺の家族だ、ルナ、ワク」
蓮司は満足げに椅子に深く腰掛けた。
「おい、サブ」
「ひ、ひゃい!!」
震え上がっていたサブが、弾かれたように直立不動になる。
「こいつら、お前の舎弟だったな。しっかり教育してやれ。ワクは犬型人間のパートナーだから何処でもいいが、ルナは一応女だからな……。とりあえずモモの所に用心棒としてつれてけ。モモには俺から言っておく」
「へ、へい……承知しましたぁ!!」
サブは冷や汗を滝のように流しながら、深々と頭を下げた。
ルナの潜入捜査は、これ以上ないほど強固な、そして死と隣り合わせの絆によって、燕会の中心核へと食い込んでいった。




