第5章:茶色い宝石と、暴走する箱庭
第5章【前書き】
前回、刑事・真田と「共犯関係」を結んだ佳乃。
今回は、彼女が初めて「庶民の味」を知るエピソードです。
牛丼屋で起きる事件と、そこで交錯する運命。
本編『ECHO』の根幹に関わる、最大の皮肉が描かれます。
◆ 2030年・牛丼屋の洗礼
「……茶色い。」
横浜駅西口、チェーンの牛丼屋『吉野家』。
オレンジ色の看板をくぐり、U字型のカウンター席にちょこんと座った佳乃(8歳)は、目の前に置かれた「特盛つゆだく」を凝視していた。
「文句言うな。これが日本を支える労働者のガソリンだ。」
隣で真田が紅生姜を山のように盛りながら言う。
「ほら、食ってみろ。冷めるぞ。」
佳乃は恐る恐るスプーン(子供用)ですくい、口に運んだ。
甘辛いタレ、脂の乗った肉、汁を吸った米。
蓮水家の専属シェフが作る繊細な料理とは対極にある、暴力的で、濃厚な味。
「……ん。」
佳乃の目が少し見開かれた。
「……どうだ?」
「……ギルティ(有罪)。」
「は?」
「体に悪そうな味がする。……でも、脳が喜んでる。」
佳乃は猛烈な勢いでスプーンを動かし始めた。
どうやら気に入ったらしい。
真田はニヤリと笑い、自分の丼をかきこんだ。
「だろ? 高級フレンチもいいが、人間たまにはこういう『ジャンク』が必要なんだよ。」
「……ジャンク。」
佳乃はその響きを噛み締めるように呟いた。
完璧に管理された日常にはない、雑多で、安っぽくて、でも熱い何か。
平和な食事風景。
しかし、その時間は店の壁面モニターから流れたニュース速報によって破られた。
『――ニュースです。現在、みなとみらい地区の自動運転バスが制御不能となり、暴走しています!』
◆ 暴走する箱庭
モニターには、最新鋭のAIバスが猛スピードで交差点を直進していく映像が映し出されていた。
警察車両が追跡するが、バスは巧みに進路を変え、まるで意志を持っているかのようにバリケードを突破していく。
「おいおい、またバグか? スマートシティ構想も前途多難だな。」
客たちが呑気に噂話をする中、真田の目つきが変わった。
「……場所はD地区。おい、あのバスのルート……」
真田は懐から警察無線(と偽装したタブレット)を取り出した。
「佳乃。……デザートの時間だ。」
「……まだお肉残ってる。」
「後で追加してやる! 貸せ!」
真田は自分のタブレットを佳乃の前にスライドさせた。
佳乃はモグモグと肉を頬張りながら、油で汚れていない左手の小指一本で画面に触れた。
「……アクセス、承認。」
一瞬で画面が切り替わる。
表示されたのは、暴走バスの制御システム内部。
「……変なの。」
佳乃が眉をひそめた。
「どうした? ハッキングか?」
「うん。でも、殺すつもりじゃないみたい。
……このバス、事故に見せかけて『連れ去る』つもりだよ。」
「連れ去るだと?」
「ルートが書き換えられてる。このまま海沿いの倉庫街……使われてない『第3埠頭』に向かってる。」
真田が舌打ちをした。
そのエリアは、最近ある新興宗教団体が非公式に集会を行っている場所だ。
彼らは「科学と信仰の融合」を掲げ、信者を集めている危険な集団だった。
「ターゲットは……『3列目右側の男性』。」
佳乃が指差した座席情報。
真田が素早く手元の資料と照合する。
そこに座っているのは、まだ20代前半の若者。国立脳科学研究所の若き天才研究者だ。
「……奴か。最近、『脳の潜在能力を解放する』とかいうトンデモ論文を書いて学会で干されかけてる若造だ。」
「……その論文、あの宗教団体が欲しがってるのかも。」
真田が推理する。
拉致して、その頭脳を「教義(奇跡)」の証明に使わせる気だ。
◆ ジャンクな正義
「佳乃! 止められるか!?」
「……やってみる。でも、相手もしつこい。」
佳乃はスプーンを置き、両手で画面を叩き始めた。
敵のハッカーは相当な腕利きだ。
佳乃がセキュリティホールを塞いでも、すぐに別のルートから侵食してくる。
「……粘着質。しつこくて、重たいコード。」
佳乃は不快そうに呟く。
敵の実力は、佳乃や、後に出会うミカゲほどではない。
だが、そのコードには狂信的な執念が込められていた。
「……でも、構造が古い。」
佳乃の碧眼が、敵の論理矛盾を見抜く。
「……そこ。右折信号の処理と、エンジンの出力計算、ズレてる。」
佳乃の指が加速する。
正面から力で押し返すのではなく、敵のコードの隙間に、ほんの数行の「ノイズ(ジャンクデータ)」を流し込んだ。
『システムエラー発生。安全装置、強制起動』
キキキキキッ!!
モニターの中で、バスが急ブレーキをかけた。
宗教団体の待ち伏せ地点まであと数百メートルという場所で、バスは煙を上げて停止した。
『止まった……! バスが止まりました!』
アナウンサーが絶叫する。
店内から「おおーっ!」と歓声が上がる。
◆ 最大の皮肉
「ふぅ……。ごちそうさま。」
佳乃はタブレットを真田に返した。
「よくやった。……流石だ。」
真田は安堵の息を漏らすと同時に、どこかへ電話をかけ、公安の実働部隊を現場へ急行させた。
カルト教団の企みは阻止された。若き天才科学者の身柄は、無事に警察が保護するだろう。
「……おっさん。」
「ん?」
「あのバスに乗ってた人、助けてよかったの?」
佳乃がふと、不思議そうな顔で尋ねた。
「当たり前だろ。人の命だぞ。」
「……そっか。なんか、あの人の周りだけ、未来のデータが真っ黒に見えた気がしたから。」
「考えすぎだ。天才ってのは大抵、凡人には理解できない色をしてるもんさ。」
真田は笑い飛ばした。
この時、真田も佳乃も知る由もなかった。
今日、佳乃がその指先で救った若き科学者こそが、後に「結城」と名乗り、記憶改訂技術を完成させ、佳乃たちの人生を狂わせる最大の敵になる男だということを。
「……すいません、牛丼並、追加で。」
真田の声が響く。
佳乃は追加された牛丼を見つめた。
ジャンクで、安っぽくて、中毒性のある味。
それはまるで、これから彼女たちが足を踏み入れる「善悪の区別がつかない世界」の味のようだった。
第5章・完
第5章【あと書き】
お読みいただきありがとうございます!
佳乃の「ギルティ」な牛丼デビュー、そして最大の伏線回でした。
まさかここで助けた相手が、将来のラスボス(結城)だったとは……。
真田刑事が良かれと思ってやったことが、結果として『ECHO』の悲劇を招いてしまう。運命とは残酷です。
もし「展開が熱い!」「伏線回収が楽しみ!」と思っていただけましたら、ブックマークや評価、いいね!をいただけると執筆の励みになります。
本編『ECHO』の方も、引き続きよろしくお願いいたします!




