6.名無しの転移者さん
こんこんと眠り、起きて、飯を食い、寝て、男は元気になった。ちゃんと目覚めてから二日と、回復は早かった。
「世話になった」
「もう少しかかるかと思っていた。強いな」
「ありがとう」
礼を言いつつも杖は手放さない男。
これだけ尽くしてきたのに警戒を解かれていないのがちょい不満ではあるが、まあ宝迷宮の中だし、仕方ないのかもしれない。
「ここは君の拠点だと聞いたが、君はなぜここに?」
「捨てられた」
ノアから、ここに人が来たときのための背景ストーリーは決めてもらっていた。俺が、転移者だとばれたくないと願ったからだ。
魔力が少ないことを理由に幼い頃に宝迷宮へ捨てられ、ここで育ち、冒険者から知識を与えられ、冒険者の遺品で育ったことにしたらいい、とノアから言われている。
ついに、この言い訳を使うときが来てしまった。
「いつから……」
「さあ。もう覚えていない」
捨てられるとしたら六から十歳くらいですかね、とノアは言っていたので、最大で九年前からということになるのだろうか。
そうは言ってもここ、カレンダーとかないし。俺は掲示板で暦や時間がわかるけど、それがなかったら何日経ったかなんて覚えていられない。なので何年経ったかなど覚えてない、で正解のはずだ。
背景ストーリーについては暇なときにどう答えるか考えたりしていたので(ちょっと恥ずかしい)、バッチリである。
『浄化』が使えるから汚れていなくても違和感はないはずだし、俺の肉体はこの三年で結構傷ついた。『治癒』で治すほどでもない手荒れや肌荒れ、その辺も加味すれば、俺は宝迷宮育ちの野生児として見てもらえるのではなかろうか。
三年も言葉をまともに話していないので、ぶっきらぼうになっちゃってるしね。
「帰ろうとは思わなかったのか?」
「どうやって?」
質問に質問で返した。
ここまで来た彼なら、この拠点の外がどれだけ厳しいか知っていることだろう。
俺だってね、この三年、のうのうと飯食って寝て、掲示板見てダラダラしてたわけじゃないんですよ。
最初の頃はかなり無理をしてしまって、死にそうになったこともある。無茶をすれば死ぬんだってことを、最初に意識したのは、そのときだった。
死なないために食糧を節約することを覚えた。それでも死なないために食べないわけにはいかないから、少しずつ外へ出ることを覚えた。
それで、これ以上進めない場所を見つけた。俺は挑んで、大怪我をして、もう無理だと悟った。
万にひとつの可能性にかけるようになった。いつか誰かが、ここに来てくれますように。ノアは無責任だから、信用ならない。俺をこんなところに勝手に放り込んでおいて、まったく気にしてなかったから。
力を求めておけばよかったと、後悔したってもう遅かった。
思い出し悔しみ!
軽く歯軋りしてため息をつく。はー、忘れよ、忘れよ。今はもしかしたらこの男が俺を連れていってくれるかもしれないのだ。その可能性を信じよう、すがろう。
ため息のように長く息を吐いた男が、ようやく杖先を少し下ろした。どうやら信用されたようだ。長かったなー。
まあ俺も嘘をついているので、多少疑われるのは仕方ないんだけども。信用されたらされたで、罪悪感が少々。
でもここで転移者です、と明かすほどには、俺も男のことを信じられていない。
「俺は街へ戻る。君は、共に来るか?」
「ついていってもいいのか。足手まといになるぞ」
飛びつきたいところだが、心中したいわけではないし、させたいわけでもない。この階層には不似合いに弱い俺を連れて、彼が街へ戻れるのかが気になった。
「問題ない」
男は言い、俺の手を取り、額へ当てた。
どういう仕草なんや……。何もわからん。握手じゃダメだったんか?
「俺はエリーク。君は?」
「俺は、」
あっ。
あれっ!?
俺って、もしかしなくても名前がないな!?
転移前の名前は全然覚えてないし、ノアから名を呼ばれた覚えもない。特に自分で自分を名付けることもなかったし、名前を書いたりする必要もなくてすっかり忘れていた。
名無しの転移者さん、まさにそのものじゃないか。
はく、と口を開け閉めした俺に、男――エリークは愕然とした顔になった。
「覚えていないのか……?」
あっ。そうか、推定十歳までは街にいた設定なんだから名前がないイコール忘れたことになっちゃうのか!
そ、それは痛ましいな……。我がことながらちょっと、なんか、愛称でいいから思い出せよと言いたくなってしまう。でも全然出てこないんだよなあ!
「好きに呼べばいい」
結局出てきたのは、憎まれ口のような言葉だった。
ああー。背景ストーリーまでちゃんと考えていたのに、肝心なところが全然だったなー。
エリークは街へ戻ると言ったが、俺の準備が出来ていなかったので、旅立ちには数日要した。
彼の看護に薬苔とか、食事にも使う塩や蜂蜜とか、結構消費してしまっていたのだ。看病していて狩りにもいけなかったので、干し肉や野草、キノコなども心許ない。
「わかった、俺も手伝おう」
「エリークは身体を休めているといい。まだ本調子ではないだろう」
「逆に鈍ってしまう」
エリークは狩りが得意だというので、無理をしないよう伝え、念のため拠点の迷子石も持たせて見送った。俺の方は近場で薬苔とかキノコを採ったり、マーモットを狩ったりするだけなので、迷子石がなくても問題ない。
採取を終えて帰ってきたら、見たことのない男が超でかい獲物をかっさばいていてびっくりしたよね。
エリークが髭を剃った姿だった。いや、ほんと誰?て感じだ。年は二十代前半くらいだろうか。思ったより全然若い。
ちなみに俺はまだ髭は生えません! ちょっと悔しい。
それにしても俺がびびって近づけないほどの大物魔物をつるつる手際よく解体していくのを、ぽかんと見守ってしまった。
いや、いや。何度か杖を向けられたり警戒されたりしていたけど、やられなくてよかった…! 超強いじゃん!
たしかに怪我はしていたけど、ここまでひとりでやってくるってただ事じゃないんだな、と改めて思い直す。
宝迷宮の魔物は、ゲームのようにドロップアイテムになったりしない。普通に普通の死体で転がる。それを解体して必要部位を取っていく。放置しておけばスライムや虫、それに宝迷宮が処理する。その速度は、元の世界では考えられないほど早い。手を離して半刻も置けばすべて消えてしまう。
最初は泣いたり吐いたりしたけど、今では解体もお手の物だ。肉を食べなくては、生きていけない。
見知らぬ人と大物の驚きで呆けていた俺も、あわてて解体を手伝った。
エリークのお陰で、直近の肉問題はあっという間に片付いた。俺がちまちまマーモットを狩るのなんか軽々飛び越えた物量だ。しかも一部は干し肉にする必要すらないという。
エリークの持ってる魔法鞄には、時間停止がかかったものがあるというのだ。なんという大物!
いやこれマジでエリークさんただ者じゃないんじゃない?
とはいえ、干し肉はスープの出汁に欲しい。道中、歩きながら齧ったりするのにも重宝する。そんなわけでお肉をちょっと拝借して、塩を刷り込み、ハーブをあれこれ混ぜて漬け込んで、干し肉を作成することにした。
その間もエリークは身体が鈍ると狩りをしたりしていて、俺はその様子を眺めつつ薬苔やキノコの採取に励んだ。
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【みんなで作ろう魔物図鑑!】
001 図鑑発起人
このスレはみんなで魔物図鑑を作ろうと試みるスレです。見かけた魔物、倒したことのある魔物についての情報を書き込んでいってもらえると助かります。
50レス毎にまとめを更新します
051 図鑑発起人
まとめ
スライム:
魔物……? 襲ってこないし、反撃もしてこない。倒しても魔核が小さすぎて発見できない。完全に無視して大丈夫。掃除屋でなんでも消化してしまうが、進化したり爆発的に増えたりもしない。もはや自然現象。なおテイムも出来ない。残念。
倒しすぎて問題が発生した事例がある。注意。
丸虫:
どこにでもいる丸っこい虫。スライムと同じく掃除屋。襲ってこないし反撃してこない。テイム出来ない。自然現象と思ってスルー推奨。
倒しすぎるとやはり問題が起きる。手出し無用。
マーモット:
実質、最弱の魔物。体長20センチほどの、ずんぐりむっくりしたネズミ。毛は薄く、意外と素早い。見た目は完全にアレだが食用として取引されている。尻尾が嫌いな人が多い。
思ったより会える魔物って少ないね!
55 名無しの転移者さん
そら俺らのレベルじゃまだ全然無理よ




