番外編:魔術師の弟子
魔術師の弟子の朝は早い――。
脳内でナレーションをしつつ、俺は乾燥させた薪を手に取った。鉈を振り下ろし、着火用の木片を作る。弟子になりたての頃は鉈を使うのも覚束なかったが、今となっては慣れた動作だ。
前日に灰の下に埋めておいた薪を引きずり出す。埋み火が残っていることにホッとしながら、木片を近づけた。尖った木片の先がちりちりと燃え始める。
もし火が消えていたら、火起こしから始めないといけないところだった。魔術触媒を使えばあっという間につく火も、手で起こすには時間と手間がかかる。しかしたかが薪に火をつける程度に、金のかかる魔術を使うものはいない。
火をつける魔道具もあるが、あれとて魔核を消耗する。庶民は購入しないものだ。
木片に移った火を竈に入れて、手を擦り合わせた。
「さむ……」
迷宮都市アウルムは西方諸国の北東、迷宮大森林のすぐそばに位置する。つまり、すごく寒い。雪だって降る。これまで俺が過ごしてきたのは南西の方だったから、この寒さは堪える。火って暖かいんだな、と初めて強く思ったのもアウルムへの旅の途中だった。
師の旅についてアウルムへ来てから、しばらく経った。
宝迷宮へ潜らされることもあるし、迷宮氾濫も一度経験したし、物価は高いし、いろいろあったが、迷宮都市はたしかに魔術師が暮らしやすい。
前に住んでいた街もそう捨てたもんじゃないと思っていたが、暮らしやすさでいえば段違いだ。蔑まれていたことに気がついたのは、過ぎてからだった。
師があの街へ戻ろうとしないのも、そのせいなのだろう。
俺の師匠は本人曰く六十代だが、見た目はせいぜい四十代にしか見えない。魔力が多いとそうなるという。師は色持ちだけあって、若々しい。
俺は魔術師を名乗るには魔力が足りないから、宝迷宮へ潜れとよく言われている。宝迷宮には魔力が満ちているから、長く滞在しているほど魔力が満ちるらしい。
師は軽く言ってくれるが、常に危険と隣り合わせの宝迷宮に長くいるなんて、正気の沙汰じゃない。こんなことなら転移の際に色持ちを頼んでおくんだったと思っても、後の祭りだ。
転移――異世界転移。
異世界の神ノアによって起こされた、世界を渡る奇跡。
俺は転移に際して何を願ったのか、実はよく覚えていない。転移者の中には記憶を持っていきたいと願ったものもいたようだが、俺はどうやら逆だったらしい。
すべてを忘れたいと願ったのだろう。自分自身がネガティブなたちだから、なんとなく想像はつく。新しい世界に行くのなら、元の世界の全てを捨てていきたいと願ったに違いない。
それでも俺のことだから、健康は願ったはずだ。健康な体と、それなりにいい頭。それから幸運。たぶん願ったのはその辺り。あとは全部忘れて、この世界へ来た。
突然の異世界に動揺して混乱して、人間不信を拗らせて野良猫のように逃げ惑っていた俺を、拾ってくれたのが今の師匠だった。
「お前、どうせ人間が嫌いなら、魔術師になるといい」
ロアーがなにかすらわからなかった俺は、なにもわからないまま一宿一飯の恩を返すべく、彼女の弟子になったのだ。
記憶喪失に異世界転移におおわらわだった俺が掲示板に気がついたのは、拾われてしばらく経ってから。なんなら大規模転移だったことすら忘れていた俺は、掲示板で転移の経緯を知った。
情けない話だがほっとした。俺だけじゃない、ひとりじゃないんだと。この世界のどこかに、仲間がいる。
掲示板に魔術について書き込み始めたのは、紙がなかったのも事実だが、本当は、誰かと関わりたかったからだ。いや、違う、仲良くなりたいとか、そういうんじゃなくて。
SNSの虚空に呟く感覚に近かった。電子の海に放流して、なんとなくみんなと一緒の場所にいることを知りたい、確かめたい、そういう。
だから建てたスレッドにそこまで反応があるとは思ってなくて、めちゃくちゃ焦ったりもしたわけだが。
どう対応すればいいかなんて、今でもわかっていないわけだが。
竈にかけた鍋に茸と肉と調味料を入れて、焦げ付かないようにかき混ぜる。火加減が難しくて、料理は得意じゃない。師の方がよほど料理はうまいのだが、弟子だから、と任されている。
俺の作る飯は不味いわけではないが、美味くもない。
いかん、落ち込んできた。俺はダメな人間だ……。それはわかっている。わかった上でどう生きるかが重要なのだ、と言い聞かせるが、思考の癖ばかりはどうにもならない。
全てを忘れるついでに、このネガティブな性質も忘れ去りたかったが、別人になるというのはそう簡単なものではないようだ。
「ティキ、鍋が焦げるよ」
「師匠。おはようございます」
「はいおはよう」
いつの間に起きてきたのか、俺から杓子を取り上げた師が鍋をかき混ぜる。
ティキ、というのは師がつけた名前だ。俺は何も覚えていなかったので、名前すら師につけてもらった。
味見して、俺に確認することなく味を整えていく師を横目に、俺は皿を取り出し朝食の準備をする。
「また何を落ち込んでいたのかしらないが」
「落ち込んでいません」
「お前のように慎重なものの方が、長生きするよ」
「落ち込んでいません」
「そういうことにしておこう」
師は人の話をあまり聞かない。
「今日は出掛けてきなさい」
「また唐突な。なにか買い物ですか」
「友だちと会ってくるといい」
「友だちじゃないです」
掲示板の面子とは何度か会っているが、友だちといっていいものかわからない。知り合い、くらいじゃないか? 友だちなんて言ったら図々しいと思われそうだ。
「友だちだよ。いいから、会ってきなさい」
「嫌ですよ」
用もないのに、どう訪ねろというのだ。向こうにだって、都合というものがあるだろう。それにどうやって会うんだ? 掲示板に会ってくださいとでも書くのか? 無茶をいう。
「泊まってるところはわかるんだろう?」
「わかりますけど……」
「なんなら一緒に宝迷宮に行ってきたっていい」
「絶対嫌です」
俺のような足手まといが一緒に行くなんて迷惑に決まっている。師はたまにとんでもないことを言い出すから怖い。
俺が断固として否定すると、師は呆れたように肩をすくめた。
「お前は考えすぎるきらいがあるのに、考えるまでもないと思うことが、人とはズレている」
「どういうことです?」
「もう少し周りを見た方がいい、ということだ」
思わずぐるりと周囲を見回すと、師は両手を上げて天井を仰いだ。
わかっている。
もう少し、周りと関わるようにしろとか、そういうことだろう。やろうとして出来るなら、苦労はしていない。
さてどうしようか、掲示板に書き込むべきかと迷って目を閉じると、師が言った。
「最近は来訪者を狙うものも減ってきたが、少しきな臭い話も聞いている。うちではいいが、外で『お祈り』をしてはいけないよ」
「わかっています」
思わぬ注意に、掲示板を開かず目を開ける。師は鍋をかき混ぜる作業に戻っていた。
『お祈り』というのは、俺が掲示板を見ているときの仕草だ。目を閉じないと見られないため、祈っているように見えるらしい。そのせいか来訪者は信心深いというのが、世間の認識なのだとか。
まあたしかに神の実在は信じているし、信心深いと言えなくはないが。
それにしても、きな臭い話とは?
来訪者――転移者の誘拐などは前から聞いていたが、また別件だろうか。詳しく聞きたいが、師は一度口を閉ざしたものについて、再び話す人間ではない。
やはり掲示板を開いてみようかと迷ったが、やめた。
来訪者についての噂ならば、当事者が同じアウルムにいる。すでに知っていたら教えてもらえばいいし、知らないのなら注意喚起になるかもしれない。どうせ師が会いに行けと言っているのだから、ちょうどいい。
今日は俺のスレに書き込んでくれている彼らと話してこよう。
そう決めて気合いを入れると、いつの間にか俺を見ていた師が楽しそうに笑った。
「なんです?」
「いや、かわいいなあ、と思って」
自分よりでかい男を見て何を言っているんだ。
師はときどきわけのわからないことを言うし、目が悪いのだと思う。
評価、ブクマ、リアクション、感想、誤字報告ありがとうございます。
続編は迷宮都市アウルムの話になる予定です。
そんなわけで個人的に書きたかっただけの魔術師1の話でした。




