番外編:旅の準備
エリーク視点の完結後の話です。
機嫌よさそうな鼻歌が聞いたことのない旋律で、エリークは思わず耳をそばだてた。
鼻歌の主は魔法鞄のブローチに手を当てて、目の前の空間から荷物をあれやこれやと出し入れしている。端から見ると、部屋型の整理は独特だ。
アスルが初めての都市外依頼をこなすことが決まったのは、昨日の午後。それからこの調子で暇さえあれば魔法鞄をひっくり返している。
「一週間後だよ」
「ん」
荷物整理には早いんじゃないかと言外に問いかければ、嬉しそうな返事があった。上機嫌のアスルを眺めて、まあいいか、とエリークは笑う。成人していても小柄な彼を見ると、大抵のことはまあいいか、と考えてしまう。宝迷宮に閉じ込められ、半生を過ごしてきた少年だ。楽しそうならばそれでいいか、とつい思ってしまうのだ。
少年、アスルと出会ったのは宝迷宮の奥地だった。負傷し、食料と魔術触媒も底をつき、迷うばかりだったエリークを彼は拾い上げた。
本人は頑なに否定するが、元は貴族であったろうことは端々から伺える。たとえば、今まとっている衣服だってそうだ。
アスルが選ぶ服はいつだって貴族の下がりだ。絹を選ぶことこそないが、質のいい綿や毛織りを好んでいる。手触りだけで探し当てるものだから、古着屋の主人も舌を巻いていた。
惜しむらくは体の大きさが追いつかないため、古着では子供服になってしまうことだろう。貴族の子供服は、女物として仕立てられていることが多い。これには西方諸国の、特に北方の貴族にある風習が深く影響している。
西方諸国の北方には迷宮大森林が広がっている。ここには魔女が住んでおり、男児を拐ってしまうという言い伝えが古くからあった。それゆえ北方の子どもはみな女児として育てられるのだ。庶民ではせいぜい五つ頃までだが、貴族となると十二、三までは続く。
アスルは自身が青頭巾ちゃんと呼ばれていることを微妙に気にしているが、その名の由来に衣服が影響していることにはまだ気づいていない。子供服はそういうものだと思っているから、気にならないのだろう。そうした無頓着さも貴族にはよくあるものだ。
「帰ったら服を仕立てようか」
「服」
「少し大きくなったようだから、新しく仕立ててもいいんじゃないかな。鎧下くらいはあった方が安全だ」
「俺、大きくなった?」
「うん」
たぶん。エリークは真実を言わないまま微笑んだ。
実際、鎧下は必要だ。さすがに革鎧を着るほどには体が出来上がっていないが、それでも防具を何も身に付けなくていいわけではない。後衛の魔術師とて装備はいるものだ。
魔術師のなかでも呪文使いは、咄嗟の接近戦に弱い。呪文による指向性のない魔術は範囲が広い分、どうしても発動体による魔術より威力に劣る。そこを突かれて狙われやすい。
宝迷宮ならば気にする相手は魔物だけでいいが、都市外となればそうもいかない現実がある。迷宮都市の外は魔物よりも人間が多い。
人間相手の戦い方をこの一週間で教えるつもりではあるが、はたしてその手を汚させてもいいのかは、エリークも悩むところだった。
本来なら貴族として、泥臭い魔物との戦いも経験する必要のなかった子だ。人を殺さず生きられるなら、その方がいい。
とはいえ冒険者として生きれば、いや都市外へ出て旅をするというならば、いずれ手は汚れる。己を殺そうとするものに躊躇ってしまうなら、そもそも旅に向いていない。
それでももしもアスルが厭うならば、彼を守るだけの力がエリークにはあった。都市の近くへ現れるような冒険者崩れ程度、徒党を組んでもたいした技量ではない。しかしだからこそ、経験を積ませるにはちょうどよくもある。
ギルドマスターの狙いもそこだろう。依頼主を人間からも守れるか。人間を殺すことが出来るか。冒険者として生きていくのであれば、殺す相手の種類にこだわりなど持ってはいられない。
「壁の外、楽しみ」
「何もないけどね」
「なにもないって、広い? 山ある? 森ある? 川ある?」
「山はないかな。よく晴れた日なら迷宮大森林の端くらいは見えるかも。川は今回は通らないね」
アスルの声はいつもより弾んでいるが、表情は相変わらずあまり動いていない。長年宝迷宮で孤独に過ごしたからだろう、この子どもは表情というものが抜け落ちている。なるべく笑いかけるようにしているせいか、最近になってようやく少し、和らいできた。
これだけ楽しみにしているのだからやはり盗賊相手は守ってやる方がいいのでは、と天秤が傾きかけるのを、いや冒険者なんだぞ、と理性が引き留める。甘やかして後で困るのはアスルなのだから、手を出すのは間違っている。
ふと息を吐いて、すっかり保護者じみてきたことにエリークは笑う。
あの日アスルと出会うまで、エリークは未来のことなど考えたことがなかった。夢破れ捨てられた日から時石の色は変わらず、冒険者にはなったものの立ち止まったままでいた。
どこまでやれるか、何が出来るかを探るだけが生きていく糧だった。今となっては肝が冷える無謀もよくやった。いつ死んでも構わなかったのだ。死ぬ気はなかったが、己を省みることもなかった。当時はそんなつもりもなかったが、振り返ればわかる。
エリ、と呼ぶ声を今でも思い出すときはある。けれどその傍に自分がないことを悔やむことはもうなくなった。
守るだけでは足りなかった。守りきれない未熟さがあった。騎士に足りなかった。それだけだ。
後悔することをもう知っている。
「簡単な護身術から始めよう」
「俺、戦えるよ?」
「人間相手の護身術だよ」
少し怯んだ目をした彼に、エリークは苦笑する。悩みはしたが、やはり守るばかりでは与えられないものも多い。ましてアスルは強い。きっと越えていけるはずだ。
「盗賊とか出る?」
「出るね」
「強い?」
「そうでもない。都市で暮らしていけない冒険者崩れが身を落としたものだからね。魔導具も滅多に持ってない」
「ん……」
アスルは少し考え込むように手を止めて、祈るように目を閉じた。たぶん長い祈りに入るだろう。
本人は否定しているが、流暢な神聖語を話す以上、彼が神殿育ちであることは間違いない。祈りの習慣があることも、それを暗示している。
アスルの祈りは深く長い。習慣づいているのか、起きてすぐと寝る前は必ず祈っているし、時間が空いたときにも一人でいるときは祈っていることが多い。外で長く目を閉じるのは危ないと注意しているのだが、習慣というのはなかなか取れないものらしい。聞き分けのいいアスルだが、これだけはなかなか治らない悪癖だ。
「魔導具の血統認証する」
「ああ、盗難防止に?」
「ん。自分だけでも、呪文で出来る?」
「出来るよ」
エリークが答えると、いそいそと指輪の血統認証を始める。祈りを終えると唐突に何かし始めるのも、いつものことだった。
祈りや瞑想をすると頭がすっきりして新しい考えがわいてくる、と言ったのはエリークのかつての主だった。アスルもおそらくそうなのだろう。
今は肩ほどに切り揃えられた水色の髪を眺めながら、エリークは過去を思った。
宝迷宮の底。大怪我と飢餓の中、それでも死ぬまで戦ってやろう、報われることがなくても。そう考えていたあの日から、あっという間だった。目指した果てに夢はなくても、それなりに楽しい日々を過ごしている。
エリークは目を閉じて、ほんの少しだけ神に感謝した。
評価、ブクマ、リアクション、感想、誤字報告ありがとうございます。
自分自身ではきれいに終わったつもりのこの物語でしたが、ありがたいことに続編を希望していただくことが多く、おだてられると調子に乗るタイプですので、続編を書くことにいたしました。
また更新が始まりましたら、読みにきていただければ幸いです。




