50.あけわたせ
俺がエリークを見上げると、彼は苦笑して俺の頭を撫でて、後ろへ押しやった。
そして、ソラリスの胸の宝玉へと手を当てる。
息を飲む音が聞こえ、エリークが手を離す。
「どうした?」
「いえ、さすが遺失物です。一瞬で予想以上に抜かれました」
「そうか。そこまででいいよ。無理をさせたいわけじゃない」
「いえ、もう少し」
エリークが触れると、透明だった宝玉がほんのりと桃色に色づいていく。
「……ここまでですね」
大きなため息と共に、エリークが手を離した。
「大丈夫?」
「ああ。アスルは無理せずすぐに手を離すように」
「ん」
魔力は多く使うと吐き気がしたり、頭痛がしたりしてくる。今でこそそんなことはなくなったが、白髪だったときは頭痛が友人だった。
あの頭痛を思い出せば、無理に頑張る気はなくなる。
そっとソラリスの宝玉へ手をかざす。もう少しで手が触れる、というときだった。
バチン、と大きめの静電気のような衝撃で手を弾かれる。
『異物』
頭の中で声が喚いた。
『異物、異物、異物、異物、異物、わたしのなかに埋め込まれた不測の種――異物』
宝玉に拒まれている?
そう思ったとき、突然手を掴まれた。
「兄上!?」
ソラリスが目を開き、俺の手を掴んでいる。思わず手を引こうとしたが、今まで寝ていた病人とは思えないほどの強い力で固定されている。
ソラリスの桃色の瞳が俺を見て、口を開いた。
「異物」
掠れているが、たしかな声だった。
「不測の種、わたしのなかに埋め込まれた異なる因果。お前を殺し損ねたことが、わたしの失敗だ」
「兄上、何を……?」
「糧となれ、異物」
宝玉だ。
『睡蓮の宝玉』が寄生主の口を借りて喋ったのだ。
ぞっと背筋に冷たいものが走った瞬間、手を引っ張られ、宝玉へと引き寄せられた。
「ッ!!」
火傷しそうなほど、それは熱かった。
凍りつきそうなほど、それは冷たかった。
熱と冷気が動脈と静脈へ同時に流れ込んでいくような、痛みだった。
「アスル!」
「兄上、お止めください!!」
エリークとルナリスが俺を宝玉から引き離そうとするが、ソラリスは恐るべき強さで俺を離さない。
魔力が引き抜かれていく痛みは手のひらから全身へと走り抜けていき、やがて目蓋の裏をチカチカと瞬かせた。視界に閃光し、鋭い矢となって頭蓋を貫く。
あまりの激痛に勝手に涙がこぼれた。
脈打つ拍動で胃が煮えるように熱く、吐き気が込み上げる。しかし息すらもひきつって、えずくことも出来ない。
痛い。
いたい、いたい、いたい、いたい。
ふと、わずかに痛みが和らいだ。
「エ、リーク」
エリークが共に、宝玉を掴んでいた。吸われる魔力が減ったのだ。エリークが、同じ痛みにさらされている。
だめだ。
エリークはさっきも魔力を吸われていたのに。
なんとかしなくては。
考えろ。痛い。
考えないと。痛い。
痛い。頭から血が吹き出てるんじゃなかろうか。
(血)
――少し痛みますけど、魔法鞄の登録には必要なことですので。
(血だ)
魔力による所有、血による契約。血統認証、宝物を己のものにする方法。
所有者を、上書きする。
俺はふるえる左手で腰のナイフを抜いた。失ったダガーの代わりに、あの日のナイフをずっと使っていた。
それを逆手に握り、指を傷つける。ナイフが血に滑り床へ落ちた。音が遠く聞こえる。
あたまがわれるようにいたい。
気力を振り絞って、流れる血を宝玉へと滴らせる。
「エリーク、手、はなす」
「だが」
「だいじょぶ」
俺は知っている。
宝迷宮についてなら、詳しいんだ。
導いてくれる糸があるから。
蜘蛛の糸のように、俺を助ける道が見える。
その糸を辿って、魔力を伸ばしていく。
俺の魔力を奪っていく流れを利用して、一番奥まで、深くまで辿り着く。
鍵をあけるように。
ささやく。
「あけわたせ」
その瞬間、泣きわめく声と、眠る子どもの幻影を見た。
――なんだ、これは迷宮の子なのか。
別に奪い取ったりしないのに。
ああ、でももう奪ってしまったのか。
ごめん、ちゃんと返すから。
手を離された瞬間、悲鳴のように名を呼ぶ声を聞きながら、俺はついに意識を手放した。
そんな超やばい激痛から一週間、俺はベッドの住人になった。五日ほどまったく目を覚まさなかったらしい。
起きたらエリークのくたびれた顔があって、大変びっくりした。寝て! 休んで! ちゃんと食べて!!
目覚めた俺の手のひらには、ピンクのつやつやした宝玉がある。
やあどうも、遺失物です。
じゃねえんだよなあ!
魔力を注ぎ、血を注いで、呪文を唱えた結果、『睡蓮の宝玉』は俺の物になってしまった。
いや困る。
なにが困るって、こんなもんついてたら普通に道歩けないじゃん。魔力吸われるし、いいことなんて何ひとつない。
ルナリスは俺を養子にとって新しい迷宮公として迎え入れようとか言い出すし、いやいやいや、貴族こええよ。もうやだよ、俺は成り上がりなんて向いてないんだよ!
絶対二度と指名依頼なんて受けない!!
「冗談だよ。君の体調が戻ったら、私に譲渡してもらうから安心して」
「貴族の冗談こわい」
「ごめんね」
エリークは「俺はどちらでも構わないよ」とか言っていて、こういうときは味方してくれないんだ、と驚いた。
ちなみに体調が悪かったのに俺が目覚めるまで無理をしていたエリークは、今は寝ている。
俺はといえば目覚めて二日は経ったもののまだ本調子ではなくて、すぐうとうとしてしまう。魔力が足りないときは眠くなるものだそうで、体の欲求に逆らわないように、と俺を診察した医師は言っていた。
ソラリスが寝ていたような大きな天蓋付のベッドに、少しだけ体を起こして横になっている。
「体調はどうだい?」
「ん、いい」
「よかった。医者ももう少ししたら、譲渡しても大丈夫だろうと言っていたよ」
「ん」
ルナリスはそう言って、俺のベッド脇の椅子に腰かけた。
たしかにこうしてみると、最初に見たときより髪の色が濃くなったのがわかる。あの暇な一ヶ月は、彼にとって無駄ではなかったらしい。その代わりといってはなんだが、顔色はあまりよくないように見える。
正式に次代と決定したわけだし、きっと忙しいのだろう。
こんなところで油を売っていていいんだろうか。ルナリスを見上げると、目があった。彼はふと顔を和らげて、俺の投げ出している手を取った。
「エリークはね、」
ルナリスは眩しそうに俺の手の甲を撫でる。
「元は、私の騎士になる予定だったんだ」
生まれは孤児ながら才気を示し、学院を推薦で入学した平民で、誰より優秀だった。騎士科に入って従騎士になり、アウルムの迷宮氾濫で功績を上げた。
やばいエリートですねエリークさんや。
「エリークとは神殿で出会った。私が色無しだった頃に」
小さなふたりは身分の差など気にせず出会い、幼馴染みとして仲良く過ごした。
そして約束した。
いつかルナリスは迷宮公となり、エリークはその騎士になる。
けれど約束は果たされなかった。
ルナリスたちが成人する二年前、迷宮公になるのは兄のソラリスと決まってしまった。
「最後まで足掻こうって、皆を巻き込んで宝迷宮へ行ってね。そう、この間みたいに、出来るだけ長い時間滞在してみようって。あのときは大目玉を食らったな。みんな怪我をしたしね」
なつかしむルナリスの横顔はやわらかく、けれどかすかな影がにじむ。
「……だから、手放したんだ。迷宮公になれない私の隣に、騎士はいらないと」
その決断を、エリークがどう受け止めたのかはわからない。
結果的に騎士を目指していた少年は、その輝かしい経歴に背を向け、冒険者へと転じた。それまで邁進してきた剣の道を捨てて。
「今更、あの頃捨てた夢がかなっても、もう全ては過ぎ去ったあとなのに」
ルナリスは俺の右手の、ピンクの宝玉のまわりをそっと撫でた。
ちょっとその境目、自分でも気持ち悪いので触らないでほしい。ぞわっとするのだ。
「君が羨ましいよ。君は自らの力で宝玉の主となり、エリークの主となった」
えっ。俺、エリークの主なの?
なった覚えがさっぱりないんだが。
混乱しつつも、俺は考える。
「よくわかんない、けど」
「うん?」
平民と貴族ってすごい差があるわけじゃん。
それを埋めるべく努力して、狭き門を抉じ開けて、騎士になるための功績を積んで。
「ルナリスさま、騎士、持ってた」
迷宮公になれなくたって、護衛の騎士は持っていた。ロッドがいた。他にも、護衛の騎士は何人もいたじゃないか。
「なんでエリークじゃ駄目だった?」
「彼の主になるには、私はふさわしくなかったよ」
「自分の問題じゃないのは、どうしようもない」
そりゃ、騎士になる道もあきらめるよ。だって一緒に夢見てくれるひともいなくなったわけだし。
努力の果てにいらないって言われたのはかわいそうだ。
元より身分が違う。
我慢してきたことだって、たくさんあっただろう。
「ルナリスさまは、わがままだ」
俺が言うと、ルナリスは虚をつかれたように顔をあげた。
エリークが全てを捨てて冒険者に、魔術師になったのは、きっとそれ以外に迷宮都市と――ルナリスと繋がっている方法がなかったからだろう。
何もかも捨てなくたって、優秀な彼には他の働き口だっていっぱいあったはずなんだからさ。
そういうとこ気がつかないで、捨てられたみたいな顔してんのは、なんだかな。
「……そうかもね」
俺の拙い西方語じゃ百分の一も伝わらないんだろうけど。
わかったようなこといってるけど、俺だってエリークの本当の考えなんてわからない。
実際のところは、聞かないとわからない。いや、聞いてもわからないかもしれない。人間は嘘をつく。俺だって嘘をついてる。
それでも、話さなきゃ始まらないことってあるよな。




