4.ノアの預言
掲示板でわいわいしているのを眺めていると、街の暮らしが羨ましくもある。しかし、街は街で結構大変らしいというのもわかっている。
転移者はやはり無駄に恨みを買いやすく、時に騙されたり、排除されたりして、世知辛い。この世界に慣れない転移者に非があったことも、もちろんあった。それは掲示板で共有されて、気を付けられたりしている。しかしそれでもなお、難しいらしい。
強きものは、富めるものは恨まれる。どうしても仕方ないのだろう。最近では、モテてつらいわーなどと流されている。
一ヶ月後の自我の定着率は一割を下回る。そう聞いていたけれど、掲示板を見る限り、利用者が大幅に減ったとは思えない。
ノアも驚異的な定着率、と舌を巻いていた。
そう、ノア。
なぜか俺は今もノアとお話が出来ている。
掲示板で。秘密裏に。
管理者特典、というやつだろうか。
実のところ俺は、掲示板を作ってもらっただけで管理もなにもしていないのだが、管理者ということになっている。俺の魔力を捧げて作られたものなので、俺の所有物という扱いになっているらしい。
実際の管理は、ノアがやっている。
ノアは掲示板に異様に興味を持ち、今では隅々まで監視しているようだ。
掲示板も初期は、犯罪の相談とかにも使われていたみたいなんだよね。あの店にいる可愛い子を誘拐しようとか、そういうだめなやつ。しかし今はなくなった。ノアがどうにかしちゃったらしい。そういうスレやレスは、俺もよく知らないうちに消えてる。
掲示板では管理者が見回ってる、て話になってるけど、正体は俺じゃなくてノアだ。俺は他人の書き込みを削除しようとか、ちょっといろいろ考えちゃって、無理。
ノアにも一応、俺の管理下にあるものを勝手に弄っているという罪悪感はあるらしくて、どういう書き込みを削除したのか丁寧に教えてくれる。まあひどい書き込みが多いので、むしろありがたい。
そしてその管理用報告に紛れて、ときどき話しかけてくる。
今日もそうだった。
『あなたの拠点近くに人が来ています』
「は!?」
思わず声を上げてしまい、さっと口を閉じる。大声を出すのはよくないんだ。安寧の間には魔物が近づかないとはいえ、そばまでやってくることはある。まして迷宮変動があったばかりだ。ここを出てすぐ大型魔物と鉢合わせなんて、したくない。
思わず天を仰ぎ、ちょっと深呼吸して、落ち着いてから続きを読む。
『食物が不足しているようです。怪我もしています。悪人ではありません。うまくやれば、街まで連れていってくれるかもしれません』
(うまくやるって、どうやるんだよ!)
今度は頭を抱えてしゃがみこみ、もう一度、深呼吸。
いきなりすぎる。
いきなりすぎるが、いつかこういう展開がないかなあ、と考えていたことでもあった。
何せ俺はちょっとは戦えるとはいえ、本当にちょっとなのだ。ノアから落とされた拠点からほんの数階層しか動けていないのだから、推して知るべし。
敵が強すぎるんですけど!
俺が成長して宝迷宮の外へ旅立っていく未来は思い描けなくて、だから、いつか出ていくとしたら誰かがここを訪れてくれる以外に、ないんじゃないかって。
つまりこれは、千載一遇のチャンス。
逃すわけにはいかない。
「目覚めよ」
薄暗い宝迷宮の中、光膚の魔術触媒を手に『灯明』の魔術を呼び覚ます。目覚めた光は俺の手のひらにふわりと浮かび上がった。
息を落ち着けて、確認しながら部屋を出る。ここを出れば、危険な世界が広がっている。
ちょっと潔癖の気があるノアの「悪人ではありません」を俺は、信じるぞ。
そっと、一歩を踏み出した。
いや、近くってどこよ。
スケルトンを回避したり、巨大魔物と鉢合わせしないようにぐるぐるしつつ。
途方に暮れそうになった頃、件の人影を発見した。
見たところ、ひとり。
片足を引きずり、全身が血にまみれた異様な姿をしている。思ったよりはるかに怪我の程度が重いぞノアさんや。応急処置しか出来ない俺に多くを求めないでほしい。いや、返り血かもしれないけどさ。
とはいえ、見なかったふりはもう出来ない。出会ってしまった。見つけてしまった、俺を救ってくれるかもしれない人を。
あえて砂利を踏み大きな音を立てると、男が俺に長い棒を向けた。たぶん発動体だろう。杖型があると掲示板で見たことがある。
ということは、魔術師か。
「人…?」
杖を構えたまま、男が信じられないように声をあげる。
あ、よかった、言葉わかる。
言語はノアから、三ヶ月後にそのときもっとも話した言語に固定されると聞いていた。俺はどの言語に固定されるんだ日本語じゃないだろうな、と戦々恐々としていたのだ。
しかし日本語じゃない言葉がわかるってことは、この世界の何らかの言語に固定されているんだろう。
でもどうしよう。何を言えばいいんだ。
こんにちは? いやそんなわけないな。この状況で挨拶は狂気だろ。じゃあどう言えば!?
「休めるところ、ある」
悩んだ結果、結論から伝えることにした。敵意はないが、相手が杖を下ろさないので俺も手は下ろさない。死にたくはない。
「ついてこい」
そういって踵を返す。言ってから偉そうだったな、とちょっと反省する。
いきなり現れた水色の長髪の偉そうな青年ってちょっと信用ならない存在じゃない? 我ながらどうかと。
髪くらいこまめに切っておけばよかったかな。一回髪を切ろうとしてざっくり手をやって以来、髪は伸ばしっぱなしで来た。今では腰まである。もちろん邪魔なのだが、ざっくりがトラウマで髪が切れない。ハサミないし。
後ろから撃たれたらどうしよう、とか、着いてこなかったらどうしよう、とか結構ドキドキしているけど、足は小走りだ。だってここ、魔物が出る場所なんですよ! 長居はしたくない。俺だって命は惜しい。
俺の部屋、拠点の方角は方位磁石のような、迷子石という魔道具でわかる。ふたつ一組で、片方の位置がわかる仕組みだ。子どもやペットの迷子札代わりに仕込んだりする。ノアからもらった備品に入っていた。
片方を拠点に置いてあるから、離れても拠点の位置がわかる仕組み。
拠点へ帰ってきた。
出しっぱなしの荷物をさくさくと魔法鞄へ仕舞っていく。人が来るのに散らかしっぱなしにするわけにはいかないからな。
それから掲示板の知識を元に作成した傷薬と、『治癒』の魔術触媒を用意する。応急処置しか出来ないが、ないよりはマシだろう。ノアの言葉によると、彼は物資が足りてないようだし。
おそらく、彼は迷宮変動に巻き込まれたのだろう。一緒に遭難なんてことにならないといいんだが。ノアの言葉を信じるしかあるまい。
準備をしている間に、男が拠点へ到着した。
「ここは魔物が来ない。そこへ寝たらいい」
空けたスペースで寛ぐよう手で示すと、男が俺へ頭を下げた。
「安寧の間への案内をありがとう、邪魔をする」
「どうぞ」
ぐっ。近くなると結構な異臭が。血と汗と獣臭が混ざって、く、臭い!
俺は思わず、男に向けて『浄化』の魔術触媒を撒いた。
「っ!」
「目覚めよ」
男の杖が俺の喉元へ触れるのと、『浄化』の効果が出るのは同時だった。
び、びっくりした……。いや、そうか、魔術触媒を撒くのって敵対行為になり得るのか。うっかりしてた。
一瞬すごい眼で睨まれたが、今はぽかんとしている、男の顔を見下ろす。
さっきは汚れていて全くわからなかったけど、きれいな緑の目をしている。あと金髪。無精髭が邪魔して目元しかわからない。年齢も全然わからん。宝迷宮になんて潜ってるんだろうから、若いんだろうけども。
眺めていると、男は濃緑の眼を伏せた。
「すまない」
杖が引かれる。よかった、許された。
「まずはゆっくり休むといい」
久しぶりの人との対話だ。何を話していいかわからなくて、いや、俺と話すよりとりあえず寝たいよな、とか考えてしまって、なんだかぶっきらぼうになってしまう。
「……ありがとう」
男が言って、その場に腰を下ろす。ため息をついた。安堵であればいいが。まもなく彼はその場へ転がり、眠りについた。限界だったんだろうな。




