1.大規模異世界転移、掲示板つき
目を開けると森のなかにいた。目の前には見上げるほど大きな樹があって、爽やかな風が吹く。
「えっ?」
なんだこれ。どうしてこんなところに。今まで――にいたはずなのに。え、あれ、どこにいたんだっけ。
噛みつかれたように頭が痛む。鋭い痛みに思わず膝をついて、草の上に手をつける。その真っ白な手。
これは誰の手だ。俺はこんな手をしていたか? いや、していなかったはず。あやふやだ。視界が虹色に歪む。混乱に呼吸が荒くなる。
――おれはだれだったっけ?
「落ち着いてください」
背中に暖かい手が触れた。
「ゆっくり息をして。私の話を聞いてください」
顔を上げると、見たこともないほど美しい人がいた。一度見たら忘れられない美形。性別を、いや人間すら超越したような美しさ。息をのみ、一瞬なにもかもを忘れた。
それが俺たちを異世界へ送り込んだ神、ノアとの出会いだった。
大規模異世界転移。
異世界の神、ノアが告げたのはラノベでよく見るやつだった。
ちょっと違うのは、俺たちは別に死んだわけでも、召喚されたわけでもなくて、なんなら俺たちの体は今でも現実で動いているらしい。つまり今の俺は、本体から分離されてしまったほんの一欠片、であるというのだ。
だから記憶がなく、なんとなくの自我だけが存在する。
「より正確にいえば、あなたたちは私たちの世界に映った影なのです。あなたたちの世界の光がわたしの世界を照らして、そこに落ちた影。あなたたちにあるのは自身が存在していたという自我と、おぼろげな姿形の記憶だけでしょう」
言われてみればたしかに、今の白すぎる肌はおかしいという感覚はある。具体的にどういう容姿をしていたかは思い出せないが、少なくとも俺には黄色人種だった記憶がある。しげしげと真っ白な手を見ていると、ノアは事も無げに言った。
「あ、今の体はお話しするための仮のものなのであまり気にしないでください。あなたの新しい体は、後ほど世界に馴染むように作り上げますので」
「作る」
「今のあなたの自我がきれいに収まるような形を作ります」
「はあ」
神だというだけあって、軽々と仰る。
この神は美しいけれど話し方に威厳というものがなくて、余所見していると普通の青年にしか思えない。なんだかアンバランスだ。
「大規模異世界転移って言ったけど、ここには俺ひとりしかいませんが」
「ご案内はあなたで1048人目です。2500人お呼びしたので、もうすぐ折り返しですね」
「2500!?」
大量すぎやしないか。
「先日わたしたちの世界に日蝕があって、あなたの世界の影が落ちたのです。たくさんの光を、あなたたちの形を写し取れました」
「そんなに大量の人間が出現したら、そっちの世界だって困るんじゃないですか?」
「あなたたちは自我と形の記憶しかない脆弱な存在です。肉体を与えても安定するかわかりません。おそらく1%ほどしか定着できないと考えています」
「おっ、おお」
そうか、消えてしまう可能性があるのか。しかしそれにしても二五人。多いような、少ないような?
「一ヵ所に降ろすわけではありません。あわせて二七六ヵ所を想定しています。それに、さまざまな形態を用意しています」
更に転移、転生の両方を考えているようだ。それなら時間もずれるからあり、なのか…?
「そもそもどうして、転移させるんです?」
「わたしたちの世界はいま、魔素が有り余っているのです」
ノアの説明を簡略化するとこうだ。
ノアの世界では魔素という、生命の素がある。それがたくさんあると、魔物が生まれてしまう。魔物は生まれると食いあってどんどん大きくなり、人の生息圏を荒らす。
魔素があると魔物がどうして生まれるかというと、世界には魔物の「形の記憶」があって、それに魔素が入り込んでしまうから、らしい。
そこで俺たちが持つ「形の記憶」を利用して、魔素を大幅に削ろうというのが今回の大規模転移であるらしい。
「これまでにもこういうことはあったのですか?」
「何度か。一時的にでも送り届ければ、魔素は形を取って安定するのです。自我が消えてしまうとしてもそれは人の魔素となって、魔物にはならない。けれど定着率はやはり悪いので、何度も必要になります」
う、ううん。
転移したら自我が消えてしまう可能性もあるよ、といわれるのはなんだか大変困るというか、どうしていいかわからない。
「この説明、みんなにしてるんです?」
「聞かれた方には正直にお話ししています。下手に隠すと拗れてしまいますので。その結果転移を見送った方もいますが、仕方ありません」
「見送った場合はどうなるんです?」
「元よりあなた方はわたしの世界へ映った影で、魂を持っていませんので、そのまま消失するだけです」
ドライ。
どうせ消えるなら残る方にかけたいのが生存本能だろう。
そんなわけで、転移である。
転生もあるといわれたが自我の定着率が転移より悪いらしいので、転移を選んだ。
転移は新しい体を作って、能力を身に付けて、世界へ降りる。市民権がないので、開拓民になるしかないそうだ。開拓民というのは、魔物相手に戦う冒険者のようなものらしい。
なおこの時点で大抵の女の子は転生を選んだそうな。さもありなん。
「すぐには死なないだけの能力を授けます」
「それはありがたい話ですけども」
でも俺、たぶん運動そんな出来ないと思うんだよな。何も思い出せないけど、なんとなく。戦える力を授かるときいて、ヒャッハーできるタイプでもない。
「自身で戦うのが難しいなら、テイムの能力を授けることも出来ますよ」
「それもちょっと」
ペットを飼って育てるって大変そうじゃん。開拓民で自分だけでも大変なのに、そんなのしてられなそうっていうか。
「平穏に暮らしたいならば、美しい体を手にするのもいいでしょう。あなたを飼ってくれる人間を探せば、あるいは幸福に過ごせます」
「お、おお」
ろくでもないおすすめが出た。
傾国にはなりたくないなあ。自由がない。
「特に欲しい能力が思いつきません……」
「そうなると、膨大な魔力を持って降りることになりますね。魔力は身を助けるので、それもまたよいと思います」
なるほど、転移者は一芸に秀でているか、テイマーか、美しいか、膨大な魔力を持っているか、そんな感じになるのか。
……恨みを買いそうだなあ。
どうやら俺は、だいぶネガティブなタチらしい。どうにもならないことばかり不安に思ってしまう。
「平凡に、平均的な、中流として暮らせるだけの力を持っていればそれで十分なんですが。魔力もそんなにいらなくて」
「それではあなたの肉体に宿る魔素が有り余ってしまいます。なにか望みはないのですか。ほしいものでも構いませんよ」
望み、ほしいもの……。
強いていえば、情報を共有したい。転移させられる人々と話をしたい。2500人もいるんだろ? やはり話がしたい。でも特定されると怖いので、出来れば匿名で。
SNSは、情報共有には不向きか。ブログ、いや、掲示板のほうがいいか?
転移者だけが利用できる、匿名掲示板。
そんなの可能だろうか。言うだけは言ってみる。
「掲示板……」
「出来ませんかね」
「出来なくはないですが、あなたの能力が著しく下がってしまいます。それでもよろしいのですか?」
「中流は無理ですかね?」
「努力をすれば可能には出来ます。しかし」
「ならやってください」
目立つのはごめんだし、どうにもならないことで周囲から恨みを買うのも遠慮したい。
「わかりました。その自己犠牲の精神に、わたしは感銘を受けました」
「いやそういうわけでは」
「本来なら成長しきった成人年齢で転移させますが、成長出来るように少し幼くしておきましょう」
「ちょ」
待ってくれ、それはめんどくさくならんか!?と思ったがノアのなかではもう決定事項らしい。
転移者は同時に降りるらしい。この時間はずらすことは出来ないという。よって、俺が同時に降りたら特別扱いだと思われてしまう。
その辺を説得しようとすると、ノアはけろりと言った。
「ならば座標をずらしましょう」
「は?」
「そうだ、あなたを宝迷宮のなかに下ろします。もちろん暮らせるだけの備えはつけましょう。ほとぼりが冷めたら街へいけばいいのです」
「は!?」




