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其の五・山の民の掟

 今日は厄日だ。そうに違いない。

 ラダに荷物のように運ばれながら、アルーシァは流れる景色を力なく眺めた。この状態で逃げようと暴れる努力は、もはや無駄だと諦めた。今、この腕を振りほどいて逃げたとしても、すぐまた捕獲されるのが目に見えている。なにしろこの男の身体能力が野生動物並みなのは、先ほどの乱闘でいやというほど確認済みだ。

 それにしても、仮にも嫁呼ばわりをするというのなら、小麦袋の運搬のようなこの肩担ぎはないだろうと思う。徐々に頭に血も上ってきた。


「……あの、自分で歩きます。逃げませんから」

「聞こえねえ」

「めちゃくちゃ聞こえてるじゃないですか! そうじゃなくてですね、この姿勢、ちょっと気持ち悪く……」


 言い終える前に抱え直された。今までの体勢が小麦袋だとすれば、今度は赤ん坊の抱っこ状態に。


(やっと人扱いに昇格……じゃなくて! お姫様抱っこしろとはいわないけど、なんだか扱いが! 女扱いされてない気がする!)


 ここにきてアルーシァは確信した。この男、人を嫁呼ばわりする癖に、どうにも応対がドライというか、大雑把というか、百歩譲ってペットを扱う飼い主ぐらいにしか感じていないに違いない。


(……でも、そりゃまあそうか……この人にとっても不慮の事故だもんね。山の民の掟、とかのせいでわたしに付きまとってるだけで、好きとか嫌いとか以前の問題だろうし。ちゃんと話し合ったら、分かってくれるかも)


 アルーシァはそう考えると、視線を景色からラダに移した。先ほど抱えなおされたおかげで、自分の顔のすぐ横に目標物がある事に気がついてギョっとする。


「近っ!!」

「うわうるせぇ!! 耳元で叫ぶな、びっくりすんじゃねぇか!」

「あ、すみません、予想外に近かったものでつい」

「お前、変な女だなあ」


 ラダは、その鋭い目をちらりとアルーシァに向けて眉を下げた。


「……あ、分かったかも」

「何がだよ」

「ごめんなさい、誤解してました。ラダさんって、単に目力がありすぎるだけなんですね。睨まれてるわけじゃないんだ」

「何だそれ!」

「てっきり周囲にガンを飛ばしまくっている人なんだって思っていたから」

「お前なァ…………あーもういい」


 きっと、この力強すぎる目のせいで、子供の頃から誤解されてきたに違いない、とアルーシァは深い同情の視線を送る。

 ラダは深く息を吐き、会話を打ち切ると足を速めた。







「悪いねぇ、丁度埋まっちゃってて一人部屋しか空いてないんだよ。それでよけりゃ泊めてやるがね」


 せかせかとテーブルを拭きながら、宿屋のおかみがそう告げる。


「それで構わねぇ」

「え!!」


 あっさりと頷くラダの返答を聞き、アルーシァは声を上げた。


「何だうるせぇな」

「だって、一人部屋って一人のための部屋なんですよ!」

「そりゃそうだ。で?」

「だから! 一人部屋ってことは…………………………………………狭いじゃないですか」


 当然ベッドも一つではないか、と言い返そうとした所で、はたとこれを口に出すのは娘としてどうなんだ、と羞恥心を覚えたアルーシァは、ごにょごにょと誤魔化した。


「何当たり前の事言ってんだ。しょうがねえだろう、それしか空いてねぇっつってんだから。贅沢いうな」

「そうじゃないんですううう……」

「ああもううるせぇ、静かにしてろ」


 反論するアルーシァをむぎゅと押さえつけ、ラダはさっさと手続きを済ませてしまった。


「はいどうも。部屋は二階の突き当たりのを使っとくれ。それじゃごゆっくり」


 宿代さえ頂ければ、おかみ的には何も問題はないらしい。見るからに怪しい山の民の男と小柄な娘の組み合わせに対しても、何を言うでもなく部屋への道を指し示すと、おかみは再びテーブルを拭く作業に戻ってしまった。






 部屋はこざっぱりとして、清涼感のある木の香りがしていた。ラダは扉を開けてしばらく中を確認した後に、ようやく部屋に入ってアルーシァを床に降ろした。


「あううう……」


 続いて荷物もドサリと降ろすと、ラダは今思い出したとばかりに言った。


「ああそうだ、聞こう聞こうと思ってずっと忘れてたんだが」

「なっ、何ですか」

「アンタ、名前なんて言うんだ?」

「……今さら聞くの、それ!」


 やはりこの男には決定的に足りない。何がといわれると常識が、としか言いようがないが、他にも色々と足りていない。主に女性に対する男としての心構え等が。

 アルーシァはくらくらする頭を抱えながら、それでもなんとか返答することに成功した。


「アルーシァです」

「アルか、よろしくな」


 いきなり名前を短縮された。一度も正式名称を呼ぶことがないまま。

 精神衛生上、もうこの相手を普通の男とは思わない方がいいのだなと改めて思いつつ、だがきちんと話はしなくては、とアルーシァは姿勢を正した。


「ええと、ラダさん。……何、してるんですか」

「んー」


 相手は足元にしゃがみこみ、丈夫そうな紐を取り出してアルーシァの左足に括り付けていた。


「ちょっと、何を」


 あっという間にもう一方をベッドの木枠に括り付けられる。ぐいぐい、と引っ張ってみて緩まないのを確認しているラダの姿を見守った所でアルーシァは我に返った。


「ほ、ほほほどいて下さい! わたし犬じゃありません!」

「心配しなくても便所行く時は解いてやるから」

「そっ……そういう問題じゃ」

「んじゃ、メシ取ってくる。いい子にしてろよ」


 ぽんぽん、とアルーシァの頭を叩くと、ラダはさっさと部屋を出て行った。


(や、やっぱりペット扱いか……っ!!)


「まずは、わたしは人間だってことを分からせないと、話もできな……ええーどうなってるのこれ……」


 とにかくこの紐を解かなくては、と結び目を確認し、アルーシァは固まった。己の足に結ばれたその結び目は、複雑すぎてぱっと見では解き方が分からない。山の民に伝わる特殊な結び方なのだろうか、引いてもゆすっても、緩みもしない。切断しようにも刃物もない。この紐一つ解けないようでは、なんだか人として負けたような気がする。


「ふぬー!」


 十数分後、奮闘空しくアルーシァは負けを認めざるを得なかった。解けないものは解けない。

 がっくりと崩れ落ちている所に、軽い足音を立ててラダが帰ってきた。


「……オマエ何やってんだ」

「人間以下宣告を謹んで受けている所です」

「何だそりゃ。ほれ、メシだぞ」


 どうやら階下から夕食を運んできたらしい。食欲を刺激するスープの香りが漂い、つられたようにアルーシァの腹がぐうと鳴った。瞬間、アルーシァの顔も赤くなる。

 爆笑でもされるかと思ったが、ラダは黙ってアルーシァの頭をひと撫ですると、食事を手渡してきた。


(ノーコメントなのもいたたまれない……!)


 テーブルなどというものはないので狭い室内で車座になり、床に直置きされたそれを黙々と食べる。

 この何ともいえない沈黙が耐えられなくなって、アルーシァは顔をあげた。


「あの。聞きたいことがあるんですけど」

「……何だ」


 アルーシァがまだ半分食べたところだというのに、ラダはほぼ食事を終えていた。食べるのも早いらしい。


「えっと、わたしをケガさせたから、お嫁にするって言ってましたよね」

「ああ」

「それってわたしがしなくていいですよって言ってもダメなんでしょうか? そりゃ、一生残る傷とかなら分からなくもないんです。でもこんなの擦り傷だし、一週間もしないうちに治っちゃうと思うんですけど……なんていうか大げさな気が」

「掟だからな」


 ラダの返答は簡潔だった。いささか短すぎて拍子抜けの感もあるが、つまるところキャンセル不可、ということなのだろう。納得いかないというアルーシァの表情を見て、ラダは付け足した。


「俺がアンタにケガを負わせた、それは曲げられない事実だ。アンタが気にしないと言ってくれても、山の民は認めない。俺が手ぶらで山に戻ることは許されてねぇんだ。とは言ってもアンタを山に連れて行ったりするわけじゃねぇから安心しろ。俺が里に下りる。むしろ山を追放されて、婿に入ると言った方がアンタには分かりやすいか」

「そっ! そういう問題じゃ……や、問題ですけど、そうじゃなくて! っていうかラダさんもう帰れないんですか!?」

「そういう掟だ。……俺たち山の民が、里の連中に理解されてないことは分かってる。まあ異文化交流だとでも思って受け入れてくれ」

「そんなあっさりと……あ、でもラダさんってなんだか街の仕組みに慣れてないですか。宿の払いとかも」

「……俺ははみ出し者だからな。まあ色々あるんだよ」


 一瞬、ラダは自嘲するような表情を浮かべた。アルーシァが続いて問おうとするのを遮るように、食器を持って立ち上がる。


「いつまでも喋ってねぇで早く食え、持ってくぞ」

「あっ、あっ、ちょっと待って……」


 あわててパンを口に詰め込みむせるアルーシァは、会話を逸らされた事に気づけなかった。

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