其の四・その男、凶暴につき
アルーシァは人込みをかき分けながら、背後を確認した。追ってくる者はいない。それでも用心してしばらく走り、目に付いた物陰に隠れてからようやく息をついた。
「これで、見つからなかったら諦めてくれるかな……」
幸か不孝か、ラダは遠目からでも異様に目立つ格好だ。角でバッタリと出会いでもしなければ、向こうに見つけられる前に先に逃げられるはずだ。
少し休憩して、ほとぼりを冷ましたら買い物を済ませなくては。
アルーシァは呼吸を整えると、まずはスパイスの補充をしようと歩き出した。
「おうニック、久しぶりじゃないか。お前さんこの辺回っとったのか」
男が商人ギルドに入ると、顔見知りの商人が話しかけてきた。普段なら愛想よく応答するのだが、今の男にはそんな余裕はなかった。軽く頷くだけで、受付へと進む。
「すまんが連絡用の伝球を貸してくれんかね。急いで大旦那にご連絡差し上げんといかん」
「緊急の連絡かい。こっちに入んな」
庶民の連絡のやり取りは、もっぱら手紙や伝言だ。だが緊急となるとそれでは間に合わない。
街の各ギルドには、それぞれ伝球と呼ばれる魔道具が備え付けてあり、急ぎの場合に限り、それを利用することが許されていた。
男は受付横の扉から事務室に通された。案内した受付が出て行くと、震える手で連絡回線を開く。
『――私だ、どうした』
「ど、どうもお忙しい所を失礼します、ニックです。お探しだったものを見かけましたんで、急ぎご連絡をと」
『何……間違いないのだろうな? また偽物を掴まされてはかなわんぞ』
「へえ、伺っとりました特徴もしっかりとございましたし、本物じゃないかと」
『……そうか、ともかく押さえよう。一刻も早く入手を。金ならこちらで出す』
「はあ、それが……どうにも妙な流れになりましたもんで……」
『どういうことだ?』
「実は……」
「ぷぇくしょ!」
「おいおい、売り物をクシャミで飛ばさないでくれよ?」
「あ、ずびばせん……」
コショウでも鼻にはいったか。苦笑しながら渡された包みを受け取り、アルーシァはスパイス屋を出た。
「先生のおつかいはこれで済んだ……あとは布地が欲しいな……」
街への買出しは何度も来ている。目当ての布地屋はここからそう遠くないはずだった。
ラダを連れていたとき程の頻度ではないが、時折こちらを見る人々がいる。よく考えれば、今の自分は全身すり傷だらけなのだ。そういえば、スパイス屋の主人も一瞬驚いた顔をしていた気がする。村に戻れば、若い娘が顔に傷をつけるなんて、と嘆くだろうエイムが簡単に想像できた。
「あー……帰ったら先生に心配されちゃうかなあ」
頬を擦りながら呟く。
(……にしても、擦り傷くらいで償うとか嫁にとるとか……山の民って分からない……)
ふと背中に、あの琥珀色の鋭い視線がささったような錯覚を起こし、アルーシァは反射的に小走りになる。不意に駆けたせいで、向かいから歩いてきた見知らぬ男たちの一人に、持っていた荷物がぶつかった。
「痛ってえ!」
「あっ、ごめんなさい!」
ドスの効いた大声に驚いてアルーシァは振り返った。
こちらを睨み付けて腕を押さえた男は、どうみても真っ当な職についているタイプにはみえない。ああやっちゃった、と心の中で呟く。
「おいおい、ごめんじゃないよオジョーチャン。おおい大丈夫かよー」
「大丈夫じゃねー、マジ痛えー。骨折れてるかもしんねー、うわ痛ってー」
「えー大変じゃん、これ医者いかないと駄目だってー」
アルーシァはあまりの展開にぽかんとなった。ラダは嫁取り詐欺もどきだったが、今度のは正真正銘当たり屋だ。しかもものすごく分かりやすい。
男たちは、自分たちが大げさに騒いで見せたというのに、反応の鈍いアルーシァに焦れた様子で、さらに声を張り上げた。
「何突っ立ってんの? 聞こえてるー? ここはさあ、空気読んで医者代出すとこじゃねーの?」
「え。や、ええっと、言わんとされることは分かっているんですが……その、ちょっと音量を、下げていただけたらと……」
大騒ぎされるのはまずい。目立つと。
イラついたように、ゴロツキの一人がアルーシァの腕を掴む。
「分かってんならとっとと治療費出しなっての!!」
「あああ、ちょっと引っ張らな」
「見つけたァ!!!!」
ゴロツキたちの声をはるかに上回る大音量が頭上から降ってきた。
声のした方を仰ぎ見たアルーシァの目に入ってきたのは、二階建ての建物の屋根の上から飛び降りてくるラダの姿だった。
「何を……あがッ」
アルーシァを掴んでいたゴロツキをクッションにして、ラダが着地する。なにやら、あまり聞きたくない音が足元でした。これは本当に医者に見せなくてはいけなくなった気がする。
アルーシァは現実逃避したくなる気持ちをなんとか押さえ、目の前の男を見上げた。
「探したぞオイ」
地の底を這うような低音でそう言うと、ラダは獰猛な笑みを口元に浮かべた。勿論、目はまったく笑っていない。
怖い。ゴロツキの凄む声など、これに比べたら子猫の甘え声だ。
「言いたい事は色々あるが。……まずはこの喧しいのを追い払ってからだ」
そう言うと、ラダはアルーシァから視線を外し、残ったゴロツキに向き直った。
「なっ……何なんだこいつ!?」
「何で山の民がこんな所にいやがるんだ!」
その動揺はもっともだ。
ふと、アルーシァは自分に背を向けて立つラダの腰に目をやった。
山の民が使う、山刀と呼ばれるナイフに似た刃物がそこにぶら下がっており、ラダの手がしっかりとその柄を掴んでいた。いや、すでに半分刀身が抜かれていた。それを確認した瞬間、アルーシァはラダの手にすがりついて絶叫した。
「だ、だだ駄目! 刃物ダメ!! 殺しちゃうーーー!!」
「ああ? ……面倒くさいな」
ラダはちらりとアルーシァに目をやり、パチリと山刀を鞘に収めた。それに安堵したアルーシァは、次の瞬間目にした光景に己の顔が引きつるのを感じた。
「だからって何でレンガ握り締めてるのー!! 撲殺もだめええ!!」
「何だよこれもか。じゃあ妥協してこれ。急所は外す。これ以上は聞かん」
「うっ……ぜ、絶対殺しちゃ駄目だからね!?」
ぽいとレンガも投げ捨て、ラダは足元の小石を握りこむと、再びあの獰猛な笑みを浮かべた。
「了解」
結論から言えば、ゴロツキは全員医者送りになった。アルーシァはてっきり小石を投げるのかと思っていたのだが、ラダは石を握ったまま相手を殴り倒したのだ。一応、頭部などの急所は外して殴りつけていたようだったが。
更に、いつの間にやったのか、医者に運ばれていくゴロツキたちの肩関節が全て外れているのを見て、アルーシァは震え上がった。
「肩ははめればすぐ直る、骨も折ってねえ」
ラダはあっさりとそう言い放つと、固まっているアルーシァを担ぎ上げた。
「何するのー!!」
「放っとくと逃げんだろ。言い忘れてたが、嫁のキャンセルは効かん。諦めて償いを受けるんだな」
「やだああああ離してえええええ」
「照れるな照れるな」
「照れてるんじゃなーいー!」
「何にせよ宿だな。そろそろ日が暮れる」
「人の話を聞いてえー!」
先ほどまでとはうってかわって楽しそうに笑いながら、ラダはアルーシァを宿に運搬したのだった。