其の二・ラダという男
二日後、約束通り商人がアルーシァに出発を告げに来た。
アルーシァは商人に謝礼代わりの手弁当を渡し、荷台に上がらせてもらうと、ガタガタと揺れる景色を眺めていた。
ふと街道沿いに目をやると、深い木々の間を、黒い髪と褐色の肌をした人々が、音も立てずに移動しているのが見えた。その足取りは速く、弓や山刀を身に着け、獣の皮を加工した衣服を纏っている。
(あ……山の民?)
アルーシァの住んでいる国は、国土に山岳が多い。国民の多くは村や街といった集落を形成し、そこに住んでいるが、山の民と呼ばれる少数民族は平地に定住せずに山岳を移動し、獣を狩って暮らしていた。
たまに必要な物資を交換しに人里に現れるだけの謎に満ちた民。人々は山の民を見かけても、積極的にかかわることはせず、少しの興味と畏怖を含んだ目で遠くから眺めるのが常だった。
(あの人たちがこんな所まで降りてきてるの、珍しいな)
揺れる荷馬車に身を預けながらぼんやりと考える。
褐色の肌をした人々は、気づくともう見えなくなっていた。
「お嬢さんよう、そろそろ一休みして昼食でもとらないかね。ずっと同じ姿勢じゃしんどいだろう」
「あ、はーい」
馬を休ませるため、商人が荷馬車を止めて馬に水をあてがう。
アルーシァも荷台から降りると、少し離れた場所に移動して、かたい座席で凝り固まった体をほぐそうと伸びをした。
と、道の脇からアルーシァの足元に茶色い塊が飛び出した。
「え、なに!?」
あわてて一歩下がりながら確認する。野ウサギだ。なんだ、と胸をなでおろす暇もなく道の脇から、今度はもっと大きな影が飛び出してきた。
「どけッ!!」
「えええ!?」
当然、避ける暇がなかった。結果として全速力で突っ込んできたらしい影は、アルーシァにぶつかり、巻き込みながらゴロゴロと地面を転がって、止まった。
「……ったい……」
少しするとアルーシァの全身がジンジンと痛み出した。打撲に加えて、激しい勢いで転がったせいで、手も足も顔も擦りむいたらしい。
ごそり、とぶつかってきた相手が身を起こす。先ほどの怒鳴り声からすると男らしいが、アルーシァには目を開けて確認する余裕がない。
「ああクソ……逃がしちまった」
バサリバサリと音がする。起き上がった男は土ぼこりを叩き落としているらしい。アルーシァの真上で。
第一声がそれなのか、それよりも人の真上で土を落とすな、それより何より全身が痛い。
「おい、これはアンタのか」
ずいと目の前に差し出された男の手には、母の形見の赤い石が乗っていた。古い皮ひもで首から提げていたから、転がった拍子に切れて飛び出してしまったらしい。
騒ぎに気づいた商人が駆け寄ってきたが、石を差し出す見慣れぬ男に驚いたのか、ぽかりと口をあけ、目を見開いて固まっている。
「それ……わたしの」
「!!」
石を受け取ろうと、顔を上げて男と目を合わせた途端、恐ろしい勢いで両手を鷲掴みにされた。
「あたたた、ちょっ」
「お前、女か!!」
今まで気づかなかったというのか。新たに手首にあざができそうな勢いで掴まれながら、アルーシァはコクコクと頷いた。何でもいいから早く両手を開放してもらわないと、使い物にならなくなる気がする。いや、それよりも。
「そ、そうですけど、あの」
男はアルーシァの顔をじっと凝視した後、一瞬眉を寄せ、目を細めた。
「顔に傷がついてる」
「はあ、今、派手に転がりましたから。あの、そうじゃなくて」
ますます掴まれている手に力が入っている気がする。指先が痺れてきた。
「女の顔に傷をつけた者は、一生をかけて償う。民の掟だ、お前を嫁にする」
「…………は?」
男の台詞に思考が停止しかける。いや、今の言葉も含めて、先ほどから確認したかった事を。
「それはひとまず置いておきましょう。えと……」
「ラダだ」
「ラダさんですか。ええと、さっきからそうなんだろうなって思ってたんですけど、民って……」
「山の民」
「あ、やっぱり……」
アルーシァの手首を掴んで離さない男、ラダ。褐色の肌と黒い髪を持つ山の民がそこにいた。




