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第二章 【 再会と断絶 】


 

    神威宗継は森で指揮を執っていた。




「北側の斥候班、瘴気の流入に変化がないか再確認しろ。風向きが変わっている」




 「沼地には三つの部隊を。片側は撤退と交代を前提に動け。異形が現れたら、即座に距離を取れ」




 「発見した個体の形状と攻撃性は、必ず報告に残せ」



 指示を下す声に、迷いはなかった。




 ……少なくとも、外から見れば。




 「了解!」




 整然と敬礼し、命令に従って部隊が散っていく。




 将軍としての顔は、徹底されている。

 部下は誰一人、疑念など抱かないだろう。




 だが──この命令は、国のためではない。




 探しているのは、異形の怪物ではない。




 そう……彼女だ。




この世界に彼女も戻って来ているのか、戻って来てないのなら、その方が良い。だが、自分の目で確かめたかった。




 時間が巻き戻った今であろう、この瘴気の異変はまだ表に出ていない。

 だが俺は、一度目の戦場で──それを知っている。




 進化した異形。歪みはじめた地形。喰い荒らされた森。




 この土地は、やがて崩れる。

 そして彼女が現れるとすれば、この周辺しかないと思った。




 ──“探す”には、十分すぎる場所だった。




 ̄ ̄


 

 一度目に彼女と出会ったこの森。

 そこには、脱ぎ捨てられた衣服と、彼女がいた痕跡だけが残されていた。




宗継はこの世界に凛凪が存在していると確信する。




 凛凪に与えた軍装風の衣服──

 それを拾い上げたとき、宗継の脳裏に浮かんだのは、はじめて出会ったあの日だった。




 ……あのとき、俺は"瘴気の沼地"で致命傷を負い、彷徨って、この森で馬を捨てて倒れた。




 そして彼女は、現れた。

朦朧とする意識の中で、彼女が走ってくる姿を今でも覚えている。




 偶然だったのか、神の導きだったのかは分からない。



 どこか浮世離した彼女は俺を助け、確かにこの森で生かされた。




会話が出来るくらいまでに傷が癒た頃、彼女が語っていた。




 “将軍の"神威宗継"を救え。さもなくば軍服は消える”──




 神にそう告げられて来たという彼女は、肝心な俺の名にはほとんど注意を払っていなかった。

 “軍服”という言葉にだけ過剰に反応し、そこばかりを気にしていた。




"軍服がなくなるなんて、そんなのダメに決まってる"と熱心に……




 おかしな女だと思った。

 



現実にはあり得ないような話ばかりで、自分の命など、どうでもよかったが彼女に興味が湧いた。


当時、彼女にはコードネーム"クレイヴ"としか教えていなかった。


そして、彼女の語る“救うべき将軍”が、自分のことだと分かっても、あえて何も言わなかった。




 なぜなら──

 彼女がこれからどう動くのか見てみたかった。

 面白そうだと思ってしまった。ただ、それだけの理由だ。




傷が完全に癒えた後も自然に隣にいた。




いろんな表情を見せてくれる彼女の隣にいるのは心地良かったんだ。




“将軍”として探しに来た部下たちが、自分の名を口にしたときだ。


はじめて彼女は目の前の男が、神が言っていたその"将軍"だったと理解した時の彼女の表情は愛おしいかったな。




この頃からだろうか…彼女を特別な存在だと感じるようになったのは。




異形と戦う彼女の姿を見る度、

彼女がこの世界の者ではない事は、信じざるを得なかった。



空中に現れる見た事もない文字、かと思ったら何かを唱えたり…それをUIと言っていた。ゲームと同じだということも。




彼女が発する言葉は理解不能だったが、彼女が何者でも、そんなことどうでもよかったのかもしれない。




ただ傍に居てさえしてくれれば、それでよかった。




そう思っていたのに俺は、彼女を殺した。己の手で。




何も信じたくなかった。すべてを拒みたかった。




だが、どれだけ足掻こうと、選択肢はひとつしかなかったんだ。




今も、一緒に過ごしたあの時と同じ風が吹く。




 軍服の肩が揺れる。


 その感触だけで、彼女の笑顔が思い出される。


 


 ……もう、指示だけでは足りない。




 部下では追えない場所がある。


 


ふと、記憶の奥に沈んでいた凛凪の言葉が浮かぶ。




 "森を抜けたとき、物資を探しに、港町の外れにある倉庫に立ち寄ったんです"



 当時は何気なく聞き流していたが、そこに彼女がいるかもしれない。


 


 彼女の衣服を握りしめ、宗継は歩き出す。




この世界に彼女がいるとわかった以上、どんな手を使ってでも見つけ出したい。




彼女に会いたい。




この罪を抱えたままでも、彼女の姿を、この目でもう一度だけ――





 ̄ ̄



──いない。




 軋む扉を押し開けた瞬間、倉庫の内部に満ちる乾いた埃の匂いが鼻を突いた。




 古い木材で組まれた天井、積み上げられた布と干し草、そして――沈黙。




 誰もいなかった。


 


 もし彼女があの頃と同じように動くなら――この場所、倉庫に来る可能性はあると思ったが。




 また空振りだった。




 「どこにいるんだ…」




(一度目の時と状況は違うことは理解している。だどしてもこんなに彼女の姿が見当たらないのは。)



「……彼女も、一度目の記憶を持っている…...」



「見つからないわけだ」




 軽く息を吐く。



 当然の報いだ。



 胸の奥がざらつくように軋む。



 そして、宗継はひとつ目を伏せて、倉庫を去った。




 ̄ ̄




 それからも、彼女の行方もわからぬまま、何日も日が過ぎていくだけだった。




宗継は任務を追え、港町から少し離れた丘の上に設けられた、軍の仮拠点にて報告書に目を通してた時のことだ。




 外から、馬の蹄の音と共に兵士の声が届いた。




 「神威閣下──! お戻りでしたか。急ぎの報告が」



 扉を開けると、部下が息を切らしながら手を差し出してくる。



 差し出されたのは、簡素な報告書の写しだった。



 宗継のまなざしがわずかに鋭さを帯びる。

 



 「どんな異能だ」



「……詳しくは斥候の言葉を引用します。“空中に光の板を浮かべて武器を呼び出し、詠唱を行った”と。装備も奇妙で、異国の様式に見えたそうです」




 その描写は──あまりにも、彼女の姿と重なっていた。




報告書を読みながら、異形に関しての情報に目が止まり、宗継の眉間に皺が寄った。




(……まだこの段階では、瘴気は“活性化”していないはずだ)



異形の出現頻度も、もっと後の時期だったはず。




そして、彼女がその力を使うのも、本来なら──




 記憶とは──微かに、ずれ始めている。




 (だが……間違いない。これは彼女だ。)




 迷いはなかった。

 森の中で異形と戦う彼女の姿をこの目で見てきた。UI、武器の展開、詠唱、そのどれもが人知を超えた“異能”だ。



 そして今、同じ異能が“瘴気の沼地”で確認され

たのだ。




 「場所の詳細は?」




 将軍の声が低く落ちる。




 「瘴気の沼地の北東、谷地帯との境界付近です。すでに斥候を戻しましたが、瘴気が濃く、視界は……」



 だが、その先は聞いていなかった。

 宗継はすでに、腰に帯びた剣に手をかけていた。




 (彼女が──何故あそこに)



 そう思った瞬間、体が動いていた。




 ̄ ̄




到着までには、すでに一刻以上が過ぎていた。

だが、斥候の報告にあった“瘴気の沼地”は、なおも禍々しい気配を放っている──




 馬を降りると、地を踏みしめる音が鈍く響く。粘り気を帯びた空気が、鎧の隙間にさえ入り込んでくるようだった。




 異能の光と詠唱が目撃された場所──彼女がここにいるなら。




 軍服を見て笑っていた、あの顔がふと浮かぶ。

「……頼む。まだ、いてくれ。」




 呟くようにして、将軍は沼地の縁を踏み越える。




 瘴気の層は濃く、まるで意志を持つかのように視界を阻んでくる。かつて自分が傷を負い、死にかけたこの沼地──だが今は、それ以上の不穏さがあった。



 剣に手をかけ、耳を澄ます。




 ──風の、向こう。





瘴気の向こうに、淡く差し込む光。揺れる長い髪、そして──見間違えようのない横顔。



 全身は泥と血にまみれ、肩で息をしながらも、崩れた岩の上に立っていた。傍らには、討ち倒された異形の残骸が横たわっている。




 視界の端にその姿を捉えた瞬間、宗継の中の時間が一瞬止まった。




 無事だった。




(……さすがだな…)




 だが──その姿は、少し震えていた。




 今すぐにでも抱きしめたい感情を抑え、静かに、凛凪に近づく。




 気配を悟ったのか、凛凪がこちらを振り向いた。



 「…………っ」




 その瞳が、宗継の視線を捉えた。




 息を呑む音。崩れかけた感情が、そのまま表情に出ていた。



 「……なんで、ここに……?」




 凛凪のかすれた声が漏れる。




 宗継はその問いに、答えられなかった。




 何を言えばいい? どう言えば届く?




 彼女を探していたことも、もう一度、この手で抱きしめたいことも、何も言葉にはできなかった。



 ただ一歩だけ、凛凪へ近づく。




 凛凪は、ほんのわずかに後ずさった。




 ──その凛凪の反応に、宗継は凛凪にも、やはり"記憶"があると確信した。



 それでも。



 「怪我は……ないか」 




 静かに、そう問うた声は、確かに“優しさ”を含んでいた。



 思考が止まっている凛凪は、視線を逸らしながら口を開く。



 「……だ、大丈夫です。……それより、私──」



 何かを言いかけた。けれど、言葉は途中で詰まった。



 思い出したように、別の言葉が飛び出す。




 「ルシアンを探しに、行かないと……!」



 宗継の目が細まる。



 「……ルシアン?」



 ここから去ろうとしている、凛凪の腕を、咄嗟に掴む。



 「──誰だ、それは…」

 



抑えていたはずの感情が、声に滲んでいた。

 自分でも気づかぬうちに込み上げていたのは、怒りなのか、不安なのか、それとも。




 ただ、ひとつだけ確かだった。

 ――行かせたくなかった。




 凛凪は驚いたように振り返り、宗継の手を振りほどこうとする。



 

 「友達とはぐれたので……早く見つけないと…



 凛凪はこの場からすぐ去りたい気持ちで言葉にしたが、事実でもあった。




 「友達……そいつが、大事なのか?」




 唐突に問われ、凛凪は一瞬、言葉を失った。




 「……え? だ、だいじ……です」




  小さな声で返す。




 (友達ですから。あったばかりだけど……)




 (……なんで、こんなこと聞かれてるんだろう)




(それに…この違和感……この世界では初対面なはずなのに……)




 自分の心に浮かんだ疑問に戸惑いながら、けれど凛凪はそれ以上言葉を継げなかった。




 宗継は、そんな凛凪を黙って見つめたまま、一言だけ言う。




 「……そうか」




 凛凪の言葉に、宗継の目が塞がった。

 かすかに揺れた睫毛が、胸の奥の痛みを隠すように。



 「……せめて手当てだけでもさせてくれ。……頼む」



 返事はなかった。けれど凛凪は、それ以上抗わなかった。




 宗継は、そっと凛凪のそばに歩み寄り背を向けた。その以前と同じ大きな背に、凛凪は見つめ、懐かしさを覚える。




 そして、二人はゆっくりと沼地を離れていった。

 夜の気配が迫る中、互いの距離は少しだけ近かった。




 ̄ ̄



軍の仮拠点に着いたのは、それからしばらくしてのことだった。




 治療室へ案内されると、宗継は黙って凛凪を椅子へ座らせ、自らの手で傷の手当てを始めた。

 淡々と、けれどひどく丁寧なその仕草に、凛凪は少しだけ目を伏せる。




 「……ありがとう、ございます」


 


ぽつりと漏れたその言葉に、彼は頷いたあと、低い声で問いかけた。




「何故、あの沼地にいた」




凛凪は、眉をひそめながら答える。




「なぜって……目的地に行くには、通らないといけなかったからです…」




「目的地とは」




「……秘密です」




ぴたりと視線が合う。けれど、凛凪は視線を逸らさなかった。




「もう、あそこには行くな。危険すぎる場所だ。いいな」




そう言い残し、宗継は背を向けて治療室を出ていった。




「──え、ちょっと!」




呼びかける間もなく扉が閉まる。




宗継の中で何かが揺れていた。




彼女に何かあったらと思うと、それ以上の言葉を口にできなかった。




 ̄ ̄



 その日から、軍拠点での生活が始まった。

 拠点にいる兵士たちは、凛凪が宗継に連れられて現れたその瞬間から、ひそひそと噂を立て始めていた。



 「異能を使ったらしい」「極秘任務の関係者か?」「グレイヴ将軍の女……?」「いや、あの神威閣下だぞ?」

 まことしやかに囁かれる声の中で、彼女は居場所を見失っていった。




 話しかけてくる者はいない。けれど、視線だけはいつも感じる。




 前は、ここで彼らと笑い合っていた。




 一緒に焚き火を囲み、冗談を交わし、食糧を分け合った兵士たち。

 ──その誰もが、今は遠巻きに見るだけだった。




 すれ違うたびに、視線を逸らされる。そのたびに胸の奥が冷たく沈んでいく。




 宗継は「干渉するな」とだけ言い残し、それ以上の説明はしなかった。

 その言葉が、凛凪を守るためのものだったのか、あるいは突き放す意図だったのか── 凛凪には、分かるはずもない。




 寝床も与えられ、生活に不自由はなかった。

けれど、凛凪は──自ら部屋にこもるようになった。宗継とも、他の誰とも、距離をとるように。




 ──だって、彼は。

 “あのとき”、私を──




視線を落とした先の胸に、何も残ってはいない。

けれど──あのときの痛みだけは、今も確かに脈打っている。

 


 それでも彼は、目の前で自分に優しく触れ、手当てをしてくれたこと。




彼から感じた、あの違和感が"記憶"なら尚更わからない。



 何が本当で、何が嘘なのか。何を信じればいいのか。



 凛凪の心は、深く沈んでいった。




時間の感覚が、曖昧になっていく。

 外の音も、昼夜の変化も、ほとんど届かないこの部屋で、凛凪はただ身を横たえていた。




 “戦わなくていい”という安堵と、“何もできない”という焦燥感。

 そのどちらもが、胸に重くのしかかっている。



 (……どうして、ここにいるんだっけ)



 一度目の記憶。宗継と過ごした日々。



 思い出そうとすると、胸の奥がきゅうっと締めつけられる。

 それでも思考は、逃げることを許してくれなかった。



 (もう、どうでもよくなればいいのに)




 そう願って目を閉じた──そのときだった。


 


 ピピッ── 耳鳴りのような音が鼓膜を打つ。

 視界に、淡い光が浮かび上がる。




 (……またUI?)

 戦闘表示ではない。凛凪は表情された画面を見ていく。



 ■HYR-01 MILITARY OPS SYSTEM - EMERGENCY ALERT


[ LINK STATUS ] : RINA-01 - ONLINE

[ STATUS ] : DEATH SIGNAL DETECTED

[ INTERFERENCE POINT ] : UNSTABLE

[ TIME REMAINING ] : UNDEFINED



──その直後、淡い光が再び明滅し、

 画面の下部に、補足情報のようなものが表示された。



 《TARGET ZONE : SECTOR-Z / MIRE ZONE》

 《TARGET ID : PRIMARY / KAMUI》




 表示された瞬間、胸の奥で何かがかすかに脈打った。



 画面に映る言葉──「死の検出」



 「死の検出....神威って…」



 「彼のこんな警告、出てきたことなんてなかった…」



 (……でもこの警告。きっと、彼の身に……)



 「しかも、この場所…瘴気の沼地って…また?」



凛凪は治療室で言われたことを思い出していた。

 

 

 "もう、あそこには行くな。危険すぎる場所だ。いいな"



 でも──見過ごせなかった。



 (ルシアンも言ってた…異形の進化……それに、一度目より強い。多分きっと私にしか倒せない…)



 (何が起こっているのか、起こる前なのか、わからないけど……止められるなら)




 決意とも、願望ともつかない思考が、胸の奥で固まっていく。



 

……今は、とりあえず行ってみないと。あの場所へ。




 音を立てぬように立ち上がり、そっと扉に手をかける。



 (生きていてほしい。……それだけは、本当)




 もう一度、背後を振り返って、それから静かに部屋を抜け出し、人目につかぬように、慎重に、静かに── 凛凪はすでに、この場所を後にしていた。




 ̄ ̄




 それからしばらくして。

 宗継は、凛凪の部屋の扉の前に立っていた。



あれから、彼女は扉の向こうに閉じこもったままだった。



 話すべきことは、山ほどあった。

 彼女が距離を取ってることも。

 それは──言葉にされずとも、痛いほど伝わっていた。


 


 それでも今日は。

あのとき自分が犯したことが、彼女の中で“今も消えずにいる”のなら──どうしても、確かめずにはいられなかった。


 


 「……いるか」


 


 返事はない。




 しばらく待っても、物音ひとつ聞こえなかった。

 胸の奥が、不穏に軋む。



 躊躇いののち、扉をそっと押し開ける。


 


 中は、きれいに整えられていた。

 寝具には手がつけられた形跡もなく、窓はきっちりと閉ざされ、部屋の空気はやけに冷たい。

 机の上の湯のみには、水が半分だけ残されている。


 


 「…………」




(……やはり、去ったのか…)


 


彼女は、ここを出て行った。──自分から、離れていった。それだけのこと。




このまま彼女を追いかけずに自由にさせることもできたはずだ。だがーどうしても不安が過ってしまう。

 



 「──警備隊長を呼べ」




 背後に立つ兵に命じる。




 「門の記録、見張りの報告、全て洗い出せ」


 



宗継は指示を出した後、凛凪の部屋の寝床に腰を落とす。自分の両膝に肘をつけ考え込むようにして座っている宗継は一度目の終末の瞬間を思い出していた。




一度、愛した者の、心臓を貫いた時の感触が脳裏に焼きついて離れないでいる。



あの時の彼女の瞳は、絶望、悲嘆が映し出されていた。そんな彼女をまた縛ることをしていいはずはないと分かっている。



それでも彼女が"ここにいる"姿を確認してしまうと、触れたくなり、側にいて欲しいと…目の届く場所に居て欲しいと、願ってしまう。




「凛凪…」




宗継は立ち上がり、窓辺の方に目を向け、彼女の名前を呟いた。




 それからまもなく──


 


 「神威閣下!」




 息を切らせて兵士が駆けてくる。




 「東の森に向かう少女の姿を、門の監視が──!」


 


 宗継の瞳が、かっと見開かれ、焦りが走る。




「……っ、……まさか──」





胸の奥に広がった不安を振り払うように、宗継は剣を取り、外套を翻す。

馬がひづめを鳴らす頃には、もう思考は“彼女のもと”へ向かっていた。




(……あれほど、もう行くなと──)

(なぜ…なぜまた、あの場所へ…)




 ̄ ̄ ̄



 軍拠点を抜け出した凛凪の足は、再び──この場所へとたどり着いていた。




──瘴気の沼地。




前にここを訪れたのは、あのとき。

ルシアンとはぐれ、異形と戦い、そして……彼と“二度目”で再会した場所。




(この場所……やっぱり何か関係するのかな…)




先程の表示されたUI。「死の検出」──「瘴気の沼地」。




ただの誤作動かもしれない。けれど、彼の身に何かが起きているとしたら。

確かめたくて──来た。けれど。




(……いない?)




誰の姿もなかった。

ただ、沈黙だけが広がっていた。




風が草を撫で、ゆっくりと流れ──それすらも、ふっと止まる。




(……考えすぎだったかな……)




胸がほっと緩む。

違っていたなら、それでいい。

彼がここにいないなら、それで──




……そう思った“そのとき”。




足元の泥が、不穏に泡立つ。

ぶくり、と、沼の表面が盛り上がった。



 


 ──空気が変わった。





 この異様な空気。




 ──来る。




 その直感と同時に、視界の端に“それ”が姿を現わす。



 木々の影、濁った沼の奥。

 ずるり、と音を立てて現れたのは、形容しがたい異形の影──

 いくつもの眼球が脈打ち、骨のような突起が不規則に伸びる、かつての異形とはまったく違う、“異常”の化け物だった。




 「何…この異形…こんなのみたことない…」




 凛凪は、押し寄せてくる不安から恐怖へと変わった。




■HYR-01 MILITARY OPS SYSTEM - THREAT ALERT


[ LINK STATUS ] : RINA-01 - ACTIVE

[ ENTITY ANALYSIS ] : ABERRANT CLASS - OVERRIDE

[ THREAT LEVEL ] : CLASS V / CRITICAL

[ MODE RECOMMENDED ] : COMBAT MAX - EXECUTE AUTHORITY



 

 ピピッ── という電子音とともに、空中にUIが広がる。




 恐怖で震える指で武器を選び、右手に装備する。

 脳裏に、前回この場所での戦いが一瞬よぎる──けれど、



 (……やるしかない)




 詠唱:戦闘制御コード 起動

──斬撃特化・最大展開モード

ターゲットロック完了。




 手のひらに、薄く輝く刃が具現化する。

 その光が、瘴気に覆われた空気を裂き、異形の影に向かって一直線に構えられる。




 「詠唱──『閃光、零れよ、闇を裂け』」 




 空気がきしむ。

 異形の影が、ヌルリと牙を剥き──跳びかかってくる。

視界が、反転した。




 (……負けない!)




 地を蹴り、風を裂く。




──少女は、瘴気の沼地にただひとり。

 異形の存在と対峙し、ひるむことなく、その心に灯るひとつの想いを武器に変えて、戦場へ飛び込んだ。




一撃ごとに戦闘情報が更新され、先ほどの装備が自動で最適化される。画面には次のスキルが浮かび上がり──




それに指先が触れると、重力を振り切るような風圧と共に、巨大な槍がその手に現れる。




 (逃がさない。……ここで終わらせる)




 異形が蠢き、瘴気が爆ぜる。

 視界が歪み、足場が崩れても、彼女の足は止まらない。

 突き立てる、払う、身を翻す。

 異形の影と凛凪の姿が、命を削り合っていた。



 

(ここで誰かが死ぬっていうなら、止める。軍服の未来は、わたしが守る!)





 刃が届き、裂ける音が響く。

 異形が咆哮を上げると同時に、彼女の詠唱が空を切り裂いた。




 詠唱:エリアフォース 展開

固定座標【X-56 / Y-214】──

終焉断層、接続完了。





 地を穿つ閃光とともに、異形の影が弾け飛ぶ。

 水飛沫と血煙が舞い、辺りに静寂が訪れる。





 気づけば、風が止んでいた。




 ぬかるんだ大地に、凛凪は空を仰ぎ見て、ひとり立ち尽くす。



 (疲れた…)




 勝利の余韻はない。




静けさの中、鼓動の音だけが耳に残り、意識が遠のくようだった。



 

その時だった。




 ――パカラ、パカラ。



 遠くから聞こえる蹄の音。

 凛凪は、音の方へ顔を向ける。




 風が、瘴気を少しだけ払った。

 そしてそこに──




 宗継の姿があった。




宗継の姿を見た凛凪の胸は張り裂けそうになった。




(....生きていた。良かった。だけど……)




今しがたまで命を懸けていた戦いの余韻が、急速に色を失っていく。残ったのは、宗継の姿と、沈黙だけ。



 

 来てほしくなんて、なかった。

……はずだったのに。





凛凪の感情は、大きく動いていた。




宗継が、ゆっくりと歩を進めてくる。

ぬかるんだ地を踏みしめるたび、その銀の髪が風に揺れた。




距離が縮まる。

もうすぐ、宗継の声が届く──その瞬間だった。


 


ぶくり、と。

足元の泥水が濁り、そこから跳ね上がるように黒く飛び出す。



先ほど倒した異形の残骸──否、それに残された“執念”のようなものが、最後の一撃を狙っていた。




「──凛凪!」




彼の口から、自分の名が呼ばれた。

その声が、胸の奥に突き刺さる。

「……え……?」

驚きと戸惑いの間に、異常の気配が迫っていた。




次の瞬間、銀の影が凛凪の視界を横切る。

鋭い一閃が空気を裂き、黒塊を真っ二つに断ち斬った。


 


赤黒い血がわずかに舞い、宗継の肩がわずかに揺れる。

その一滴が、静かにぬかるみへ落ちていくのを、凛凪は見ていた。



 

「……無事か──?なぜ、またこの場所に来たんだ」



 「ここにはもう来るなと、言っただろ」



宗継が手を伸ばしかけた、その時。


 


「……触ら……ないで……」





反射的に、その手を避けた。

うつむいたまま、声だけが震える。




……怖い。

彼の優しさを向けられることが。




「……なんで助けたの……あなたにとったら都合良かったはずでしょ……?」




その小さな声に、宗継の足が止まる。まるで胸の奥を貫かれたように。 




凛凪は、ゆっくりと顔を上げ──




「ねぇ……どうして、助けたの……」

「私、知ってるよ……」


「あなたは後悔した!」

「なのに、なんで触れようとしてくるの!」

「どうして、そんなふうに優しくするの!」

「そんな目……私に向けないでよ……!」




堰を切ったように、抑えていた想いがあふれ出す。

言葉にならなかった叫びが、涙と共にこぼれ落ちる。




(前も同じだったの?優しいフリして最後には消す……だから私は……)




「あなたが……わからない……」

「わたしの心に、これ以上踏み込まないでよ……!」




その言葉に、宗継は言葉を失う。ただ凛凪を見つめる瞳には、答えを見つけられずに揺れる光が滲んでいた。

睫毛の影に隠されたその目は、泣くことすら赦されない人のように。




 凛凪の身体は震えていた。




「……すまない」


 


宗継は、その身体を抱き寄せ、今にも壊れてしまいそうな凛凪の身体を強く抱きしめた。




「……すまなかった。君を追い詰めたつもりはなかった」

「もう二度と……君を傷つけたくないんだ」


 


その声は、今まで聞いたことのない宗継の声で、低く、かすれていて──自分自身を責めているようだった。




凛凪は、一瞬だけその胸に身を預けた。

.....ほんの一瞬だけ、夢を見てもいいと、思ってしまった。




けれどーー彼のぬくもりが甘く、苦しくなった瞬間。



(.....嘘つき.....)




「……あなたと見る景色は、全部きれいだったのに……」

「なのに……どうして……」

「あんなに、大好きだったのに……」

「……約束、したのに……」




ぽん、ぽんーと宗継の胸を軽く叩きながら、溢れ出てくる涙を抑えられず呟やき凛凪はそっと、その腕の中から身を引いた。




「……あなたの助けなんていらないです……もう、私に関わらないでください……」



 

小さな声だったけれど、込められた決意は、誰よりも強かった。




そして凛凪は背を向け、歩き出す。




── 凛凪の手は、小さく震えていた。

一歩一歩、宗継の温度を遠ざけるたびに、胸の奥が軋むようだった。





宗継は──追わなかった。

ただその背を、痛いほど悲しい瞳で見つめていた。

遠ざかる背が、二度と振り返らないのだと、宗継には最初からわかっていた。




──




──足音だけが、水たまりに響いていた。





 空は低く、鉛色の雲が空一面を覆っている。

 降り始めた雨は冷たく、髪に、肩に、容赦なく落ちてくる。




 凛凪は俯いたまま歩いていた。

 どこへ向かっているのか、自分でもわからない。ただ、足を止める理由もなかった。




 さっきまで心を焼くほど熱かったはずの感情は、いまはもう、遠い。

 空っぽになった胸の奥に、雨粒がポツポツと落ちていく。


 


 ──そんな彼女の前に、誰かが立ちふさがった。


 


 「……凛凪ちゃん……」




 凛凪は立ち止まったが、顔を上げない。




 「ずっと……あれからずっと、探していたんだ。きみを…凛凪ちゃんのことを」


 


 水音のなかに混ざって、足音が近づいてくる。

 ルシアン──彼が、そっと彼女の頬に手を伸ばす。



 濡れた指先が、静かに頬を撫でた。


 


 その手に触れられて、凛凪は、ようやく顔を上げる。


 


 ──目が合った。




 けれど、その瞳には、なにも映っていなかった。

 色も、光も、熱も──何ひとつ。




 それを見て、ルシアンはほんの少しだけ、顔を曇らせた。


 

 「……君に、こんな顔をさせるなんて」




  (消しちゃおか?)




 「……おいで。いまは、何も言わなくていい」




 「一緒に帰ろう。」


 


 優しくて、あたたかくて、でも、どこか痛々しい声だった。 




 凛凪は返事をしなかった。

 けれど、それでもルシアンは微笑んで、そっとその肩に外套をかけた。


 


 雨は、まだ降り続いていた。





──




──冷たい風が吹いていた。

瘴気の残り香が、まだこの地をわずかに包んでいる。

彼女の姿はもう、どこにもない。




 「泣かせてばかりだな....」



 「関わるな、か…」

 


 


呟いた声は、誰に届くこともなく空に溶けた。

泥の跳ねた軍靴を見下ろし、宗継はその場に呆然とする。

 


痛みは、肩の傷ではない。

深く、胸の奥。心の核に近い場所が、じわじわと軋んでいた。


 


(彼女に言わせてしまったな)


(無論……俺を拒んだ)


(それでも側にいたいと願ったのは、わがままだったのだろうか……)


(今度こそ、一緒に生きていける方法があると…それさえも叶わないのだろうか…)




彼女の背を追わなかったのは、なぜだと、自分に問いかける。

答えは、いくつも浮かんでは消えていった。


 

 


風が過ぎてゆく。

その音に紛れるように、宗継はそっと目を瞑る。


 


ふと、掌に残る体温を思い出す。

あの細い身体を、ほんの一瞬でも抱きとめたぬくもり。


 


──あの温度は、きっと、もう二度と得られない。


 


 (君の目に映った俺は……何者だった?)


 


宗継は剣を収める。

静かに、泥の上を一歩、また一歩と歩き出す。


 


「……もう、そばにいることすら、許されないのなら──」

「……それでも、生きていてくれさえすればいい。この世界で、君が壊れずに、生きていける方法を……俺が探す」


 


それは、誰にも聞こえない決意。

ただ、宗継の胸にだけ刻まれる、静かな誓いだった。







 

          < 続く>

  



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