9.Re:START。全てを打破せよ
世界が危機に陥った時、勇者は世界から六つの祝福を授かった、
『勇なる灯』、『清廉なる風』、『暖かな希望』、『健やかなる壮健』、『降り注ぐ慈愛』、『輝く栄光』。
しかし世界の危機が訪れるよりも前から、人々にそれを与えていた人物がいた。
デフテロレプト。魔導を研究し、魔法の基礎を生み出した人だった。
それは思いつきで、ただの善意で、────神々の真似事だった。魔導による無限の可能性を信じたデフテロレプトは、神が世界に贈る『祝福』を魔導で再現した。
満ち足りた世界があれば、人々は何ものにも縛られず自由に生きられる。魔導研究もさらなる高みを目指せると信じて疑わなかった。
全ては順調だった。
完全無欠なものなどなかったが故の、事故だった。
祝福を授かったあるひとりの人物に、異変が起きた。
それが後に『魔王』と呼ばれ、世界に仇なす存在になった。────まだ小さな子だった。両親に愛され、これからを期待された、ごく普通の子。
誰の手にも負えなくなった『厄災』を抑え込むため、異なる次元に封じるのが当時出来得る全てだった。
*****
慣れ親しんだ古めかしい扉を開け、杖で床を叩いて灯りをつける。大樹の壁とたくさんの資料や魔導書、壁に貼り付けた研究メモの数々が目に入ると、我が家に帰って来たのだと実感させた。
居場所を追いやられた日用品たちは、窮屈そうに傾いてる。ギリギリのバランスで、ここでの暮らしが成り立っていることを訴えているのだろう。
「これが最近あまり聞かなくなった『物置部屋』、……というものですか?」
遅れて入って来た王子が目を輝かせ、部屋の中を見渡してそう言った。
「狭くて物が多いですけど物置じゃありません。うちのデフォルトです」
「そうなんですね。──あっ。サングラスがこんなところにも。かけてみていいですか?」
「……お好きにどうぞ」
昨日の朝におばばが持っていたサングラスが、追い出された場所に落ちていた。
嬉しそうに拾う王子はご機嫌だ。
「おばばめ……、昨日の今日でどこ行った。鍵くらいかけて出かけて下さいよ全く……」
今は夜。私とおばばが暮らすデフテラの森へと、王子を連れてやって来た。
サングラスをかけて見た時、王子は闇そのものだった。
その後名を呼ばれ、不穏な話に覚悟した────。が、別にこれといって何もなかった。
主に私の名のせいで不穏になっただけだった。
『終わり』、それが私の名なので。
「テロスはいつもここで研究しているんですか?」
「そうです」
外で魔導書を読み始めたけど全然落ち着かないし、気になることも多いため家に戻ることにした。
慣れた環境が一番落ち着く。それに思考を巡らすには、自分の居場所が適している。何年もここで様々な研究をしてきたから、なおのこと。
何がそんなに楽しいのか、王子は家の中をひとつひとつ見て回っては背伸びして眺めたり、頭の角度を変えて観察したりと忙しなくしている。
────森の最奥、古い魔導士たちの家だ。人がたくさんいる城や街にある家々に比べれば、珍しいのかもしれない。
「テロスはいつもここで自分で食事を作っているんですか?」
「……人の家に興奮するのもいいですが、もう夜です。早く休んでください」
今までそれなりの距離感があったはずなのに、急に名を呼ばれる回数が増えた。
「テロスの研究室はどこですか?」
「それは今関係ないでしょうが。……ほら、寝る場所作るから、大人しくしてて下さい」
「初めて来たんです。隅から隅まで見ないと、明日は頑張れないかもしれません」
「なんで遠足にでも行くノリなんですか……。たく……、あなたを見てるとまるで危機感が無くなる」
王子が水色とオレンジのパリピグラスをかけ、弱気になったフリをしているからだろう。その恰好で同情心を誘おうなど、とても無理がある。
質問される回数も激増だ。子ども特有のなぜなに期でも唐突に来た? 見れば何でもわかるという話しだ。情報過多に好奇心がフル回転しているのだろうか。
「テロスはいつからここで暮らしているんですか?」
「私のことはいいんですよ。魔導書を解読して欲しいのでしょう? こんなんじゃ本が解読できません」
「あはは。そうなったら別の手を使いますから、ご心配なく」
何故かいまだかつてないほど王子のテンションが高い。深夜テンションになるにはまだ早いが、子どもはもう寝る時間だ。
窓の外は夜が訪れ、虫たちの歌声が聞こえる。
「別の手ってなんですか」
「別の手は別の手です」
こんなの会話じゃない。
昨日今日と見てきただけに、別の手とやらもきっと碌なものではないのだろう。ニコニコと笑ってばかりで手の内を見せようとしない王子に、帽子を取り頭を掻いた。
部屋を一周した王子はリビングの椅子に座り、頬杖をついている。
家に客が来たのはいつ以来か。こんな僻地、ピンポイントでこの家を知る者など少ないがため年単位で人は来ない。だから他人がいるこの空間が少しだけ新鮮だ。
やっと大人しくなったのを確認し彼の寝床を用意する。ずっと使っていなかった客間は荒れて埃だらけ。……杖で床を叩き、魔法を使って部屋を整える。
一晩泊めるだけだ。これでいいだろう。
不敬とかよう知らん。
「この部屋を使ってください。明日までにこれを読みますから、私の邪魔をしないで下さい」
魔導書はなんのトラップもなかった。ご立派な魔法剣士のおかげで本を開くことが出来たのだから、彼には感謝してもしきれない。
新しい部屋に駆け出すと、すぐに王子の足が止まる。
「昨日も夜遅くまで起きていましたよね。テロスはあまり寝ない性質ですか?」
「お風呂ってどこにあるんです? むしろこの家にはお風呂ってあるんですか? 排水管とか壊れていませんか?」
「このレポートって誰が書いたんですか? まさかテロスが……? 本当に研究がお好きなんですね」
今までそんなテンションじゃなかったでしょう……?
賑やかな街でも遺跡を前にしても、落ち着いてたじゃん……。王子の上り調子なボルテージについていけない。
「この写真ってなんですか? すっごく大きなにわとりに見えますが……。あっ、ここに写ってるのってテロスですよね? 本当に見た目が全然変わらないんですね。これっていつ撮ったんですか?」
しつこいくらい名を呼ばれるが、命じられてる訳ではない。
こちらの行動や思考に干渉するでもない気安い連呼に、逆に冷静になってくる。
「王子のお名前はなんですか。今すぐ黙らせるので教えて下さい」
「お断りします。──そうだ。わたしが寝るまでの間、ここで子守唄でも歌ってくれていいですよ」
ベッドに上がり横になると、付き添えと布団を叩いてる。不遜な九歳児ここに現る。
どこでもいいというから連れて来たが、────この有様、想定の範囲外だ。
「昨日は普通にひとりで寝れていましたよね。そのまま目を瞑って猫の数でも数えててください」
「テロスは寝る時に猫を数えるんですか? 初めて知りました……。子ヤギじゃないんですね」
安易に返事をすると無限に絡まれる。この鬱陶しさ、酔っ払っていい気分になったおばばたちの姿と重なる。
部屋の灯りを消し、取り合わないことにした。
「猫でも子ヤギでもお好きなように。おやすみなさい」
『祝福』を生み出したデフテロレプトの後悔まで読んだ。
ただ出来たから試しただけの失敗のはずだった。
被害者について調べた事も全て記してあったが、彼の記した理論が何故最悪を生み出してしまったのか──、言い訳と徐々に破綻していく文章が続いていた。
パラパラとページをめくるれば、どんどん彼の精神状態が悪くなっていったのが伝わるようだった。
色んなことが上手くいっていただけに、自分の失敗を、見落としていた可能性なんかを認めたくはないよな。魔導の発展と可能性を信じていた。その想いが暴走した結果なんて。──身につまされる想いに嘆息する。
「テロスの名前って誰がつけたのですか? どうしてそんな意味の名前をつけたのか知ってますか?」
置いて来たはずの王子が隣いる。サングラスを頭の上に載せて。…………どれだけ気に入ってるんだ…………。
「…………お部屋で眠れないなら、外にキャンプ張りましょう。その方がよく休めそうですよね。えぇ、ぜひそうしましょう」
席を立ち、昨日から受け渡されていた鞄を手に取った。
簡易ながら組み立て簡単。軽量で扱いやすいキャンプ道具が揃っている。これが力を持つ者の道具。こんな僻地に保管されている時代遅れの道具とは大違いだ。
「せっかくの提案ですが遠慮しておきます。わたしはこの小さな家に興味津々です」
「寝ろ。今すぐ。明日のため、私のために」
「では、こうしましょう。わたしを満足させる話が出来たら、テロスの言う事を聞いて休みます」
「今日、ご自身が何を言ったかお忘れですか……? 魔王を倒しに行くんですよね? しかも別の次元に封じられた魔王とやらを」
「そこはご心配なく。必ず倒しますから。そのあとはきっと平和で安泰とした世が来るでしょう」
私が座っていた場所に王子が陣取った。
肘をつく王子の傍に、デフテロレプトの魔導書が置いてある。
王子には見えない”私からのメッセージ”が残るそれも、きっとなにかしらバグなのかもしれない。────だから記された言葉を鵜呑みにすることはやめた。
「……最後の夜くらい知らない場所で、楽しくお話しをしたいと思うのはだめですか」
「別に最後じゃないでしょう。帰って家族に無事を報告しなければ、旅立ちは完了と言えません。出たきりで消息不明になったら、そんなの失敗と何が違うんでしょう」
「……旅立った先で今までと違う自分に出会ったら、元居た場所に帰らずにそこで使命をやり遂げる人もいるでしょう。帰らないからと言ってそれを失敗だなんて。狭量ですねテロスは」
「まるでどこにも戻らないような言い方をされるから。行き方は私が解読しても、お帰りは? その後のことは考えてあるんですか?」
迷わず進むけれど、振り返ることはしない。人の願いが厄災を生んでしまったのなら、彼も祝福が産んだ欠陥によって、身動きが取れなくなっているのではないのだろうか。
彼を飲み込まんとする闇がサングラスを通じて見えるが、それは真実なのだろうか。──デフテロレプトの後悔が私を巻き込もうとしているのではと、そんな馬鹿らしい考えが浮かんだ。
「わき目も振らず目的を果たそうとなさるけど、ひとりで頑張る必要はないでしょう」
「…………あなたには、言われたくないですね」
「そんな努力キャラに見えます? 自分で言うのもなんですが、私は私のことしか頭にありません。非常に自分勝手に生きていますよ」
「知っています。あなたが自己中心的で人の気持ちも考えない、無神経で頑固なめんどくさがりの融通の利かない無名の魔導士だって」
「………………そこまでボロカスに言われるようなことしました?」
昨日はオブラートに包んでくれた優しさがない。
たった一日でひどい掌返しだ。身に覚えがないけれど、妙に突き刺さる指摘に心が傷付いた。
だが王子も取り繕う必要はないと思っているのだろう。こっちも気遣いと言うほどのことはしていない。
ある意味、対等に接していると言えるだろうか。────今まで築き上げたことのない他人との距離感だ。呼吸と同じ。意識せずともごく自然に受け入れているのだから、妙なものである。
それでも今は、突然組まされたこの関係を素直に受け取っている。
「だいたい魔王ってどうやって倒すおつもりで? そんな装備で大丈夫ですか」
「この石を覚えていますか。エラペ・ボリオンの特産です。インクの原料や遊戯の駒、工芸品などに加工されるなんでもない石です。美しい色から『神の輝石』と呼ばれ、昔から人々に親しまれているんです」
何処からともなく取り出したのは、小さな手に収まるほどの真っ黒な石。にぶく輝くも、魔力なんか感じない。ごく普通の石だ。
「これにある呪文を込め、魔王が第二形態に移行する際に打ち込むと、諸々スキップして一瞬で消すことが出来ます。この道程で最も簡単な作業ですね」
「なるほど……。全く分かりません」
第二形態ってなんだ。諸々スキップって、何をスキップするんだ。スキップすると、……どうなるんだ? スキップって、王子がご機嫌な時にしていたアレ?
何をどう突っ込んでいいか分からず、脳内で理解が座礁する。どこにも着岸出来そうにない。
「そんな一言で済ませないで欲しいですが、最も安全で簡単な攻略です。魔王を倒すなんてこと、わたしにとってはどうということのない作業のひとつでしかないので」
「さいですか」
食糧保管庫を開けると、昨日の朝と同じ品揃えだ。私を転移させた後、おばばもすぐに家を出たのだろう。どこで何をしてるのか知らんが、人に面倒を押し付けて何をしているのかと憤りが湧き起こる。
バグを消す。それは至極当然で必要なことだ。
自分たちが使っている魔導に不調をきたし、現在の運用に不足があるということでもある。
しかもそれが自分たち魔導に携わる者以外に単体で生じ、それを排除すれば簡単に問題は解決出来る。
最初の失敗と同じ。偶然生じてしまった完全無欠ではないものを削除すれば、当面安泰するという簡単な答え。
だが、そんなの根本的解決にならない。
再度危機が訪れた世界が『答え』だ。
最初から個別に『祝福』を与えることなんてこと、すべきではななかったのだろう。
不平等で不公平で、自然に任せ淘汰のある世界こそが正しくて、身の丈に合わない背伸びをさせたのがより大きな不幸を招いた。過分な力を得てしまったからこそ、知らず知らず大きくなった問題の中に取り残される。
たとえ同じ時間を生きる人たちに、『幸あれ』と願っただけの事だとしても────。
全てが遅い。
『祝福』も魔導もない世界になんかならないし、そう考えること自体がただの現実逃避でしかない。
魔力は何もしなくても世界に溢れ、魔導でもってそれを制御し扱うすべを手にしている。身を守るために力を得るのと同じ。生きるために糧を得るのと同じくらい自然で当たり前の行為は、形を変えてでも必ず私たちの眼前にやってくる。
『魔導のない世界』なんてただの空想でしかありえない以上、私たちは紡いできた世界の在り方を拒否できず手放せもしない。
問題が起きた時点で、対処するしかないのだ。
影の中にあったものが日に当たり、初めて私たちは『問題』を知る。そうやって人々は、多くの事を明らかにし続けてきた。
だから────、多くの利を守るため小さなものに犠牲になれと、短剣を渡されるこんな『今』は、絶対にお断りだ。
「──聞いてますか、テロス。わたしの話を無視しないで下さい」
「なにも聞いてません。自己中で人の気持ちを考えない無名の魔導士ですからね、私は」
自分と王子の分のカップを用意して、向かいに座った。
「明日は私も同行し」
「あなたはここに残るんです、テロス。ついて来られると迷惑です」
今まで元気だった王子の声は温度が下がる。
絶対に譲らぬ想いが、私を拘束し続きの言葉たちを捨てさせた。
「魔王討伐はわたしの役目で、あなたはただの同行者。役割分担です。だから、この先にただの同行者はいりません」
言いたいことが形にならず、頭の芯が痺れるような感覚に襲われる。
『名』による干渉を受けているのだろう。────自由に思考することを制限されるのが、こんなにも苦痛を伴うものだとは思わなかった。カップを掴む手に力が入る。
「だったら……、私はあなたより長生きはしているんです。……頼りなくとも、せめて相談くらいはして下さい」
魔導書に書いていある通り、王子の状態がデフテロレプトの過失と同じ状況なら、何かしら手立てがあるはずだ。
あの頃から千年以上経っている。原初の資料があれば、解明出来ることも多いはずだ──────。
「常に危機はわたしたちの隣にありました。ピュアネプシオンでもご覧になったでしょう? 起こる災いに対策も講じてきたけれど……、いつだって被害を失くすことは出来ませんでした。大元を絶つために前進する以外に出来ることはあるでしょうか。大事が生じてから対処していたのでは遅すぎる。対策を講じている間にも被害は広がっていくのですから」
────────何度も何度も、目の前で大事なものが奪われる。
同じ時間を繰り返すけれど、まったく同じことが起きる訳じゃない。都度変化する状況に対処したこともあるけれど、それでは遅い。これから起こることを伝えても、理解し信じてくれないのと同じ。
目覚める度にやり直してきたけれど、運命だけは頑なに変わってくれなかったのだから──────。
「世界を守るためにわたしは使命を果たします。他に期待することはありませんよ」
「────疑問や未知を明らかにするために、試行錯誤し実践と実験を持って明らかにするしかない。予想外の問題に振り回され、壁にぶつかることも多いですが、『間違い』を知ることも正解なのです。無限にある可能性を、実現可能の観測範囲まで絞り込めるのですから」
落ち着きを見せる紫色の瞳をした王子は、冷たく突き放すように手の内を見せない。まだ小さいのに、行動と思考を簡単には切り崩せないということだろう。
幹から伸びる枝葉のように、人生にはいつだって選びれきれないほどの選択肢が現れる。行く先々で辿る道がなくなっても、求めるべき答えが見つかるまで、思考し試してくしかない。間違っていても、引き返すための手立てや、正すための道は見つかるはず。
地道で気の遠くなる作業だが、問題がある以上迂回しても見ないフリをしても、後悔と言う形で心に影を落としていく。だったら向き合うしかない。
無名の魔導士としての何十年も研究してきたのだ。自分のやりたい研究課題でなくとも、任され何年も携わったことだって一度や二度じゃない。
研究者として根気強く物事に取り組むことは、『無名の魔導士』たちの中でも指十本には入る。────たまに出るおばばの譫言だが。
大事な旅に推薦された理由が何かしら私にあるのなら、今はそれを信じたい。
「王子が魔王を倒したところで、本当に『平和で安泰とした世』なんて来るのでしょうか。何をもって魔王を討伐したか、確かめようもないのに断言することに未確定の不安が残ります。まして欠陥がおありな状態と分かっているのなら尚の事、あなたが成すことを誰が信頼出来ましょうか」
未来予知に近い能力だ。核心があった上で、端から見て理解不能な行動を取っていると理解すれど、────王子に理解を示してはならない。
「たとえ適当に選ばれた人選であっても、可能性が目の前にある以上私は見過ごせません。王子のバグを明らかにし、そんな力がなくても済むように、必ずや私が問題を取り除いてみせます」
理解しがたい状況が並んでいるが、結論を急いだところで良いことなどない。目に見える成果の後ろで、新たな問題がいくつも隠れていたなんてこともあるのだから。
不安に苛まれ目的を見失ったとき、すぐ近くにある簡単で安易な結論に縋りたくなってしまう気持ちも分かる。
「だから……、私は同行者ではなく、探究者として王子に同行すべきです。役割分担だと言うのであれば、あなたの身に起こっている欠陥を解明するためには私が必要です。ただ問題を無視して排除して、簡単に『話は終わり』と完結はしたくありません」
────────短い時間の中で、付きき合いだけは長くなった魔導士の言葉に、王子は苦笑した。
「……────あなたなら、そう言ってくれるでしょうね」
わたしのことを知れば必ず付いて来る。
自分が大事と言いながら人に余計な気を回し、考え事に没頭しているかと思えば誰かのために行動してる自分勝手な人。腹を決めると梃子でも動かない。
だけど研究者としての熱意と、どこまでも物事に真剣に向き合う姿勢に、わたしにこうなりたいと思わせた。
「王子は昨日仰っていましたよね、神にすら干渉できると。その欠陥がいつでも使えるなら──」
「以前。女神ランプロティタ様や、大精霊パライアニクシィ様に干渉してみようとしたことがありますが、しっぺ返しを受けたことがあります。……実のところこの欠陥は万能ではないし、わたしごときが干渉出来る方々ではないのです」
「あー、既にやったんですか。では今の話は保留で」
いつでも変わらぬ魔導士さんにくすりと笑う。不敬と宣いながらも、彼もとりあえず使えるものは試してみる人だ。────手段を選ばず、人理を超越し、可能なこと全てを利用したって、自分の理想を追求する執念を持っている。そんな彼を見習ってここまできたのだ。
用意されたカップに口を付けた。
「────不味っ……! これって……、飲み物ですか? …………客人に出すものを間違えていませんか?」
口を付けたカップは赤黒く、小さな泡が立っている。弾ける香りは爽やかなのに、苦さとえぐみが口の中に残り続けた。
「花蜜とトゥリテイチゴのソーダ割です。お子さまにはまだ早かったようですね」
しれっとカップをあおるテロスは、涼しい顔をしていた。
未成熟な身体ではあるが、こんなものを好むのは彼だけだ。きっと。
口の中に残る不快感にどうしたものかと悩んでいると、後から香り通りの甘味がやって来た。……妙な飲み物だった。
わたしはカップを出来るだけ遠くへ置いた。
「今夜中にデフテロレプトの記録を解読します。集中するので王子は明日の事でも考えてい下さい」
「………………明日?」
「えぇ。何か勝算があるのでしょ? 必ず勝つ算段があるというのに、同行者のひとりも連れて行けないというのは安全性に欠けるということ。まだどこかに改善の余地があるのでしょう。寝る気がないのなら、ここで一緒に考えましょう」
「……今、ご自身で魔導書を読むと仰っていたでしょう?」
「会話をしながら本を読むことくらいできます。集中するときは申告しますから。──魔王討伐が終わった後、王子はどうされるんですか?」
頬杖をつき、傾ける本に向ける視線が鋭くなっていく。
いつかこんな風に本を挟んで会話したことがあったと、遠い記憶が思い出された。
「城の者たちが吉報を待っているでしょう」
現場に居合わせたことがないため知らないが、帰りを待ってくれている。わたしは王家の子、魔王を倒すと予言された王子だ。
良き知らせを届けることと、帰還の準備をしているだろうことは、何度も彼らのそばにいたのだから知っている。
その願いが叶えられないことだけが心残りだったけれど、その後に関われないだけに他の者たちに任せるだけ。
「なるほど、そうでしょうね。だったらその後は王子の欠陥を解明し、直すために傍に置かせてもらいます」
「…………パンセレノス城で一緒に暮らす、ということですか?」
「いえ、研究のために置かせてもらうだけです。昨日、同行しなかった場合に備え、私が自由に過ごせるよう何か用意してくれていたでしょう? そこを使わせてもらいたい」
文字を追うばかりの姿と、予想外の言葉に面食らう。
こちらがした質問と、彼の答えの違いが分からない。食客として置くか、研究者として雇い入れるかという違いだろうか──。
今回、はじめてテロスの家へとやって来た。長い間、家が狭い遠いだのと言い、頑なに人を遠ざけて来た場所だ。招かれるなんて考えたこともないだけに、終わりの夜を楽しい気分にさせてくれた。
今までと違う出来事だ。ひと時見る夢なら、短い夜だってら構わない。
巨木と一体になった狭く物で溢れる家は、窓の外が真っ暗。虫や鳥の鳴き声が届き、更けていく夜を奏でている。
いずれ夜は明けるだろう。ここへ訪れてからそんな軽い気持ちでいた。
『明日』について二人で話すのも、何回目振りだろう。
いつもならテロスは研究のために帰ると譲らず、他のメンバーも自分の人生に帰っていくと話していた。
たとえ帰還しても、みんな別の道を辿るのが決まっていた。
ひとつの目的で集まっただけのパーティだ。
目的が果たされれば、それぞれ自分の時間に帰るのは摂理だろう。当然の帰結に疑問を持たず、全てを受け入れていたつもりだった。
────わたしは頭を抱えた。
急に気付いてしまったからだ。
何回も一緒にいたのに、何故いまさら知ってしまったのだろう。今日まで存在すら知らなかったものだったのに──。
「…………明日も、その先も──、テロスはわたしの傍にいてくれるということですか」
すでに何度も二人で旅をした。
大魔導士様の指示で現れるだけで、自発的に来た事なんかない引きこもりの年長者。消極的理由でやって来て、対等に接してくれつつ、子どもだからと後ろ手に庇う。武勇も向上心もないけれど、背伸びをしなくて良い関係が安心できた。
これから先があるという話に、何故こんなにも心が動かされるのだろう。
「王子と、長年使用している祝福が引き起こす欠陥について原因の追究と解明が終わるまでです。どれくらいかかるかは分かりませんが、必ずやこの謎を解明してやります。……そうだ、過去の記録も確かめないと」
淡々とページをめくる音と読むことに集中していた声が、新たな気付きでテロスの顔を上げさせた。
部屋のどこを見ているのか、しばし考え込むとまた本に視線を落とした。
「……テロス。明日、もし一緒に帰還することが出来たら、わたしにはやりたかったことがあります」
「いいですね。やりましょう」
すぐ返される返事は半ば上の空だ。届いているのか不安だが、聞いてなければそれでもいい。『明日』、全てが終わった後に驚かせてもいいと思えたからだ。
躊躇うように深呼吸する。
遠い昔に思い描いた夢を、手にするため挑戦するのも良いのではないだろうか。
「勝利の凱旋と……、このサングラスを使っての懇親会です。……王城では打ち上げに派手な音楽と光を流し、身分も階級も関係なく誰でも参加できるパーティをするとか……。テロスも参加してください」
一度だけしか出来なかった、浜辺で開催した大人な時間はとても楽しかった。
あの時間をもう一度、今度は大切な仲間と再演してみたかった。
気付くまでは普通に会話が出来ていたのに、言葉のひとつひとつを選ぶ度緊張が走る。
こんなのはじめてだ。
できるだけ平静を繕いながら、以前までの自分を思い出し言葉を紡ぐ。
「──魔王討伐は三日で成すと伝えてきました。だから大魔導士様たちも王城で、無事の報告を待っているでしょう。ピュアネプシオンの無事を確かめたら、盛大にやりませんか?」
「……………………ご冗談でしょう?」
本から視線を上げた魔導士は、大きく目を開けて驚きを見せていた。どうやらちゃんと話は聞いていたらしい。
面食らうテロスと目が合えば、自覚した心が気後れする。
まだ大きくならない拳で机を叩いた。──もし次の機会に行ってしまえば、どんな顔で会えば分からない。
初めからやり直しになるくらないなら、────ここで惜しみなく勇気を振り絞るべきだろう。
「──っ、冗談ではありません。わたしは本気です」
「……サングラスって、………………そのサングラスですよね?」
「そうです。テロスもお持ちだったでしょう。先ほどつけていらしたので、ないとは言わせません」
もしまた目覚めから始まることになったとしても、次の支えはここにある。
肺から全ての空気を吐き出すほど深いため息をつくと、テロスはこちらを見据えた。
「陽キャのパーティを開くのは構いませんとも。どうぞご自由に。私は不参加で」
「ダメです」
「おばば──、いえ、偉大なる大魔導士の面々もいるのでしょう? あの人たちとなさって下さい。ビッグタイトルが並んで、さぞかしご機嫌なパーティになりますよ」
「わ、──わたしの同行者たるあなたが参加しないのでは、ご機嫌もなにもありません」
「たとえめでたい席とはいえ、赤の他人ばかりの集いに混じるのはキツイです。しかもこんな浮かれた装備……。丁重に辞退いたします」
深々と頭を下げ、また魔導書に目を通し始めた。──仲間の魔導士は、ずっと前からこんな性格だ。
あの時はどうやってこの偏屈を参加させたか、思い出せない。きっと他の大人だった仲間たちに背を押され、参加に踏み切ったのだろう。
何度目の再開か。面倒で厄介な年長者は、魔王討伐まで同行させれば喪失という別れが来る。変えようのない現実が、すぐ側までやって来ていることに、心が急いた。
────きっと、もっと大人の見た目をしていれば、もう少し真面目に今の話も考えてくれただろう。
初めて幼い見た目を悔やんだ。
「……ひょっとしてお疲れなのでは。そろそろベッドへ行きましょう。昨日も野外でよく寝れなかったんでしょう? ……もしかして枕が変わると寝れない性質ですか」
「結構です。それに気が変わりました。──明日、パンセレノス城でわたしの帰りを待っていて下さい。わたしが戻ったら好きに研究出来るよう、テロスの望むように取り計らいましょう」
「…………どこへ行く気ですか、ベッドはそちらじゃ」
「わたしが役目を果たし、無事に帰還出来るようどうか祈っていて下さいませんか?」
席を立ち、入ってきた扉の前に立つ。ここから旅立つのは初めてだが、いくつか頭の中にルートを思い浮かべる。
今までの経験で、必ず目的の場所へ辿り着けるだろう。
魔王を討ち果たすなど、準備を重ねた今必ず勝つことは定められていると言っても過言ではない。
如何なる手段を用いてでも、世界は救う。
その次へ────。ほのかに熱を持った想いが、わたしの気持ちを強くさせた。
「ちょっと……! 急ぐ事はないでしょう。まだ明日になるまで時間はあります」
「明日、また再会いたしましょう」
「お待ちを。話は終わってないですよ。結論を急がないで下さい──」
引き止めようとこちらの手を取ると、見上げた魔導士さんは焦っていた。
こうして何度も交わした別れだ。見慣れた姿が胸を締め付ける。非力な私の手よりも大きくて、訴えるように合わせる目線の高さを見返した。どうしたら引き留められるかと、悩んでいるのが彷徨う視線に現れる。彼の手に片手を重ねた。
またひとつ、魔導士との別れを重ねるために。
「わたしが無事に城に戻ったら、先ほどの話をどうか考えておいて下さい。約束ですよ」
「そんな話は後です。冷静にこれからのことを話し合いましょう。まだ何も私は分かってないんですから、もう少し時間を下さい──」
「わたしは至って冷静です。今一度、テロスに時間を差し上げます。わたしとの再会まで、存分にお使い下さい」
「はぁ? そんなの詭弁だ──」
魔王を倒しても、またベッドから始まるかもしれない。この時間は再び無為となり、わたしの中でしか存在し得なくなるだろう。
──今この瞬間、生まれたお話の続きが知りたい。後悔ではなく、期待と希望に繋がる『明日』を見てみたい。この先どうなるのか、大事な仲間と共に進んでみたい。
この身に募ることのなかった熱が、迷いを消した。
「わたしの名はアヴリオン。明日と言う意味です。────『明日』とは、必ずやってくるものでしょう?」
決意を新たに王子は扉を抜ける。
引き止める手はすぐ消え離れるが、残る感触が気持ちを強くさせてくれる。
叶わなかった勝利の凱旋も、一度しか出来なかった楽しいパーティも、胸の奥にしまっていたものを手に、己の役目を果たすと、決意を固めた。
次なるエンディングに向かって、王子は世界の裏側を駆けて行った。
Tips:この後について。
約束の日、まだ日も明るいうちにパンセレノス城に王子は帰還した。城の者たちは喜び、王子の無事を盛大に祝ったのだった。
ただひとり、ウトピア大魔導士の弟子、王子の同行者に選ばれていた無名の魔導士だけは、王子の帰還を祝わうことはしなかった。周りの空気に流されず、静かに怒りを表し続けていた。彼の師や周囲の説得にも応じず、一言も口にしなかったのだった。
それに構わず、王子は魔導士に帰還の報告と謝罪をした。伝える言葉とは裏腹にやたら笑顔でご機嫌で、周囲か何事かとヒソヒソされるのも構わず、魔導士はしばらく王子とは言葉を交わさなかった。
不機嫌の理由は王子も理解している。けれども魔導士は、王子はまだ幼く無謀で意味不明なところがある。それに己の弱点も差し出している。──それぞれを加味し、20回目の謝罪で魔導士は王子を許すことにした。彼には王子の身に起きている欠陥の解明と修復、『祝福』という魔導について改めて問いただす必要があるからだ。
大魔導士たちと話し会う前に、ピュアネプシオンのドラゴンを鎮圧し、各地で広がりを見せかけていた魔王の影響を抑えた。
国中が平和になった頃、改めて王子を讃え凱旋パレードと宴が催された。
「ただの足役で、何かを讃えられるほどのことはしていませんので、参加は見送りで」
「わたしは魔導士さんとやりたいので。隣へどうぞ」
「いや、本当に……。虚無を讃えられても、私が居た堪れなさすぎるので勘弁して下さい。……もしかしてアレですか? なかなか許さなかったことに対する仕返しだったりします?」
「ただ一緒にやりたいだけなのですが。ご自身が納得出来るよう、どのように解釈なさっても構いません。お好きにどうぞ。この後も予定が詰まっていますので結論はお早めに」
「もう急ぐ必要ないですよね? そんなに急かさないでくれますか──」
「……何笑ってるんですか、王子。今は妥協してやらなくもないですが、夜は不参加ですよ。書庫室に篭りますから」
「パーティに参加するのも、たった数時間だけのこと。……城の者たちに紹介するので、挨拶するだけと思って少しだけお時間くれませんか」
「もう充分と言っていいほど、顔も存在も知られています。これ以上人と関わらなくて結構です」
「これからもここで過ごすなら、円滑な人間関係は必要だと思います。あなたは王子付きの魔導士さんなのですから────」
小さな王子の隣に、魔王討伐に参加させられ暗殺命令を下された無名の魔導士が側にいた。王子の身に巣食う欠陥を取り除くため、研究と調査に打ち込み長い時を過ごしたという。
──不敬な発言も多い魔導士の横で、お小さい頃に比べ笑うことも増えた王子の姿がよく目撃された。
ようやく平和がやってきたのだと、誰もが思った。
〜END〜