6.安定第一、行動は慎重に
「お疲れさまです。魔導士さんが願って止まない地上へと、戻りましょうか」
王子はデフテロレプトの魔導書を入手した。
水中なのに呼吸も会話も出来て、水圧もない。むしろ身体が軽く感じるなんて意味不明だ。魔力を使わず、何故今自分がここにいるのか、私はずっと疑問符に支配されている。
そんな王子は台座に鎮座した魔導書を手にするなり私に押し付けた。
まるでいらない荷物だと言わんばかりに。
「王子、これは貴重な資料であり、魔力を持つ書物です。何が起こるかも分からない以上、扱いは慎重に」
師に次ぐ魔導書の扱いの雑さに、思わず文句が出た。
世間に普及している魔導書は、赤子が手にしても害は及ばぬよう安全面に配慮されている。だから皆、忘れてしまうのだ。本来は危険なものであるということを。
ナイフだって便利に使える道具である一方、命を奪う武器にもなる。魔力が込められたものも、それと同じだ。
隠され厳密に保管されている魔導書は特に、癖のある封がなされている。手にすべきものを選別するように、試練ともトラップとも言い難い術が掛けられ、本を開ける前に死んでしまった人だっている。
笑い話のようだけどこれは本当の話で、今でも似たような話を耳にすることがある。主におばば経由で。
「その魔導書、高度過ぎて私には読み解けないものだからつい……。魔導士さんなら何とかしてくれると思っていたのですが、確かに失礼な振る舞いでしたね。申し訳ありません」
ぺこりと柔らかな金糸のような髪を揺らし、王子は頭を下げた。
「手に取っただけで内容が分かるのですか? ──ですが、それとこれは問題が別です。危険かどうかも分からない内に、軽率に触れてはいけません。ここで何か事故でも起きたら、王子を地上までお連れできないでしょうが」
「先にわたしが魔導士さんをここまでお連れしたんですけどね」
杖で照らされた遺跡は、死んでいるかのように何の音もしない。灯りのひとつもなければ何も見えず、水に埋められた場所にいることを思い出すと、頭の芯から指先まで冷たくなる。
こうやって王子と軽い調子で話しているが、音がなくなるのが嫌でずっと下らないことも含めて二人で話していた。
話し声が響きすらしない環境に、無理やり置かれている現状が恐ろしい。狭い通路は入り組み、もし迷ったらと思うと恐怖で気が触れそうだ。────呼吸が浅くなると大きく息を吸い、無理矢理気持ちを落ち着かせる。
平静を失えば、人はあっという間に壊れる。長い間生きてきた上での教訓だ。
……よく王子は、こんな場所でも迷わず進めるな。暗がりを怖がることもなく、未知を恐れることもない。笑顔が絶えず、足取りは軽い。若さが羨ましい……。
昨日は無知からくる蛮勇と思っていたが、冷静な勇気とでも言うべきか。王子はどこまでも落ち着いており、迷う素振りもない。
全てを知っている者の余裕だろう。彼の目にいったいどのように世界が映っているのか、────そちらの方がずっと興味がある。
小さい子を頼るのはどうかと思うが、魔王を倒す使命を負った人は違うなと、つい安心感を覚えてしまう。見た目に反し、大人な対応のせいかもしれない。────あまり関心出来ることではない。
少しでも早く地上へと戻りたい気持ちが、足を早めさせた。
「開かれている広間以外は魔導も魔法も使えないと言ったでしょう? ですからこの魔導書もあの座から降ろしてしまえば同じように制限がなされるので、実は今の内が最も安全なのです」
「それも『全知』の能力ですか?」
「えぇ、そうですね。地上に上がるまでの間、魔導書に目を通しても構いませんよ。時間がないから立ち止まってなんてことは出来ませんが。最初と同じように引っ張って差し上げましょうか」
「自分で歩きます。ですが歩きながら未知の魔導書を読めるほど、私はマルチタスクが出来る方ではありませんから」
「魔導士さんなら大丈夫ですよ。ですがあなたに取っ手でもついていたら、便利なんですけどね」
「……………人間に取っ手がついてたらって…………。とんでもない発想をなさる……」
「引っ張るように人体は出来てないのですから、それが不便だと思っただけなのですが」
子どもって、たまに訳わかんないこと言うよな……。屈託なく笑うそんな王子の傍にぴたりとついて、来た道を戻る。
もうひとつ不安……、というか不快なことがあるのだ。
『鍛冶屋:スクリロの鍛冶屋にようこそ』
ずっと鍛冶屋のおっさんの視線を感じ、買うのかどうかと問われる圧が隣にある。いやだなぁ……。親しくもない他人の顔が近くにあるって、かなりストレス。
乗車率200%の乗り合い馬車だって、もう少し情緒があり人情味があるものだ。
わずかばかりの連れ合いでも、『きつくてつらい』という状況が不思議と連帯感を生み出したりする。目が合えば励ましたり苦笑したり、何かしら共有出来るのに。──中には全く空気を読まない輩もいたりするが、それはまた別の話。
だが今はどうだ? たった二人──、いや三人しかいないし、距離を取ろうと思えば充分なゆとりもある。
なのに買いもせず、一方的に鍛冶屋を利用しているだけの、この状況。……発光するおっさんの存在感が重い。
鍛冶屋があったイヤヌアオリスから、魂だけがここに来ているのだろうか……? 王子も原理がわかってないようで、説明されてもよく分からない話だった。
頭数に数えていいのか悩んだが、定期的に『スクリロの鍛冶屋にようこそ』と声を掛けられるのだから、存在ものと扱うべきだろう。無視したくても出来ない状況に、こんなの私の本意じゃないと同意を求めた会話をしたけれど、同じセリフを繰り返されるばかりだった。
共有できない気持ちが、さらなるストレスを私に与えてくるのであった。
『鍛冶屋:スクリロの鍛冶屋にようこそ』
「あとは魔王を倒すためのアイテムを回収しに行きます。……魔導士さんがお帰りなるなら、せめてピュアネプシオンにわたしを送ってもらってからでもいいですか?」
「魔導書は私が読まねばならないのでしょう? だったら必要なことが判明するまでの間は協力します」
魔導書を魔力の込められた布で保護し、鞄に入れた。
すると、こちらを見上げる王子と目が合った。
「……さっきは帰りたいと散々喚き散らしましたが、既にいただいてる装備や、向上した能力分くらいは働きますよ。この魔導書の中身も気になりますし」
「ありがとうございます。────魔導士さんならそう言ってくれるだろうと思っていました」
こちらの返事に満足したのかにこりと笑うと、王子は小さな足でスキップしていった。
何が楽しいのか、彼はこんな場所でもご機嫌だ。
いかついおっさんをなるべく視界に入れないよう顔を背け、私は小さな王子を追いかけた。
******
古都ヘカントバイオーンから南南東にあるエラペ・ボリオンへ移動すると、王子の予定はすぐに終わる。
同行も手伝いも必要としない簡単な用事で、滞在時間も五分となかっただろう。
王子は何か石を買ったようだが、子どもの手に収まるだけの小さなものだった。
次に東南に位置するピュアネプシオンという街に、私たちはやって来た。
女神ランプロティタを篤く信仰する、古い街だ。初代勇者が国を興すよりも前から、普公神殿をいくつも有している聖地でもある。
白い石造りの街並みに、ぐるりと囲うように存在する円環のオブジェが街と外との境界を示す。なだらかな坂の一番上に見える大きな神殿こそが、世界最古の建物で信仰の中心地だ。
また、女神に忠誠を誓う聖騎士が在籍しており、世界で最も治安の良い場所として有名である。
そんな街中で王子は言う。
「あのネアセリニ神殿にある聖杯をお借りしてきます。少々手続きを省略してきますので、転移の準備をお願いします」
嫌な予感がする。
ちなみに鍛冶屋のおっさんは、既にお帰り(?)頂いた。
遺跡を出るなり王子が購入しないとおっさんに言うなり消えたので、悪いことをしたような気がして落ち着かない。
「手続きを省略──、ですか。借りるんですよね? 魔王討伐の為なら、ネアセリニ教会の方々も喜んで協力して下さることでしょうね」
「長ったらしい会話と手続きが面倒なので省略です。では、また後ほど」
「待ちなさい」
遺跡で他愛ない会話を重ねたからか、王子の説明は砕けた内容となっていた。素直で明快な話が今まで以上に分かりやすくなったが、また禄でもないことをしようとしているのも明らかだ。
掴んだ手に、王子が振り返る。
「魔導士さん、今日はまだ他にも予定がありますし時間は有限です。明日控える最終決戦のためにも、少しでも早く用事は済ませるべきと思いませんか?」
「また悪いことしようと企んでますよね? ……気まずいんですよ私が。頼むから正規の手続きを踏んで下さい……。頼むのが嫌なら二手に別れましょう。私が教会へ行きますから、王子は他の準備をするか、宿屋で休むのはどうですか?」
「子どもをひとり放置する気ですか? なるほど、これが昨今話題のネグレクトというものですか」
「はぁ? 誰かに聞かれたら誤解されるでしょう、その言い方。全く違いますからね」
品行方正だった良い子な王子はどこへやら。思いついたいたずらを試したくて仕方ない子どものように、くるくると表情が変わる。
いや──、もしかしたら最初からそうなのか? 境遇や落ち着き払った振る舞いから、そこいらの子どもとは違うものと思っていた。
使命も立場なんてものもなければ、まだお小さいのだ。大人を揶揄うくらいのいたずらも普通にやる、どこにでもいる少年のひとりなのかもしれない。
手を離し、王子と目線を合わせた。
「だいたい言葉の意味を理解して使ってます? 児童虐待で私が捕まってもいいと?」
「おい、そこの。ちょっといいか?」
人気のない路地で、王子と二人で話していたはずだった。
よく通る高めの強い声が乱入する。思わぬ呼び止めに、心臓がキュッと縮んだ。私がノミだったら死んでいただろう。
恐々振り返ると……、白鉄の軽鎧に身を包んだ青髪の女性が腰に手を当て、厳しい眼差しを私に向けているじゃないか。
「芳しくない話が聞こえたが、こんなところで何をしているんだ」
魔導士は胡乱な目で見られがち問題。
残念なことにこれはよくあることなので、諦めるしかない。
魔導士は研究職。あまり活発に人のいる場で活動しない分、不審者然とした陰気な見た目と格好をしがち。
なぜなら研究のことだけ考えていたいからだ。オシャレも外聞も気になどしていられない。
どうしたものかと立ち上がり、言い訳を考える。
彼女の軽鎧に聖騎士ルラキの獅子紋が見えた。この国で最も名高い騎士団だ。そう言えば、────女神信仰者の中には、魔導士を嫌う者もある。理由は様々だし、王子もいるのでこうして人気のない場所にいた訳だが。
金色の険しい眼差しが逃がさないと見つめ、ずんずんとこちらにやって来る。
────あっ、頭が真っ白になる。
「その髪と、瞳の色……。まさかA王子?!」
彼女は王子の前で膝をつき、驚きの声を上げた。
「……その名前、実は通称名だったんですね」
「魔導士さんってわたしのこと、全然興味ないですよね。実は世の中のほとんどの方は、わたしの名前が『A』ということくらい知っているんですよ」
「王子のことはどこから手をつけたらいいのか分からないため、持て余しているだけです」
「……もう少し世の中のことにも、目をお向けになった方が良いかもしれませんね」
王子を畏れ敬う聖騎士を他所に、述べた感想に王子が返事をした。つい今までのノリで会話までしてしまうと、聖騎士がこちらを睨んだ。
「A王子、何故ピュアネプシオンに? 来訪の知らせはなかったはずですが」
「訳あって世を忍んでおります。わたしがここに居たことは、どうか伏せておいてくれませんか」
「…………」
三度、鷹のような眼光がこちらを睨む。私がネズミだったら餌となるべく身を差し出していただろう。
王子の説明で、不信感をより強めてしまったかもしれない。息苦しい雰囲気がどんどん私と彼女の間に追加され、思わず両手を挙げた。降参だ。
すると王子もこちらをじっと見上げた。もしかして王子にとっても予定外の出来事だったのだろうか。何を言うわけではない沈黙がこの場に訪れた。
どうしたものかと息を飲むが、静かで張り詰めた空気だけがどんどん大きくなる。
ここで分かることはひとつ。現在、先を急ぎたがる王子の時間を絶賛無駄にしているということだ。
黙ってこちらを見つめる王子は何も言わない。────このまま私が聖騎士に捕まれば、口煩い足手まといが消える──。もしかしてその顔、そういう計算をしてる……??
これまでと違い何もしようとされない王子に、嫌な予感パート2が早くもやって来た。
二人からじっと見つめれれば見つめられるほど、冷や汗がダラダラと流れていく。
何故、手を挙げてしまったんだ。
まるでありもしない罪の告白でもしているみたいじゃないか。
「もしかして貴様……、王子を誑かし連れ出したのか? 誘拐を口止めさせているのだろう。許すまじ」
「ご、誤解です……。わっ、ワワワたしは……、その」
するりと抜かれた剣が、目の前に突き出された。
目的は、ネアセリニ神殿にある聖杯をお借りすることです。
だがこんな状況で、申し出てどうにかなるか?
義心に燃える彼女の前では、私が何をしても火に油な気がしてならない。
無名の魔導士、ここに散る。
────完────
「不審者め。獅子ルラキの名の下に、貴様の罪状を明らかにしてやろう」
「リムニ──、この方はわたしの魔導士です。剣を収めて下さいませんか」
聖騎士は動揺を見せると、王子を振り返った。
「お願いします。それにあなたの剣は今ここで使うべきではありません」
彼女は剣を収めてくれたため、命乞いの手を下ろす。リムニ────、彼女の名前だろうか。それを使い彼女の行動を縛ったとでも言うのか。
素直に従う聖騎士は、王子の前で跪き手をついた。
「ありがとうございます。無理を言って申し訳ありませんでした」
「……女神の祝福を受けし王家の子であれば、いかなるご命令にも従います。ですが、何故…………」
彼女の戸惑う顔に笑って濁すと、王子は聖騎士の手を取った。
「これからこの街に災いがやってきます。あなたの力が必要です。今すぐ街の中心へ向かって下さい」
「そのようなこと──」
王子が神殿とは逆の方向を指差すと、突如夜が来た。
一体何がと見上げれば、巨大な何かが街の上を通過している。──真っ黒なぬるりとした何かが風を切り、すぐに夜が終わった。
一瞬のことだった。
異質なものがあまりにも早く通り過ぎるものだから、脳が情報を処理できない。見間違いだったのかとも思うものの、視線が通り過ぎた影をまだ追ってしまう。
大きな風が遅れてやってくると、身体が地面に押しやられた。遅れて何かが割れる音が方々から届き、砕け散る音が不協和音を奏でた。
あちこちから悲鳴が上がると、大地が揺れた。
「一体どうして……っ! ────何故ドラゴンが現れた!?」
王子の指し示した方向へ弾かれるように、聖騎士は駆け出して行った。
空から訪れた真っ黒な巨体は円環のオブジェを破壊し、翼と長い尾で街を薙ぎ払っていく。咆哮が宣戦布告のように街に降り注ぐ。
狭い路地から、全てが見えてしまった。
「行きましょう魔導士さん。予定より遅れてしまいましたが、今ならこの混乱に乗じて目的を果たすことが出来ます」
「……ごっ、…………ご冗談でしょう? あんなのを、放っておくおつもりですか……」
真っ黒な巨体が動くたび、白い街並みが壊され散っていく。口から火炎を放ち、街を黒煙に染めて上げた。
ついさっきまで穏やかな街のはずだった。
平穏は唐突に終わってしまった。
「では、あのドラゴンをどうにか出来る算段があるのですか?」
「そ、それは…………」
なにかしなければと焦る気持ちと、突然の出来事に身がすくみ、現実が受け入れられない。迷っているとカランとすぐ近くで音がした。
手から杖が落ちた音だった。────揺れる大地のせいで、バランスを崩し膝をつく。
「獅子ルラキの名の下、多くの聖騎士たちがここにおります。先ほどここにいた騎士見習いもまた、この街を救ってくれることでしょう。後のことは彼等にお任せするだけ。魔導士さんが気負うことはありません。役割分担です」
悲鳴と破壊音が続く。逃げ惑う足音が四方から聞こえ、自分が今すべきことは何かと、空回る思考で考えた。────力が入らない手に、王子が杖を握らせた。
「あれは魔王の影響で正気を失ってしまったドラゴンです。可哀想ですが、誰かが止めを刺してあげなければなりません。……ですがわたしにはどうすることも出来ません。────魔導士さんはあのドラゴンを止めることが出来ますか? 無名である以上、あなたには大した魔法も使えない。名持ちではありませんから」
小さな手は震えひとつなく、穏やかな眼差しに迷いはなかった。不釣り合いなほど冷静な声が現状を教えてくれる。
こんな時でも変わらない、紫色の瞳が微笑んだ。
「魔王を倒せばこんな厄災は終わるでしょう。誰もが安心して暮らせる世界のため、わたしたちはこんなところで歩みを止める訳にはいきません。ここではない場所にわたしたちが成すべきことがある。……これはそういう旅だったでしょう?」
すぐそばで、誰かが大変なことになってるのに? 見て見ぬふりをして先に行くよりも、この場に残って出来ることをするべきではないのか──?
誰かの絶叫と泣き声に迷うと、王子と再度目が合う。
透き通る紫に星を見せ、破壊音にも動じずゆっくりと瞬きをした。
行く末まで見えているかのような落ち着き振りだ。
最初に会った時から王子はずっと時間を気にしていた。
急いてはいるが、余裕を見せるから危機感なんか持てなくて、────三日という旅路に、もうすぐで終わるというあっけなさまで感じていた。
目前のドラゴンは倒せないけど魔王を倒すなんてこと────、本当にこの王子に出来るのか? 膝をつく私と同じだけの背丈に、たった十年も生きてないこの少年に。
全てを知る王子は微笑んだ。
「わたしなら魔王を倒せます。そこまで行くために今、あなたの協力が必要です」
熱い風に煽られ、細かい破片が飛び背に当たる。
運がいいのか、今いる場所はそれほど大きな被害がやってこないようだ。まるで最初から、ここが安全地帯だと言わんばかりに────。
私は自分の頬を叩いた。
「……私は長らく魔導士をしていますが、治療系の魔法はあまり体得していません。昨日渡された魔導書も、身を守る為のものばかり。……元々、転移や支援など実験に使えそうな補佐魔法が中心で、身を守れる程度の力と知識を有しているだけに過ぎません……」
恐怖と焦りを痛みで上書きし、無理やり落ち着かせた。やりきれない気持ちを杖に込め立ち上がる。
「……ここで私が出来ることは、きっと少ないでしょう。ですが何事も、根を絶つことは大切です……。あなたが厄災を退けてくれるだけの力があるのなら成すべきを成すために、────先を急ぎましょう」
「ご理解頂けてなによりです。ドラゴン討伐まで数日を要しますが、魔王が消えればより被害を抑えられます」
笑う膝を叩き、坂の上に見える神殿へと王子と向かった。
逃げる足音もあちらに向かってるようだ。だが、狙われやすい位置にあることから、別の場所へ逃げろと叫ぶ声も聞こえた。
先ほど、何度も睨んできた彼女のことを考えた。
王子のことは知っていたが、名前を呼ばれて驚いている気がした。
見た目は二十代前半だろうか。人の年齢を見た目から当てるのは不得手なので、王子よりはずっと上と訂正する。
欠陥を使った命令だったのだろうか。……それにしては────。
「さっきの人とは知り合いですか?」
「──遠い昔に出会った、大切な知り合いです」
王子が手段を選ばない理由が分かった今、彼の持つ欠陥も必要な能力だ。
「九歳児の遠い昔って、一体何年前のことですか」
「遠い昔は遠い昔です。百年以上生きている魔導士さんだったら、何年前が遠い昔に当たりますか?」
王子にも伝わったのか、冗談を言い合い平静さを取り戻して行く。
こんな情けない大人に上手く気遣ってくれるのだから、よく出来た王子だ。大きくなったらさぞモテることだろう。──幸せになってほしいものだ。
「彼女は腕も立つし、心の強い方です。必ずやこの街を守って下さいます。安心して背中を任せ、わたしたちは次へと参りましょう」
街の被害なんか届いてないのか、王子はハツラツとした笑顔を見せた。
前言撤回。危なっかしいところがあるので、まだ目が離せない王子だ。──彼を抱え、神殿まで転移することにした。
「王子の言うことが正しいのであれば、先を急ぎましょう。間違っていたらここへ戻ります」
「ぜひそうして下さい。じきに応援も到着するでしょう。多くを助けるなら、ひとりでも協力してくれる手が必要ですから」
使命を持った人は自分を頭数に入れないらしい。
大事な役目があるのだから仕方ないのかもしれない。────惨事を眼下に望む最古の神殿へと到着した。
*****
混乱するピュアネプシオンから聖杯を拝借し、セプテンブリオンという村へやって来た。
借りた地図を見て、初めて存在を知るほど小さな村だった。
私が師匠と暮らすデフテラの森比べ、まだ若い森林に囲まれている。その森林を開き村を作っているらしく、切り取った木材が村の端に山積みされていた。これから村を大きくしていく段階なのだろう。
子どもたちの姿も多く、風を追いかけているようであちらこちらを走っているのが良く見えた。
小高い丘から二人で村を一望している。
さっきの衝撃がまだ抜けず、呆然と穏やかな村を見て一息ついているからだ。
「この村の奥にある泉に用があります。先ほどのような危険もありませんから、供は必要ありません。わたしが戻るまでの間、魔導士さんはここで休んでいて下さい」
そう言ってひとり、王子が村の方へ向かう姿を見送った。
今更だが、王子は一体何を知っているのだろう。
ピュアネプシオンの危機を街が破壊される前に、聖騎士────、いや、王子は『騎士見習い』と言っていた。
彼女に討伐を命じ、目的を果たしながら戦線を離脱した。
不可思議な力を使い、王子は自分の目的を果たすために行動をしている。
……だがドラゴンの到来を知らせたあの姿は、まるで王子の掌の上で運命が決まっているようだった────。
木にもたれそのまま座る。魔力も体力も、昨日の能力向上で王子と出会う前に比べれば、有り余るほど残っている。
だけど気力と胆力だけは、あまり上がらなかったようだ。
まだ震える手足がその証拠。
「……私はなんたって無名の魔導士ですからね。能力が上がっても、こんなものでしょうよ」
師匠のように『名持ち』になれば、多少は違ったのだろう。広く知られる通称名も同じ。
公に知られる『名』は『個』の特徴を示す。揺るがぬ能力に繋がり、『名』自体に力が宿るため強さを示すことも出来る。
だが功名心もない私は、今の自分に充分満足している。──だから、これからの世界がどうなるかなんて考えたこともなければ、あのような災いが目の前で起きるなんてことも、想像だにしなかった。
こんな状況を、本当にあの小さい王子が救うのか……。
ここまで付いて来たけれど、まるで実感が伴わない。目の前で起きた惨状も嘘で、ただの白昼夢だったのではと、穏やかな風が思わせた。
『わたしに阻止できる力があるのですから、それを今から行使するだけのこと』
『どうかご安心下さい。皆さんの安全はわたしが保障いたします』
最初に出会ったときから、王子は確信し約束していた。魔王を倒し、世に平和をもたらさんという志があるということを。
これから何が起こるのか、きっとおばばたちも分かっていたはずだ。鞄の中を開けると、おばばに託された短剣が見えた。────これは必要のないものだ。
王子を止めるよりも先に、やるべきことがあるだろうに。布に包んでいた魔導書を取り出した。
今なら私ひとり。魔導書を読むには丁度いい。
好奇心で開いては何が起こるか分からない。
充分注意しながら、革張りの装飾もない簡素な表面を確かめた。
「……これは、一体……。どうしたらいいんだ……」
────魔力を感じない。手で触れられる隅々まで確かめるが、なんの痕跡も見い出せない。
おばばたちがいれば最適なアドバイスもくれただろう。
だが今は私ひとり。確証に頷いてくれる人がどこにも居ない。
王子はこの魔導書と、読み解くための魔導士を必要としていた。────その役目が今、私に託されている。
魔導の始祖が書き残した書物だ。過去にも魔導書の扱いを誤り読む前に死んだ人がいると知っていれば、安易に扱うことは出来ない。
────不安に駆られる時間が、少ない精神力を奪う。
何かこの本を確かめられる道具はないかと、鞄の中を漁った。
鞄を託されるときに大魔導士たるおじじたちも傍にいたんだ。旅に役立つものをと、もしかしたら何か用意してくれているかもしれない。
ゴソゴソと鞄の中身を探すが、────役に立ちそうなものはなかった。
ダメ元で片っ端から使ってみようと、中身を草原の上に取り出してみる。──するとキラリと光るものが視界に入った。
陽の光を浴び、場違いなほど存在感を主張しているパリピ仕様のサングラスだ。
「絵面の癖が強いんだよなぁ……。せめて普通のデザインだったらマシだったのに」
これを持っていたおばばや、実際に装着していたおじじの姿を思い出す。────あまりにも場違いで愉快すぎる姿に、誰もツッコミをいれないのかと、今更昨日のことに悪態をついた。
だからこそ時間が経てば経つほど、これを装着する勇気がなかったのだが。
「……こんなおもちゃ、本当に効果があるんですかね。おばばもおじじも、私を全力で騙そうとしているんじゃないんですか」
魔導士見習いだった頃、弟子たちの集いで師匠にドッキリを仕掛けられたことを思い出す。
長生きしている人は暇がお嫌いだ。師匠たちの無茶ぶりに何度も振り回され、何名もの弟子たちが脱落していった。パワハラ、ダメ絶対。
散々だった未熟な頃の記憶にくすりと笑い、落ち着きを取り戻す。
──お前の頭は柔軟性に欠けると、師匠はよく言っていた。
今なら誰も居ない。
人に笑われる心配もないことから、私はパリピサングラスを手に取った。
「今はなんでもいい。手がかりのひとつでも手に入れられるなら、どうにかなってくれ」
淡いオレンジとピンク色のフィルターが世界に掛かる。変わった形のせいで、視界にフレームが若干入り込み邪魔っけだ。
魔導書を再度手に取ってみれば、何か文字が浮かび見えた。
「……本当に効果があった。魔力も感じなかったのにどうして──…………」
まっさらな表紙に、見覚えのある文字がいくつも並んでいた。
消しては足して、足しては消してと何度も書かれてぐちゃぐちゃになった文字だ。
だけどひとつだけ、はっきりと主張している単語があった。
指先でなぞる。どうしてこれがここにあるのだろう。
何故か私の名が、そこに記されていた。
Tips:悪いこと
ルールも法則も手順も無視し、環境破壊しながら進むこと。速さには犠牲が伴う。
安全性はなく保障も効かないため、現実世界では非推奨。
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