4.時短のため、敢えての休息を
「初めてのことばかりでしたし、こんなに移動もしたのでお疲れですよね。今日はここで休みましょう」
このセリフ、本来ならば年長者たる私から言うべきだったでしょう。
だけど朝一のおばばからの暗殺依頼、壁に王子が消える驚きの事件、封じられた洞窟で魔族鏖殺現場立ち会いなどなどエトセトラエトセトラ。
すでに私の心身は限界を超えていた。
王子の行動の突飛さと、次から次へと無駄のない指示について行くのが手一杯。行動の理由と結果を解説してくれるが、話と出てくる単語に全く理解が追いつかない。
見た目によらず手段を選ばぬ豪胆さに戸惑い、私の小さな肝が冷えてばかりだった。
──精霊からの祝福を授かると、いにしえの大精霊パライアニクシィ様が現れた。大いなる存在で女神に匹敵する聖なるお方だ。
なのにあろうことか王子は────、
『皆様のご懸念は重々承知しています。ご安心下さい。では』
と言い放つと、転移を使って離脱してしまった。
…………転移を使ったのはまごうことなく私だが、王子の命令で希望だったので……。
お話の途中で……? と、大精霊様直々の話だと何度も確認は取りましたとも。
『問題ありません。時間もありませんので、すぐに行きましょう。可及的速やかに大事は成さねばなりませんから』
と、にこやかに言われてしまえば、逆らうことなんて出来ましょうか?
未知なる力で、次は私が始末されるかもしれない────。グロテスクな現場を思い出せば、手が勝手に転移をしていた。今後一生、精霊の力を借りることは出来ないかもしれない。
拝啓、師匠。
生意気で不出来な弟子だったことを、ここにお詫びいたします。どうか酒はほどほどで。長生きしてこれからもずっとお元気でいて下さい。────あなたの弟子より。
「魔導士さんは休んでいて下さい。今夜はわたしが食事を用意いたしますから」
届きもしない手紙を脳内で師匠宛てに送ると、王子の声に現実に引き戻される。
いつの間に拾ってきたのか、小枝に手際よく火をつけ料理の準備を済ませていた。
ご趣味はもしかしてキャンプ? と聞きたくなるくほどに、私が託された荷物の中からあれこれ道具等を取り出し、ひとりで支度を進めていたようだ。
王子の指示の下、用意された荷物だ。彼の方が私より詳しいのは当たり前か。
「………………よろしくお願いします」
引きこもり魔導士のメンタルとフィジカルは、ずっと前から瀕死状態。
取り繕うことなんかもはや出来ず、今もやっと休める喜びを重い身体で享受するだけが関の山。
一応これでも最大限の喜びを示しています。
何をしてるんだと、輝く星々が非難の眼差しを送っている。夥しい数の輝きに向かい、ウィトルウィウス的人体図よろしく両手足を放り出し、私は大地に寝転んでいるのだ。王子が隣でキャンプの準備をしているのに────。
見よ、これが人体の調和だ。
着衣のまま両手足を伸ばしたところで、渾身の知的ジョークは誰も気付かないだろう。ウィトルウィウス的人体図って言葉も、すぐに出てくる人もそういないのでは? だいぶ頭が疲れている。
あとは明日もいい天気になりそうだなぁ、という感想しか思い浮かばない。
あっ、流れ星。
考えることが生来の気質だが、もう考えたくないとシナプスたちが拒絶する。許容範囲外の出来事ばかり起きているからだ。
何故、同情心からついて来てしまったんだ。
そんな後悔がぐるぐると脳内を駆け巡る。後悔と疲労で、ちょっとした根暗のお祭り騒ぎだ。
ドンドン、パフパフ、ピーヒャララ。
「魔導士さんは城へ来る前、なんの実験をされていたんですか?」
再び現実に引き戻されると、真っ暗な草木のざわめきが耳に届いた。自然の音と夜気で冷やされた風が、疲れた身体から熱を奪っていく。
空以外は闇が広がる。世の多くの生き物が、本能的に恐れを抱く暗黒色だ。
反対側で王子が用意してくれた火の暖かさが届くと、ゆらめき立ち上る火の勢いに安心を覚えた。
お世辞でも良い寝心地とは言えないゴツゴツの大地のベッドの上、首だけを王子に向ける。
王子は慣れた手付きで、食材にナイフを入れた。
「ここへ来る前、ですか……」
野菜から皮を剥ぐと小さな布袋に纏め、丸ごと鍋に入れる。
小さい手なのに、ナイフの扱いもしっかりしている。すごいなぁ。
丸裸になった野菜を大きめにカットし、ぽこぽこと沸騰する鍋に突っ込んだ。────料理も趣味なのかもしれない。わざわざこんな野外の不便の多い場所にも関わらず、野菜ダシを取るなんて。
「……わざわざ皮なんか切り分けなくても」
「──あぁ、申し訳ありません。結局丸ごと入れた方が、余計な手間がないと仰りたいのは理解しています。ただ……、皮の食感がどうしても得意になれなくて」
先回りされた回答に、王子は心底肩身が狭そうにしていた。気まずそうな表情は年相応に見えるが、今日一日付き従い王子の性格が見えてきた。
自分の意見を通す頑固さと、彼なりの理論に基づいた行動を取っている。
私が子どもの頃は果たしてどうだったろう。動物や虫、魔物とかの観察をしては、忙しなく想像を巡らしていたか。
「今夜はわたしが準備するので、このままで。ご容赦下さい」
今時の子はしっかりしているなぁ……。
自分より幼い子どもに、しかも王子に世話をされるなど、────とんでもない輩がいたものだ。
「明日は必ず私めが料理します……!」
飛び起き、王子の向かいできちんと座った。
本当、何してるんだこの大人は──!
「王子は他にも苦手なものありますか?」
「他は別に……。魔導士さんは魚があまり得意ではないですよね。骨を取るのがご面倒だとか……。短い付き合いです。お互い苦手なものは使わないようにしましょう」
にこりと微笑まれ、苦手なものに配慮してくれることに思わずときめく。
いや、待て。相手は王子だ。しかも九歳児。…………九歳にも歳児ってつけるのか?
百年以上は生きている社不魔導士よりも、ずっとご立派だ。もはやどちらが子守されているのか、おかしなことになっている。
「それで、さきほどの話ですが……。魔導士さんのこと、良かったら教えてくれませんか?」
「……転移するまでは、ゲル状生命体から魔力を分離する実験をしていました。見たことはありますか? 弱小でどこにでも発生する魔物です」
「ゲル状生命体ですね──。えぇ、見たことも倒したこともあります。火傷の治療や解熱剤としても使えるんですよね」
私よりずっと年上の師匠もたまに、自暴自棄になりすぎて幼児退行することがある。急にその時のことを思い出して、恥ずかしさに襲われた。
あんな人にはなりたくないと思っていたのに、自分も今、若い子にお世話をされていないか……?
咳払いをし、へろへろの声を正した。私は自分を取り戻すべく、疲労で沈む思考に往復ビンタだ。
「スライムの外皮は何かと便利に使えるんです。身体を構成する粘性の物質が、生薬だけでなく道具に使えます。……だけど魔力が身体に合わない人や、魔力に惹かれて別の魔物を呼んでしまう危険性もある。だから魔力だけ抽出できれば、被害を抑え、抽出した魔力でまた何か新しいことが出来るかもしれない。そんな実験をしていました」
「素晴らしい研究ですね。きっと魔導士さんの研究が上手くいけば、多くの人たちが救われることでしょう」
つまらぬ実験と事務的な話に、王子は無邪気に感銘しているようだった。
「……王子はなんでもご存知なのでは?」
炎と鍋の向こうに座る、王子を観察した。
荷物から取り出した立派な肉塊を、小さな膝の上に広げている。サシの多さから上等な肉であることは間違いない。そのまま塩胡椒で焼いて食したいほどだ。
ほのかに火に照らされた王子は、紫色の瞳を神秘的な包容力を擁しこちらを見つめ返した。
『全てを理解している』────。全知の能力が彼の身に秘められているというのであれば、一体どんなことを知っているというのだろう。
こちらの考えが伝わったのか、王子は困ったように笑った。
「たくさんのことを知っていても、ひとつひとつを詳細に理解している訳ではないのです。例えば……、魔導士さんの性格や本質は知っていても、今朝まで何をされていたかなんてこととか。……親しい間柄でも、長く付き合えば、知らなかったことや新しい発見があったりする。そんな状態でしょうか」
「長く付き合えば相手がどんな行動を取る人なのか、予測は出来ます」
「大魔導士様たちが星型のサングラスをかけていたことは、魔導士さんにとって予測の範疇でしたか?」
「うっ……。あれってなんですか? 国家安全保障議会の正装だったりするんですか」
図星を突かれると、王子にくすくすと笑われた。全知者の余裕か、立場が逆転しているようでなんとも居た堪れない。
最初に王子が言っていた通り、本当にお供なんかいらないのだろう。
子どもだからと、気安く考えていたことが短絡的で恥ずかしい。
私は無名の魔導士だ。手本になれるような、立派な大人なんかじゃない。
「そうですね、堅苦しい話合いの後は懇親も必要でしょう。互いに親身になって協力し合うためには特に。だからきっとこのタイミングで、魔導士さんがわたしの元に来ることになったのです」
肉にナイフを入れ、一口大に切り分けると鍋の中に全て入れてしまった。
齢九つと言えど見た目以上に大人な中身と的確な指摘が、長い付き合いのある知人のような気持ちにさせる。
小気味良い会話のやり取りのせいも、あるかもしれない。なんとも不思議な御仁だ。
「……王子は私のことをよく知っておいでですね。だけど私はあなたのことをよく知りません」
「初対面なのですから、わたしを知らない魔導士さんの方が自然でしょう。……余計なことばかり考えを巡らせてしまい、申し訳ありません。ご不快でしたか?」
「説明や理解してもらうための手間が省けるし、肩肘張らずに済んで私は非常に楽です」
「そう言って貰えて安心いたしました」
元からの知り合いではない。
この十年、遠出した記憶はないし、住処にしている場所は王国から東にあるデフテラの森。王国の端の端なだけあって、滅多に来客はないし、師匠が外へ出かけることの方が多いくらいだ。
だから王子とは、今日が初対面なのは間違いない。
だけど未成年にしては話しやすく、穏やかな王子の雰囲気がこちらの気持ちまで落ち着かせてしまう。
今日一日理不尽に振り回され、やんわりと気遣われ続けるのも理由だろう。小さな王子に深い親しみを錯覚している。
「全知とは、物事の本質を理解する能力なのですか?」
そのことと壁を透過し妙な術を使う関係が、私の中で繋がる気配がない。
「そう思って頂いて構いません。何故かと言われるとわたしにも原因は不明ですが」
困ったような表情は、すぐに憂いのひとつも感じさせない笑顔に変わった。
もしかして、周囲に大人ばかりいるせいか? ────大人の期待に応えよう、早く大人の仲間を入りたがり、背伸びする子がたまにいる。
弱い部分や不安を表に出さない、そんな不安定さを彼から感じた。
「あの星の形をしたサングラス、その鞄の中にも入っていますよ。魔導士さんもかけてみれば分かります。──わたしの身に欠陥が生じてしまったせいか、そのサングラスにも余計な欠陥が生じてしまったようなのです」
「……王子とパリピサングラスに、どんな相関関係が……?」
「さぁ? ですが欠陥とは得てして、繋がりがあるようでないものではありませんか」
「なにかしら影響するから、二つの間に関係が生じるものですよ」
鍋にハーブと調味料を入れて、王子は蓋をした。
この旅は三日という短い期間だ。おかげで食糧もコンパクトながら、まだ固くなっていないパンが食べられる贅沢にありつける。
元々の旅程がどの程度だったのか分からないが、的確な指示をくれる王子のおかげで大移動が容易に叶っている。今日だけで大陸の三分の一は移動してきただろう。
転移が使えないお供がいたら、王子のスピードにはついていけないだろう。……足役の私がいなかったら、『壁抜け』とやらの意味不明な技を使い、ひとりでこんな場所へ来ていたのだろうか────。
しみったれた悲観から身体を引き離す。帽子に通した髪を引き抜き頭を掻いた。
王子をこのままには、しておけない。
「風が吹けば桶屋が儲かるという言葉があります。魔導士さんも、聞いたことありませんか?」
王子はにこりと笑うと、汚れた手を拭っていた。
「風によって物が吹き飛び、不慮の事故が生じて怪我人が出ます。医師の手が足りなければ死人が出て、葬儀屋の仕事が増え、遺体を収める棺を作るための職人も忙しくなり、材料が足りなくなる。────巡り巡って日用品を作る者たちの手を借り、材料を使わざるを得なくなる。はじまりと終わりを示す言葉です。きっとわたしとこのサングラスの関係も、そんなものなのでしょう」
ふと、こんな風に誰かと野外活動するのはいつぶりかと考えた。おそらくおばばと何十年か前に、魔境の奥地へ実施調査したのが最後だろう。
あの時は弟子として率先して身の回りを手伝いながら、こうして他愛ない雑談をしたっけ。
今もお供で下っ端なのに、王子に世話されている。……おばばにあとでチクチクとお小言を言われることは間違いないだろう。大人であるお前は、一体何をしているんだと。
──────しっかりしろ、私。
だけど、王子とパリピサングラスって何?
「……王子の欠陥で、パリピサングラスに異常が出るって……。どうやって繋がりを探せばいいのか……」
「すみません、わたしも間の繋がりが分かりません。ふふっ、どうしてこうなってしまったんでしょうね」
まるで他人事で楽しそうな王子に、嫌な想像が急に湧いた。
無邪気に笑うこの王子は、偉大な大魔導士たちが匙を投げた相手だ。
まして消せだなんて、そんな物騒なことを誰かに託さねばならないような、とんでもない欠陥を────。
「……王子は、私の本当の名を知っているんですか?」
一番手っ取り早く、疑問を明らかにするための質問を投げた。
今朝私が何をしていたか知らないと、王子は言っていた。
人見知りであること、不審者然とした姿をしていること、魚が苦手なことなど、それなりの情報を知っているようだったが、そんなのおばばたちから聞けば分かること。
「もちろんです」
隠しもせず、王子は重大なことを告白した。
「ですが魔導士さん以外の名前を知っています。────例えばこの『石』の本当の名前とか。あなただけを知っているわけではありません」
足元に転がっていた石を摘み上げると、王子は微笑んだ。
だけど、私は少しも微笑ましい気分になれない。
「……一体、どうやって知られたんですか……」
『名』とは、『個』を識別する名称である。
同時に、大切な呪でもある。
識別することで『個』を縛るが、『個』を守るための言葉が『名』でもあるのだ。
『個』の持つ『名』はそれだけで力を持つため、魔力や悪意に簡単に影響される。だから限りなく限定された間でしか共有せず、滅多に他人に教えるものではない。
おばばたち大魔導士たちでさえ、通り名を使っている。あだ名や特定のニックネームで呼び合うのが、普通なのだ。
それ故に理解する。────王子の持つ『全知の能力』とは、『名』を知り、対象に直接干渉できる能力なのだと。
少しでも扱いを誤れば……。
「わたしが望めば人や国だけではなく、この世界自体に干渉することが可能でしょう。もしかしたら神にすら干渉することも可能かもしれませんね」
王子も知っていたのだ。自分が手にしている能力の大きさを。
……暗殺を命じたおばばたちの危機感も、今なら理解出来た。
「………………非常に、厄介な能力ですね」
「恐縮です。ですが誰かを害するなんてこと、わたしは考えていません。この国平和のためだけに、わたしはこの力を使うつもりです。どうかこれだけは信じてもらえると嬉しいです」
物理にも結界にも魔法にも、何もかもに直接干渉出来るなんて────。想像の万倍ややこしい任務だ。
王子が望めば、私の意志なんてもはや関係ない。
彼の望むように使われることも恐らく可能だ。
「……わたしだけがあなたの『本当の名』を知っていて不公平ですよね。ですが今は行動を阻害されることは望むものでありません。あくまでもわたしの願いは魔王の討伐であり、この世界に平和をもたらすことですから」
大層立派なことを宣う王子に、はぁとため息を吐き頭を抱える。
────嘘であれ本心であれ、王子の決意を確かめる術はない。
こちらが分からないだけで、もしかしたら行動や思考の全てが王子に筒抜けで、すでに私自身は王子の干渉を受け、彼の掌の上で踊っているだけなのかもしれない。
無名の魔導士たる私が遣わされたのは、無名であるからこそだろう。大成するような人間じゃないからこそ、無為に選ばれたのだ。
────尽きることのない不快感と無力感を、無理にでも心の奥に仕舞う。
仮にそれが理由であっても彼は子どもで、大事を成す人物だ。
体よく使われる人間だって、時には必要だ。
「なので魔導士さん、ひとまずわたしのことは『A』と呼んでください」
『A』と口にしたのに、音が聞き取れなかった。
「…………呼び方はA、……ですか?」
呼びにくい。間違いであってくれと祈った。
「”あ”、でも、”えー”でもなんでも構いません。王子と呼ぶよりは簡単で短くて楽かと」
「楽かと??」
「三文字が、二文字か一文字で表現出来るのですから、署名するときや名乗るとき楽でしょう?」
「全く意味がわかりません……。聞き返されたら倍面倒じゃないですか」
「そこまで誰かと大切な話をすることはありませんから。だから適当で良いのです」
なぜか楽しそうに言う声は冷たく、この先に期待なんてしていない退屈な諦念が見えるようだった。
本当に九歳? 見た目に騙されてるだけで、実は見た目通りの人物ではないのかも?
「……そんなのありですか?」
「ありですとも。さぁ、スープが出来ました。どうぞ召し上がれ」
木製の椀に注がれ差し出されると、近隣の村の子どもたちに付き合ったままごとを思い出した。────師匠に凄まれ頼まれ駆り出されてみれば、村の手伝いに参じたら子守だった時の衝撃よ。
幼女たちに髪をいじられ、子ども役を任された成人男性の絵面の酷さといったら……。
「明日は早くから活動しましょう。やることはまだまだたくさんありますから。どうぞよろしくお願いします、魔導士さん」
「……はい」
────あぁ、居た堪れない。
今日一日でかなり能力をアップされたが、ままごと遊びに放り込まれる人形よろしく、無力さをスープと一緒に私は嚙み締めた。
Tips:『名』を知ることについて
ありとあらゆるものは、名をつけられ世界を構成する一部となっている。人はもちろん、空や雲に草木に石にも名前がついているし、時間や気象など全てに名は決められている。────それらは全てシステムに組み込まれ管理されている。
名から意味を知り、そこに在る理由を知り、干渉するシステムがあることに王子Aは気付いた……?
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