3.壁抜けは必須テクニック
「魔導士さん、ついて来てくれてありがとうございます。大丈夫ですか?」
「……ダイジョバナイです……」
さっき別れた時と変わらぬ王子がそこにいた。
壁に埋まり姿を消したはずの人が、今は城が遠くに見える荒れた山の中にいる。
なんでこんなところにいるんだろう────。脳が理解を拒否し、大地へ張り付く事しかできない。
「……王子はどうやって、ここまで来たんですか?」
転移魔法なら数秒の移動時間だが、壁の中に消えてから山にいる原理が理解出来ない。
杖はなく、あるのは身の丈に合わない剣が一本。しかもどうみても普通の、数百ゴルドで買えそうな安物だ。
「『壁抜け』とわたしは言ってるんですが、物理法則を無視してこの世界を構築する全てに干渉出来るんです。そこから城を抜け出して、あの時間にだけ王城の近くに現れる商人に話しかけると、杖がなくてもなぜか転移出来るようになるんですよ。このワザのおかげで、移動時間の短縮が出来るのです」
得意げな王子がにこにこと話してくれた。
物理法則を無視ってどんな原理だ。魔法だってルールがあると言うのに。
説明もちゃんとしているように見えるが、耳に届いてもなにひとつ理解が来ない。カモン、理解。
「…………王子って、どこかに魔導紋が刻まれているんですか?」
もう一度頭から足先まで観察してみるが、大きな魔力を感じない。
一般的な、多少魔法が使えるといった保有量だろうか。
魔力の鑑定くらいは道具がなくても出来る。何十年も魔導士の端くれとして席を置いてきた訳じゃない。
「いいえ。少なくともそんなしるしはないかと」
「失礼します。…………いつからそんな意味不明なことが、できるようになったんですか?」
「気付いたらできていました。いつからと言われると……、すみませんがはっきりと覚えていないです」
小さな手を取り、感触を確かめた。
見える限り普通のヒトだ。皮膚に刻まれる皺のひとつひとつさえ、なんの異常も見受けられない。
この国を起こしたのは、魔王を封じ世の中を平定した英雄で、初代の国王だ。つまり王子の祖先。
約1000年に及ぶ太平の世を齎したが、彼らだって元は普通の人。魔導士なら魔法の探究で不老長寿を得ることもあるが、長命の加護を王族は受けない。
唯一の違いは祝福の種類だろう。
魔王を倒す際も、女神や精霊たちの祝福を授かり大事を成した。
その伝承にあやかり、今では大魔導士たちが彼らに祝福を与える。────これは形ばかりのお祝いだ。
紫色の瞳も、一般人からしたら珍しい部類に入るだろうが、王家の色で女神の加護を受けた一族の証でしかない。星の模様が入る虹彩こそが、王家の人間だという証明。
特別な人間ではあるが、所見に異常はない。
髪も耳も皮膚も、体温も鼓動のそのどれもが普通で、欠陥なんて影も形も見つからなかった。
「何か分かりましたか?」
王子の手を調べていたはずが、いつのまにか頭部の──、つむじの場所まで検分しているではないか。
思わず両手を上げる。いつの間に──。いや、途中から頭部をくまなく確かめ始めていたな……。言い逃れは出来ない。
地面に着いた手を払ったところは覚えているが、ベタベタと研究対象を調べる無遠慮無配慮不躾不敬な行いを、無意識でしたことに全力で平伏するしかない。
「申し訳ありません!! 考えることに夢中になってて……」
「大丈夫です。思考に没頭し研究することが魔導士さんの本分でしょう。わたしは研究対象。原因解明のためによろしくお願いします」
お優しい王子は楽しげに笑いながら、許してくれた。
許しを得たものの、不審者に触れられてさぞかし気分が悪くなったことだろう。──トラウマにでもなったら困る。
恐る恐る王子を見ると────、いない。
「……王子?」
「すぐに戻ります。魔導士さんはここで休んでいてください」
既に立ち上がり、剣ひとつ携えた王子が近くに隠されていた洞窟の封を解放した。──王都からほど近い西の山中にある、動物さえ近寄らない場所だと気付く。何百人もの犠牲者を生んだ、忌まわしい場所のひとつだ。
数百年前にここから魔族があふれ出してきたが、その時対処できたのはことは洞窟を封じることだった。
洞窟から魔力の気配を濃厚に感じる──────。入り口の松明が結界で、外に魔物が漏れ出ないよう防いでいたはずの場所で────、そんな簡単に封印って解けるんだぁ、と余計な感心が先行する。
「────ッ待ってください! そんな装備ではすぐにやられてしまいます!」
甲冑も防御魔法のあれやこれもなく、どこからどうみても軽装だ。公務で誰かとお話しになるような、おしゃれ装備と言えばいいだろうか。
ある意味戦闘服だが、ここで使うべき装備じゃない。
鞄の中に何か最適で最強の装備とかないかと探していると、ピーと感高い音が届いた。
何かを呼ぶ、笛のような音。
「ご心配には及びません。ここにいる敵は倒しやすいんです。掃討が終わったら、この奥に封じられている精霊から祝福を授かって来ますね」
王子がもう一度指笛を吹く。……発信源はここでした。
洞窟の奥から唸り声が響き、何かが迫る振動と気配が一気に近付く。
手にした荷物を落とした。
「王子、後ろ────!!」
闇夜で火を見つけた時のような、水中から酸素を求めるような、鬼気迫る命とぞわりと総毛立つ敵意が暗闇から影を伸ばす。
唐突な出来事の連続で思考は空回る。────王子を守るため盾魔法か、防御力を上げる支援魔法、一時体制を整えるべく撤退という手もある。
盾魔法はどれだけの耐久が見込めるか不明だし、支援魔法も一時的なもの。敵に囲まれたらどうしようもない。離脱したところで、おめおめと魔族を放置するのか────? 相手の特徴が分からない以上、攻撃魔法はどれを選べばいいのか分からない。どうしよう……。どうしようどうしよう────。
地面に落ちた杖を握る手が震える。──私は無名の魔導士で、引きこもり研究職だぞ?! 自衛できるだけの戦闘力しか、持ち合わせていない。
いくつも上がる選択肢に迷うばかりでいると。王子は迫る影に向かって剣を突き立てた。
「実は封印の一部を解いただけですから、敵がここから出ることはありません」
ただの剣が光りを放ち、集う悪意たちを葬り去っていく。
「不完全な封印を使いここに剣を突き立てると結界が干渉し、中にいる敵に攻撃できるのです。これでも敵を倒したと判定がなされ、わたしたちの能力増強を図ることができます。しばらくお見苦しい状況が続きますので、気分が悪くなったら離れてくれて構いません。そこでゆっくりしていて下さい、魔導士さん」
今夜の空模様を解説するかのような気やすさで王子が話すと、正面は閃光とむごたらしい音と悲鳴が幾重にも重なり、虚空に響かせていく。
出口があるのに出られない魔族たちが、次々に自滅していく。千々に千切れ、こと切れていく物体が断末魔を上げ形を失う。────スプラッタな展開に、嘔吐きそう……。
……これはあれだ。蟻の巣に水を入れて、巣穴から出る蟻を潰して遊ぶようなやつ。
無邪気な思い付きで残酷な遊びだが、今は人に敵対する魔族の討伐中。しかも魔王討伐を掲げる王子がしている。────やり方はアレだが、見た目より安全だった。お荷物魔導士の出番は不要。置物と化した私は、手持ち無沙汰。
耳を塞いでも断末魔が聞こえる。王子は────、こちらに背を向けているから分からないけど、出口に集っては消えていく魔族を見ているのかもしれない。
さっき王子が能力増強と言っていたが、魔族を倒すと彼らの所有する能力をもらうことが出来る。それを能力増強と呼ぶ。
魔力や筋力だけでなく、知力、体力、持久力、技量など、個々人によって異なるが様々な能力が向上していく。魔力から生まれたり存在だからだろうか。何とも不思議な現象だ。
確かに傍に居るだけで手に力が入り、普段より感覚が鋭くなっていく。魔力の上限が増えて行くのが、悪寒の走る身体に響くように伝わった。
城から出る前に見た、隠れていたけれど王子を案じていた人たちを思い出す。
『殿下はどこか普通ではないのですが、それでも我が国の王子なのです────』
『魔王を倒すために、人知を超えた力をいつの間にか得てしまったようで……。どうか、あの方のことをお頼み申します魔導士さま!』
こんなんじゃみんな心配するし、血も涙もないと思っていたおばばでさえ王子を哀れむよ。
なんとかしてこいと、無責任で身勝手なことを、おばばのように誰かに任せたくもなるだろう。
それがどうして私なのかという疑問は横に置き、徐々にむごたらしい音に気持ちが凪いでいく。
天気が良かったら、見晴らしのいい場所でピクニックとかしたいなぁ。
曇天を見上げ、そんな現実逃避に身を投じた。
*****
「あらかた片付けたので、洞窟へ行ってきますね」
数十分ほどでめぼしい敵を殲滅した。
まだ封印が解かれていない洞窟の中は表現規制に引っかかるような状態だが、王子は無事だ。モザイク処理とか誰かしておいてくれ。
立ち上がると魔力も増え、他の能力も向上しているのが、身体を巡る脈動のように実感する。
青天の霹靂、棚からポーション、道端の宝箱といった言葉が適切だろう。
これだけ、良い待遇(?)を受けているのだから、こんなところでぼうっとしているほど、私は図太くなれない。
「………………私も行きます」
「ご無理なさらなくても。顔色が悪いですよ?」
「一応大人なので……。危なそうな場所には同行致します」
付いていく意味があるのか自信はないが、意味不明な王子を観察し事態を解明したい気持ちが多少なりとも身体を動かした。
「ありがとうございます。出てくるまでの時間が省略出来て助かります。この洞窟での用が済んだら、次に行きたい場所があるので転移の準備をお願いします」
「……はい」
王子は元気だ。あんな断末魔とスプラッタを間近で数十分ほど浴びていたのに。
笑顔も余裕も見せるが、一方魔導士は気力ががっつり削られている。
行く末に不安しかないが、明かり係として王子と共に洞窟の中へ足を踏み入れた。
Tips:壁抜けバグ
壁や地面にぶつかってキャラクターが止まるのは衝突判定があるため。その衝突判定をある方法ですり抜けることを『壁抜け』と呼ぶ。
~Now Loading~