コニー・サリエリは毎朝、――
コニー・サリエリは毎朝、午前八時半までに大蔵省にやってくる。
始業の三十分前で、省のある大きな建物の玄関には住み込みの守衛、ペゼリーニがいる。コニーの両親がまだ子どもだったころから、大蔵省の住み込み守衛をしている老人で、毎朝、コニーは老人に挨拶をする。
「おはようございます、ぺゼリーニさん」
「おはようございます、サリエリさん。今日も早いですな」
すっかり肉の落ちたぺゼリーニの手がコニーに書物庫の鍵を渡す。
「すっかり老いぼれちまった手ですがね、昔は石から水を絞り出せたくらい強かったんですよ」
コニーは建物の、最も奥、狭い中庭に窓が向いた廊下をさらに奥まで歩き、楡材の扉につけられた銅の鍵穴に鍵を差し込む。鍵はぺゼリーニさんが生まれる前に鋳造された、頑丈だが大げさなもので、牢屋の鍵のようだ。
部屋に入ると、まずカウンターにカバンを置く。それから彼女は電気のスイッチを押し、二十燭の電球が二十三の巨大な書類棚を照らし出す。一番下の書類を取るには膝をついて両手でしっかりつかまないと取れず。一番上の棚は大工が使う梯子をかけなければ届かない。
「さて、と」
コニーは扉につけられた郵便受けのような箱を開け、彼女の帰宅後に入れられた書類を取り出す。書類はひとつ。防水の青い紙でつくったフォルダにはさんである。中身の書類は南部諸侯領の鉱山についての徴税監査についての結果である。
コニーは自転車の籠に青い紙バサミに挟んだ鉱山監査の書類を入れると、ペダルをこいで、目指す書類棚の前でブレーキをかけた。そして、滑車付きの梯子を滑らせ、上から三番目の『24年度 南部諸侯領 徴税のための鉱山監査 途中経過』の右に書類を差し込んだ。
これがコニーの仕事だ。書類の保管と管理。
二十四歳のうら若き乙女の仕事にしては情熱がないが、コニーは満足だった。追放された姫が海賊につかまったがハンサムな海賊の船長とどうのこうのという話は十年前に卒業し、それから彼女は商業学校に勤め、大蔵省に雇われて、書類が届いたら、書類棚に入れる仕事を八年間続けている。
コニーの仕事は書類を保管することと保管した書類を取り出して届けることだが、この八年のあいだに書類を取り出したのはたったの一回であり、その一回だって、表紙を見て、
「ああ、間違えた、もう一度、元の場所にしまっておいてくれたまえ」
と、言われる始末。
彼女の管理する書類棚は食べるばかりでどんどん太っていく。一日のうち、省で口をきくのが、ぺゼリーニさんだけだってことも珍しくない。
「でも、それでもいいんじゃないかなあ」
と、彼女はひとりごとをする。それは悔し紛れの言葉ではない。確かに世人が彼女の生き方を退屈と言っていることは知っている。活発な人々にとって——冒険家や婦人運動家にとっては死刑に等しい刑罰に例えられることを知っている。だが、彼女は本当に自分の暮らしが好きだった。安楽だった。コニーは極端に変化を嫌う性格の傑作だった。
「お疲れ様です。ぺゼリーニさん。また明日」
「また明日。サリエリさん」
コニーは定時に帰る役人たちとともに大蔵省を出て、歴代国王の青銅像が並ぶ美術館の柱廊を歩き、名前の知らない将軍の騎馬像のあるチェントリオーネ広場広場でバスに乗り、サン・ベルドレオで降り、貧しいが整理を欠かすほどの無気力には侵されていない古い街にある家に帰る。
「おかえり、コニー」と母の声が台所からきこえる。
「ただいま。母さん」
くん、と嗅ぐと、ウサギのシチューのにおいがする。首都でもこのあたりの郊外になると、主婦は当然のようにウサギの皮を剥いで、料理する。
父親は裏庭で籐椅子に座って、パイプを吹かしていた。半分引退したような事務弁護士で出っ張った腹の上で手を組み、満足気に空が藤色に染まるのを眺めている。
「おかえり、コンツェッタ」
「ただいま、父さん」
「今日はぺゼリーニさん以外の誰かと話したか?」
「話してないよ」
すると、サリエリ氏はいい土を買いそびれた園芸家みたいに首をふった。
「世の父親は娘に男が近づくのを警戒するというのに、我が娘は」
「ぺゼリーニさんはいい人よ」
「だが、わたしの父親で通るほどの老人だ。なあ、コンツェッタ。お前は二十四だ。まだ若いが、毎年、何千人という女性が十八歳になり、結婚市場に供給されているのを考えると安穏としてはいられない。しかも、新人たちのうち何人かは性格がよく、何人かは顔がよく、そして、ごく少ない何人かは持参金をどっさり持っている。わたしは持参金の扱いに関する書類を何度も作ってきたから分かるが、持参金がなければ結婚できないであろう娘がハンサムな海軍士官を見事射止めたのを何度も見てきた」
「みんな海軍士官なの?」
「騎兵中尉もいた。問題はそこじゃないんだ。コンツェッタ」
「まあ、どうせわたしは美人じゃないよ」
「お前は古王国一の美人だよ。コンツェッタ」
「親の欲目だよ」
「とにかく、お前はまだ若いし、未来がある。もっと出会いのある職場に異動を願うことはできないのか?」
「今の仕事、気に入ってる」
そこでサリエリ夫人の呼び声が自慢のシチューの完成を告げ、娘はこれを幸いと会話を打ち切って、食堂へといそいそ撤退した。