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第4話 待つ夜のおしゃべり(後編)

 その後しばらく、聖女様は神に祈る時間が増えた。儀式があるわけでもないのに神聖殿に赴き、床に膝を突いて両手を組み、目を閉じて心の中でじっと神に語りかけるのだ。神官たちは聖女様の祈りの時間が増えたことを、「神のご機嫌が悪く、それをなだめているのではないだろうか」と心配したが、ルシリシアはそれを否定した。ただ自分が神に感謝の祈りを捧げたくてそうしているだけだと。

 だが、パメラと二人きりになったルシリシアはパメラだけに教えてくれた。ディルクとの関係は、あの夜だけで終わらせなければいけない。聖女である以上、どんな形であってもディルクと結ばれることはない。自分はこれからもただ聖女としてあらねばならない。それなのに、また彼に会いたいと思ってしまう。そんな自分を律するために、祈りの時間を増やしたのだと。聖女なのに恋をしてしまっている自分をどうか許してほしいと神に願い、これからも聖女としての務めをきちんと果たさなければならないと自分に言い聞かせるために、祈っているのだと。

 そしてルシリシアは教えてくれた。あの日の夜、ディルクに自分の気持ちを伝えたところ、ディルクからも告白されたことを。

 二人が両思いだということが明確になって、パメラは喜んだ。きれいで優しくて、かわいらしくおしとやかに笑う完璧な女性であるルシリシア。その相思相愛のお相手がぶっきらぼうな筋肉兵士というギャップにはかなり思うところがあるが、両思いならば二人は幸せになっていいはず――幸せになれるはずだ。

 そう思ったパメラは、もう一度離小城を抜け出してディルクに会いに行くことを提案した。ルシリシアは及び腰になったが、パメラは言った。


「どうか諦めないでください。エングム様本人かウォンクゼアーザ様が否、と言うまではどうか」


 当事者であるディルクに嫌われたり、あるいは神から「聖女は恋をしてはならぬ」という啓示を与えられたりしないかぎり、どうかこの秘密の恋を諦めないでほしい。聖女という身であっても、どうか誰かと愛し合う幸せをつかんでほしい。

 そうしてパメラは再び離小城脱走の準備を始めた。まずは手始めに、離小城を警備する騎士たちのルート確認だ。前回と違うかもしれないという前提で、遅番の日は使用人室で就寝する時間を遅くして、こそこそと離小城内を移動して女性騎士たちの動きをチェックした。

 それから、仕事が休みの日に特殊作戦部隊を訪れた。ルシリシアの身の回りの世話は侍女としての仕事ではあるが、それ以上にパメラにとっては生き甲斐であり喜びでもあるので、これまで休暇というのはどちらかというと嬉しくない時間だった。しかし、いまようやく休暇をありがたいと思うようになった。こうしてしっかりと準備できるからだ。


「やあ、こんにちは、パメラ嬢」

「こんにちは、リエルソン様。申し訳ありません、また会いに来てしまって」

「いいよ、君なら。でも場所は変えようか」


 イケメン騎士に惚れて押し掛ける町娘――そんな態度をパメラはあえて演じた。すると近くにいた兵士が指笛を吹いて、「相変わらずモテモテだな。まったく羨ましいぜ」と野次を飛ばす。


「あの夜以来だから、結構久しぶりだね?」

「そうですね」

「秘密の恋は、あの日限りで終わったと思ったんだけど」


 噴水広場のベンチに腰を下ろしたジェレミーは、すぐさま予想される本題に入った。基本的に聖女様のことしか考えていないパメラを相手に、ウォーミングアップのような世間話はあまり意味がない。先ほど特殊作戦部隊の庁舎内でパメラはジェレミーに片思いをしているような態度を演じてくれたが、素のパメラはジェレミーのことをただただ普通の騎士としてしか見ていない。ジェレミーとしては自分のこの整った顔に見惚れないパメラの態度が珍しくもあり、そして不思議と居心地がいいと思うようになっていた。


「いいえ、終わりません。もう一度、露の方と想い人の逢瀬を実現させたいのです」

「うーん……わかってはいたけど、本当にやらなきゃ駄目?」

「露の方は確かにおっしゃいました。もう一度会いたいと。でもその気持ちを我慢していらっしゃって……どうして、って思いませんか。どうして好きな人に会いたい気持ちを無理に我慢しないといけないんですか」

「それはね、パメラ嬢。世の中には恋情よりも優先されるべき道理があるからだよ。たとえば聖女様は生涯独身でただ神に祈り、その聖なる力を民のために使わなければならない、とかね」

「でも……」


 ジェレミーには再三にわたって反対される。それに、彼の言うことはパメラも頭の隅では理解している。理論的に言い返すことはできないが、しかしいま優先されるべきものは聖女という存在をとりまく道理よりも、ルシリシアの初めての恋情のような気がした。


「エングム様だって、もう一度露の方にお会いしたいはずです」

「どうかなあ」

「エングム様は何かおっしゃっていませんでしたか」

「パメラ嬢もディルク班長を見ただろう? あの堅物がそう簡単に誰かと恋バナなんてすると思う?」

「あ、はい、すみません。とてもではないけど思いません」

「わかってもらえて嬉しいよ。まあでも、ディルク班長も本気だろうな、って気はしているよ」


 ジェレミーはあの日の夜のディルクの表情を思い出す。何食わぬ顔で聖女様と連れ立ってジェレミーの部屋のドアをノックしたディルクだったが、あの時の彼のそれはもう、さわやかな雰囲気! さっぱりした表情! 間違いなくやることはやったはずだ。そしてそれをしたということは、ディルクの中でいくつかの葛藤がばっさりと切り捨てられたということに違いない。


「僕らもそうだけど、神聖院にバレたら間違いなく首が飛ぶ。文字通りにね。そうとわかっていても、ディルク班長もたぶん、本気で露の方を想っているんだと思う」

「なら、そんな二人を引き合わせてあげたいと思いませんか」


 パメラは切実な表情になった。


「もしもこれが良くないことなら、きっとウォンクゼアーザ様が止めてくださいます。でもそうでないなら私はお二人に……露の方に幸せになってほしいんです」

「ディルク班長との関係を続けることは、本当に露の方の幸せかな?」

「ええ……ええ、間違いありません」


 いまだ懐疑的で慎重なジェレミーに、パメラは強く頷いた。


「露の方は産まれたその瞬間から、神に愛されているお方です。露の方にとって不幸をもたらすようなお相手なら、そもそも神が露の方に引き合わせるはずがありません。お二人が出逢って想い合ったということは、ウォンクゼアーザ様にとっても喜ばしいことのはずなのです」

「わかった」


 ジェレミーは深くため息をついた。


「僕も腹をくくるよ。君の言うとおり、すべてが神のご意思に沿っているんだろう。それなら、ちっぽけな人間の身分で反論してもあまり意味はなさそうだ」

「申し訳ありません、リエルソン様。ほかに頼れる方がいればよいのですが、あなた様以外にいなくて」


 ジェレミーに迷惑をかけている自覚はある。けれどもディルクの部下という非常に都合のいいポジションの彼の協力は、とてもありがたい。


「いいよ、気にしないで。ただ、僕らの首が飛ばないですむように……そこだけは何度でもウォンクゼアーザ様にお願いしておかなきゃね」


 ジェレミーがそう冗談めかすと、パメラは困ったように苦笑した。なんの力みもなく自然と浮かんだパメラのその苦笑いはとても愛らしいと、ジェレミーはふと思った。



     ◆◇◆◇◆



「えっ、エングム様はグントバハロン国の血を引いていらっしゃるんですか?」


 暇だから、という表現は少々不適切だが、しかし特にやることがないのは事実なので、パメラはジェレミーとのおしゃべりに興じていた。

 パメラとジェレミーが画策して日取りを合わせ、再びルシリシアがディルクとの甘い時間を過ごしているその間。パメラは生活感がなくて殺風景なジェレミーの部屋で、二人の逢瀬が終わるのを待つ。夜の遅い時間なのでどうしても眠気が来てしまうが、しっかり寝てしまって万が一にも夜明け前に離小城に戻れないとまずいので、パメラは重たくなる瞼を懸命に持ち上げている。そんなパメラに付き合うようにジェレミーもまた寝ずに、一組の男女の夜が過ぎるのを待っていた。


「うん、確か父方のご祖母様が、グントバハロン国の武人の家系の出身だったかな。エングム家はずっとレシクラオン神皇国で軍人をしている家系だけど」

「グントバハロンは軍事大国ですから、そこの武人の家系の血を引いていると聞くと、エングム様のあの筋肉質な体型もなんだか納得ですね」

「遺伝的な素質もあるとは思うけど、ディルク班長、本当にストイックだからなあ……時間さえあれば鍛錬してるし」

「筋肉馬鹿……あ、いえ、失礼。決して馬鹿ではないんですよね」

「そうだよ。ディルクさんは頭もよくキレる。難易度を問わずどんな任務でも入念な準備をするし、確実に成功するタイミングを辛抱強く待つこともできる。いつだって、誰よりも一歩先を想定して考えて動くことのできる人だよ」

「それだけ聞くと、仕事一筋すぎて、女性と恋愛関係を持つような方には思えませんね」

「そうだね。特殊作戦部隊での仕事が本当に生き甲斐みたいだし、恋愛をするなんて……それも聖女様に惚れるなんて、僕もいまだに驚いているよ。聖女様にロマンティックな台詞のひとつでも言えているといいんだけど」

「うーん……想像できません。リエルソン様が言うならまだわかりますが」

「いやあ……期待を裏切るようで申し訳ないけど、僕も決してロマンティックな方ではないと思うよ?」

「そうなんですか?」


 待つことしかできないこの時間のパメラはさすがに聖女様以外のことにも興味が向くようで、ジェレミーの弁に首を傾げた。


「こんな顔だからさ、特に女性からは期待されがちだけど、僕の中身は見た目ほどキラキラしてないよ。自分からガツガツと女性にアピールすることもないし、お付き合いした女性がいたこともあったけど、相手が期待しているような甘やかしはできなかったし」

「不器用……というのとも何か違いますね」

「そうだね……なんだろう。勝手なイメージをもたれることが多すぎて、逆にどう振る舞えばいいのかわからない、って感じかな」


 ディルクのようにむさ苦しいほどの男らしさがあるわけではなく、どちらかというと汚れを知らない清流のように光り輝く顔面の作りをしているジェレミー。眉目秀麗な彼の見てくれに惹かれたあまたの女性たちは、ドラマティックな恋ができるかもしれないと多大な期待をしてきたのだろう。しかしその期待通りに振る舞えないジェレミーは、モテはしたが同じくらい女性に振られることも多かった。望まれたとおり、ほんの少しの軽薄さをはらんだ紳士的な態度をとり続けることもしてみたが、最終的には自分の心がすり減るだけだった。


「僕自身はディルク班長みたいになりたいと思ってるんだ」

「エングム様のように……筋肉隆々に?」

「あははっ。まあ、見た目的にも、あそこまで自分の身体を鍛え上げられたらカッコいいなあとは思うよ。腕力による強さは、男なら合理的な理由なしに憧れるものがあるしね。でも見た目だけじゃなくて……うーん、芯の強さって言うのかな。誰にどう見られているかとかそういうことを気にするんじゃなくて、自分は自分、っていう強さでしっかりと独り立ちしていたいというか」

「私は……」


 事前にジェレミーが用意しておいてくれた膝掛けを膝にかけたまま、パメラは両手の指を組んで自分の爪の小ささを見つめた。


「エングム様のことを理解しているわけではないので、エングム様の良さは正確にはわかりません。でも、誰かに憧れるリエルソン様のその気持ちは少しわかる気がします。今も昔も、私はルシリシア様に憧れています。ルシリシア様は聖女様としてその重責をきちんと果たされていて、それでいて誰にでも優しくて……ただ、憧れるほどにこうも思うんです。私はルシリシア様にはなれない、ルシリシア様とは違う人間だから。ルシリシア様に憧れて、そうなりたいなと思いつつも、私は私でしかない。だからルシリシア様に憧れるだけじゃなくて、自分で自分のことをもっと見て理解して、自分の理想の自分になれるように努力しなくちゃいけないんだなと」

「パメラ嬢の理想の自分って?」

「うーん……ルシリシア様みたいな女性、と言いたいところですが」


 今の自分自身を嫌っているわけではない。けれど時折、不思議と焦燥感を抱くのだ。このままの自分ではいけない。もっと変わらないと――いや、成熟しないといけないなと。パメラは一呼吸おいてから答えた。


「強いて言うなら母のように……誰かの優しさにすぐ気付けたり、死を悟っても悲観することなく最期まで生きようとする強さがあったり……自分もそんな風になりたいものです」

「そっか……。僕が言っても信じられないかもしれないけど、それならもう、なっているんじゃなかな」


 ジェレミーはダイニングテーブルの方の椅子から立ち上がった。そしてソファに座っているパメラに近付くと、小さなその頭にぽん、と手を置いた。


「パメラ嬢は強いよ。聖女様のこの秘密の恋は、君の行動力がなければ決して実らなかった。君が強い心と意志を持っていたから、聖女様とディルクさんの距離は縮まったんだ。それに、君は誰かの優しさに気付けているよ。この国の国民の多くは、聖女様のことは〝聖女様〟としてしか見ていない。〝聖女様〟だから優しくて当然だと。でも君は聖女様の中身……不敬にも名前を呼ばせてもらうけど、ルシリシア様という一人の女性を見ていると思う。〝聖女様〟という彼女の表面だけを見ているわけじゃなくて、本来のルシリシア様が持つ優しさにしっかりと気付けていると思うよ」

「そうだと……いいのですが」


 パメラは不覚にも泣きそうになった。今まで誰にも見せずにいたために肯定してもらえたこともない自分の心の内を認めてもらえた気がして、妙に嬉しかった。


「ごめん、頭をなでちゃった。大人の女性にすることじゃないね」

「あ、えっと……いえ、大丈夫です。気にしてません。リエルソン様は私のことを子供扱いしないって、わかっていますから」

「そっか」

「はい」


 自分とジェレミーの関係は不思議なものだと、ふとパメラは思った。ルシリシアの秘密の逢瀬を実行するために必要不可欠な協力者――ただそう思っていたが、こうして二人きりであれこれと話していると、ただの協力者ではないと思えてくる。だが友達と呼ぶのは違うと思うし、知人にしてはもう少し距離が近い気もする。

 少しこそばゆい気持ちになりながらも、パメラはジェレミーとたわいない話を続けた。ジェレミーは職務上、他国で任務を行うこともあるので諸外国の情勢についてなかなかに詳しく、なるべく堅苦しくないないように他国の庶民の様子などを教えてくれた。聖女付き侍女として多くの知識を持っていることは決して損ではないので、パメラはジェレミーの話に耳をかたむけた。北のチェブレリカ大陸にいくつかの大きな自治体がまとまってノルティスラ連邦という国ができたことや、東方のバフルソン国とデシエトロン国が相変わらず国境線付近での小競り合いを続けていることなど、政治的な話だったがジェレミーはずいぶんと噛み砕いてわかりやすく教えてくれた。


 そんなおしゃべりをしながら、夜空に浮かぶ星々の傾きを見守ること数時間。その日もまたパメラとルシリシアの二人は、闇夜にまぎれるようにしながら離小城へ戻った。

 その後も、ルシリシアとディルクの密会が何度か行われた。パメラたちは秘密の逢瀬が誰にも知られていないと思っていたが、しかし闇夜にまぎれていたのはパメラたちだけではなかった。ディルクが住むごく普通の集合住宅を訪れて短時間でいなくなる黒いローブ姿は、闇夜の徘徊者に確実に見られていたのだ。

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