第3話 協力者、あなたに決めた(後編)
「ルシリシア様、世界中の人がそうだと言っても、パメラだけは否定します。聖女だから誰かと愛し合っちゃいけないなんて……そんなはずがありません!」
「パメラ、でも……」
「ルシリシア様は確かに聖女様ですけど、でもルシリシア様っていう一人の人間です。きれいで優しくてかわいくて、とっても素敵な女性です。パメラはルシリシア様に幸せになってほしいです。死ぬまでずっと、神とすべての人々のために聖女として生きなきゃいけないルシリシア様にだって、普通の人と同じような〝普通〟の幸せが降り注いでほしいです。だからこのパメラ、まだまだ頑張ります! ルシリシア様も頑張りましょう!」
ほかの人間には決してできない、人々の病やけがを癒す奇跡。それができる聖女という存在。神と疎通し、その力の一端を使うことを許された尊い身分の聖女は間違いなく神に認められた特別な存在で、ルシリシアがその聖女であるということは覆らない事実だ。
しかし聖女だから恋をすることも結婚することも許されないというのは、神が定めた決まりなのだろうか。ウォンクゼアーザがかつてそう命令したのだろうか。もしそうならば、ディルクに恋をしたルシリシアを許さず、今頃神は腹を立てているに違いない。だがルシリシアいわく、ウォンクゼアーザは楽しげにしているらしい。すべての人々に持つことを望む純粋で無垢な「白き心」をルシリシアの中に認めているようでもある。つまり神は、聖女のルシリシアが恋をすることを許しているように思われる。
(ウォンクゼアーザ様、不肖ながらこのパメラ、ルシリシア様の恋を応援しますからね! もう迷わずに、できること全部やっちゃいますから!)
パメラはルシリシアを寝台へとうながしつつ、胸の中で神にそう宣言した。
(もし私が良くないことをしていたら止めてください。でもそうでないなら、ウォンクゼアーザ様もルシリシア様のことを応援してください)
ルシリシアが寝台に横になったのを確認してから、パメラは「おやすみなさい」と声をかけて室内のランプの灯りを消して静かに退室する。
今日は遅番なので、パメラは離小城内の使用人室に泊まり、明日の朝も起床後すぐにルシリシアの身の回りの世話をする勤務の予定だ。つまり、早速チャンスがおとずれている。
(リエルソン様から聞いた感じだと、エングム様は悠長に文通で女性との関係を育むようなタイプには思えない。それに普通の方なら、聖女様との恋なんて恐れ多くてできるはずがないわ……ということは、前置きなしでとにかくもう一度引き合わせるのがいいかもしれない。ルシリシア様にはかわいそうだけれど、当たって砕けろの精神で告白してもらって……その結果次第で、どちらに進むか決めるしかない)
正確には二色で割り切れるものではないが、一般論を言えば恋の結末は二種類しかない。相手と心を通わせ合うことができるか、それともそれを拒絶されるかだ。
今回のように登場人物が特殊でなければ、なるべく両思いになれるように、相手との良好な関係を少しずつ築き上げていくという戦法がとれる。だがルシリシアは聖女という特殊な身分で、さらに相手方のディルクはぶっきらぼうな性格であるということを考えると、のんきに文通をして少しずつ互いのことを知って好きになっていくというルートは現実的ではない。少なくともルシリシアの方は、一目でディルクに惚れてしまったのだ。今からゆっくりと彼の内面を知って好きになるという過程は必要ないだろう。
(ルシリシア様がエングム様に告白して、ばっさり振られるもよし。それならそれで、人生で一度きりの恋が失恋という結果に終わるだけ。でも、もしエングム様もルシリシア様のことを悪く思っていなければ……いえ、それはわからないから、その場合はやっぱり、なるようになぁ~れの気持ちで次の流れに身を任せるしかないわ)
ルシリシアの私室を退室したパメラは、手に持ったランプの灯りを頼りに離小城内を巡回する。就寝前の施錠確認をしている身振りを取り繕うが、頭の中はパメラなりに高速回転で思考していた。
(お二人をどうやって会わせるか……。正攻法は、エングム様を離小城に招くこと。でも、それだとルシリシア様の恋が多くの人に知られる可能性が高い。結果が失恋というものになったとしても、ルシリシア様が責められてしまうかもしれない。エングム様のことは、大なり小なり絶対に誰にもバレてはいけないわ)
すでにジェレミーには聖女様の秘密の恋を共有してしまったが、ディルクとのつながりを持つためには仕方がなかった。多くの女性が見惚れるようなイケメン騎士だが、その笑い方はやけにうさんくさい。しかし聖女様のスキャンダルを面白おかしく吹聴して回るような性格にはなんとなく思えないので、ジェレミーのことはひとまず信頼しようとパメラは考えた。
(ルシリシア様が離小城を抜け出してエングム様に会いに行く……それしかない。離小城の警備は、外からの侵入者を想定して考えられている。中から脱走するケースなんてほぼ想定されていないはず……ということは、近衛兵部隊の騎士の目をかいくぐれば抜け出せるはず)
パメラは各部屋や廊下の窓の施錠を確認しつつ、脱走ルートを考えてみた。ルシリシアの私室は二階の南側だ。同じ二階には使用人室や事務室などがあり、日中の廊下は人の行き来が多い。だが夜は今のように遅番の使用人しかおらず、夜通しで警備をする数名の女性騎士が一階と二階を行ったり来たりするくらいだ。
(警備の騎士……その動きのパターンをつかめば、きっと行ける)
この日以降、パメラは脱走計画について考えた。まだ母が存命だった頃、子供なりにできる簡単な宅配の仕事をしていた時のことを思い出す。あの時大事だったのは、一件あたりの報酬が安いのでとにかく数をこなすことだった。そして数をこなすには、城下町内を最短ルートで行き来し、なおかつなるべく人を避けて移動することだった。馬車が通り過ぎるのを待ってから道を渡ったり、大事な荷物を持ちながら大人たちを避けたりするよりは、最初から人の少ない道を進んだ方が安全かつ迅速だったのだ。
(まずは目的地とルートを定めないと。それから、不測の事態が起きた場合の第二、第三の道も想定しておいた方がいいわ)
離小城を抜け出して片思いの人に会いにいく。そんなルシリシアの姿を思い描きながら、パメラは仕事の傍らで日々思案した。
(この計画のためには外部の協力者が欠かせない)
離小城を抜け出すことができたとして、ディルクに会いに城下町へ行くには少し距離がある。神皇が住む神皇城と儀式が行われる神聖殿は、このレシクラオン神皇国の首都である神都ファーディオル全体を見渡すかのように、少し小高い丘に建っている。しかし、聖女が住む離小城は神皇城の北側に、まるで聖女を閉じ込めて隠すかのように建っている。そのため、神皇城の南側に広がる城下町に近いとは言えない。パメラのように離小城に通って働いている者たちなら、離小城と城下町を行き来してくれる馬車を使うことも可能だが、離小城を抜け出してディルクに会いに行くのにその馬車を使えるはずがない。
(エングム様と会う場所も考えないといけないし……これ以上は一人では無理ね)
自分一人の考えの限界を悟ったパメラは、正午で勤務時間が終わり、午後がまるまる休暇になった日に特殊作戦部隊の庁舎を訪れた。そして受付で、ジェレミー・リエルソンへの面会希望を伝える。受付の兵士はじろじろとパメラを観察してから「またかよ」と呆れてため息をつきつつも連絡をとってくれて、少しの待ち時間のあとにジェレミーがやって来た。
「やあ、パメラ嬢。こんにちは」
「お久しぶりです、リエルソン様。またかよ、と言われたのですがどういうことでしょうか」
「うーん、外に出て話そうか」
ジェレミーはとびきりのうさんくさい笑顔を浮かべてパメラをうながす。庁舎を出て外の通りを少し歩き、二人は噴水広場のベンチに腰を下ろした。
「僕、まあまあモテるんだよね、この顔のおかげで」
「はあ……まあ、整った顔をしていらっしゃいますものね」
パメラとしては、普段見ているルシリシアの方が当然ながらきれいでかわいい顔をしているので、男性にしてはキラキラとしたオーラを放つジェレミーの顔の作りを見ても「ルシリシア様ほどじゃないけど」という感想で終わるのだった。
「で、さっきの君みたいに僕に会いたいって言うお嬢さん方がたま~に来るからさ」
「なるほど、リエルソン様に面会希望をする女性は珍しくないということですね」
「うん、まあ、そういうこと」
「それは都合がよくていいですね! こうして私が訪問しても、それほど怪しまれないということですから」
パメラは悪だくみを思いついたように不敵に笑った。
獲物を狙う鋭さを隠しきれていない、あざとすぎる笑顔を女性から向けられたことはあっても、そんな風にいたずらっ子のような笑みを女性から向けられたことのないジェレミーは、一瞬目を丸くした。それから「ぷふっ」と噴き出して、肩を震わせてくすくすと笑った。
「面白いなあ、パメラ嬢。そんな風にとらえるなんて」
「失礼があったならすみません。でも私、実はいまいっぱいいっぱいでして、本題意外に気を配る余裕がなくてですね」
「うん、いいよ。何か僕に頼りたいんだね?」
ジェレミーは背中を丸めてパメラと視線の高さを合わせ、彼女の話に耳をかたむけた。そして、ディルクと引き合わせるために聖女様を離小城から脱走させるので、離小城から城下町のディルクのもとへの移動に協力をしてもらえないかと相談されて、驚きと戸惑いで思わず唸ってしまった。
「うぅ~~~んぅ~~……そうきたか」
「とんでもないことを企ているのは百も承知です。でも後先考えず、とにかくもう一度会わせてあげたいのです」
周囲に人の目があるので、パメラは隣に座るジェレミーに近付いて小声で続けた。
「露の方は本当に、エングム様に恋い焦がれているようなんです。でもそんな自分を必死で抑えつけていて……。ウォンクゼアーザ様にお尋ねになられても明確には答えていただけないようで、それが余計に混乱を生むようで」
「うーん……それって、二人がもう一度会えば解決する問題かな」
ジェレミーはなるべくとげとげしい言葉にならないように気を付けながら尋ねた。
「言っちゃ悪いけど、世間から隔離されているような露の方の一目惚れの恋なんて、へたにつつかない方がいいんじゃないかな。迂闊に温度を上げて燃え上がらせたって、きっとその炎は誰も温めないよ。むしろ危険だ。行きつく先でその炎はきっと誰かを燃やしてしまうだろう。文字通り命を奪うほどにね」
ジェレミーは渋い表情を浮かべた。
聖女の侍女でありながら、聖女を離小城から脱走させた罪。その脱走を幇助した罪。そして、生涯穢されることなく清らかで聖なる存在として在らねばならない聖女と通じ合った罪。最悪の場合、少なくとも自分たち三人の首が飛ぶだろう。
「でも……」
「パメラ嬢、君が露の方をとても特別に慕っていることはわかるよ。でも君が本当に露の方を大事に思うなら、彼女の背中を押すことは絶対にしちゃいけない選択じゃないかな。君がすべきことは、想い人に会いたいと思う露の方のその気持ちを少しずつでいいから鎮めて、許されない恋心を消す手伝いをすることだと思うよ。露の方が罪の道へ進まないようにね」
(罪の道……許されない恋心……)
優しい言葉でジェレミーに諭されてパメラは俯いた。
(これは悪いこと? 絶対にしちゃいけないこと? 罪? 本当に?)
本当にそうなの? 好きな人にもう一度会うことが――それどころか、好きな人に会いたいと胸を痛めて切なさに苦しむことさえも罪だと言うの?
ジェレミーの協力は必須だ。しかし、これ以上どんな言葉を紡げばそれを得られるのか、パメラにはわからない。
(私は、ルシリシア様に幸せになってほしいのに)
神の力をもってしてもすでに癒すことができないほどに病が進行していた、パメラの母。その母を助けられなくて、「ごめんなさい」と泣いて謝った優しい聖女様。これまでに何度もそうして謝り、そしてこの先死ぬまでに何度もあの「ごめんなさい」を言わなければいけないさだめを背負ったルシリシア。
誰よりも優しい聖女様の、秘密の恋。できることならその恋物語の結末は幸せなものであってほしい。パメラは心の底からそう思った。神に祈るほどに――。
「――ウォンクゼアーザ様……っ」
「え?」
「ウォンクゼアーザ様に決めてもらいます!」
「ん?」
俯いていたパメラがぱっと顔を上げたと思ったら、活力の戻ったようなしゃきっとした表情になったので、ジェレミーは何か嫌な予感がした。言いくるめることができたかと思ったが、パメラのその表情はジェレミーの説得をきれいさっぱり吹き飛ばすつもりだ。
「ウォンクゼアーザ様……この世界を創りし全知全能の神よ、どうかこの不肖パメラのお願いを聞いてください」
パメラは両手を組むと目を閉じて祈った。頭の中に、「あの人に会いたい」と呟いて泣いたルシリシアを思い描く。
「露の方とエングム様の逢瀬にリエルソン様も協力せよとおっしゃるのなら、いまこの場へエングム様をお連れください。もしもリエルソン様の言うとおり諦めよとおっしゃるのなら、誰でもいいので神聖院の神官様をこの場へお連れください」
「いや、パメラ嬢、いくら神様でもそんな都合よく――」
「――おい、ジェレミー。なに女と一緒に油を売ってやがる」
ジェレミーが苦笑したその瞬間、二人が座っているベンチの背後から野太い声が降ってきた。ジェレミーは「まさか」と思いつつもゆっくりと背後に振り返り、そこに立っていた兵士服姿のディルクを唖然とした表情で見上げた。
「ディルク班長……奇遇ですね」
「奇遇じゃねぇよ。見回りの時間だ。任務がないからって仕事をサボるんじゃねぇよ。サボるならせめて訓練室でトレーニングでもしろ」
仏頂面のディルクは鋭い眼差しでジェレミーを睨みつけた。
「え、あの、もしかしてディルク・エングム様ですか」
「ん?」
ジェレミーの隣にいるやけに子供っぽい顔の女性から名前を言い当てられて、ディルクは怪訝そうな表情になった。
「お前に会った記憶はないが……なぜ俺の名前を知ってる?」
「あ、いえ……えっと……その……」
「これって……ええぇ……ウォンクゼアーザ様ぁ~」
ディルクに睨まれたパメラは狼狽する。その隣でジェレミーはがっくりと肩を落として頭を抱え込んだ。
「まあ、いい。とにかくジェレミー、見回りに行くぞ」
「了解です。パメラ嬢、ごめん、今日はこれで。三日後の午後にあのパン屋で待ち合わせできる?」
「あ、はっ、はい。可能です」
「じゃあ三日後。神の思し召しなら仕方ない。協力するよ」
「えっ!」
「詳しくはまたね」
ジェレミーはそう言い残すとさっと立ち上がり、大股でだいぶ先を歩いているディルクに追いつくべく小走りで噴水広場を後にした。