第6話 そして大団円、たぶん(下)
「どうですか、ディルク班長。離小城での生活は」
そしてある日、ジェレミーは離小城に招かれて応接室でのお茶会に参加した。聖女様が「一度リエルソン様にきちんとお礼を言わなければと思って」と気にかけてくれたようで、断るほどの理由もなかったので遠慮なく招待されたのだ。
「特に感想はないな。小うるさいジジイとババアの神官は睨めば黙るしな」
「エングム様、もう少し年上の方々を敬ってください。あまりにも不遜な態度がすぎると、ウォンクゼアーザ様から見放されてしまいますよ」
主であるルシリシアとディルク、それに客人のジェレミーに給仕しながらパメラは呆れ声で咎めた。給仕といっても飲み物とお茶菓子をテーブルの上にセッティングしてしまうとやることがないので、ルシリシアの誘いもあってパメラもソファに座った。
「やるべきことをさっさとやらない方が悪い。俺はいつになったらルシリシアを正式に嫁にできるんだ」
「ディルク班長、すごく簡単にそう言いますけど、聖女様の結婚はレシクラオン神皇国が成立して以来初の歴史的なイベントなんですよ。法改正するだけではなく、結婚式の段取りとかも考えないといけないでしょうし」
「ああ、そういや軍事院はあまり関係ないかと思っていたが、近衛兵部隊がなんか騒がしくなっていたな。伴侶を持った聖女様の警備を今後どうするとかで」
「肝が据わっているディルク班長にとってはなんてことはないのかもしれませんが、とにかく一大事なんですよ、聖女様の結婚というのは」
ジェレミーがそう言ってため息をつくと、ルシリシアは俯いた。
「あの……すみません、本当に……私のわがままで皆さんを振り回してしまって」
「あっ、いえ、申し訳ありません。ディルク班長を責める言い方をしましたが、聖女様を責めているわけではないので」
「そうですよ、ルシリシア様。ルシリシア様はウォンクゼアーザ様に見守られているんですから、気にしなくて大丈夫なんです」
「でもディルク様だけでなくパメラとリエルソン様も、一歩違えば罪に問われていました。結果としては大丈夫だったけれど……本当にごめんなさい。でも二人がいたから、私はディルク様と心を通わせることができました。それに地下裁判所の件も……私をあそこに連れていってくれて、そしてパメラがあの場で私の代わりにたくさん叫んでくれて……そのおかげで、こうして堂々とディルク様と一緒に過ごすことができています。二人には感謝してもしきれません。本当にありがとうございます」
ソファに座ったまま、ルシリシアは丁寧に頭を下げた。特に結んでいない銀髪が、はらりとルシリシアの頬にかかる。
「やだっ、もうっ、ルシリシア様ってば顔を上げてください!」
「そうですよ、僕たちはその……神のご意思に従っただけですから」
パメラは少し涙目で、ジェレミーは気まずそうな表情で言った。この国で最も特別な存在である聖女様に頭を下げられてしまうと、非常にいたたまれない。
確かに、自分たちも何かしらの罪に問われる可能性は高かった。だが結果としては何も困ったことにはならなかったし、聖女様が自分で言うように二人は堂々と交際できるようになったのだ。これ以上ない大団円なのだから、聖女様が謝るべきことは何もない。
「ルシー、顔を上げろ。幸せそうなお前の表情を見せた方が、危険な橋を渡ってくれたこいつらに報いることができるだろ」
ルシリシアの隣に座っていたディルクは彼女の背中をそっとなでた。ルシリシアは顔を上げて髪の毛を耳にかけながら、気恥ずかしそうにディルクの方を向いてほほ笑む。ディルクはそんなルシリシアの頬を指の背で二度三度こするようになでると、甘ったるい笑みを返した。
「うわあ……ディルクさんのそんな顔、見たことがない……怖い」
「怖いってなんだよ」
「あ、いえ……」
「エングム様は、外でルシリシア様のことをほとんど話されないそうですね?」
「あら……そうなのですか、ディルク様」
パメラが尋ねると、ルシリシアはきょとんとした表情になった。
「ルシーのことについて神皇軍の奴らと話す必要なんかないだろ。聖女としての姿はともかく、プライベートのルシーのことは、この離小城に出入りする奴らと俺だけが知っていればいい」
「つまり、聖女様を独占したいんですかね。知らなかったなあ、ディルク班長がこんなに独占欲が強いなんて」
「ヘタレよりマシだろ。お前もさっさと告白してくっつけよ」
「ん? んんん? あの、いえ、ちょっと待ってください……ディルク班長?」
「へえ~。ジェレミー様には気になる女性がいらっしゃるんですね」
パメラも初耳だなあ、というのんきな表情を浮かべる。するとディルクはニヤりと不敵にほほ笑んだ。
「侍女も聖女様のこと以外には鈍感だな」
「私の名前は〝侍女〟ではなく〝パメラ〟です!」
「え、いや、ディルクさんどうして知って……いや、そうじゃなくて」
何やら会話が混乱してきている。ルシリシアは三人の顔を順番に見つめながら、ふとあることに気付いて無垢な声で尋ねた。
「もしかしてリエルソン様は、パメラのことを好いてくださっているのでしょうか」
「えっ!」
「はっ!?」
「よくわかったな、ルシー。そういうことだ。残念だが、この二人が結婚したらパメラはお前の侍女を辞めなきゃならないだろうな」
ディルクが意地悪げに笑うと、パメラは眉をつり上げてきっぱりとした声で言いきった。
「辞めません! 私は死ぬまでずっと、ルシリシア様にお仕えするんです!」
「という希望だそうだが、どうするジェレミー?」
「いえ、あの……ですね……」
「エングム様、冗談が過ぎますよ! ジェレミー様ともあろうお方が、私みたいな童顔のちんちくりんを好きになるはずないじゃないですか!」
「いや……どうかなあ」
「はあ? え、ちょっと待ってくださいジェレミー様、まさかエングム様の言うことは本当なんですか!?」
「うーん……いや……えっと……」
「煮えきらない奴だな。ここまでお膳立てしてやったんだから、まずは言えることを先に言えよ」
「ディルクさん、言えてたらとっくのとうに言っていると思いませんか」
「あら……じゃあ本当に、リエルソン様はパメラのことを好いてくださっているのですね?」
ルシリシアがにっこりとほほ笑む。するとパメラは顔を真っ赤にしてジェレミーを睨みつけた。
「はっ、はあ!? え、やだ、本当なんですか!?」
「パメラ嬢、やだって言わないでくれるかな……ちょっと傷つく」
「まあ、聖女付き侍女の仕事は悪くない仕事だし、ジェレミーが許可すれば続けられはするだろうな。でも聖女の侍女として勤めたいと思う奴はほかにたくさんいそうだから、しっかり役に立たないと簡単にその座を奪われるぞ」
「私は、できればパメラにずっと傍にいてほしいです。でもリエルソン様と結婚することでパメラが幸せになれるなら、その妨げとなってはいけませんね」
「ルシリシア様、大丈夫です! パメラはずっと傍にいますから! 結婚なんてしませんから、このまま引き続き仕えさせてください!」
「ほらジェレミー、お前、相当頑張んないとこれを陥落させるのは難しいぞ」
「それがわかってるから今まで言わずにいたのに……はあ、もう」
ジェレミーは深いため息をついた。その時、ルシリシアはあることに気が付いてパメラに笑いかけた。
「でも、この先私がディルク様と正式に結婚して既婚者になった際にパメラも既婚者だと、妻という同じ立場でいろいろ相談できるかもしれないのよね」
「私とルシリシア様が同じ立場……ですか」
「そうだな。もし互いに子供ができたら母親仲間にもなるから心強いだろうな。ルシーは特殊な育ちで〝両親〟や〝家族〟の像がわからないだろうが、そういうものをパメラから教わるのもいいかもしれない。いっそ、パメラが俺らの子の乳母になるか?」
「まだしっかりと想像はできませんが……でも、パメラは私にとってただの侍女ではなくて、友人と呼べる人です。この先も侍女としてだけでなく、同じ立場の女性として助けてくれると嬉しいわ」
「ル……ルシリシア様ぁ~」
そんな風に頼られてしまうと、何がなんでもその期待に応えたいとパメラは思ってしまう。聖女様のことを「友達」などとは口が裂けても言えないとずっと遠慮していたが、自分こそルシリシアの友達だと言いたい。自分とルシリシアはただの主従関係ではなく、心から信頼し合っている仲だと思っているのだから。
「え、じゃあ、あの……パメラ嬢、僕と結婚してくれる?」
「はい?」
「え、そういう流れ……じゃないのかな、これ」
「パメラはリエルソン様のこと、どう思っているの?」
「そっ、それは……えっ、特に……なんとも……」
パメラは瞳を縦横にぐるぐるさせた。
「待って、待ってください……だってずっとジェレミー様は、ルシリシア様とエングム様の仲を取り持つための協力者でしたから」
「うん、僕も最初はそうだったんだけど、エネルギッシュで聖女様に献身的なパメラ嬢のこと、いつの頃からかその……一人の女性として好きになってしまったんだけど」
「ジェレミー、だからそう煮えきらない言い方をするな。男ならさくっと言え」
自我の強いディルクはきっと、はっきりと聖女様に言えるのだろうな。「好きだ、愛している」と。ジェレミーはそう思った。そしてそんなディルクのように自分もなりたいと思っていた。
「パメラ嬢、僕はあなたが好きです。あの、だから……僕と結婚してくれませんか」
「え、えっと……いえ……あの……ああああ、もうぅっ!!!」
キラキラとしたイケメンから求婚されて、パメラの心は感情を処理しきれずに爆発した。そして恥ずかしさのあまり、応接室から脱走する。
「思った以上に前途多難だな。ルシーがいる場で話せばまとまるかと思ったが」
パメラが脱兎のごとく駆けていったドアの方向を一瞥して、ディルクは肩の力を抜いた。
「どうしましょう、パメラを追いかけた方がいいでしょうか」
ルシリシアはディルクに判断を求めた。するとディルクはルシリシアの腰に腕を回してその細身を自分の方へ引き寄せると、こめかみにちゅ、と口付けて首を横に振る。
「外野はもう黙ろう。あとは本人たち次第だ。ということでジェレミー、行け」
「えっ、どこに行ったかわからないですし、離小城内の道もわからないのに?」
「俺とルシーを二人きりにしろって言ってんだよ。いいから探しに行け」
「ディルク様、でも」
今日はこれまでのお礼を言うためにジェレミーを招いたのだ。客人であるジェレミーをそんな風に無下に扱うことを、ルシリシアは心苦しく思った。
「いいんだよ。もう俺たちのことを口実にはできないんだから、将来のことを真剣に考えるなら、ジェレミーとパメラの二人で自分たちの未来を描かなきゃいけないんだ」
「それは……まあ、そうですね。では聖女様、せっかくお招きいただいたのに申し訳ありませんが、僕はこれで失礼します。それと、心から聖女様を敬愛し、献身的に聖女様に仕えているパメラ嬢のことは、本当に素敵な方だと思っています。僕にもウォンクゼアーザ様の祝福がもたらされるように、お祈りいただいてもよろしいですか」
「ええ、わかりました。パメラのこと、どうかよろしくお願いいたします」
ソファから立ち上がり、丁寧にお辞儀をしたジェレミーを見上げてルシリシアはやさしくほほ笑んだ。
一方、離小城の廊下を駆け抜けて一番端までたどり着いたパメラは、窓ガラスの外をぼんやりと見つめたまま心臓をバクバクと高鳴らせていた。
(待って待って、え、ジェレミー様が本当に私を? え、結婚? 何言ってるの? こんな童顔で子供っぽすぎる私を本当に? 嘘でしょ。嘘ついてる? 私、からかわれてる? でもジェレミー様は、そんな嘘で女性をからかうような方じゃない……え、ということは本気? でも私はまだルシリシア様の侍女でいたい……だけどルシリシア様のおっしゃるように、同じ既婚者という立場でお支えできることもあるかもしれない……それに、もしも子供ができたら……あ、いえ、ルシリシア様にね? ルシリシア様に子供ができたら……え、やだ、私絶対、ルシリシア様のお子様もお世話をしたい! 乳母になれるなら絶対になりたい! それなら、自分も母親になっておかないといけないわよね……あっ、いやいや、子供は授かりものよ。そんな打算的な理由で欲しいなんて思ってはいけないわ……ああでも、ルシリシア様のお子様ならきっととてつもなくかわいいだろうなあ……早く見たいなあ)
「パメラ嬢、あの……いいかな?」
「えっ……ぎゃああああああ!!」
追いかけてきたジェレミーに肩をたたかれたパメラは、振り向いてジェレミーを見上げると悲鳴を上げて再び走り出した。決してジェレミーのことを悪く思っているわけではないのだが、いま彼を見るとなんと呼べばいいのかわからない複雑な気持ちで心がいっぱいになってしまう。聖女様の恋は心の底から応援できたが、自分の恋については心の底から混乱する。そんなパメラは、ひとまずジェレミーから逃げることに腐心した。
とても前進しそうにない聖女様の侍女とイケメン騎士の仲は、しかしその後どうにかこうにか落ち着くところに落ち着いた。ルシリシアの方も、様々な法改正を経たのちに正式にディルクと結婚し、盛大な結婚式を挙げて史上初の既婚者聖女となり、レシクラオン神皇国の歴史に名を残した。
パメラという侍女の名が歴史に刻まれることはなかったが、パメラは決して聖女付き侍女という職を辞さず、子ができて母になってもルシリシアに仕え続け、ルシリシアが亡くなるその瞬間まで稀代の聖女を支えたのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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