第6話 そして大団円、たぶん(上)
「ルシリシア様はエングム様と相思相愛になったあとも、ちゃんと聖女のお役目を果たしてました! レシクラオンの民のことも、けがや病で苦しむほかの国の民のことも心から心配して癒してあげたいって、どこまでも優しく思われてました! ウォンクゼアーザ様への祈りだって欠かしたことはありません! 聖女としてのお勤めに、これ以上ないくらい真面目に励んでいらっしゃいました! ルシリシア様以外の聖女様を知りませんけど、こんなにも素晴らしい聖女様はほかにいませんよ! そんなルシリシア様のどこが恥さらしなんですか!? なんで聖女だからってだけで、恋も結婚も許されないんですかあああ! なんなんですかその取り決め! ウォンクゼアーザ様が許さないって言ったんですか!?」
箍を外したように、パメラは息継ぎも最小限にして大声を上げた。
「パメラ嬢、まあまあ、落ち着いて」
そんなパメラの肩をぽんぽんと軽くたたきながら、ジェレミーは苦笑交じりに止める素振りをしてみせる。しかし本気でパメラを止めるつもりはなかったし、そんなことでパメラが止まるはずもなかった。この際吐き出せるものは全部吐き出してしまえばいいと、ジェレミーはこっそりと胸の中でパメラを応援した。
「ウォンクゼアーザ様が私たちに求めることはただひとつ、〝白き心〟を持つことだけです! 誰かと恋をしたりえっちしたりすることで穢れると言うのなら、ここにいる全員のご両親はべちゃべちゃのぐちゃぐちゃに汚れてることになるじゃないですか! お父様とお母様が愛し合ったから、いまここに皆さんがここにいるんでしょ! 神が望む清らかな〝白き心〟って、誰かを好きになってえっちしたら穢れるものなんですか!? 意味わかんない! そんなわけないじゃないですか! ルシリシア様は聖女様ですけど、でも一人の女性なんですよ!? 恋ぐらいしたっていいじゃないですか! ルシリシア様だって誰かを愛して自分の幸せを求めたっていいじゃないですか! そんなルシリシア様を愛してくださったエングム様のどこにどんな罪があるって言うんですか! 納得いくように説明してくださいよ、このお馬鹿あああ!!!」
それは長いことパメラの心の底で、抜けない小骨のように引っかかっていたことだった。
聖女を縛る、あらゆる決まり。それは法律だったり習慣だったり規則だったりしたが、恋も結婚もしてはならないという縛りには一番納得がいかなかった。なぜなら、神はルシリシアとディルクの恋仲を最初から望んでいるようだったからだ。
そもそも、二人が儀式の途中で偶然にも顔を合わせてしまったのだって、不思議な突風のせいだ。おそらくウォンクゼアーザが吹かせたと思われる突風のせいでルシリシアの目隠し布が外れてしまい、ルシリシアとディルクは顔を合わせることになった。そして二人ともその一瞬で恋に落ちたのだ。神が二人の恋仲を望んでいなければ、そのような偶然が起きるはずがない。
神が二人の恋を望むのならば、聖女を縛る決まりなど一切意味がない。いや、むしろ神の意に反するのではないか。長らくずっとそうだったからと思考停止して、自分たちは大事なことを忘れていないだろうか。純粋で無垢な「白き心」――他人を慈しみ、思いやる気持ち。誰かを愛する気持ち。それを持つことが罪になるはずがない。
パメラの渾身の叫びによって、というわけではないが、ディルクに言い渡された判決はその後正式に無効となり、ディルクは無罪放免となった。そして神公認という心強すぎる後ろ盾を得たディルクは、その場でルシリシアに求婚した。戸惑ったルシリシアだったが、ディルクにうながされて力強く頷いた。
「ルシリシア様あああああああ」
そんなルシリシアの隣でパメラは感動して再び大声を上げ、そして泣き出した。
「パメラ嬢、落ち着いて。もう大丈夫だから」
そんなパメラを、ジェレミーはやはり苦笑しながらなだめる。
淑女のように弁えていたかと思えば、子供のように感情を表出させる。それでいてその感情はすべて聖女様を大切に思うからこそ湧き出てくるもので、そこには一切の私欲も汚れもない。光る球体として出現したウォンクゼアーザはルシリシアとディルクの二人を「白き心の持ち主である」と褒めてくれたようだったが、パメラだって十分に純粋な心を持っているとジェレミーは思った。
その後、ディルクは手錠を外された。囚人用の服に着替えさせられていたが、最初に着ていた迷彩柄の服をきちんと返却され、今朝特殊作戦部隊の庁舎に出勤した時と変わらぬいで立ちで裁判所を出ることができた。
しかし、すぐその場での聖女様との対面は許されなかった。聖女様とその侍女のパメラは、司法院が用意した馬車で早々に離小城へと送り届けられ、着替え終わって裁判所の正門を出たディルクを待っていたのは部下のジェレミーだけだった。
「お疲れさん」
「ディルク班長……」
危うく死刑が確定するところだったというのに、まるで厄介な書類仕事をひとつ片付けた程度の雰囲気を見せるディルクに、ジェレミーは安堵する気持ちと呆れる気持ちが半々だった。
「お前ら、よく地下裁判所に入れたな」
徒歩で特殊作戦部隊の庁舎に向かいつつ、ディルクは小さく笑った。リエルソン家所有の馬車は、リエルソン家の使用人に連絡して裁判所まで回収に行かせたので、ジェレミーもディルクと一緒に歩いて庁舎に戻ることにする。
「いやあ、もう……すべて神の思し召しですよ。思し召しどころか奇跡ですよ」
「あの光る球体には驚いたな。あれが本当に神か? ってのは疑いが残るがな。物証があるわけじゃねぇし。まあでも、さすがの俺も今夜は寝つく前に真剣に祈るか」
「そうしてください。僕もそうします。ほんとにもう……」
怒涛の展開すぎて、かけるべき言葉が見つからない。ジェレミーは深く息を吐いた。
庁舎に戻ったディルクはひとまず部隊長室に行き、たいそう驚くロミルドに淡々と事実を告げた。神の奇跡が起こり、無罪になったこと。そのことは神皇も認めており、正式に司法院から無罪の通知が来るだろうことを。それから、自分は聖女に結婚を申し込んで承諾してもらえたので、そのつもりでよろしくと。
「何がよろしく、だ……簡単に言ってくれるな」
ロミルドは非常に苦々しい表情を浮かべた。有能な部下を失わずにすんだことを喜ぶ一方で、レシクラオン神皇国の民としては、聖女様との結婚という未来を語る部下に「正気か? 夢でも見てないで冷水を頭からかぶれよ」という気持ちにもなる。
けれども動揺しているのはロミルドだけでなく、司法院と神聖院をはじめとしてレシクラオン神皇国の中核を担う五大院の上層部すべてだった。
◆◇◆◇◆
「緊急会議以降、どこも大騒ぎみたいですね」
「そうみたいだね。僕は噂話でしか聞いてないけど」
「私もです。神官様たちは常々その話をしていますけど、私と同じようにルシリシア様の傍に仕えている使用人たちは、難しいことよりもルシリシア様の生活がどう変わられるのか、その心配ばかりしています」
ある日の午後、ジェレミーはパン屋マリエットでパメラと向かい合っていた。
裁判騒動後に、神皇のヴィゴディバン・ファンデンディオルは緊急会議を開いた。そして現聖女のルシリシアと一介の兵士であるディルクが相思相愛であることと、その二人の仲を神も認めていることを、このレシクラオン神皇国を支える五大院の主要な役職者たちに共有した。緊急会議に参加したほとんどのメンバーが、ヴィゴディバンから伝えられた事実に驚愕し、狼狽し、そして己の信仰心の揺らぎすらも感じて動揺した。しかしヴィゴディバンは、「現聖女がくだんの兵士と結ばれて幸せになれるように、現在の聖女の在り方を見直す必要がある――それはほかでもないウォンクゼアーザの望みである」と告げて、主に司法院と神聖院に、聖女に関する様々な制限の見直しを要求したのだった。
「エングム様はいかがお過ごしですか?」
パメラは小さなクロワッサンをかじりながら尋ねた。
あの裁判騒動のあと、ルシリシアとディルクが会えないまますでに二ヶ月近くの時間が過ぎていた。ディルクとの仲が神公認になったとはいえ、相変わらずルシリシアは離小城からほとんど外へ出ることができない。そのため、二人は結婚の約束をした仲にもかかわらず、顏すら合わせることのできない日々が続いていた。
そこで、せめてディルクの様子をルシリシアに教えることができないかと思い、パメラは勤務のない時間に特殊作戦部隊の庁舎を訪問した。ジェレミーとの面会を希望する童顔のパメラは特殊作戦部隊の兵士たちから「イケメン騎士にお熱な女の子」と認識されているらしく、彼らは毎度は面白がるような対応をする。パメラとしては「あくまでもルシリシア様のために来ているだけなのに」と冷めた思いだが、呼び出される側のジェレミーはそんなパメラの目的を十分承知していても好きな女の子が会いに来てくれるので正直嬉しかった。
「これまでと特に変わりはないと思うよ。任務があれば相変わらず有能すぎる働きっぷりで活躍するし、聖女様とのことでからかってくる相手にはものすごい勢いで凄んで『喧嘩なら買うぞ』って睨みつけるし、でも何を訊かれても聖女様とのことは一切話さないし、暇さえあれば鍛錬して筋肉ムキムキだよ」
「最後の情報は別に要らないですね」
「そう? いや、ほら、聖女様的にはディルク班長のムキムキなところに惚れたのかなーって思うとさ、大事なことかと思って」
「ジェレミー様、ルシリシア様のことを馬鹿にしてます? 喧嘩なら私も買いますけど?」
「いや、ごめん、馬鹿にしてるわけじゃないんだけどさ……ほら、常人とはまったく違う生き方をしてきた神聖な聖女様がさ、ディルク班長みたいな筋肉ムキムキ兵士に一目惚れしたなんてまだ信じられなくてさ」
「それは私も同感ですが……まあ、でも……エングム様は不細工な面というわけでもないですし……ルシリシア様は離小城にほぼ軟禁状態で異性を意識することもほとんどなかったのですから、エングム様のように雄々しい方がよほど珍しかったのでしょう」
パメラはため息にも近い吐息を吐いた。




