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10.出逢い [前]


 フローティアが冥府に花畑を複製した際、城の使徒たちは口々に喜びと感謝の声を上げた。

 その喜びようは、ユラからは『決してお一人で城の奥には向かわれませんように。感動のあまり、飛びついてくるものが現れるやもしれません』と言われた程である。


 実際、廊下の奥から駆けてくる使徒を、幾人かの者が押し留めているのを何度か見かけた。

 冥府の者にとっての王妃とは、何の語弊もなく、まさしく希望そのものであるようだ。


 フローティアとしても、無事に役目をこなせたことに心底安堵した。

 気持ちとしては、飛びついてくる使徒たちの半分程度には喜んでしまいたいくらいだ。


 必要があってこなさなければならないことを前にした時、フローティアの頭にはいつも『失敗』のイメージが過ぎる。

 現世では誰も彼もがフローティアに完璧を求め、それに応えることだけが、彼女が居場所を得られる唯一の方法だった。


 無論、仮に何も力になれずとも、きっと冥府の者はフローティアを責めたりはしないだろう。

 実際に事情を聞いたニンアも、フローティア自身を責める素振りなどなかった。心を見たのだろうリーリーだって、いたわしげに、そして何処か面白そうに笑うだけだ。


 たったそれだけの違いでも、十六年間の人生で関わってきた者たちよりも、数ヶ月の付き合いでしかない彼らと向き合う時の方が強く思い入れを持ってしまうのは無理もないことだろう。

 やり始めたからには万全に成し遂げたい。自分の成したことで喜ばれる、というのがこんなにも嬉しいことなのだと、フローティアは今まで強く実感したことはなかったのだ。


 脳裏に、表情を歪めたアランの顔が浮かびかけて、フローティアは慌てて打ち消すように頭を振った。

 用意された自室の窓から遠方を眺め、闇の中に浮かぶ色鮮やかな花畑へと意識を移す。


「周囲が暗いのに彼処だけが明るいから、なんだか不思議な光景ね。もっと丁寧に選んで配置した方が良かったかしら……」

「心配せずとも、すぐに周りも賑やかになるでしょう。今だけですよ」


 隣に並ぶリヴィメラの言葉に、フローティアは少し考えてから、軽く頷いた。

 彼の言う通り、複製した場所を増やしていけば、違和感も無くなっていくだろう。


 窓に向けていた目を、手元に広げた冊子へと戻す。

 椅子に腰掛けるフローティアの手元にあるのは、いわゆる、観光案内をまとめたものである。分類上はもっと小難しい呼び名や定義があるのだが、一番簡単に言うとそういうものだった。


「花畑の管理にはロインとユールを向かわせました。現世の植物にも詳しい者ですから、彼らに任せておけば問題はありません」

「それは有難いわね。もう出てしまわれたの? あとでご挨拶しに行きたいわ」


 冥府への複製は、自律意思の在るものを創ることは出来ない。

 正確に言えば、肉体だけは同じものが作れるが、意志が伴わないため精巧な人形に等しくなってしまう。


 複製の際には花畑と共に屋敷も現れ、ウェイルも屋敷の中に居た。だが、複製された彼は極めて普遍的な甲冑の如く、壁際に立てられているだけだった。

 冥府に複製された時点で、その景色は冥府の土地となり、時の経過による影響を受け始める。

 ウェイルが動かないということは、彼の代わりに花畑を定期的に手入れをする者が必要になるのだ。

 その辺りの采配は冥府の者に任せていたのだが、無事に任命されたらしい。


 フローティアが望んだ景色を美しく維持してくれる人員なのだから、直接挨拶に出向くべきだろう。

 美しい景観を並べた冊子をめくりながら、フローティアは脳内で予定を組み立てる。


 分刻みで追われていた現世での生活に比べれば、随分とゆったりとした予定表だ。しかもどうやら、ちょっとしたお菓子を好きな時に摘んでいいらしい。


 フローティアはそれを聞いた時、確かに一度、『冥府に来て良かったわ』と思った。

 その三秒後に、『せっかくなので〝私〟をちょっとだけ練り込みました』というリヴィメラの台詞を聞いて、七割くらい撤回したが。ちなみに、その焼き菓子はリヴィメラ自身がきちんと処理した。


 今日も、サイドテーブルには愛らしい作りの焼き菓子が幾つか並んでいる。

 行き先を選び終えたらじっくり味わおう、と決めているフローティアは、広げたページをリヴィメラにも見えるように、冊子の位置をずらした。


「リヴィメラ、此処はどうかしら」

「おや、トライスタ山ですか。防寒の魔法は習得済みで?」


 フローティアが指した頁にあるのは、晴れやかな空の下にある美しい雪山だった。

 覗き込んだリヴィメラの問いに、フローティアは静かに目を瞬かせる。


「そういえば、覚えようとしたことがないわ。王都では雪も降らないし、冬は防寒着で充分だったもの」

「冥府にも防寒機能の施された衣装はありますが、習得しておいて損はありませんよ」


 確かに、これだけの雪が積もる場所に行くのなら防寒の為の魔法くらいは覚えていくべきだろう。

 それに、王都ではあまり必要のない魔法を覚えるくらいが、今のフローティアにはちょうど良いような気もする。


「フローティア。貴方の魔法特性にはやや癖がありますから、防寒には少しコツがいるでしょう」

「防御と同じく?」

「ええ。あれは大変に苦労をしましたね。魔力量は潤沢だというのに、貴方はどうも己を守る術が不得手でした」

「もちろん、貴方と比べれば、この世の誰もが不得手でしょうね」


 フローティアは、ちょっとばかし拗ねた口調で呟いたのち、小さく笑った。

 対面へと移ったリヴィメラは、ごく当然のように、一度『手本』を見せてくれる。


 フローティアの魔法は、八割方がリヴィメラに習ったものだ。

 彼はピアノや歴史や詩に関しては全く頼りにならないが、魔法に関して言うならば、『先生』をやれる程度には意思疎通が出来た。


 選ばれた家庭教師たちは、『優れた令嬢ならばこの程度のことは当然のように出来ませんと』と口を揃えて言った。

 言っておいて、いざフローティアがそれらを成し遂げると、妙に不服そうな顔をするのだ。


 それが、父への報告の際にフローティアの失態を述べられないことへの不満なのだと気づくまでに、そう時間はかからなかった。

 家庭教師が『お嬢様はまだこの程度のことも覚えられません』と報告すると、その日の夕食はフローティアへの糾弾の場へと変わる。

 反論は許されていない。フローティアは浴びせられる言葉の全てを受け止めてから、冷めた料理をひとりで食べる。


 当時の感情は、あまり良く覚えていない。

 与えられる精神的苦痛への恐ろしさもあったし、悲しみもあったし、不出来な己への自責もあったように思う。


 もっと完璧で、素晴らしい令嬢となれば、欠点などない完全な存在になれれば、きっと自分も暖かい家族の輪に入れる筈だ。

 フローティアは愚かにもそう信じていた。本当に、愚かな話だった。


「どうしました、フローティア」

「やっぱり、防寒の方も苦手みたいね。上手く覚えられるかしら」


 尋ねたリヴィメラに、フローティアは間髪入れず、ごく自然な声音で呟いた。

 あまりにも自然に紡がれたあたりが、どうにも不自然な音の並びだと言えた。


 対面に座るリヴィメラは、ローブの奥で宵闇のような暗がりを覗かせている。

 僅かに首を傾けるような仕草でフローティアを見つめた彼は、惑うように魔力を操っている彼女の手を取った。


「覚えておいても損はない、というだけですよ」

「……分かってるわ」

上手くやる(・・・・・)必要など一つもありません。まあ、私がこのように言うと、貴方はいつも飛び切りの努力をして乗り越えてしまうようですが」


 さざめくような笑い声を耳に拾いながら、フローティアはただじっと自身の手を取る六本指の手を見下ろす。

 長い睫毛に縁取られた瞳が、揺蕩う魔力の残滓を瞬きもなく追う。

 その視線がほんの一瞬、遠い昔の記憶へと目を向けた頃。フローティアは吐息に溶けてしまう程度の相槌を打った。


「ええ、そうね」


 微かに笑みの形に歪んだ唇でそれだけを呟いて、フローティアはそれ以降は言葉少なに不得手な魔法の習得に励んだ。


 


     *  *  *




 そして二週間後。

 フローティアは猛吹雪の中で盛大に叫んだ。


「リヴィメラ!! どうして吹雪の日に来たのよ!?」

「そう言われましても。残念ながら、天候ばかりは私にも操れません」

「そうではなくて! 様子を見て、転移の前に引き返そうとは思わなかったの!?」

「ええ、ちっとも。生存にはなんら問題がありません。貴方の不満も、視界不良のみでしょう?」

「視界が不良なのが何より問題なのよ! 誰も防寒魔法の効果の話なんてしていないわ!」


 リヴィメラの腕を掴みながら、吹き付ける雪の中で全身で不満を露わにする。

 が、隣に立つ男には、ちっとも響いている気配はない。なんなら本当に気にしていないのか、雪を避ける素振りすらなかった。


 無事に身につけた魔法のおかげで身体は暖かいし、魔力量の心配もしていない。

 魔法の得手不得手こそあれど、フローティアは生まれてこの方、魔力切れを起こしたことは一度としてなかった。

 それがまたアランの神経を逆撫でしていた要因の一つでもあるのだが、彼女にとっては知る必要もない話である。


 今の彼女にとって何より重要なのは、思い出とするべく訪れた美しい山が、周囲に吹き荒れる凄まじい雪によって一欠片も確認できないという事実である。


 冥府への複製には、景色と記憶に強い結びつきがあればあるほど望ましい。

 確かにこれは一切忘れられない記憶になりそうだったが、そもそもの条件は、『思い入れのある景色』ではなかっただろうか。


「全く! 貴方に任せたわたくしがとんだ愚か者だったわ! とりあえず一旦冥府に戻っ────あら?」


 憤慨のままに引き返そうと呼びかけたフローティアは、そこでふと、直感的に前方の一点を見つめた。

 視界自体は猛吹雪によって一面真っ白だ。

 目を凝らすような仕草は視界に頼ったものではなく、そこに意識を向けることで魔力を持つ存在を感知しようという試みである。


「ねえ、あそこに何か、生き物の反応がないかしら」

「まさか。昨日の晩から猛吹雪ですから、まともな生物は近づきもしないでしょう。この状況でまだ生体反応が残っているのならば、少なくとも数時間の内に此方に来たということですよ」

「そうよね、私もそう思うのだけれど……」


 珍しく、至極真っ当な意見だった。昨日からこの状況(・・・・)を分かっておいて一度もフローティアに相談せずに連れてきた、という点を除けば。

 ひとまず気になるポイントは聞き流し、素直な同意を送っていたフローティアは、


「あるとすれば、怪大鷲(イダ・ホーク)が捉えた獲物を落としたか、不慮の事故で遠方転移に不具合を起こしたかでしょうね」


 何とも呑気な声音で紡がれたリヴィメラの言葉を聞くや否や、先程目処をつけた場所へと足を踏み出した。


 魔法によって防護した身体が、雪の上を駆ける。

 彼女はどうも身体付与の魔法が苦手なので、時折不安定になった魔法のせいでよろめいている。

 だが、足を止める気配は微塵もなかった。


 何処もかしこも一面雪景色の中で、フローティアはある一点に膝をつく。吹雪の中で自分を呼ぶ声が響く中、リヴィメラはゆったりとその後を追った。

 雪の上を滑るかのようにして進み、難なく距離を詰めたリヴィメラの視線の先で、フローティアは振り返ることもなく雪を掘り続けている。


 リヴィメラは生物の死というものに関する感性が極めて鈍い。それを知っているフローティアは、焦りを共有するのは早々に諦めている様子だった。


 黙々と掘り進めることしばらく。やがて、雪の下からは青白い顔をした女性の姿が現れた。

 即座に様子を確かめたフローティアが、半ば悲鳴のような安堵の声を上げる。


「まだ息があるわ!」

「かろうじて、というところですね」


 どうしてこんな高所に、こんな薄着の女性がいるのだろう。歳のころは、フローティアよりも少し上に見える。二十歳か、その前後だろうか。

 不可解な状況を訝しみつつも、フローティアは女性を抱えるようにして、吹雪を避けられる場所へと向かった。




 探し回った末に見つけた洞穴には、幸い雪が吹き込んで来るようなことはなかった。

 横たえた身体を確認する限り、少なくとも酷い凍傷を起こす前には見つけることが出来たようだった。


 ひとまず炎魔法の応用で、顔白い顔をした女性の身体を温めるが、フローティアには医学的に確かな知識があるとは言えない。

 彼女のためにも、何処かきちんとした場所で見てもらうのが一番いいはずだ。


「……リヴィメラ、貴方は冥府を経由しないと誰かを連れては移動できないのよね?」

「そうですね。より正確に言うなら、私を転移させるような種別の魔法は、実質魔力耐性のない人間を冥府に連れていくのとそう変わらない害を齎す、というだけですが」

「だとしたら、真っ当な手段で下山するしかなさそうね……」


 無事に山を降りるルートについて考えていたらしいフローティアは、ふと、はっとしたように顔を上げた。


「そういえば、冥府の王妃は現世の人間と関わってはいけない、というような約束事はあるかしら? 精霊契約に関する書物はあったから目を通したのだけれど……」

「ありませんね。一つお伝えしておくことがあるとすれば、冥府の王妃となった時点で、現世の者にはこの世ならざるものに見えます。まあ、貴方の場合は、さほど変わらないことですが」

「……さほど変わらない?」


 フローティアには、最後に付け足された言葉の意味が今ひとつ掴めなかった。

 だが、今気にかけるべきはその点ではない。


「ともかく、関わっても害はないのよね?」

「害とは? ちょっとおかしくなってしまったり?」

「……そうよ。健全で健康な人の精神がちょっとどころでなくおかしくならないか、私は真剣に心配しているの」

「御安心を。言葉を交わし、治療を施す程度は、ちょっとも問題ありません」


 その言葉が終わると同時に、横たわった女性がわずかに身じろいだ。

 

「う……、……」


 洞穴の中は、灯りのために設置した炎でやんわりと照らされている。

 揺れる光とそれが作り出す影を、薄く開いた瞳が不安げに確かめているのが分かった。


「ここは…………?」


 先程まで言葉を交わしていたリヴィメラは、瞬きの間にフローティアの影へと姿を消す。

 意識のある生き物は、冥府の王であるリヴィメラを認識すると酷い錯乱を起こしがちだ。彼が姿を隠したのは、極めて適切かつ迅速な判断である。


 その速度と、そもそも人間への気遣いができるという事実に驚いたフローティアだったが、その驚きは淑女の笑みの下へと隠し、彼女は慎重に、柔らかい態度で女性へと呼びかけた。


「トライスタ山よ。観光の為に此方を訪れたのですが、貴方が山頂のあたりで倒れているのを見かけたのです。御名前をお聞きしても?」

「あ、ああ……天使様……」


 ほんの微かに血色が戻っただけの女性は、潤んだ眼でフローティアを見上げた。

 同時に呟かれた熱のこもった呟きには、感嘆の台詞としてではなく、確かな実感がこもっている。

 彼女は本当に、フローティアを『天使』だと思っているのだ。


 人ならざるものに見えるとは聞いたものの、これは流石に錯乱の類ではないだろうか。

 焦ったフローティアが己の影を振り返るも、リヴィメラからの返答はない。


 女性が不安げに呻いたので、フローティアは慌てて視線を戻し、彼女がおぼつかない手つきで宙へと伸ばした手を取った。

 指先が微かに変色しているが、問題なく回復可能なレベルだ。間に合って良かった、と思いながら耳を傾ける。


「天使様……どうか、イョンの村、にお伝え……くだ、さい……ミトシラの心は、変わらずジャナの元にだけあったと……そして、どうか、幸せになってと願っていたと……」


 彼女にとっては、それが一番に重要な心残りなのだろう。

 フローティアは遮ることなく全てを聞き、確かに大事な記憶としてしまい込んでから、元気づけるように耳元に囁いた。


「心配なさらないで、ミトシラさん。貴方は無事に山から降りることもできるし、イョンの村に帰ることもできるのよ」

「でも……、……今更、帰っても……」


 ミトシラと名乗った女性の瞳からは、とめどなく涙が溢れ出していた。そして、目を閉じてすぐに、彼女は再び意識を失ってしまう。

 寝息を聞くに、体調に問題はなさそうだった。だが、体力は必要だろう。


 そう思いながら、思案を巡らせようかと視線を外したところで。

 フローティアは己の影から、兎を持った六本指の手が出ているのを見た。




 それから。

 食器も調理器具も、必要なものは全て冥府から調達できた。

 加えて、意外にも、リヴィメラは真っ当な人間向けの食事を用意することが可能だった。

 驚くフローティアだったが、『冥府のものは全員、一通りの調理はできます。でなければ求愛もままなりませんので』という言葉にすぐに納得する。


 美味しいを愛しいと捉えるのであれば、自身を美味しく調理できることはそのまま魅力に繋がるのだろう。

 確かな納得ののち、それでも何か言いたげに視線をやったフローティアに、リヴィメラは軽く肩をすくめながら、『私の場合は食材(・・)が問題です』とだけ答えた。

 まあ、そのあたりの話は一度置いておくことにしよう。


「これは何のお肉なんですか? とても美味しい……」


 再び目を覚まし、体力も幾分回復したらしいミトシラの手には、一般的な兎肉のスープが盛られた器がある。

 何もなかった場所から出てきた食事に、彼女は特に躊躇うことなく口をつけた。

 どうやら、フローティアを天使だと勘違いしていることから、警戒心が取り払われているようだ。


 フローティアはやや取り繕ったような笑みで、それが兎であることを告げた。

 冥府の兎は、現世にも送られているものであり、両者は一応、同種のものである。

 フローティアは自身が確証の持てないことを断言する行為に戸惑いを覚えたため、それとなくぼかしたような口ぶりになった。


 その後も、ミトシラはたびたび「此処は本当に天国ではないのか」と繰り返し確かめ、自身が確かに生きていることを実感すると、ぽつりぽつりと己の境遇について語った。


「私は、サライダール国の陛下の八番目の妻で、ミトシラと申します」


 サライダール国は、フローティアの出身国の北にある大国だ。ちなみにトライスタ山は、この国で三番目に高い山である。

 この国の王族にはハレムを作る権利が認められており、陛下にはそれまで七人の妻が居た。そこに一番新しく加わったのが、ミトシラである。


 サライダールの主要な都市には覚えがあったが、イョンの村という場所についてはフローティアに聞き覚えはなかった。

 ミトシラが言うには、更に北の奥地にある、秘境とも呼べる霊峰の元にある村なのだという。


 そのような土地の娘と国王が、一体どんな縁でもって結ばれたのかと言えば。

 遠征に出ていた王立騎士団の騎士数人が遭難しかけているところを助け、道案内をしたのが始まりらしい。


 簡単に言ってしまえば、ミトシラは、陛下の初恋の方──先代国王の妹君──に生き写しなのだそうだ。

 現国王からすれば叔母に当たる方であるが、三十を過ぎても乙女のように愛らしく、そして美しい姿のまま早逝された。


 当然、陛下は手に入らなかった麗しの方への想いを、そのまま秘境の地で見つけたミトシラへと注いだ。

 まさに恩を仇で返されたようなものだったが、王命ともあれば小さな村の娘に拒否できる筈もなく。

 幼い頃から思いを通い合わせていた幼馴染のジャナとも引き離され、ミトシラは王都へと召し上げられた。


 しかして、作法どころか王都の常識すら知らぬ上に、後ろ盾もない娘である。

 望まぬほどの過大な寵愛を受けてしまったミトシラには、他の妃から嫉妬と敵意が向けられることとなった。

 このような生まれの娘と子を残すことだけは認められないと、子を成さないようにするための薬を飲んでいたことは、ミトシラ自身にとっては幸いだと言えた。

 それもまた、多くの不幸の山からひとかけらの安堵を拾うようなものではあったが。


 そうして。他の妃たちによる不満と敵意が積もりに積もった結果が、複数人の妃が口裏を合わせての、宮廷魔道士による雪山への強制転移だ。

 おそらく王城では『故郷が忘れられずに警備の目を盗んで逃亡した』とでもなっているのだろう。


「淑女の教育など受けたこともありませんし、寵妃の立場も望みもしません。私は村で馴鹿の世話をして、幼馴染と暮らせればそれでよかったのです。

 でももう、村を出たのは四年も前の話です。きっと彼には大事な奥さんもできて、子供にも恵まれて、私が望んだ未来を、私ではない誰かと歩んでいるのでしょう。

 いえ、そうでなければ困ります。ジャナには、私の分まで幸せな人生を歩んでほしいですから」


 口元に笑みを浮かべるミトシラは、最後の言葉に涙の震えを感じさせながらも、丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございました。大変、お世話になりました。最後にこんなに美味しい食事が取れて、私は幸せ者です」

「……最後?」


 不穏な響きに、フローティアはつい、少し低い声音で聞き返してしまう。

 フローティアの杞憂を正しく受け取ったミトシラは、不恰好な笑みを浮かべて言葉を続けた。


「私が生きているとなれば、今度は他の妃様たちがどんな手を使ってくるか分かりません。村に帰れたら、とも思いますが、戻っても私の居場所があるとは思えませんし、みんなに迷惑もかけたくありません。

 このまま、本当に死んだことにしてしまうのが、きっと一番いいんです」


「本当に? 本当にそれでいいと思っていらっしゃるの?」


 フローティアは、思わず身を乗り出すようにして、ミトシラの目を覗き込んでいた。

 澄んだ空のような色合いのミトシラの瞳には、必死な顔で見つめるフローティアの姿が映っている。

 感情をそのままに眉を下げたミトシラに、フローティアは更に言葉を重ねた。


「だって、ミトシラ様は死に際だと思って告げた言葉でも、『私を忘れて』とは口になさらなかったではないですか。

 このまま大切な方と本当にお別れするとなって、機会があるのに顔を合わせないまま天の庭へと旅立つとなって、本当に後悔なさらないと言えますか?

 無遠慮な物言いで申し訳ありません。ですが、私にはどうしても、そのようには見えないのです」


 ミトシラの言うように、いくら思い合っていた相手がいたとはいえ、四年も経っていればその幼馴染も結婚してしまっている可能性もある。

 でも彼女の語るそれは、どちらかというと、今更会いには行けないという思いを補強するために口にされたもののように聞こえた。


 だからこそ、フローティアは紡がれた言葉自体ではなく、彼女が口にしなかった言葉にこそ本意が詰まっているのではないかと考えたのだ。


「もしも村の方に迷惑がかかることを恐れているのなら、むしろわたくしと共にイョンの村に向かうべきです。王城から逃亡したと聞けば、故郷へ戻る気ではと疑うやもしれません。

 村の方にも事情をお伝えしておくべきでしょう。王都の状況など、秘境の地には届かないかもしれませんから。

 それに、もしかしたらわたくしも何かお力になれることがあるかもしれませんわ」


 サライダール国は多神教であり、超自然を司る神への信仰が厚い。人ならざるものから与えられた知らせを重視するのだ。

 そして、フローティアは今現在、絶賛『人ならざるもの』である。王の身勝手で想い人と引き離された女性に、ほんの少しの力添えをすることくらいは出来るかもしれない。


 ミトシラは込み上げる涙のせいで何一つ言葉らしいものは発せなかったが、顔を押さえて俯いたまま、それでも確かに大きく頷いた。

 震える肩がしばらくして落ち着きを取り戻し、やがて細く息を吐いてから、顔を上げたミトシラが精一杯の笑みを浮かべる。


「ありがとうございます、天使様。貴方様に此処で救って頂けたこと、一生忘れません」

「お礼なんて結構ですわ。本当に、たまたま立ち寄っただけで……そう、それにわたくしは天使様などという大層な存在でもないですし。どうぞ、わたくしのことは────」


 その時、するりと影から伸びた六本指の手のひらが、フローティアの口元をやんわりと、それでいて素早く覆った。

 ひっ、と身を強張らせたミトシラの喉から引き攣った悲鳴が上がる。なんだったら、フローティア自身も少し叫んでしまいたいくらいだった。


「名乗るのは賢明とは言えません。そうですね、愛称程度にしておけば良いかと」

「……先に言って置いてちょうだい。淑女の口元を無理矢理覆う前に、ね!」


 手のひらを引き剥がすように掴んだものの、謝罪の代わりに低い笑い声が響くだけだった。

 するりと、まるで闇に溶けるように気配をなくした片腕に、ミトシラは目を見開いたまま、じっと暗がりへ警戒の視線を向けている。


「その、怖がらせてしまってごめんなさい。悪気はないのよ」

「は、はい……」


 これは本当である。リヴィメラには、本当に悪気だけはない。そんなものを持たなくとも、十分に人にとっては害になるだけだ。

 胸の前で両手を握り合わせていたミトシラは、精一杯の誠実さを込めたフローティアの微笑みを見ると、ゆっくりと、一先ず肩から力を抜いた。



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