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1.卒業パーティ



 あ、これ詰みましたわ。


 公爵令嬢フローティア・バーノッツは、卒業パーティーの最中、自身の運命を悟った。


 眼前には婚約者であった第一王子アランとその傍らに寄り添う男爵令嬢ミシェル、そして幼馴染であった騎士イアス、友人であった宮廷魔導士サフィラル、弟のカイトが立っている。

 ついでに言えば、たった今フローティア・バーノッツへの断罪が行われたばかりである。


 アランの想い人であるミシェルを虐め、外傷を負わせた挙句、娼館に売り捌こうとした罪を咎められ、同じ女性に対してそのような仕打ちをするなど淑女として言語道断、貴族令嬢としても失格である、と声高に謗られたばかりである。

 ちなみに、全てが冤罪だ。冤罪で断罪され、婚約を破棄までされてしまった。が、そんなことはフローティアにとってはどうだってよかった。


 フローティアは詰んだのだ。

 婚約を結んでいるからこそ、己の身はまだ守られていた。だが、この場での無茶な断罪を通すために、アランは権力を駆使してまで婚約破棄を行なった。

 精霊契約は順当に破棄されてしまった訳で、フローティアは現在、婚約者のいないフリーの令嬢ということだ。


 つまりは、人生の終わりである。


 フローティアは真っ青な顔で会場を見回した。精霊結晶の施された装飾品はどこにもない。どうしようもない。


「見苦しいな、フローティア! いまだに罪を認めることさえせず、逃げ出そうと画策するとは! 貴様はそれでも公爵家の令嬢か?」


 せせら笑うアランの嘲りに満ちた台詞すらどうでもいい。フローティアは挨拶もそこそこに身を翻すと両開きの大扉に向かって勢い良く走り出し、────黒衣の男に捕まった。


「ひっ」

「おや、何処に行こうと言うのですか? 私の姫君」


 深く顔を覆うフードがついた真っ黒なローブに施されるのは、まるで血のように赤く艶めく古代魔術式だ。

 身丈はフローティアより頭三つ分も大きい。大抵の男性でも見上げる羽目になるだろう。

 逃げ出したフローティアの手首を掴むために伸ばされた手は、明らかに指の本数がおかしかった。六本ある。何度見ても六本あるし、皮膚は赤黒く、常に皮膚の中で蚯蚓がのたうつように脈動していた。


 気絶しそうだ。が、意識なんぞ失った日には一巻の終わりである。

 フローティアは冥界の姫君として連れ去られ、二度と日の目を見ることはないだろう。


「ああ、ようやくこの日が来ました。ずっとずっと楽しみにしていたのですよ、フローティア。私の愛しい人」

「ま、待って、待ってちょうだい、リヴィメラ! わたくしはまだ婚約を破棄されただけ! 人間のお相手が見つからないと決まった訳ではないのよ!!」


 フローティアは必死になって声を上げた。なんて説得力のない、惨めな言い訳だろう、と我ながら悲しくなったが、それでも言わない訳にはいかなかった。


 リヴィメラ・ガルティシアス・バードンは、冥府の王である。八年前、フローティアが公爵家内での虐待じみた教育に耐えきれなかった時に、闇魔術に傾倒し喚び出してしまった超常の存在だ。

 最初こそその化け物じみた見目に驚いたが、幼いフローティアは自分の話を真摯に聞いてくれるリヴィメラにすぐに心を開き、瞬く間に気を許した。許してしまった。


 だから、両親は跡取りの兄や弟ばかり可愛がって私のことはちっとも考えてくれない、と泣くフローティアにリヴィメラが持ちかけた『婚姻』の約束を受けてしまったのだ。


 リヴィメラは、フローティアに『そんなにお辛いのなら、私と結婚して冥府にくればよいではありませんか』と提案した。

 その頃のフローティアは自分が第一王子の婚約者になったことすら重荷にしか思えず、いつも重圧で潰されそうだったから、優しげに言うリヴィメラの言葉に素直に頷いたのだ。

 冥府の『結婚』が、死後も魂を捧げる契約行為だなどとは知りもしないで。


 リヴィメラはフローティアが頷くのを見ると、瞬く間に本性を露わにした。冥府の者にとって、人間の魂とはひどく甘美で美味しい(・・・・)らしい。

 正式な婚姻は存在の成人まで出来ませんので、と言いつつもちゃっかり味見をしていったリヴィメラのせいで、フローティアは魂の核に触れられ、真理を見た。見た、と言うより、根源を脳に流し込まれた、と言う方が正しい。


 フローティアはこの世の全てを見た。世界の成り立ちを知り、精霊の元素を極小単位で認識し、世界の移ろいとロマウェルの構成式とサンザールが唱えた並行世界、そして数多の兎、七色の未来と過去と汚泥のような愉悦と苦痛に等しい幸福を観た。冥府は兎でいっぱいである。フローティアは吐いた。三日三晩吐き、そしてこの状況でも己を微塵も心配しない両親を知り、全てに絶望し、しかして希望を捨てなかった。


 発狂してもおかしくないほどの極彩色の意識の中で、フローティアは泣きながらリヴィメラに訴えた。


 『やっぱりけっこんやめる!!』と。


 泣きながら訴えた。泣いて喚いて駄々を捏ねた。多分、これが両親が相手だったら、フローティアは何も言えなかっただろう。

 でもリヴィメラには我儘が言えた。冥府の絶対の王より、両親の方が余程フローティアには怖かったのだ。


 フローティアがリヴィメラと『結婚』して、壊れて使い物にならなくなってしまったら、両親はきっと今度こそフローティアに失望するだろう。

 彼女にはその方が余程怖かった。だから、フローティアはベットの脇に立ったまま困ったように首を傾げるリヴィメラに言ったのだ。


『リヴィメラとはけっこんしたくない。あたまがおかしくなるから』


 リヴィメラは三分ほど考えた後、優しい声で返した。


『ゆっくり慣らしていけば、そこまでおかしくはならないですよ』

『ちょっとはなるんでしょ』

『まあ、ちょっとはなります』

『ほら! なるんじゃない! やだ! けっこんしない!』

『困りましたねえ……第二位階人類とは相互の同意が必要なのですが……』


 リヴィメラは本当に困った様子で、しばらく悩んだ後、泣きじゃくるフローティアの頭を撫でながらひとつの提案をした。


『分かりました。では、フローティアが成人するまでに他者と正式な精霊契約を結べたのなら、その時は私との婚姻を破棄しましょう。

 もう既に魂には紐づけられていますから、今更対価も無しに解放することはできません。違反時には大抵の場合、血縁者の魂が代償となりますからね。

 あなたは家族が好きでしょう? 勝手に肉塊にするのは忍びない、機会を改めましょうね』

『……? どういうこと? けっこんはしない、のよね?』

『フローティアが王子様と結婚できたら、私とは結婚しなくても良いということです』

『できなかったら?』

『私と結婚してください』


 思わず、やだ……と泣き出しそうになったフローティアの唇を、リヴィメラの指先がそっと撫でた。

 先程の接触を警戒して怯えたフローティアだったが、今度はただ優しく撫でられただけで、何の真理も訪れなかった。


『フローティア、私ならあなたをきっと幸せに出来ます。この世界の誰よりも』

『いやよ、だって、きもちわるいし、いっぱい吐いたわ』

『少し急ぎすぎましたね。魔力量が冥府の成人並みなので、てっきりもう成人に近いものかと思ってしまいまして』

『どこをどう見たら、そう見えるのよ』

『申し訳ありません、私はこの通り、目がありませんもので』


 リヴィメラはそういうと、ローブの奥にある深淵をそっとフローティアに覗かせた。彼の言う通り、眼球らしきものはほとんどない。どころか、顔と呼べるものすらなかった。それは、ほとんど夜空に近かった。


『きれい……』


 フローティアは、今度は泣くことも喚くこともなく、ただじっとリヴィメラの『顔』を見つめていた。

 ぱちぱちと、弾けるように煌めく魔力の細波。深く飲み込むような、たゆたうような柔らかい闇が広がっている。穏やかで、そして静かだ。張り詰めるような静寂ではなく、包み込むような静謐がフローティアの視界を埋める。


『そこまで見つめられると、少し恥ずかしいですね』


 小さく笑ったリヴィメラは、言葉の通りやや恥ずかしそうにフードを深く被り直すと、再び優しくフローティアの頭を撫でて去っていった。楽しみにしていますよ、と言葉を残して、闇に溶け消えた。

 惚けたように宙を見つめていたフローティアが正気を取り戻し青ざめたのは、そこから十分後のことである。



 さて。

 そこから八年、フローティアは真剣に婚約者と向き合った。絶対に、リヴィメラと結婚する訳にはいなかった。

 度々訪ねてくるようになったリヴィメラは友人としてなら共にいて心地よい存在だったが、伴侶にするにはあまりにも厄介だった。

 あんなものを頻繁に流し込まれたら、フローティアは遅かれ早かれ人格が破壊され、廃人として生きることになるだろう。


 フローティアは王妃教育を受けつつ、冥府についても調べ上げ、尚且つ婚約者として恥のないようにアランに寄り添った。全てが完璧だったはずだ。だが失敗した。

 『お前は可愛げがない』などという、意味の分からない理由で、アランはフローティアではなくミシェルを選んだ。それはちょうど、フローティアの父が彼女に向ける言葉と同じものだった。


 お前には可愛げがない。澄ました顔をして内心では此方を馬鹿にしているのだろう。一緒にいると気が詰まる。顔も見たくない。


 そんなようなことを言われ続けてきた。もちろん、フローティアは笑みを絶やすことはなかったし、出来る限り誠実に対応した。だが、父もアランもそれでは足りないのだと言う。

 フローティアにはもう、さっぱり分からなかった。どうすれば気に入られるのか、理解すらできなかった。それでもリヴィメラと結婚するよりは良い、と努力してきたと言うのに。


 フローティアの努力は実らず、見事に失敗し、こうして今はリヴィメラの腕の中にいる。夜空のような深淵が、フローティアを見下ろしている。なんとも愛しげに。


「さあ、共に参りましょう。フローティア」

「い、嫌よ! わたくしはまだ、結婚の了承などしていないわ! だ、第二位階人類とは相互の契約合意が必要なはずよ!」

「ええ、そうです。その通りです。ですので、あの時点で『成人までに人類と結婚できなければ私と結婚する』という二重契約を結びました。条件が未達成の時点で合意と見做されます」

「な、なんですって、こ、この卑怯者! 卑劣! 意地悪! ばかっ!」

「ふふ、愛らしい罵倒ですね」

「うるさいわよ! リヴィメラなんて、嫌いだわ! わたくしは、愛する方と結婚したいのよ!」

「では、愛しているから彼と結婚したかったのですか?」


 涙声で叫んだフローティアに、リヴィメラは心底不思議そうに問いかけた。

 微塵もそうとは思っていない声音だった。


 フローティアは一瞬、問いの意味が理解できずに固まった。

 だが、視線は自然とアランへと向けられる。

 傍のミシェルを守るように抱きしめるアランは、突如現れた冥府の王を前に、今にも気絶しそうな顔色で立っていた。


 呆然とした様子で此方を見つめるアランを、しばらく眺める。

 愛している方と結婚をしたい。貴族令嬢としてはあまりにも浅はかな願いだ。フローティアだって、それが叶うなどとは少しも思っていなかった。

 アランはみんなの理想の王子様のような男だったけれど、その『理想』の外面を維持するためにフローティアを憂さ晴らしに使うような人間だった。


 分かっている。自分が無理にアランを愛そうとしていることくらい。

 アランと結婚したところで、『愛する方と結婚したい』という願いは叶わないことくらい。


 返す言葉が見つからず、ただ涙の滲む瞳で睨むように見上げたフローティアにリヴィメラは小さく笑った。


「私が驚かせすぎてしまったから良くなかったのですよね、フローティア。『真実』に触れる前、あなたはいつも元気な笑顔を見せてくれていました。ご心配なく、あれから私も調整を学びました。今度は『ちょっと』も頭がおかしくなったりはしません」

「……信用できないわ」

「していただく必要はないのですよ。紛れもない事実であり、あなたに拒否権はないのですから」

「……横暴ね」

「不思議なことを言いますね。彼らにされたことより、私の方が余程優しいではありませんか。あなたは此処では乱暴をされていないとでも? 人間はどうにも、肉体ばかりを尊重しすぎるきらいがあります。大事なのは魂だと言うのに」


 子供に言い聞かせるような口調で囁いたリヴィメラは、そこで形のないローブの奥をゆっくりとアランへと向けた。視線・・の合ったアランの喉から、殺しきれなかった悲鳴が上がるのが分かった。


「彼は、言葉でもってあなたの尊厳と魂を傷つけました。そして、人生を共にすることになればこの先の一生をそうして過ごすつもりだったでしょうね。そうなればあなたの魂は修復不能なまでに傷つき、二度と元のように輝くことはなかったでしょう。代わりを送り込んでよかったと心から思います」

「代わり? ちょっとリヴィメラ、貴方、」

「この世であなたを最も幸せに出来るのは私です、フローティア。それだけが真実であり、その他のことにあなたが思考を割く必要はありません。あなたは何も考えず、ただ幸せになれば良いのですよ」


 何処までも優しい声だった。慈しみをそのまま形にしたような、魂そのものを甘く溶かしてしまうような、そういう声だ。

 だが、柔く包み込むように落とされた言葉を受け止めたフローティアは、強く輝く瞳でリヴィメラを睨み返すと、はっきりと拒絶を口にした。


「馬鹿にしないでちょうだい。わたくしが何も考える必要はない? 全て身を委ねていても構わないと? もしそれが貴方の本心だと言うのなら、それこそ貴方と結婚する気なんて起きないわ!」


 フローティアは自由が欲しくて戦っていたのだ。自らの意思で相手を愛し、誇りを持って幸福を得るために努力を重ねた。誰にも認められなくとも、自分にだけは恥じない生き方をしたかった。

 だから、たとえ目の前に最善を転がされたとしても、己の生き様を侮辱するような存在なんて願い下げだった。


 どうしてそんなことを言うのだろう。これまで友人として向き合ってきたリヴィメラは、少なくともフローティアの在り方だけは馬鹿にしなかったのに。そこだけは、素晴らしい友人だと思えていたのに。


 怒りと、ほんの少しの悲しみを持って、フローティアはリヴィメラの夜空のような顔を見上げた。


 もし彼がそれでも無理にフローティアを連れて行くと言うのなら、自死も厭わない覚悟だった。自ら死を選んだ魂は、もはや何処にも属すことなく消滅するのみだ。冥府も例外ではない。


「……………………ふふ」


 押し殺すように響いた笑い声は、普段の穏やかなものとは明らかに毛色が違った。

 静まり返った会場に、低く這うような笑い声が響く。何人か、魔力強度の低いものが耐え切れずに意識を失って倒れるのが分かった。


「フローティア、やはり貴方こそが私の愛しの姫君です。冥府では魂に比重を置きますが、それは意思を放棄していい理由にはならない。輝きを放つには確固たる意思が必要です、深淵と根源、真実を前にしても揺るがない心こそが、唯一の煌めきです。

 ええ、ええ、貴方を見定めようなどと考えた私が愚かだったのですよ。愛しいフローティア、どうです? まずはお友達から始めませんか?」

「おともだち」

「私たち、とても良いお友達になれるかと思うのですが」


 六本指の手のひらが、なんとも気安い仕草で差し出された。


「………………私、あなたとは、もうずっと前から友達だと思っていたわ。違うの?」


 結婚相手には望まなくとも、少なくとも友人だとは思っていた。それはフローティアだけだったのだろうか。

 少しばかり不安に思って、恐る恐る口にしたフローティアに、リヴィメラはとうとう声を立てて笑い出した。その場にいる三等魔導師以下は、揃いも揃って奇声を上げて崩れ落ちるように倒れた。具体的には、フローティアと第一王子、男爵令嬢ミシェル、そしてその取り巻き達のみが立っていた。


「そうでしたね、私と貴方はずっと前から『お友達』でした。これから先は違うと嬉しいのですが、それは過ぎた願いですね。では、私の素敵なお友達に再度問いましょう」


 もしもこの場に正当な免許を持つ卒業済みの魔導師が一人以上でもいたのなら、こんな事態にはなっていなかっただろう。

 だがもう遅い。断罪は既に終了していたし、婚約における精霊契約は正当に破棄されてしまった。


「愛しのフローティア。もしも此処にいることが貴方の幸福に繋がらないのならば、しばらく冥府に遊びに来ませんか?」

「……しばらく?」

「ええ、しばらく・・・・です。気に入らなかったらお帰り頂いても結構ですし、気が済むまで居て頂いても構いませんよ。きっと私の臣下も喜びます」

「でも、私と貴方の結婚は契約に含まれているのではなくて?」

「そんなもの、一度結婚してから離縁してしまえば良いのです。簡単な話では?」


 あっさりと言い放ったリヴィメラに、フローティアは今度こそ呆気にとられたように口を開いたまま固まった。

 お世辞にも美しいとは言えない間の抜けた表情で固まるフローティアの頬を、六本指がそっと撫でる。

 まるで面白い動物でも愛でるような仕草でしばらくフローティアを撫でていたリヴィメラは、彼女が正常な思考回路を取り戻すのと同時に比較的俊敏な動きで手を離した。


「貴方ってとんだ卑怯者だわ! 離婚できるだなんて言わなかったじゃないの!」

「それはもちろん、私は貴方と離婚したいだなんて微塵も思っていないのですから、教える筈がありませんよね」

「誠実には程遠い対応だとは思わなくて?」

「黙って命を取っていく他世界の死神よりは余程親切かと思いますが、ご不満でしたか?」

「ええ、ご不満よ! とってもね!」


 フローティアは全身で持って不満を表したが、リヴィメラはただ笑うだけだった。割と本当に怒っているのだが、彼は一体分かっているのだろうか。多分、一欠片も理解していないことだろう。人間に羽虫の怒りを真剣に受け止めろと言うくらいには難しい話だ。


「……それで、どうします? 貴方が本当にどうしても嫌だというのなら、一親等以下十名ほどの対価で契約を無にしても構いませんが」


 弟であるカイトが引き攣ったような悲鳴を上げるのが分かった。ねえさん、と掠れた哀願の声が響く。

 弟はいつもこうだった。普段は蔑ろにしているくせに、困ったときだけフローティアを頼る。なんなら、父母だってそうだった。それでも愛していたし、愛されたかったのは、フローティアがどうしようもなく弱くて、愚かだったからだ。


 そして多分、フローティアは今も変わらず愚かなのだ。


 知らず、紅い唇からは細い溜息が溢れ出た。諦念と、ほんの少しの同情が混じった吐息だった。


「…………そうね。いつも貴方ばかり遊びに来ているから、たまには私が行くのも、いいかもしれないわね」


 フローティアは意地でも彼らの方には視線を向けなかった。慈悲をくれてやったと思うことすら最早嫌だった。フローティアは今、長年の友人に誘われて、ちょっとしたバカンスに行くことにしたのだ。それだけだ。

 結局何の努力も実らず分かり合えなかった家族を今ここに至ってもまだ助けようとしている訳でも、婚約者を寝取られたショックで逃げ出した訳でも、誰にも愛されなかった自分を憐れんでやけになっている訳でもない。


「詰まらなかったら帰るわ。あと、そうね。美味しいお菓子が出なくても帰ろうかしら」

「ご心配なく、冥府は割と楽しいところですよ。フローティアの好きな梟ちゃんもおりますし。まあ、見せて頂いた図鑑より少々目玉と足が多いですが」

「それって本当に梟なのかしら……」


 ある意味ではその全てでもある、と言えたが、フローティアは全てを見なかったことにした。

 結局のところ、フローティアのことを考えてくれたのはこの不気味な友人しか居なかったのだ。フローティアが寂しい時に側に居てくれたのも、重圧への不安を受け止めてくれたのも、逃げ道を用意してくれたのも、フローティアの好きなものを覚えていてくれたのも。アランはフローティアが何を好きで、何に喜びを感じるのかすら知らない。八年も一緒にいたのに。


 なんて寂しい人生だったのだろう。フローティアは自嘲気味な笑みを浮かべると、差し出された六本指の手にそっと掌を乗せた。


「それではご機嫌よう、アラン様。カイト、お父様にはどうぞよろしくお伝えくださいな。貴方の可愛くもない娘は無事に役立たずのまま死にました、とね」


 そうして、フローティアは振り返ることなく漆黒の扉の向こうへと踏み出した。







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