持てる者と持たざる者
最初のラッシュこそ簡単に捌いたが、邪神級ダンジョンはそこからがハードだ。
ただ力が強いだけの、あるいはデカいだけの相手なら間合いに入る前に僕が斬撃を飛ばせば終わる。
どんなに頑丈でも関係ない。鋼だろうが岩だろうが、「雷迅」で放つ「バスタースラッシュ」なら何の問題にもならない。
だけど、さすがにそれだけで済ませてくれるほど楽な道程ではなかった。
「どこから攻撃されてる……!?」
「得意のメガネで見えねーのか!?」
「近距離なら見逃さないけど障害物が多い! そもそもそれらしい気配が……」
相手が単純に突っかかってくるだけなら、斬ればいい。
だが、モンスターもさるもの。見えない場所に潜み、暗がりを利用して、あるいは物陰を渡りながら身を晒さずに攻撃を仕掛けてくる。
弓矢。投石。あるいは触手、もしくはそれですらない何かの衝撃。
ダンジョンが単純な部屋と通路しかないならこんなものに苦労することもないだろうが、ここは異界領域。なんでもアリだ。壁とも岩ともつかない障害物が立ち並ぶ区画もあれば、不気味な植物が視界を塞いでいることもある。
改めて、一人で調子に乗って突っ込むなんて言わなくてよかったと思う。
僕は攻撃力だけならおそらく人類の限界に近いところにいるだろうが、それだけだ。
冒険者としての経験は決して真っ当に積み上げてはおらず、脇の甘さは否めない。
「こういう時は……とにかく、視界っ!」
リノが角杖を使って、光の魔術を次々に発する。
薄暗かった視界が急に真夏の昼間のような明るさに満たされる。
その中で動いているものはさすがに見逃さない。
「アテナさん!」
「任せろ!」
僕の視線を追ったアテナさんに、攻撃の根源たる翼付きの黒いサルのようなモンスターを任せる。
羽ばたいているが翼の音がしない。フクロウは飛ぶとき全然音がしないっていうけど、そういう奴のようだ。
そして、小賢しくも手に持った投げ矢のようなものを一本ずつ投げては素早く物陰に動く。あれを僕が追うといけない。
なぜなら、攻撃は投げ矢だけではなかったから。あいつは囮の可能性がある。
「あっちにも!」
案の定、ファーニィが目を走らせた先にもう一匹同種。飛んでいない。こっちは石投げか。
多分これも囮。
前衛が釣り出されたところで、柔らかい後衛を狙う奴が飛び出す。
「ファーニィ、弓で仕留められる!?」
「やってみますけど期待はしないで下さいね!」
油断なく周囲を見張りつつファーニィに任せる。
「アタシが仕留めに行くのが早くねーか」
「ユーカを横から殴りに来られると一発アウトだ」
「チェッ。過保護な」
「マードさんいないんだから無茶は駄目だ。……よし、いいぞ」
明るい視界に目が馴染み、暗い場所を見通すのにメガネの強化リソースを与えなくてよくなった分、ようやくモンスター感知にそれを割ける。
潜んでいる奴が読めてきた。近くの物陰にテンタクラー……しかも随分ゴツい奴がいるな。あれは触手の硬度と威力がやたらパワフルなファランクス・テンタクラーと言われる上位種だろう。上級ワイバーンよりレアだというからリリエイラさんが見たら喜ぶかもしれないけど、まあお土産の算段している場合ではない。
それと獣人も数体ほど機を窺っている。この邪神級ダンジョンにいるんだ、好きに動かせたら絶対まずい。
迎撃計画を頭の中で練る。
いきなり壁ごと斬るのはちょっと迂闊だ。じっくり凝視してるとなんとか気配が見えるだけで、正確な位置が掴める感じではない。数もあいまいだ。
取り逃すとやばい。丁寧にいこう。
テンタクラーはここはまだ射程外。だとしたら獣人たちにちょっかいをかけて先に潰して……よし。
「当たった! すごい、当たりましたよ! 刺さりましたよ! わーい」
「ファーニィって弓のアピール強いわりに自分で自分の腕信じてないわよね……」
「これでも里では上手い方だったの! でもアイン様のアレ見てると弓でパスパスやるのってもどかしいじゃん!」
「それはそうだけど」
ファーニィが石投げの奴を抑えることに成功したようだ。
僕は獣人とテンタクラーの位置を手振りでユーカとクロードに伝え、テンタクラーの射程外のポイントで獣人を先に片付ける作戦を立てる。
よし。
「戻っ……ぬわあっ!? 貴様、触手のくせになんだその鋭さは! ロマンが足らんぞ!!」
と、作戦決行しようとしたところで、うっかり戻りしなのアテナさんがファランクス・テンタクラーと交戦に入ってしまった。
あっちに獣人が向かうとまずい。
「クロード! ユーカ!」
二人に声をかけてなし崩しに獣人を仕留めに走る。
……アテナさんは何とか無事に済み、獣人たちを倒した後にみんなでテンタクラーも葬ったが、アテナさんは終始ファランクス・テンタクラーの殺す気しかない触手を「無粋だ」と怒っていた。
モンスターに変なロマンを求めないで下さい。
なんだかんだで、奥まで辿り着くのにほぼ丸一日かかった。
僕が魔力をほぼ自在に吸収できるようになったので、乱暴な攻撃をしてもあまり後を気にしなくてよくなったが、それでもなかなかつらい長さだ。
とはいえ。
「そろそろだな」
「……なんとなく感じが分かってきた」
ユーカの言葉にうなずく僕。
ダンジョンの終着点。「核」のある場所。
そこが、もう目の前にある。
……おそらくは、親玉である「レクス」も、そこに。
みんなを見回す。
道中、具体的な作戦は話し合った。
もしもダンジョン最奥で「邪神もどき」ではない「レクス」とやりあうとしたら、それは外で戦う場合の数倍は強いと考えた方がいい。
長年蓄積した濃密な瘴気は、場そのものをモンスターの一部とする。空気全体が奴の支配下みたいなものだ。いつ耳元で炎が出るか毒が出るかわかったものじゃない。
それゆえに、まず魔術師と治癒師はできる限り後方で待機し、初手を食らわないことを目的に行動する。そして前衛組は炎でも毒でもあえて貰うつもりで突っ込む。
そしてひと当てしてからが本番だ。長期溜め続けた瘴気といえども無限ではない。前衛が攻撃を続けるうちに後衛まで手を回す余裕はなくなる。その間に、一人は前に残しつつもうひとりを治癒して……というプラン。
“邪神殺し”としてのユーカ自身が編み出した必勝パターンだ。異存はない。
だが、その隣にトーマがいるとなると話が難しくなる。
トーマの相手は僕がやり、アテナさんとクロードが「レクス」を跳ね返すのが基本プランになるが、それに相手が乗ってくれるかどうか。
そんなことを考えながら最奥の地に踏み込む。
が、そこにいたのは、トーマ一人だった。
「やあ」
「……一人か?」
「ああ」
トーマは傍らの地面に「ブラックザッパー」を突き立て、おそらくは「レクス」が座っていたであろう玉座に、ボロボロの恰好で腰かけていた。
「ディックは途中でいなくなったからね。他に協力者なんかいない。僕一人さ」
「……『レクス』はどうした」
「倒したよ。……わかるかい、この意味」
「わからない」
メガネを押しながら、慎重に答える。
トーマは微笑んだ。
「僕は、成し遂げたんだよ。『邪神殺し』を。……ユーカはもう、あの時のユーカじゃない。だから今は、僕がこの世界でただ一人の『邪神殺し』だ」
「それがどうした?」
「それが人類の長年の夢だったはずだろう? ……ああ、そうさ。この世界の重大な障害物である『邪神』を取り除き、世界を人類のものとする『邪神殺し』を、人々は待望していた。だから、レリクセンはそれを生み出すことに躍起になった。前人未到の不可能な難事だ。それが叶えば、ヒューベルだけじゃない、この世界に冠たる魔術師一派の長としてレリクセンは君臨できるはずだった」
「先に成し遂げたユーカを顧みないで、何故それを言う?」
「ユーカはレリクセンにとっては、捨てた試作品に過ぎない。使われた技術はただひとつ、『殺意の禁呪』のみ。成長前の子供に使える技術はそれくらいしかないんだ。他の改造はあまり早く施せば成長を止めたり、かえって性能を落とすリスクがあるからね。……ユーカには魔術の才能が全くなかった。成長して改造しても、僕のように本来の性能を引き出すことはできそうにない。だから、家から逃げ出しても放置された。まさか、たったそれだけの不良品が先に『邪神殺し』を成し遂げるとは夢にも思わずに」
クックックッ、と愉快そうに笑う。
「だから、ユーカが名を上げた時にはなんと焦ったことか。王家からの問い合わせにも、なんと答えたものか随分迷ったようだよ。レリクセンの出なのにバリバリのゴリラ戦士なのはどういうことか、何を学ばせてああなったのか、こっちはまったく関知していないからね。全部、作りかけて捨てた不良品の所業だ。それをもってレリクセンの何を誇れようか。……だから、ユーカが弱ったのを知った時にはいの一番に排除しようとしたわけさ。予定外の、計算外の、しかし『殺意の禁呪』の有用性だけは証明してくれた、本来のレリクセンの流れからすればとっくに用済みのサンプルとして」
「…………」
「しかし、ユーカはなかなか死んでくれなかった。『女ったらしのアーバイン』や『治癒の大家マード・エンデリオ』、それにローレンス第一王子の助力があったとはいえ、完成された戦士がただの子供にまで戻ったんだ。あれだけ強敵を誘導すればどこかで死ぬはずだった。それぞれの戦いはギリギリだっただろう? あまりに酷いのを当てると尻尾が出る。自然に死なせたかったのさ。でも死なない。……そこらで、レリクセンもおかしいと思い始めた」
複雑そうな目でユーカを見て、僕に視線を移すトーマ。
「ユーカと一緒にいるのは、ゴブリンにも殺されかける程度の木っ端冒険者と、治癒術ができるのが多少珍しい、しかし大した実力もないエルフ女。騎士団の幼年組で優秀だったくらいでのぼせ上がったラングラフの馬鹿息子に、サンデルコーナーのワガママ養女。見るべきところがあるのは“戦女神”アテナ・ストライグ程度で、それだって決して『邪神殺し』の領域に届くほどのものではない。どう見たってロクな価値のない連中の寄せ集め。なんでそれが、あれだけの修羅場で誰も死なない?」
「アイン君が強いからだ」
アテナさんが厳かに言う。
力の入っていない様子で指を鳴らし、トーマはアテナさんを指さした。
「そうだ。それがおかしい。ディックの知る冒険者の間ではぶっちぎりの最低評価。野垂れ死んでいないのが不思議だと誰もが口をそろえるほどの最弱冒険者。前歴もただの農奴、しかも親の教育さえロクに受けていない、何一つ持っていない奴が、たったの数か月でそんなに強くなるなんて、ありえない。絶対に」
「だが現にアインは強ぇぞ。それは剣を合わせたテメーが一番知ってるはずだろ、兄貴」
「ああ。これは僕の見解じゃない。レリクセンの見解さ」
肩をすくめて、トーマは続ける。
「そこで、最初に疑ったのがユーカの『力』を譲り渡したという魔導書だ。それこそユーカの全才覚が乗り移ったのなら……魔術的にはそれさえ理解不能だが、肌感覚としては理解できる。その魔導書はうまくディックが盗み出したんだが、結局そこに書いてあったのは、人間から最低限の能力を残して全てを『生命力』に変える、それを他人に譲渡するだけの、つまらない魔術だった」
「……!」
ユーカの顔が強張る。
……僕に渡したものが、強さでは、ない。
それは、今までの僕たちの旅の大義名分が、実は見当違いだった、ということをも意味する。
ユーカのように強くなる。それは僕の希望ではあったが、魔術の解釈が間違っているなら、何の根拠もなかったのだ。
「アイン・ランダーズ。おかしいのは君だ。君なんだ。……レリクセンの興味はそこでユーカから外れた。当然監視も強めたし、出自も改めて調べさせてもらった。……職を辞してハルドアの片田舎に隠棲したイルサング王国の元宮廷魔術師、比類なき才覚と思慮から、賢者との称賛を惜しまれることのなかった大魔術師、ルイン・ランダーズの係累。それが君だ」
「そうらしいね。残念ながら魔力は全然受け継いでないし、顔も知らない。形見のメガネももうないけど」
「そうだな。だが君は、少なくともその片鱗は受け継いだ」
トーマは立ち上がる。
「だから、レリクセンにとっては邪魔な存在になった。『邪神殺し』の栄誉は、他のものの手にあっては霞む。……僕という兵器を完成させ、君を始末する。それがいつしかレリクセンの目的となったわけだ」
「もうレリクセンはない。お前が跡形もなく、潰した」
「いいや、ここにある」
トーマは胸に手を当てる。
「僕はレリクセン。トーマ・レリクセン。残念ながら、それが現実なんだよ、アイン・ランダーズ」
「お前はその意志に反逆したはずだ。自由になったはずじゃないのか」
「いいや」
トーマはボロボロの姿のまま、穏やかに微笑んで、「ブラックザッパー」を引き抜く。
「自由なんかないさ。どこにもない。……なあアイン・ランダーズ。自由とはなんだろう」
「学はなくてね。気の利いた答えは返せないよ」
「はは、確かに。意地の悪いことを言ってしまった。……僕はね、別に自由なんかが欲しかったんじゃない。己の人生という物語に、意味があると信じたかった。ただそれだけなんだよ。それさえあるなら、何か残せるなら、僕はきっと苦しみの中ですり潰されるとしても、それに納得できた。……親父たちはそれすらくれなかった。あの殺戮はその結果に過ぎない」
「…………」
まるで鏡を見るような気分だった。
僕は、何も欲してなんかいなかったんだ。
妹を幸せにする。たったそれだけが叶うなら、何も。
富も名声も、自由も、あるいは五体満足の健康だって、きっとシーナが生きて笑っていたなら必要なかった。
きっと二十歳を待たずに死んだとしても、シーナがその時泣いてくれるなら、それだけで満足できたんだ。
だから僕は、シーナを失ってから、それを欲した。
ほんのわずかな意味を求めて。いずれ死ぬなら、その死で何かが残るのを願って。
冒険者になり、故郷を捨て、ゼメカイトに流れ着いて、ユーカの元へ引き寄せられた。
「命令する連中を失っても、結局僕はレリクセンだ。何百年もかけて生み出した技術と狂気は、僕のこの身に嫌というほど詰め込まれている。たったひとつの目的のために使われ続けた人生だ。奴らがいなくなっても、結局はそれを体現するしかない。……飛んで飛んで、飛び続けた先に辿り着くべき島がなくても、僕はもう休み方なんか覚えちゃいない。だから、やったのさ。『邪神殺し』を」
トーマは祈るように「ブラックザッパー」を顔の前に掲げる。
「そして、僕は君を許すわけにいかない。アイン・ランダーズ」
「そうか」
僕も「雷迅」を握る。
問答は終わりだ。そう思った。
が、ユーカは袖を引いた。
「そうかじゃねーよ! だからなんでお前が恨まれてんだよおかしいだろ!」
「ユーカ。離れててくれ。……理屈じゃないんだ」
僕はそう言い、ユーカを軽く押す。
そしてメガネを押して、剣を構え、トーマと対峙する。
「ハンデはいるか? 一人で『邪神殺し』まで成し遂げたんだ。お疲れだろ」
「くれるならいくらでも欲しいところだけどね。心配無用、服はこんなだけれど、僕らには嫌でも疲れを短時間で癒す余計な臓器が埋め込まれてる」
「そうか。じゃあ、遠慮なく本気でいこう」
トーマの「ブラックザッパー」から、黒いエネルギーが噴き出す。
対する僕の「雷迅」は、純白の剣気が満ちて渦巻く。
どちらからともなく。
踏み込みは何の合図もなく。
立ち合いが始まった。
トーマの黒い剣は重く、速い。
ただでさえ材質に差がある。受け方に注意しなければ、「雷迅」は折られてしまう。
だが、その斬撃にはあのロナルド・ラングラフのような熟練度はない。
細身の身体からは信じがたい安定感と威力を誇っているが、隙を見せれば容赦なく突いてくる剣豪の圧はない。
「冒険者の剣術だな」
「まるで騎士のような物言いじゃないか!」
「かもな。僕には騎士の師匠が何人もいる」
剣戟が何合も、何十合も続く。
黒と白の剣気がぶつかり合い、絡み合い、弾ける。
「この古代剣だって、爺様たちはたいそう警戒していた! これを奪えば絶対的な強さは削げるはずだと! ダンジョン外とはいえ『レクス』をなすすべもなく完封した時には、僕らだってそう思ったさ! そうだっていうのに、奪ったら奪ったで……そんなもので互角以上に対抗してくる!!」
剣が離れ、間合いが離れる。
「いい剣だろうが、決してこいつと同格の代物じゃない。現代のドワーフの打った代物だろう。それでどうしてこんな真似ができる」
「やらなきゃどうしようもない」
「……どうしようもなくなってほしいんだけどね」
相変わらず、トーマの表情は殺し合いに臨むような顔ではない。
どこか諦めたような、哀しいような、苦笑いのような表情で僕を見返している。
「それが君と僕らの差なんだよ。アイン・ランダーズ。どうしようもない、腹立たしくて仕方ない差だ」
「差ならいくらでもあると思うが」
「昔の君なら、きっと僕の生まれを羨んだだろう」
剣を二、三合ほど打ち合わせ、語る。
「由緒正しい家に生まれ、魔術を学び、金に困ったこともない。容姿も褒められたことしかなく、両親には期待され、才能も天才とは言わないまでも上々というところだ。でも……」
トーマは剣を引き、「オーバースラッシュ」を放ってくる。
驚くには値しない。珍しくもない技だ。厄介なのは「ブラックザッパー」で放たれていることだけ。
だとしても「雷迅」の過剰切断効果なら、その歪曲効果すら相殺できるはず。
そして、その通りになった。
「僕が人の子として誰もが欲しいものを持っている以上に、君は持っている! 魔力を操る才能も、剣を学ぶ速度も! 見ただけで呪いすら模倣し、再現する力さえも! その桁外れの学習能力こそレリクセンが恐れた常識外の異才で……僕らがどう逆立ちしたってモノにはできない、最悪の存在だ!」
「…………」
「持てる者と持たざる者を選り分けるなら、君はどうしようもなく持てる者でしかないんだ……!」
戦いにそぐわない表情に。
やや、暗い怒りが滲む。
「連綿と積み重ねられた、幾多の死をもって編み上げられたレリクセンの技術が……ただびとの力でどうしても届かないからこそ、それを背負って目指した『邪神殺し』という究極の理想が、そんな安っぽい運命の賜物で安易に掻っ攫われてたまるか」
「なるほど」
僕は、メガネの位置を直しながら。
「お前には、そう見えているのか、トーマ」
「ああ。僕だけじゃない。レリクセン家はそう見ていたよ」
「他人が要約すれば、そんなに楽しいものになるんだな、僕の人生は」
ああ。
なんだ、と思ってしまった。
……こんな風に、横から勝手な虚飾をつけられるのなら。
意味のある死も意味のない死も、結局自己満足でしかないのだ。
「……一番大事なものを奪われて、何が持てる者だ……!!」
視界が色づく。
怒りが、色を付ける。
何に対する怒りなのか、自分でもわからない。
その運命とやらか、無責任に羨むトーマか、あるいはそれだけあったことに気づかずに人生を過ごし、妹を死なせた自分自身か。
剣が閃く。
高く鳴り、低く鳴り、剣気がまだらに絡み合って弾ける。
そして、それを受け止めながら、トーマは。
「大事なものを奪われることさえ、らしいじゃないか」
──英雄譚の、主人公に。
彼はそこまで言わなかったが、僕の怒りが加速する。
ふざけるな。
ふざけるな。
そんなものでシーナを消費させるものか!!
「……トーマぁぁぁっっ!!!」
剣を弾き、斬る。
斬撃が、トーマの肉体を斜めに斬り裂き、その背後にあった椅子、そしてやや遠い壁にも巨大な傷痕を穿つ。
半分になったトーマは、ディック同様に、それでも生きていて。
何が混ぜられているのか、うっすら紫の光沢の混じった血をとめどなく流しつつ、僕に視線を向けて。
「僕には奪われて困るものさえ、なかったよ」
最後まで、読めない笑顔のままだった。




