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帰りの関門

 魔力によって単純強化された目には、周囲がとてもよく見える。

 メガネのフレームに視野を制限されることもなく、視界内のあらゆるものがくっきりと美しく映る。

 世界ってこんなにも鮮やかなんだな、と感動すらしている。夜だけど。

 こんなに見えるのって子供の頃以来だ。

 最初は僕もそんなに目は悪くはなかったんだよなあ。

 と、一人上機嫌でいると。

『……アイン君。すごく満足そうなところ悪いけれど』

 絨毯に載せられている奇妙な水晶からリリエイラさんの声が響く。

『魔力、抜きなさい。出来るだけ早めに』

「えっ」

『感覚器官に魔力を過剰投入するのは禁じ手よ。最悪マードさんが何とかしてくれるとはいえ、ね』

 えー。

 どうして。

『人間の脳の処理能力には限度がある。特に目は元々脳に負担をかける器官よ。……目への魔力投入は情報量を一気に数倍から数十倍にすることができる。そして見えるようになるのは遠くのものだけじゃない』

 数回目をしばたたく。

 軽く見回す。

 確かに、メガネありの状態で昼間に見ていた景色よりもずっと鮮やかではあるのだけど、そんな何倍というほどでは……ん?

 なんだこれ。

 空気の動き……? いや、魔力の流れ……? なんだ? それ以外にも……。

『本来、私たちのいる空間には目で感知できないような情報があふれてるのよ。それをいい具合に絞って見ている。無造作に魔力を込めたら、人間には見えなくていい色や感知しなくていいエネルギーの流れ、あるいは時空や音波、意味のない残留思念まで目で全て読み取る危険がある……普通は数分も続けると吐くか気絶するわ』

「え、ええー……ただの目でそんなことまで? じゃあ元々異常な目を埋め込んだロゼッタさんは」

『だからあれは魔導具化して、投入魔力に反応して必要量を定格出力するよう処理してあるの。その上で、見たいものを選ぶのに訓練が要るのよ。人間は全方向を一つの目で同時に見るという体験すら普通はしないからね』

「…………」

 通常の状態で、メガネを通して見るより鮮やかで……しかし注意すればするほど意味深な流れや滲み、あるいは生理的に受け付けない何かをあちこちに感じる視界。

「この状態に慣れる……ってのは、難しいんですかね」

『私だったら拷問として他人に使う方が現実的だと考えるわ』

「そんなに」

『だからいったん魔力を抜きなさい。君の魔力操作なら抜くのも自在なんでしょう。……歩くのに不自由しない程度ならごく微量の強化で間に合う。それだと時間経過で魔力が体内に循環しちゃうから数分ごとにまた見えなくなるけど……』

「……忙しく魔力の込め直しがいるのか」

『私もわざわざメガネかけてるっていうのがどういうことなのか、ちょっと考えてみてよ』

 ……確かに魔力強化で全て事足りるなら、最高峰の魔術師たるリリエイラさんがそうしない理由もないか。


 言われたとおりに一旦魔力を抜き、改めて微量の魔力を込める。

 ……ちょっとまだ見づらいな。もう少し。もうちょい。

 あ、見える……けど数分どころか数十秒単位でだんだん霞むな。

「常に使いながら戦ったりするのは確かに難しそうだ」

 魔力を強めに込めて、脳が疲れるのを承知のうえで一気に決着を狙うのが主な使い方になるかな。

 少なくとも、それで帰りの道中のピンチは凌げそうだ。

 武器は……ナイフになっちゃうけど。

「でも、マード先生の話じゃ人間界にも眼科専門の治癒師って確かにいるんですよね? リリエイラさんって人の調査も得意みたいですけど、どうしてホンモノ探さないんでしょう」

「……リリーちゃん、あれで結構人間不信じゃからのう」

 苦い顔で遠い目をするマード翁。

「ワシ以外の治癒師に普通の怪我を診察されるのさえ嫌がる子じゃ。目玉を任せるなんてもってのほかじゃろ」

「なんでマード先生はOKなんですかね」

「ワシがイケメンじゃから!」

『単にマードさんは有無を言わさず一瞬で治癒しちゃうだけよ。……ま、企むこともせいぜいお尻触る程度だし』

「触らせてくれんくせに!」

『怪我してない時に触ろうとしたら殴るに決まってるでしょう』

「怪我してる時に触ったって面白くないじゃろうが!」

「なにこれ。夫婦漫才かな?」

 ファーニィ呆れる。

 ……まあ積極的に触らせてくれる女性だと逆にマード翁が引いちゃうので、これがお互い望んだ距離感なのだろうけど。


 まあ、メガネは王都まで戻ればドラセナが作ってくれているはずだから、それまで我慢すればいい。

 ドラゴンの血も渡した。他の防具一式や赤黒二刀と一緒に用意して待っているはずだ。

 その後、眼科治癒師を探すかどうかは……まあ、情勢次第だとして。

「さて……それじゃあさっさとゼメカイトに戻ろう……」

 みんなに号令をかけ、遺跡を後にしようとして……グゥン、と奇妙な震えの感覚を覚える。

 地面からだ。

 慌ててもう一度目に魔力を込め、少し周囲を見渡す。

 異常に鮮やかになった夜の遺跡。

 その異常は、まるで遺跡全体から急速に何かのエネルギーが失われていくように見受けられた。

「……制御装置の破壊が今頃効いたかな。遺跡から力が失われてる」

『アイン君、言ったそばから目に魔力使って……』

「僕は任意で魔力抜けるからいいんです」

 とはいえ、やっぱり多少頭が痛くなるのは感じる。

 言われた通り、あまり乱用はしない方がいいんだろう。

「でも、今の今まで遺跡にエネルギーがあったってことは……」

 リノが何か言おうとする。

 みんな察する。

 ……つまり、それだけのエネルギーを急に使い果たす「何か」が終わったんじゃないか、ということで。

 ファーニィがいち早く耳を揺らし、バッと振り返った。

「来ます!」

 何が、とは言わない。

 すぐにわかる。


 それは、悪夢のように巨大な蛇の頭。

 人間丸呑みどころじゃない。

 ちょっとした家だってひと呑みにできそうな……遺跡の通りの中でも特に太いところでなければ身動きもできないような、巨大な。

 それが、三個。

 通りの彼方から、近づいてくるのが見える。


「ありゃもうドラゴンじゃねえか……!?」

「デカすぎる……あんなの人間が戦える代物じゃねぇぞ……!」

 うろたえるロックナートパーティ。

「……やべーぞリノ。確か魔術耐性(レジスト)の魔導書持ってきてたよな!?」

「う、うん」

「早く起動しろ。魔導書があればオメーでも全員にかけられる! 急げ!」

 ユーカさんに言われてリノがあたふたと魔導書を探そうとして、……それはもうジェニファーが開いていて。

 起動している。彼のゴリラハンドから、僕らやロックナートたちまで含めた全員を包み込む薄い魔力光が配られる。

 いや、頭いいにもほどがあるよ!?


 そして。

 三つ首の巨大多頭龍(ヒュドラ)は、それを待っていたかのように、それぞれの眉間に結晶体をニュルッと出現させ。

 同時に炎と雷、風の魔術を発動させた。

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