ダンジョン侵入2
新しい剣と新しい技、そしてそれを使った実戦経験。
ほんのわずかな差といえばそうかもしれないが、自信も実力も絶無に近かった僕からすれば、それらを得たことは長足の進歩だ。
その上での、強敵との三度目の一騎打ち。
負ける気がしない……というのは、油断のし過ぎか。
しかし、互いに不意を打たない真正面での会敵は、広い野外で索敵しながら戦うより、相当にやりやすい。
いくら速いと言っても攻撃が当たらないような大きさでもなく、斬って斬れないような硬さでもない。
僕に充分な威力と手数の飛び道具があることを考えれば、こうして見合っている時点でかなり有利な状態だ。
……が。
「アイン。注意しろ」
前回はあれほどまでに「勝てる相手」だということを強調していたユーカさんが、今度は僕に警戒を促す。
「あの犬っコロは……こういうところで戦うのが一番厄介なんだ。今回ばかりは手伝ってもやれねー。……やられんなよ」
「……うん」
その真意を測りながら腰を落とし、構える。
前回、二頭との戦いで、僕たちにあったもの、なかったもの。
今回の戦いで相手にあるもの、ないもの。
……やはり、すぐにはわからない。
とにかく、僕にやれることは……「オーバースラッシュ」での中距離戦だ。
これがある限りはヘルハウンドに勝てる。ユーカさんとそう話したはずだ。
そういくつも取るべき手はない。やれるだけやる。
今回は……死ぬわけにはいかない。死んだら即ユーカさんも道連れだ。
後ろの冒険者連中が持つたいまつの薄明かりの中、対峙する僕とヘルハウンド。
僕の警戒と殺気が伝わったのか、あるいは手近だからか。ヘルハウンドは少し距離のある冒険者パーティやユーカさんには目もくれず、まっすぐに僕に狙いを定める。
じりり、と僕のブーツが石畳に擦れて音を立てる。カシ、とヘルハウンドの爪もまた、地面を噛む音がする。
一瞬の静寂の後。
ヘルハウンドはゴォウ、と吠えて、躍りかかってくる。
「ッッッ!!」
オーバースラッシュ、と叫ぶ暇もない。
振るった剣が淡い曲線を闇に描き、それがヘルハウンドに迫る……が、ヘルハウンドは斬撃を受けながら止まらない。
「っの!!」
もう一発。少し雑な振りだが、それでも飛んだ斬撃は再びヘルハウンドに刻まれる。
間合いの外から二連続はさすがに怯むか。だがその分厚い筋肉の前では未だ致命傷はおろか、行動を阻害するにも至らない。
斜め後ろに跳んで、構えの射角から外れる。
……少し焦った。
そして、ユーカさんが語気を落とした理由を改めて考える。
僕の「オーバースラッシュ」は、ある程度までのものは切れる。
それは例えばナイフで付けられる程度の傷で、斧が必要な硬さには通じない、という程度の威力。
それは……人間やそれ以上の大型動物の四肢を切り落とすには至らないし、木やそれに相当する障害物相手には貫通できない、ということだ。
ヘルハウンドは体が大きく、足も太い。
僕のオーバースラッシュを完全に無視はできないが、覚悟を決めれば数発までなら同じ足に食らっても変わらず走れる、というところ。
……それは、向こうが届きさえすれば一撃でこちらの四肢を食いちぎれる、という事実から考えると、だいぶ分の悪い勝負でもある。
つまり僕は、優位を確立するにはもっと当てなくてはいけない。
あるいは、待ち構えての「パワーストライク」なら、一撃で決めにいけるか。
……いや、駄目だ。
ユーカさんはヘルハウンドとの勝負に向けて僕に「パワーストライク」を与えたわけじゃない。
僕の運動能力から言っても、敏捷性が桁違いの猛獣相手に「最高の一撃」を望む賭けは、まだ想定すべきじゃない。
「……行くぞ」
「待てアイン! 勝負を急ぐな!」
ユーカさんが叫ぶが、僕としては敵に先手を許したくない。
今はまだ僕の手順のうちだ。敵が届かない、「オーバースラッシュ」の間合いだ。
「オーバー……スプラッシュ!!」
剣を素早く振り回し、斬撃を幾重にも飛ばす。
飛翔鮫の時ほどの無茶乱射はしないが、それでも両手の指では数えられないくらいには連発。
足の一本も奪えれば天秤は傾く。それを期待して、低めに集中。
……果たして。
「ガァァッ!!」
斬撃の殺到を前に……ヘルハウンドは、さらなるバックステップ。
幾度もそれを繰り返して、射程外まで行ってしまう。
「はっ……!?」
僕は呆気にとられる。数十メートルだぞ。
そんなのアリか。
と、呆然としているところに、一旦取った距離をまた猛然と詰めてくる。
「く……!」
ただでさえ節約を始める程度には魔力を消耗していた。そこで「スプラッシュ」は、ちょっと重い。
ズシッとのしかかるものを感じながら、僕は再び「オーバースラッシュ」を振るう。
それを今度は、飛び越えてくるヘルハウンド。
「嘘だろっ!?」
闇では魔力としてうっすら光り、見ようと思えば見えるのが災いしてしまった。
そして撃ち過ぎた。慣れさせてしまった。
見ればかわせる、と確信させてしまった。
これで出し際はともかく、遠すぎる間合いでの「オーバースラッシュ」は、回避可能なものになってしまった。
……僕はそれでもこれしかない。
足狙いから、なるべくかわしにくい軌道に。
やや空中寄りの斜め斬りをいくつも放つ。これならどうだ。
……それを右に左に、伏せたり壁を蹴ったりしながらヘルハウンドは距離を詰める。
そして、数メートルまで迫ったところで……。
「アイン! ブレスが来る! 伏せろ!」
「うぇっ!?」
ユーカさんが察してくれたので助かった。
僕が最後に放った「オーバースラッシュ」を包み込むように、炎の息吹をヘルハウンドが吐いてくる。
僕は身を投げ出すように地面に伏せて、何とか直撃は避ける。
……そういえば、そうだった。
こいつにはこれがあった。外で会った二頭は、何故かやらなかったので忘れてた。
……いや、何故か、じゃないな。
最初のやつは目を潰したからそもそも自分に何が起きているのかわからないうちに死んだのだろうし、二頭目は……ユーカさんに喉を真っ先にやられた。
喉に傷がついた状態で炎なんか吐けるはずがない。
あれはユーカさんが蛮勇で一撃必殺を狙った無謀な攻撃なんかじゃなく、ブレス封じが狙いだったのか。
……くそ、どうする。
まだ返り血が生乾きなので引火せずに済んだけど、直撃したら大やけど。
街まで帰らないと治癒師なんていないのに、そんな大怪我はできない。
もう一回「スプラッシュ」で突き放すか。
そう幾度も使える手じゃないけど……当たれば儲けものだ。
と、剣を杖に立ち上がり、振ろうとしたところに、ヘルハウンドは前足で石を弾いてきた。
とっさに防ぐ。
軽い石じゃない。予想以上に重い手ごたえに、たまらず剣が弾かれる。
「くっ……!?」
慌てて手放してしまった剣に手を伸ばすが、僕よりも早かったのはヘルハウンド。
僕に一撃を加えるのを後回しにし、地面に落ちた剣に向かって炎の息吹をゴウゴウと吐く。
「……マジ……かよっ……」
僕はそれを呆然と見る。
地面に残り火と共に転がっている新しい愛剣は、たっぷりと時間をかけて加熱……されてしまった。
あれを拾って使うのは……無理だ。
つまり、僕はもう、丸腰。
ブレスを吐き終えた魔獣は、その余韻なのか咳き込むような、えずくような動作を数度見せつつ、僕に視線を戻す。
それはあたかも「残念だったな」と笑っているようにも見える。
……本当にまずいぞ。
いくら何でも、僕は剣なしで戦う能力は全然ない。
これじゃ、戦うどころか足止めすらできない。食われるだけの餌だ。
どこだ。どこで間違えた。
石を剣で受け止めたのがまずかったのか。
いや、その前に接近されたことか。「スプラッシュ」を早く出しすぎて慣らしてしまったことか。
……せめて。
「ユー、全力で……逃げてくれ」
僕は虚勢を張り、徒手空拳で戦うような構えを取りつつ、ユーカさんだけは逃がそう、と心に決める。
他の冒険者たちは知らない。勝手に逃げるだろう。
ろくに覚えてもいない、しかも僕を馬鹿にするだけしていた奴らにお節介を焼いた結果がこれなのは悔しいけど。
……もうヤケクソだ。ユーカさんの言ってた「必殺ユーカバスター」でも試そうかな。一発で肘と拳がブッ壊れる、って言ってたからパンチ技か何かだろう。
なんて思って、数瞬の睨み合いをしていたところに。
矢が、飛来した。
「!?」
ガスッ、とヘルハウンドの肩に刺さる。
まさか冒険者たちが援護してくれたのか、と思いつつ、一瞬の隙に身を翻して背後を見ると……冒険者たちのたいまつの向こう側で弓を構えていたのは、ついてこなかったはずだった、女の弓手。
「エミリー……!? 一人で、ここまで……!?」
「ナイゼル、見てきたっ……最後、私に助けを求めてたのに、見捨てちゃったっ……! 私だって死にたくないからって……!」
声を詰まらせながら、次の矢を放つ。
今や脅威ではない僕を捨て置いて、そちらに向かおうとしていたヘルハウンドが再び矢を受け、怯んだ。
鏃に毒でもつけているのか、当たりの弱さに対してヘルハウンドの反応が大きい。
「死体に謝って……謝っても、なんにもならなくて……っ!! だから、来たっ!! 私、最低だけど……まだ、仲間だからっ……仲間でいたかったから!!」
ヘルハウンドの目が完全にあちらに向く。
このままじゃ、僕より彼らが……ユーカさんまでもが、先に殺されてしまう。
「やめろっ……!!」
僕は思わずそう言って、もはや手が焼けてもいい、と剣を拾おうとして……。
そこに、もう一本の剣が滑り込むように飛んできた。
「!」
振り向くと、ユーカさんだった。
冒険者たちの一人の腰から剣を奪い、こっちに投げてきたのだ。
「アイン!!」
「……ありがと!!」
僕はそれを掴む。
一度も振ったことのない他人の得物。
ロゼッタさんが譲ってくれた、今は地面でくすぶる愛剣に比べれば、何段もグレードが落ちる。
だが剣だ。
今はそれだけで十分だ。
……それを握り、即座に魔力を注ぎ込みながら、ヘルハウンドの背に向かって一瞬で考える。
奴は僕を見ていない。一発だけなら無防備に当たってくれるだろう。
でも、「オーバースラッシュ」では殺せない。
「パワーストライク」を叩き込むには遠い。近づく前に奴は駆けだしてしまうかもしれない。
「オーバースプラッシュ」では……かわされればユーカさんたちに当たる。そもそも、殺しきれるほどの魔力がおそらく残っていない。
……だったら。
「オーバー……」
両手で握った他人の剣を、綱のように引く。限界まで。
そして、イチかバチか、全力で踏み出しながら、突き出すと同時に、残る魔力を全部叩き込むつもりで気合を込めて。
「ピアース!!!」
せっかくの魔力が、剣の軌跡に「線」として広がるせいで弱いのなら、一点に打ち込めばどうだ。
思い付きに全てを懸けて、放つ。
剣から伸びた光線は、ヘルハウンドの脇腹を突き抜けて、内臓の中央……おそらく心臓を貫き、ユーカさんたちの頭上を切り裂いて飛んでいく。
ヘルハウンドは、その一撃を受けた後……まるで「生きていたのが何かの間違いだった」とでもいうように、崩れ落ちて。
僕も、体内の魔力の使い過ぎで、意識を飛ばして倒れ込んだ。
目を覚ましたのは、あの野営地で、だった。
「……う」
「おい、アインが目を覚ましたぞ! ユーちゃん、アインが目を覚ました!」
野太い声が頭にガンガン響く。
目を覚まして最初に飛び込んできたのは、焚き火を囲むあの冒険者たちの輪だった。
……すっかり野営地、乗っ取られちゃってる。
しかし魔力って、本当に限界ギリギリまで使うとこんな風になるのか……と、身をもって理解したことに驚きつつ、走ってきたユーカさんに顎を掴まれ、覗き込まれる。
「おい、大丈夫か? 意識しっかりしてるか? 変な影響出てないだろうな?」
「へ、変……って……?」
「お前、あんなダンジョンの真ん中で倒れたんだぞ!? ダンジョンなんて何があるかわからねえんだぞ!?」
「た、ただの魔力切れ……だと思うんだけど」
「……本当に魔力最後まで振り絞る奴があるかバカ野郎! 魔術師ならともかく、戦士の使い方ならどうとでも加減利くだろうが!」
パーン、とほっぺたを叩かれた。
「いてて……」
「ま、まあまあ。アインがやってくれなかったら……俺も剣はなくなってたし、エミリーやザックスの弓矢でヘルハウンドを仕留めるのは無理だったし、ほんと全滅だっただろ?」
とりなしてくれたのは昨日助けた男。カイといったか。
……いや、ユーカさんならそれでも一手ぐらいなんかあったと思うよ、とは言わず。
「あんたも無事だったんだ。よかった」
「ああ。ゴーレムの死体に逃げ込んだ時には『絶対死ぬもんか』って思ってたが……本当に助けてもらえるとも思ってなかった。それもあのアインが、あんなに強くなって助けに来るなんてな。……本当にありがとう。帰ったら酒場の親父に推薦しとくよ」
「いや、僕たちこれからゼメカイトにはしばらく戻らないから……いらないよ」
推薦、というのは「指定依頼」に相応しい実力だということを「冒険者の酒場」の店主に保証すること。
実力者だというのは、本人がいくら自称したって、それは店主には本当かわからない。
そもそも店主は大抵ただの一般人なので、自ら腕を測るというわけにはいかないし、依頼で信用を積み重ねるにしても、本当にそれが本人の実力なのか? なんて疑いだしたらキリがない。
なので、街の住人や他の冒険者たちからの証言や評判も多分に加味されて、指定依頼を与えるかどうか判断されることになる。
……ということなのだけど、僕たちにはもういらない話。
というか、どちらかというと忘れててくれたほうが嬉しい。
まあ本当に忘れて欲しいのはユーカさんのことであって、僕のことはそのついで、という感じなんだけど。
「なんでだ? これだけの実力があれば、あのマキシムだって見返してやれるだろう?」
「別に見返すつもりなんてないし……ユーの怪我を治せる治癒師、探さないといけないから」
僕がユーカさんのケープをめくって彼女の左手を見せると、冒険者たちに「うわ……」というなんともいえない動揺が広がる。
……あんまり人に言わないだろうなあ、と思ってたけど、やっぱりユーカさんは左手がないことを今の今まで彼らに隠したままでいたらしい。
むしろよく隠せたな。僕を運ぶのは誰かにやらせたにしても、片手しか使わないことを怪しまれなかったんだろうか。
……まあ冒険者、変な奴結構いるしな。ゲン担ぎに潰れてもいない目に眼帯してる奴とか。そういうのだと思われてたかも。
「しかし、剣がすごいって言ってたから剣のおかげであんなに強いのかと思ったら、俺の剣でヘルハウンド殺したのは驚いたよ」
「カイより間違いなく強いだろ。どうだ、俺たちのパーティ入らないか?」
「待ってよ。それならまず治癒師でしょ。ナイゼルは……死んじゃったし」
「あー……でもなあ、治癒師死なせたパーティに次が来てくれるかなあ」
「嫌なこと言うなよ……どうしようもなかったけどさ」
ワイワイと賑やかな彼らの間で、仲間に囲まれての冒険生活というのを少し夢想する。
……きっと、楽しいんだろうな、と思いつつ。
「言っただろ。僕はユーを治さないといけないし。何より強くなったのはユーのおかげなんだ」
「……え?」
「ユーはある高名な剣士の孫娘でさ。色々と技術は知ってるんだけど体が弱くて……だから僕がユーの技を習う代わりに護衛することになったんだ」
すらすらと嘘っぱちを口にする。
どうせこの後、ユーカさんの素性についても話が飛ぶんだろうし。特にあの女弓手、ユーカさんにひっぱたかれたから色々突っ込んできそうだし。
ここらで強引にカバーストーリーをつけることにしよう。
「こんな女の子に弟子入りしてるってことか……?」
「でも確かになんか風格あるかも……」
どうやら得体の知れない強者感が彼らの中で噛み合ったらしく、ユーカさんを見て納得している。
ユーカさんは居心地悪そうにしながらもあえて否定はせず、「で、弟子はもう取らないぞ。コイツすごい手がかかるからな」などと言って腕組み。いや、片方コレだから組めてないけど。
ちょっと笑いそうになりながらも我慢して、僕は調子を合わせつつ、ゆっくりと体調が戻るのを待ち。
結局、冒険者たちは治癒師ナイゼルの葬儀もあるということで、半日ほどで野営地を離れていった。
僕たちも早くベッドのある宿場まで行きたかったけど、フラフラのままでそこまで移動するにはまだ遠い。
万全を期して一日置いて、それから動くということにして、野営地に座ったまま彼らを見送る。
「……一応、保存食多めに持っておいてよかった」
「マズイけどな。……あーあ、いい飯食いてーなー」
「ゼメカイトまで戻ってあいつらにタカる?」
「バカ言え。あんなペーペーにタカるほど貧乏してねーよ」
「そりゃそうか」
二度目の夜空を見ながら、ユーカさんと焚き火を前にまったり過ごす。
僕の剣は真っ黒になってしまったけど、ちゃんと持ち帰ってくれていた。
いざという時はまた迎撃できるよう、手元に置いてあるけど……そう何度もはあんなのは嫌だな、と視界から追い出す。
「……おい、まだフラつくんだろ。横になったらどうだ?」
「横になったらユーが寒くなるだろ?」
「……ひ、膝枕……してやろーかと思ったのに」
「はは。気持ちだけ受け取っとく」
「……前は筋肉ゴリゴリ過ぎて絶対寝心地悪いってアーバインやマードにさんざんからかわれたから、今ならって思ったのに」
「今のユーは逆に足が細すぎるから、どうだろうね」
もう何も起きませんように、と願いながら、小さな英雄と体温を分け合い、夜明けを待つ。
願いが天に届いたのか、この晩は何も起きなかった。
 




