タイムトラベラーと過去の遺物(三十と一夜の短篇第58回)
ブレた視界に目をつむって開けると、そこには一瞬前とは違う景色が広がっていた。
(よしっ、タイムトラベル成功か!)
人類史上初のタイムトラベラーであるサカタは、ガッツポーズをした腕にはまる時間計器に目をやった。
表示されている数字は《3,000》。
「三千年後! ずいぶん、遠くへ来ちまったな……」
数秒後、数分後、数時間後へのタイムトラベルを経て、とうとう数年単位での時間旅行に挑んだサカタは、流れた時間の長さを知ってちょっぴり後悔した。
「もう、あのころの知り合いには会えないのか。ちょっと、調子に乗りすぎたかな……」
当初の予定では一年先に飛ぶ予定だったのだ。それが成功すれば三年、五年と飛ぶ時間を伸ばしていく予定だったのだが。
そんなちまちましてたのでは面白くない、と出発寸前にこっそりタイムトラベルの時間をいじったのはサカタだった。
作業クルーみんなの目を盗んでやったものだから、向かう先の年が何年ずれたのかサカタ自身も把握していなかったけれど、三千年とは予想以上だ。
未来には飛べても済んでしまった過去には戻れないタイムトラベルで、致命的なミスである。
「まあ、来ちまったもんは仕方ない! バーンと現地人に発見されて一躍有名人になってやろうじゃないか!」
わはは、と笑ったサカタは、改めてあたりを見回した。
周囲は、草木に覆われて人工物が見当たらない。動くものを見つけて木の枝に目をやれば、リスに似た小動物が葉のかげに隠れるのが見えた。
そのまま視線を空に向ければ、抜けるように青い空が一面に広がり、こう見えても三千年前の世界で最先端技に携わっていたサカタが見たこともない鳥が飛び交っている。
「……それにしても、ここ本当に三千年後か? むしろ俺たちの時代より後退してるんじゃあ……」
地面はことごとく舗装され雑草の繁茂を許さず、紫外線チリ埃その他もろもろの有害な物質を遮断するためのフィルターに覆われた空をふつうだと思って生きてきたサカタが首をかしげた。
そのとき。
ぱん、と青空を塗りつぶすように画像が広がった。
「空中投影か! すげえ、どうやってるんだ? 画像の乱れもないし、照射された映像が変に透けてもないなんて」
未来の技術に驚くサカタは、そこに投影されたものに目をやってさらに驚いた。
「あれは! 俺の部屋の机じゃないか!?」
『臨時ニュースをお知らせします。ただいま、環境特別保護区地球の遺産発掘調査チームが帰還しました。今回、発掘された物品に関する情報を速報でお知らせします』
一体どこにスピーカーがあるのか、空から響く声はサカタの脳に直接響いているように鮮明だ。
「っていうか、三千年後でも言語に変化なしか?」
『なお、放送言語は視聴者の選択言語に自動変換されます。変換無効を希望される方は個人端末で操作してください』
まるでサカタの疑問に答えるかのようなタイミングで告げられた内容に、サカタはぐっと胸を熱くした。
「うおお、未来の技術すげえ! うっかり来ちゃったけど、すげえ! 来て良かった!」
はしゃぐサカタが見上げる先で、青空に投影された画面にテロップが流れる。サカタが見たこともない文字の羅列は、きっとさっきほどの放送内容を伝えているのだろう。
「三千年も経てば、さすがに文字も変わるんだなあ」
自分たちの時代ですでに完成に辿り着いていると思っていた文字は、そこからさらなる進化を遂げたらしい。ちっとも読めない文字を眺めてサカタは感慨にふける。
が、そんな感慨は次に画面に映し出されたものを見て吹き飛んだ。
「え! それ俺のゴミ箱……?」
画面の中央にアップで映されているのは、見覚えのあるゴミ箱だ。サカタの部屋のすみで数多のゴミを受け止め、そしてそのまま三千年前においてきてしまったもの。
そんなゴミ箱がほとんどそのままの姿で、高そうな布のうえに鎮座し画面中央に映し出されている。
『今回、調査チームのリーダーをつとめましたフーチャー氏によると、こちらの筒はおよそ三千年前の人類が遺した物だと考えられるとのことです。当時、最先端であっただろう技術を用いて保護されながらも長い年月のうちに崩壊した建物のなかから、奇跡的に当時のまま回収された貴重な資料である、ということです』
アナウンスに従うように、カメラの視点がゴミ箱の周りをくるくる回る。
ひとつ三百円で売られていた円筒状のなんの変哲もないサカタのゴミ箱が、まるで芸術品かのように世界中に見せつけられている。
「ああっ」
その様をかたずを飲んで見守っていたサカタは、不意に上昇したカメラ視点に思わず声をあげた。
「待って、やめて、それいつのゴミ!? え、ちょ、中身捨ててるよな? 頼む、母ちゃんでも父ちゃんでもナカジマでもいいから、捨てといてくれ!」
親や仲間の名を叫ぶサカタの声も虚しく、カメラが映し出したゴミ箱の中身は、ばっちりしっかりサカタが三千年前に捨てたままの状態で、たっぷりの紙くずが詰まっている。
『こちらの筒には数多くの紙が詰められており、当時の人類の生活に関する貴重な資料である可能性が高いとのことです』
「やめっ! 詳細な調査やめてぇ! そのなかに詰まってるの俺の黒歴史! 捨てたやつ! 若気の至りのポエムとかだからあぁ!」
ポエムだけでなく、押入れに置きっ放していたクラスのかわいいあの子との妄想恋愛日記も捨てた覚えがサカタにはあった。十八歳未満閲覧禁止の破廉恥な妄想ダダ漏れの一品だ。
長期間のタイムトラベルに挑むにあたって、部屋の掃除をされたときに見られて困るものをゴミ箱に捨てた自分を恨む。なぜ、どうしてあのとき、きちんとゴミ回収の場に持って行かなかったのか。悔やめども悔やめども、後悔は先に立たない。
『今回、崩壊した建物から発掘されたのは、こちらの筒と一枚の写真です。当時の映像処理技術に関する資料として貴重なこちらの写真は、おそらく当時の人類を写したものであると考えられており、同時に発見された筒と関連のある人物だと思われる、とのことです』
そう告げる声とともに青空に映し出されたのは、サカタの顔だった。
笑顔でカメラに向かってピースサインをするサカタの顔写真。それは、タイムトラベル出発寸前に撮られた一枚だ。
つまり、今のサカタの姿形をそっくりそのまま写したものだ。
「うそだろぉ……」
サカタは開いたくちが塞がらない。
未来の世界で一躍有名人になる! とはしゃいでいたことなど遠い過去だ。三千年前の幻だ。
これだけの技術力がある世界だ。数年、いや数ヶ月以内にはサカタのゴミ箱の中身が解読されてしまうだろう。
意気揚々と出ていけば、世界中に黒歴史を披露される男となってしまう。
それを阻止するためには、今すぐ名乗り出てどうにか発表をやめてもらうしかない。顔写真は披露されてしまったが、黒歴史の暴露だけはなんとしても阻止しなければ!
『なお、当時の資料の解析が終了するのはおよそ二十分後と推測されています。二十分後に、調査チームリーダーからの解説を添えて続報をお伝えします。ただ今の時間はこれで終わります』
ぷつん、と途切れた音声に続いて画像の消え去った青空を見上げて、サカタは呆然とつぶやいた。
「うそだろぉ……」
サカタの恥ずかしい夢日記やポエムが全世界に発信されるまで、残り二十分。
世界初のタイムトラベラーサカタはの未来は真っ暗だ。
サカタは知らない。
実験の失敗により二度と会えない未来に行ってしまったサカタを偲んだ家族や友人が、せめてサカタの思い出を遺そうと当時の最新技術を駆使してサカタの部屋を保護したことを。
その結果、宇宙に住処を広げた三千年後の人類が自然保護区に認定した地球で、黒歴史の詰まったゴミ箱と共に生きていくことを、彼はまだ知らない……。